149 カワイイは最強
――ガサッ! ガササササッ!!!
来る!
何かが林の中から明らかに『意志』を持って、俺たちの方に向けて迫ってきている!
――ガサササッ……ズボッ! ドサッ……
林の中から飛び出してきたのは、黒いローブに身を包んだ女性だった。
彼女は林から飛び出ると、力なくその場に倒れ込んだ。
「あ、あり?! 魔物じゃないね……」
「あ、ああ……」
緑色の髪の毛をおさげにまとめ、手にはゲームの魔導士が持つような大きな木の杖を持っている。
「う……うぅ……た……助けて……」
髪色と同じ、吸い込まれるようなグリーンの瞳を潤ませ、懇願の視線を俺たちに投げかけた。
「だ、大丈夫ですか?!」
俺は彼女に駆け寄ろうとしたが――
《蓮さま!!! 不用意に近づかない! 距離を保って!!!》
「え?! で、でも助けてって――」
《何でもすぐに信じない! 彼女が敵でないとまだ判断できません。それに彼女を囮にした魔物の罠かもしれません。用心するに越したことはありません》
「は、はい」
チエちゃんに怒られてしまった。
だが、チエちゃんの言い分は100%正しい。
ここは、勝手知ったるツクシャナの森とは違う……
ヨツシア大陸なんだ。
《どうやら人族のようですね……風体からするに魔導士でしょう。しかし……ほとんど魔力を感じられません……魔法攻撃による危険はなさそうですが……念のため、距離を保ったまま様子を探ってください》
「わかった……あ、あの! ど、どうしたんですか?!」
女性は体力の限界なんだろうか、その場から動けずに必死に手を伸ばしながら、言葉を続けた。
「……ま、魔物に追われております……どうかお助け下さいまし……」
「え?! ま、魔物?!」
「は、はい……かなり……凶暴な奴でございます……」
「うひぃ! きょ、凶暴っちばい!」
森の中を必死に逃げてきたんだろう。
汚れた顔を真っ青にして訴えるその姿は、嘘をついているように見えない。
《蓮さま、伊織さま! 正面、林の中! 魔力を感じます! 警戒を!》
――ガサッ! パキパキッ!
再び林の方から音がした。
枯れ枝を踏み締めるような歩行音が近づいてくる……
恐らく彼女を追ってきた魔物だ。
「ばあちゃん!」
「はいよぅ!」
――シュルルルッ!
――ジャラララッ!
ばあちゃんはくさ矢を展開させ、俺は捕縛に備えて鎖を懐から取り出した。
「うぅ……素早いのでぇ……どうかお気を付け下さいましぃ……」
素早い……ヨツシアの魔物……一体どんな魔物なんだ。
――パキ…………
一瞬、音が消えたと思った次の瞬間――
「みぃ~つぅ~けぇ~たぁ~~~!!!」
――ガササササッ! ぼよ~~~ん!
何か『黒い塊』のようなものが林から飛び出し、目にもとまらぬスピードで跳ね始めた!
こ、これは――
夜で視界が悪いというのを抜きにしても……
――ボヨンボヨンボヨンッ! ボヨヨヨヨヨッ!!!
こいつ……本当に速い!
そして、この不規則に跳ねまわる動きが厄介だ――
予測した方向とは全く違う場所に跳んでいく!
こんなの鎖で捕縛なんてできない!
「で、でました! アレが魔物でございますぅ! も、もう終わりでございますぅ!!!」
「れ、蓮ちゃん! これ……うわぁ! はや――ちょっと! これ狙いが定められんばい! く、くさ矢放っていい?!」
「ダメだ! 彼女に当たるかもしれない! 俺がやる! チエちゃん! 神槌行くぞ!」
《いつでも!》
――バリィッ!!!
久しぶりの……神槌だ!!!
料理勝負の日、ギルドのマウマさんやドラゴさん、聖騎士団の水牛のガリルとやり合った以来か……
あの日は纏雷や監獄施錠という大技に加え、神槌を三回も発動した。
そのせいで、『脳を休める為、神槌は使うな』とチエちゃんに止められていた。
もう十分に回復したというものの、相変わらずこの感覚……
脳が痺れる――ッ!!!
――ギュウゥゥゥゥンッ!!!
俺の脳内を青白い雷撃が貫き、発生した強烈な電磁波が思考を加速させる。
同時に押し寄せる、脳細胞を焼き切らんばかりの過剰な電圧を、チエちゃんの超速演算が強引にねじ伏せている。
時間の概念が――圧縮する。
――ボヨンボヨン……ボヨン……ボ……ヨ……
黒い塊の動きは徐々にゆっくりとなり、まるで時が止まったかのようだ。
加速した思考の中、雷撃を纏わせた両足で地面を蹴り、黒い塊と距離を詰める。
自分の感覚では普通に近づいているつもりだが――
俺とチエちゃん以外からすると、この動きは『超加速』!!!
――ジャラララッ!!!
俺は魔物を捕縛しようと、すれ違いざまに鎖を伸ばし施錠をかけようとした。
魔物の姿を目で捉えた瞬間、思わぬその姿に――
俺の思考は止まってしまった。
《れ、蓮さま……これは……》
「こ、こいつは――」
すれ違いざまに見た魔物と思われる黒い塊は、毛を逆立て、真ん丸に膨らんだ……
むっっっちゃくちゃ可愛い――
「たぬきだ!」《たぬきです!》
たぬきは――
怒りによるものなのか、冬毛でそうなっているのか分からないが、とにかく真ん丸の毛玉みたいで、抱き着きたいほど可愛い。
腕を振り上げて、今にも女性に殴りかかろうとしているが、腕も足も短くて、死ぬほど可愛い。
怒りの表情を浮かべているつもりだろうが、毛に埋もれたクリクリとした黒いつぶらな『おめめ』が、とにかく可愛い。
何か叫んでいるのだろうか、小さな牙を覗かせぱっくりと開けた口も、まるで笑っているかのようで、心底可愛い。
総じて――
カ ワ イ イ !!!
俺は鎖で捕縛することなど忘れて、たぬきのその姿に心を奪われてしまった。
こんな生き物がいるのか……
これ、本当にたぬきか?
ヒズリア特有の別の生き物なんじゃないのか?
いや、でも明らかにたぬきの毛並みと柄をしているし……
でも、こいつ……丸すぎるだろ。
毛玉のぬいぐるみじゃないか。
触っていいのかな?
怒るかな?
あ、もう怒ってるのか?
おい、お前……どっちなんだよぅ~。
ふふ……目の周りの縁取りに埋もれた目が……
かぁ~わいい~なぁ~。
え……そういえばこいつ……喋ってたよね?!
さっきの『見つけた』って可愛い声、こいつの声だよね?!
この姿で、あんな可愛い声で喋るの?!
そんなの……
反則じゃぁ~~~ん!!!
「……さま! 蓮さま! 聞こえないんですか?! 神槌の発動リミットを過ぎています! くっ……これ以上やると、蓮さまの身体も私も持ちません……早く神槌を解いて!!!」
チエちゃんの声に気付かないほど、俺はたぬきを見つめていたらしい。
いつの間にか大幅に神槌の発動時間を超えていた。
「え……?! ぶっ!」
次の瞬間、俺の鼻から血が盛大に噴き出した!
「や、やばい……か、解除!」
――バチィン!!! シュゥゥゥ……
《何をしているんですか! 死ぬところでしたよ!》
「はぁっはぁっ! ぼべん!(ごめん) ぶほっ! ばんがごごろぶばわれちゃって!(なんか心奪われちゃって)」
大量の鼻血が気管に張り付いて、息がし辛い!
長時間の発動の揺り返しからか、視界が赤く染まっている……
眼球の毛細血管が破裂しているんだ。
「あり?! 蓮ちゃん?! なんしようと?! 失敗?!」
「ぶん……じっぱい(失敗)……」
これはもう神槌は発動できそうにない。
まずいぞ。このままじゃ――
「おんし~~~!!! だ~れが魔物ちや! 魔人や言いゆーろうがぁ!」
たぬきは土佐弁? 土佐弁風? で叫びながら、魔導士に向かって飛び掛かった。
「喰らえい! 魔人パ~ンチ……腹ぁ!」
――ぽふぅ!
「うえぇ!」
たぬきはモフモフの短い手で魔導士にボディブローをかました。
これは~……全っ然痛そうじゃない。
そして、『魔人パンチ腹』って……なんとまんまな。
ばあちゃんを彷彿とさせるネーミングセンスだ。
というか、こいつ……魔物じゃなくて魔人なのか?
「魔人パンチ腹! 魔人パンチ腹! 魔人パンチ腹ぁ!!!」
――ぽふぼふぽふぅ!
たぬきは腕をバタつかせ、何度も『魔人パンチ腹』を魔導士の腹めがけて打ち込んでいる。
というか、自身の毛が邪魔をしてパンチが届いているのかも怪しい……
これは攻撃というより、むしろ――
「うひひひぃ! やめ! やめてくださいまし! わた! 私が! うひひ! な、何をしたと言うのでございますかぁははは! ち、力が出ない……!」
魔導士とたぬきが仲良くじゃれ合っているようにも見えてしまう。
この女の人には申し訳ないが……
いま俺は羨ましくもある!!!
「おんしが人様ん畑のもんを勝手にとったがが悪いんじゃろうがぁ!」
畑のもの?
つまり、女の人の方が……悪い???
「ええ?! あ、あれは……あまりにもお腹がすいておりまして、お芋が野にありましたので頂いたのですが……あなた様のものとは露知らず……」
「言い訳すなぁ! ぽふふふふッ!」
「ご勘弁くださいましぃははははは!」
「笑うがやない! どうな~参ったがか! わしの魔人パンチ腹は魔力を散らすがよ! うらぁ! ぽふぅ!」
魔力を……散らす?
そんなことが出来るのか?
こんなモフモフパンチで???
《蓮さま……このたぬきのパンチ……本当にこの女性の魔力を散らしているかもしれません。一発殴るごとに、彼女の魔力が僅かずつですが減っています》
「ばでぃで?(マジで?)」
《付け加えて申すなら、確かにこのたぬき、可愛らしい見た目ではありますが……先ほどの蓮さまの状態は異常です。いくら可愛いからと言って、私の言葉が聞こえないなんてありえません……》
「ぶん、ぼでもぞうおぼぶ(うん、おれもそうおもう)」
《この現象……『心の自由を制限』される現象……似た状況に心当たりがありませんか?》
「べ? だに? ばがだない……(え? なに? わからない)」
《精神干渉……つまりローニャさまの『魅惑』です》
あ……そうか。
ローニャと初めて会った時も、心が奪われるような不思議な引力があった……
「でぃ、でぃでるがぼ!!!(似てるかも)」
《ただし、このたぬきの場合、魅惑を使うようなそぶりはなく、蓮さまが心を奪われたのも、神槌の発動時間内でした。あの状況下で魅惑を行えるとは思えません。つまり――ローニャさまのように意図して行ったものではなく、無意識にその力を発揮しているのでは……》
このたぬき――
無意識に魅惑を使っているっていうのか?
そ、そんなの……
最強じゃないか!
「吐き出せい! わしの芋を返せ!」
「は、吐き出せと言われましても……もう消化しておりますので……下から出るまでお待ちいただくしか――」
「お……おんしは何を言いゆーがじゃ! 汚い奴やねや! もう許さんぜよ!」
――ぽふぅ!!!
相当怒っているが……
やっぱりカワイイ!!!
これは、助けた方がいいんだろうか……




