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182 まっさらなシーツ

 ――「うう~……ぐすっ……ひぐぅ……」――



 歯抜け美女は血まみれのまま、ベッドの上で泣き続けている。


 泣きつつも、前歯を乗せた手は俺に差し向けている。



「蓮ちゃん……これ、どうすっと?」

「いや……どうするって……俺もどうしていいか分かんないよ」

「この娘……可愛い顔して、イカれとるのぅ……」

「せっかくプライさまから頂いた竜人族の血が……お高いのに……」

「ワシ、に、二階に上がっちょこうかえ……ローニャさま見ちょく」



 みな、どうしていいか分からず混乱している。


 ポッコはそそくさと二階に逃げて行った。



 ――ジャバジャバ……ぎゅうぅぅ……ちゃぱぱぱ……



「とりあえずぅ……お顔、拭きましょうねぇ~」



 コヤネさんが布巾を濡らし、歯抜け美女の顔を拭き始めた。



「あらあらぁ~、せっかく治した前歯、折っちゃってぇ。綺麗なお顔が台無しじゃないですかぁ~」



 歯抜け美女はされるがままに顔を拭かれている。



「その歯ぁ……蓮さまにあげたいのですかぁ?」



 歯抜け美女は、コクリと頷いた。


 なんでよ~……意味わかんない。


 コヤネさん……何でか聞いて~。



「どうして、あげたいんですかぁ?」


「……ひっく……初めて……だから……」


「初めてぇ? 何がぁ?」


「痛い……の……う……嬉しかった」



 痛いのが初めてで、嬉しい???


 何言ってるの?


 マジで怖いんですけど……


 ここは……このままコヤネさんに任せた方がいいかもしれない。



「そう~。嬉しかったからぁ、あげたかったんですねぇ」


「……うん……レンと……同じ……も……嬉しい……」


「同じぃ? あ、前歯ぁ? お揃いだったからぁ?」


「……うん……」


「そっかぁ~……じゃあ~……あげましょうかぁ」


「……うん……」



 そう言うとコヤネさんは優しい表情、且つ(・・)、凄まじい圧で俺に視線を預けた。



「はい、蓮さまぁ……貰って……あげてぇ」



 これは断れない……


 訳が分からないが貰うしかない……


 俺は仕方なく掌を差し出した。



 ――ぬちゃぁ……



 き、気持ち悪い――ッ!


 人生で2回も……血まみれの前歯を受け取る日が来るとは!



「蓮さまぁ……お・れ・い・はぁ~?」



 コヤネさんの目が笑ってない……


 コヤネさん……コヤネさん!


 あなたこんな怖い人だったんですか?!



「あ、ありがとう……」


「………………」



 歯抜け美女は、俺をじっと見つめている。


 え……まだ何かあるの?


 コヤネさん! 俺、分かりません!!!



「蓮さまぁ……それを~……どうするんですかぁ?」


「え――? あ、ああ……た、大切に? しま~……す???」



 俺がそう言うと、彼女は――



 ――パアァァァ……!!!



 花が咲いたように、急に笑顔になった。


 うわぁ……


 これが――正解なのかぁ~。


 わっかんないって、これ……


 ああ~、素敵な笑顔なのに、前歯がない~。


 本当に俺にくれるの? 前歯。


 要らないの? かなり大事な歯だよ???



「ねぇ~、お歯抜けさぁん」


「……お歯抜け……さん……?」


「そう、だってあなた、お名前言わないからぁ~、そう呼ぶしかないでしょう~?」


「…………………………」


「蓮さまも~、せめてあなたのお名前くらいはぁ、知りたいと思うんだぁ。教えてくれないかなぁ? じゃないと、このまま『お歯抜けさん』って呼んじゃうよ~? い~い~?」


「…………………………」


「ねぇねぇ……『同じ』が嬉しかったんだよねぇ。だから『同じ』をあげるんだよねぇ。それってぇ……忘れたくないから……忘れて欲しくないから……かなぁ?」


「…………そう…………」


「わぁ~! だったらぁ、やっぱりお名前教えとかないと~。蓮さまがぁ、あなたの歯を見る度にぃ――『これはお歯抜けさんの歯だ。お歯抜けさん、元気かなぁ』――って思っちゃいますよ~? それは嬉しい?」


「…………やだ…………」


「だよねぇ。かっこ悪いもんねぇ。じゃ、せめてお名前だけでも教えて~?」



 歯抜け美女は、困ったような表情で俺を見ている。


 しばらくの沈黙ののち、彼女は口を開いた。



「シオン…………シオン・ソノダ…………」



 え――


 シオン・ソノダ……?


 ソノダ・シオン……まるで日本人のような名前じゃないか……



「わぁ~! シオンさんかぁ~。蓮さまぁ~、彼女、シオンさんですってぇ」


「え、ええ」


「ねぇシオンさん~、プレゼント済んだけど~、どうするぅ? お仕事は~?」


「あ…………帰らなきゃ…………みんなが…………心配する…………」


「そう~、心配はかけちゃ~ダメですねぇ~。それじゃあ、急いで帰りましょ~」



 ちょっと待って……


 もしかしたらこの子……


 キンジュと同じような日本からの転生人なのかも。


 どうする……今聞くか?


 いや――でもこの感じ……


 年齢的にも、20代前半か中頃か――


 前世を『忘却』している可能性が高い。



「帰る……ありがとう……ミシュルカ(・・・・・)……また、来てもいい?」


「え?! え……ええ~、もちろんいいですよぅ~」



 今、なんて言った?


 よく聞き取れなかったが――


 ミシュルカといったのか?



「じゃ、じゃあ~、蓮さまにご挨拶して帰りましょうかぁ」


「レン……また来るね……お揃い……大切にしてね……」



 いやいやいや……


 また来られても困るし、歯を大切にするのも変だし――


 そもそもお揃いじゃないから。


 俺の歯は治ってます。


 この子の素性は気になるところではあるが……


 また来ると言ってるんだ……つ、次の機会にしよう……


 もう怖いし……疲れた。



「あ、ああ……大切に……します、よ……ニカッ」



 と、俺は全く本心にない言葉を口にした。


 恐らく相当に引きつった笑顔になっていただろう。


 その笑顔をみたシオンの表情が――


 一瞬にして凍り付いた。



「……レン……は……生えてる……ッ!!!」



 そう言うと、彼女はまた涙目になり、何を思ったか――



 ――シュッ!!!



 俺の前歯めがけて右ストレートを放った!



 ――カスッ! ポコォ!!!



 彼女の拳は前歯をかすめ、そのまま俺の鼻に直撃した。



「ふごぉ?! いっでぇ!!! な?! なんでぇ?! なにすんのさ!!!」



 シオンは今度は、怒りの表情で大粒の涙をこぼしている。


 いや、泣きたいのはこっちの方だよ!



「うぅ~~~! ううぅ~~~!!!」



 な、泣いたり笑ったり怒ったり――


 な、なんて、感情豊かな(・・・・・)子なんだ……


 むちゃくちゃ情緒不安定だけど!



「もう…………なんでぇ!!! ぐずっ…………ま゛た゛く゛る゛!!!」



 そう言ってシオンは宿から飛び出ていった……


 俺たちはみな、茫然とその場に立ちすくむしかなかった。


 鼻血がぽたぽたと床に落ち、赤いしみを作った。



「ほえ~……やっばいねぇ、あの子……大丈夫ね? 蓮ちゃん」


「だ、大丈夫なわけないじゃない……ばあちゃん……くさ汁……」


「は、はいよう」



 何から何まで予測不能で……意味不明だ。


 俺は……とんでもない女に目をつけられたかもしれない……



 ――ずぼぉ!



「はわぁ!? 伊織さま!? 蓮さまのお鼻に直接くさ手を――だ、大丈夫でございますか?! それ……」


「よかろ。直接の方が効き目があるような気がするごたぁ。ほい、ちゅーにゅー」



 ――じゅるぅ……



 シオン・ソノダ……


 何者なんだ、あの子……


 あ……そうだ……



「ふががっ。ねぇ、コヤネさん……さっきシオンが言っていた『ミシュルカ』って、ふがっ……なんですか?」


「あ、ああ……ミシュルカは……私のラストネームですぅ……」


「ふがっ?」


「普段使う必要もないのでぇ、名乗らないのですがぁ……シオンさん……どうして知っていたのでしょうかぁ」



 俺たちも聞いてなかったコヤネさんのラストネームを……知っていた……?


 マジで訳わからん……



 ――じゅるるる……



 こうして、突然の吹雪のように現れた歯抜け美女、シオン・ソノダは――


 様々な謎と、血塗られた前歯を残し、去っていった。


 また来る約束をして……


 いや……もう来ないで欲しい!!!



「げほっげほっ! げぼぅっ! ばあちゃん……もういい。ありがとう」


「あいよ」




 ◇     ◇     ◇




 ――カチャカチャ……パクパク……ずるるるぅ



「しかし、あの歯抜け痴女――シオンとか言うたか。とんでもないイカれ女じゃったのう~。婿どの……さすがにあれは無いぞい」


「綺麗な子やけど……ちょっとあの子は、ばあちゃんもお勧めできんねぇ」


「いや……お勧めも何も、俺も訳わかんないって」



 朝の屋台ラッシュが終わり、俺たちはロビーで少し遅めの食事をとっている。


 宿泊客も昨日の帝国の発表を受け、みな稼ぎ時だと街に繰り出して誰もいない。


 おかげで、俺もばあちゃんもメイジシルクを外し、素顔のまま過ごせる。



「しかし、コヤネの嬢ちゃんがおらなんだら、あの痴女、帰らなかったんじゃないかの?」


「……かもしれません……コヤネさん……ありがとうございます」


「いいえ~。私はシオンさんとお話しできて楽しかったですよぅ。でも……みなさんが思ってるよりぃ、変な人じゃないと私は思いますけどぉ」



 ――「「「え?!」」」――



 俺もばあちゃんもプライさんも、コヤネさんの意外な一言に思わず箸を止めた。


 あれが……変じゃないって?!


 嘘でしょ……



「なんというかぁ。シオンさん、不器用というかぁ~……うう~ん、違いますねぇ……自分の感情を……どう表現していいか分からない人なんじゃないですかぁ? 子供のイヤイヤ期? みたいなぁ。私はぁ……『染み一つ無い、まっさらなシーツ』のような……綺麗な人だと思いましたよぅ?」



 ――「「「………………」」」――



 俺たち三人は、コヤネさんのあまりに大らかな視点と――


 物事の表面しか見えていなかった自分たちの浅はかさに気付き、絶句した。



「コヤネの嬢ちゃん……大人じゃのぅ……ワシャ、何だか恥ずかしくなってきた」


「ほんなこつ……」


「このヒズリアでヒュブリダとして生きとるんじゃ……ワシなんかより見えとるもんが違うのぅ……ワシ、一から勉強じゃあ」


「お互い精進やねぇ……プライちゃん」



 老人二人ががっくりとうな垂れ、へこんでいる。


 結局のところ、シオンの事は何一つ分からないままだが――


 染み一つ無い、まっさらなシーツか……


 俺は妙に、コヤネさんのこの言葉に納得がいってしまった。



「ごちそうさまでしたぁ~。あ、私、ヘイルさんにお食事持っていきますねぇ~」



 コヤネさんはヘイルさんの部屋に、足を引きずりながらチャーハンを持っていった。


 そう言えば、昨日からヘイルさんの姿が見えないので、ばあちゃんに聞いたところ――



 ――「蓮ちゃんの恋愛弄るの最初は楽しかったけど、もうどうでもいいっち。飽きたっち。相変わらず部屋で酒飲んで寝とるばい」――



 ……だそうだ。


 まあ、別にいいんだけどね……俺だって弄られたくないし。


 だけど、飽きたは……ないんじゃない?


 どうでもいい、か。ヘイルさんらしいや……



「……蓮さま……チャーハン……おかわりは?」


「あ……お願いします……」



 シオンの事もあり、俺はまだヴィヴィに謝れずにいた。


 普段通り接するように努めてくれてはいるが……



「はい……どうぞ」



 ――ゴトンッ!!



 お皿の置き方が、如実に彼女の精神状態を表していた。



「ずるるるぅ……話は変わるが、マツィーヨもきな臭いことになってきたのぅ」



 プライさんがラーメンを啜りながら話題を振った。


 プライさんも箸の使い方に慣れていないのか、グーで握り込み、長いひげはどんぶりの中に完全に浸かっている。


 それ……麺と一緒に……ひげ、食べちゃいません?



 ――じゅる、ぺちゃべちゃ、じゅるるるぅ……



 その横では、ミルカが相変わらず汚い食べ方でテーブルを汚している。


 さらにその隣では、背筋をピンと伸ばし、行儀よく箸を使いこなすポッコがいる。


 二人とも……横みて! ポッコを見習って!



「ミルカちゃんも、掃討作戦に参加するのかえ? ずるるぅ」


「……ええ……第二次試験が後方支援なので……そのつもりでございます。ぺちゃぺちゃ」


「ふむ……ミルカちゃん……今回は見送った方がええかもしれんぞ。帝国の入れ込みようが尋常ではない。くっちゃくっちゃ。恐らく今回の作戦で……ヨツシアの魔族を全て消し去るつもりじゃ」


「はい……聖騎士団に加え、特級魔導士まで招集されたとなると……じゅるるぅ。このヒズリアでそれに対抗できる力は存在しません」


「もはや蹂躙じゃな……しかし後方支援とはいえ、ちゃむちゃむ。ヨツシア全土を巻き込む作戦じゃ……それなりの犠牲も出よう……悪いことは言わん。げふぅ。今回はやめておけ」



 大事な話をしてるんだけど……


 二人の食べ方が汚すぎて、全く頭に入ってこない。


 ミルカはプライさんの進言を受け、どうしたものかと、どんぶりを見つめている。



「ふむ……婿どのは、どうなさるつもりじゃ? 伊織さんから聞いたところによると――」



 プライさんは一瞬辺りを伺い、小声で続けた。



「おぬしら……『国落としのローニャ』を目覚めさせる為に、ヨツシアに来とるらしいじゃないか……」



 ばあちゃんのやつ……ほんと、何から何まで喋るんだから。


 でも、もとよりプライさんには、マツィーヨの門前で見かけた時から――


 ポッコのビビビ、魔力探知について聞きたいことがあった。


 あの時は、まさかカリスとタリナの師匠とは思わなかったが、これも何かの縁か……



「あの……プライさん、光の死神って……ご存知ですか?」



 そう問いかけると、プライさんの表情が重く曇った。







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