177 あげる
午後16時37分。
冬の夕暮れの海岸沿い。
俺は謎の金髪美女から訳も分からず、激しく唇を奪われ――
――パキッ!!!
歯が……折れた。
何それ……
は? 歯? 歯ぁぁぁ?!
折れたぁぁぁ?!!!
――ちゅうぅぅぅぅぅ……
え……ちょ、待っ――
くっ、苦しい――い、息が!!!
なんだなんだなんで?!!!
何でこの人は……こんな事~~~ッ!!!
――ぢゅぢゅぢゅうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……
っていうか…………なっがぁぁぁい!!!
「お~ま~え~!!! な……何してるんですかぁぁぁぁぁ!!!!!」
その様子を見ていたヴィヴィが頭を伸ばし、金髪美女を突き飛ばそうとしたが――
――スカっ!!!
彼女はまるでヴィヴィが、|そうする事が分かっていた《・・・・・・・・・・・・》かのように、俺から身体を離し、ヴィヴィを軽くいなした。
だが、すぐにフラフラと力なくよろめきながら、砂浜の上にしりもちをついた。
「げほっげほっ! はぁっ! はぁっ! な――何ですかあなたは?! いきなり何を――うっ!」
――ズキンッ……ズキンッ……ズキンッ
鼓動とリンクするように、口元の熱と痛みが強くなる。
――カロッ……ペッ! コロッ……
俺は掌に、紅く染まった白いかけらを吐き出した。
嗚呼……やっぱり……
前歯が、根元からぽっきりと折れている。
な……何してくれてんの……この人!!!
「フーーーーーッ!!! シャーーーーーッ!!!」
ヴィヴィが完全にブチ切れている。
久しぶりに見た『やんのかポーズ』は、これまでで一番迫力があった。
――ビキビキビキィィィッ!!!
瞳孔は限りなく開き、口からは牙が大きく覗いている。
背中は前傾姿勢で弧を描き、手の爪が鋭く尖っている。
その姿は――俺が知っている今までのヴィヴィとは全く違った。
猫系亜人の本気の戦闘態勢……
「ア゛ゥマ゛ゥナ゛ゥワ゛ゥマ゛ウゥゥゥゥゥオ゛ッ!!!」
へ、変な声で威嚇してる……
こ、こえ~~~!!!
今までのやんのかポーズは、本当のやんのかポーズじゃなかったのか……ッ!
「ぜひゅ……ぜっ……はっ……はぁ……」
女性は砂浜にうずくまったまま、肩で息をしながらこちらを見ている。
――ザザァン……ザザァン……
目の覚めるような金色の髪が、海風にたなびき、夕日で煌めいている。
透き通るような白い肌。
長いまつ毛の奥には真っ青な瞳。
膝丈までの真っ白なワンピースにブーツ姿の彼女は……
このままショーウィンドウに立っていたら、美しい人形と見紛うほど整った顔立ちだった。
そのあまりの美しさに、思わず俺もヴィヴィも――
――ゴクリッ……
――マ゛ウ゛ゥ……
一瞬、息を呑んでしまった。
「……な……んか……変な……味……」
彼女の唇も切れ、血が滲んでいる。
「……血……出て……ます、から……」
「……血……これ……血の味…………ん……あ……れ?」
――カロッ……ペッ……コロッ……
彼女も俺と同じように、白いかけらを手に吐き出した。
――って、こ……この人も歯ぁ折れてるじゃん!!!
「これ……私の……歯……いた……い……」
そう言うと彼女は俺を見つめ――
「……痛い…………ふふ!」
笑った。
それは……完璧な笑顔だった……
歯さえあれば!!!
「歯……とれた……うふふ」
わ、笑ってるよ……
歯ぁ折れて、口の中血まみれで笑ってる……
こ……こっっっわぁ~~~!!!
「れ、蓮さま……こ、この人……ぜ、絶対、変です!!!」
彼女のこの異様さに、ヴィヴィも怖くなったのか、耳を後ろに倒し尻尾を丸めた。
「レ……ン……?」
マジで何なのこの人……
何がしたいんだ……
でも――
よく見ると……傷だらけじゃないか。
膝なんか相当な怪我だぞ、これ……
それに、かなり疲弊しているようだ。
「あなた……レンって……いうの?」
「い、いや! お、俺はメシス――」
「レン…………レン!」
彼女は俺の名を聞くと、目を輝かせながらも必死に俺の元に這い寄ってきた。
――ザスッ……ザスゥ……ズルゥ……
もう――立ち上がる力もないのか。
しかし……この絵面……
「はぁ……はぁ……ふふっ……ふはぁ……」
絶世の美女が、血まみれ歯抜けの口で笑いながら、砂の上をにじり寄ってくる……
お、恐ろしすぎるッ!!!
彼女は俺の元へたどり着くと、俺の口元を指し――
「はぁ……はぁ……レン……同じ……」
再びニコリと微笑んだ後――
「これ……」
「え?」
両手で俺の右手を握り込み、何かを手渡した。
「レンに……あげる……」
あげるって……まさか――ッ!!!
――ぬちゃぁ……
俺の右手には、今しがた抜けた彼女の歯が渡されていた。
――ゾゾゾォォォ~~~!!!
何を言ってるんだこの人!
怖すぎるだろ!!!
「い……いりませぇぇぇぇぇん!!!」
俺は思わず、血塗られた歯が乗った右手を、彼女の前に差し返した。
たぶん俺はこの時……あまりの気持ち悪さに泣いていたと思う。
「え……な……なんで…………」
俺が全力で断ると、彼女はひどく困惑した様子で――
――がくぅ……
気を失い、その場で力尽きた。
――ザザァン……ザザァン……
混乱する俺の左右の掌には……
二つのかけらが輝いていた。
な……何なんだぁぁぁ! この人~~~!!!
◇ ◇ ◇
――ゴシゴシ、ゴシゴシ……
「蓮ちゃん……なんなん? この子……あんたヴィヴィちゃんとデートしてきたんと違うん???」
歯抜け美女が気絶した後――
この寒空の中、そのまま放置するわけにもいかず、俺は彼女をヘイルの宿に連れて帰ろうとヴィヴィに提案した。
ギルドに引き渡すことも一瞬考えたが、俺は赤札……
血まみれの気絶した女の子を連れてくるんだ……俺の事もいろいろ聞かれるはずだから、それは諦めた。
ヴィヴィは彼女を連れて帰ることに反対した。
――『蓮さま! この人……絶対に変です! 関わっちゃダメです!』――
――『でも……このまま放っておくわけにもいかないだろ? 一応……俺のせいで怪我したんだから』――
――『それは! 彼女が勝手に……ん~~~ッ! もう! 知りません! ご勝手に!!!』――
俺は歯抜け美女を背負い、連れて帰ることにした。
背中の彼女は冷え切っていて、俺の背中の熱が移っていくようだった。
俺とヴィヴィは終始無言のまま、帰路に就いた。
――トントン、トントントン……
ヘイルの宿に着くと、ヴィヴィは何も言わず自分の部屋に帰っていった。
俺とポッコの部屋にはローニャがいるから、歯抜け美女はコヤネさんのクリーニングルームの奥で寝かせることにした。
クリーニング部屋には――
――シューーー……グッグッ、シューーー……
コヤネさんが汚れた衣服を洗ったり、染み抜きをしたり、炭式のアイロンをかけたりする音が響いている。
コヤネさんのクリーニングと蟲避けの刻印式のサービスは評判を呼び、毎日かなりの量を捌いている。
「ヴィヴィちゃん、頭伸び切ったまま部屋に籠っとるばい……なんがあったん?」
「いや……これには深い事情が……というか、俺もよく分からないんだけど――」
俺はクリーニング部屋に集まった、ばあちゃん、ミルカ、ポッコに今日一日あったことを説明した。
「はあぁ?! じゃあお金、全部すられたん?!」
「デート代……全部ヴィヴィさま持ちでございますか」
「ヴィヴィさんが買うた首飾りを……まるで自分が買うたようにつけたがか」
《全く……貴方という人は……残念過ぎます》
チエちゃんまでガヤってきた……
「いや! 成り行きだよ成り行き! ヴィヴィが留め具が外れないっていったから……」
「そりゃヴィヴィちゃんの気遣いやろ。蓮ちゃんに恥をかかせん為の。全く女心がわかっとらんねぇ、こん子は……」
「さすがでございます! 伊織さま! 勉強になります!」
「それから、聖騎士団の団長に目をつけられて……逃げてきたがか」
《なんで貴方はそうトラブルを引き付けるのですか……そういう体質なんですか?》
「知らないよ! でも追手はなかったから……勘違いかもしれない……そ、それに! その後は結構楽しい雰囲気だったんだよ! ヴィヴィが作った新作のシュトーレン食べたり、芝居を観たり、前売り札はヴィヴィに買って貰ったけど……その後、綺麗な夕暮れを見て――そ、その……」
こうやって自分の口で言うと、今日の俺……本当にダメダメじゃないか……
全部ヴィヴィに頼ってる……
「そんで、塗り薬を渡して、いい雰囲気になったんはいいけど……」
「チュ、チューでございますね?! いよいよチューでございますよね?!」
「全く心当たりのない、このおなごに激しゅう唇を奪われ――」
《その上、歯を折られたと……それはヴィヴィさまが怒るのは当然ですよ!》
嗚呼……みんなしてうるさい……分かってるよ!!!
「あ、あの! みなさま――普通、チュ、チューというのは、こういうものでございますか? わ、私……少し怖くなってまいりました……」
ミルカが非常に残念そうに、かつ己の未来を案じるかのように、不安そうに質問した。
――「「「「《……いいえ……》」」」」――
コヤネさんまで作業しながら答えてくる。
「そ、そうでございますか……」
ミルカはじっとりと俺に目をやり、俺の前に歩み出た。
「あの……蓮さま……腕時計……返してくださいまし……」
「え?! あ、ああ……ありがとう、助かったよ。おかげで予定通り――」
「進んで……ございませんよね」
つ、冷たい……
ごめんなミルカ……
なんか……期待に応えられなくて!
「と、とにかく! ばあちゃん! くさ汁くれ! 歯、折れちゃったんだから! それと――彼女にも頼む」
「はぁ……分かったばい。ふへへ、ばってん前歯のない蓮ちゃんなんて、何年ぶりやろかね。あん頃は可愛かったねぇ~。お茶飲んだら、歯の隙間から飛び出しよったろ? あんた、歯が抜けたところにトウモロコシ挟んで『ばあちゃん、金歯、金歯』言うてから、ほんなこつ可愛かったぁ~。あ、もちろん今も可愛いとばい?」
「う……うん……」
そういうの……みんなの前で言わないで欲しい。
「この歯抜けの可愛い子ちゃんも、トウモロコシ入れときゃいいんやない? ふへへ。似合いそうばい?」
「つまんないこと言ってないで、くさ汁!」
「あいあい。ほら、口開けて」
――シュルルルルル! バキバキッ!
そう言ってばあちゃんがくさ手を俺に差し出したとき、ミルカが声をあげた。
「あ……伊織さま! 少々お待ちくださいまし!」
「ん? なんね?」
「蓮さまの前歯……これは怪我というより、身体の『欠損』でございますから……伊織さまのくさ汁でも治らないと思います」
「えぇ?! そうなん?」
「はい……このまま治療してしまうと、傷口が閉じて、二度と欠損部分は『再生』されません」
え……あっぶなぁ!
一生歯抜けになるところだった!
「ね、ねぇ、ミルカ。それでどうすればいいの? 歯をくっつけるには」
「特別な身体強化の術式と、亜人の血を使います」
「亜人の血?」
「ええ。それも獣人系ではなく、リザード系――特に竜人族の血が、強い再生を促します」
「あ……もしかして……トカゲのしっぽ切り的なアレか?」
「はい。リザード系の亜人は身体の一部が欠損しても、しばらくしたら再生されますので、その力を応用するのでございます」
「なるほどなぁ……え? じゃあ、その『再生』って結構時間かかったりするの?」
「恐らく……以前読んだ文献では、腕の再生は4~5年かかると書いてございました……前歯なのでそこまでかからないとは思いますが、それでも数週間から数カ月はみておいた方がよろしいかと……」
ええ~……そんなにかかるのか……
俺はてっきり、ばあちゃんのくさ汁を呑めばすぐに治ると思っていたのに。
「あ……欠けた部分ございますか? それがあれば全体の再生を待たずに破損部分のみで済むので、かなり早く治るかと」
「はっ……ある……あるある! あります!」
良かった……俺の歯も歯抜け美女の歯も、あの時放り投げなくて……
あんな砂浜で放ったら、絶対に見つけられなかった。
「よかった。それが無かったら暫く歯抜けのままでございましたよ」
「うん……で、その特別な身体強化の術式って、ミルカは使えるんだよね?」
「ふふふ……見くびらないで下さいませ……私が何を目指しているのか、お忘れでございますか?」
え……帝国魔導士、だろ?
はぁ、よかった。どうやら使えるようだ。
「私が何度、落第していると思っていらっしゃるのですか? 9回でございますよ……私の魔導技術など中の上ほど、いえ、中の中……下……もしかしたら下の……とにかく!!! そんな高等術式、使える訳ございません」
「え?」
「申し訳ございません! お力になれずに!」
出来ないのかよ!
どうすんだよ! 俺の歯ぁ!
――シューーー……パンパン……
「あぁ~、それでしたらぁ~」
話を聞いていたコヤネさんが、綺麗にクリーニングされた魔導士のローブを広げてみせた。
「このローブのお客様が使えるかもしれませんよぅ」
ローブの裏には、数えきれないほどの術式が刻印されていた。




