119 チエちゃんとお話し~ばあちゃん、スケベ脳~
《私が思うに――キンジュさまは、私たちに前世の記憶を語ることで……記憶の解放をされたのでは?》
(記憶の解放?)
《ええ、キンジュさまのノートには――》
朝日が昇り、巨木の隙間からいくつもの光の筋を描いている。
ツクシャナ外周の山頂を超え、ファクタに向け山道をゆったりと下っていく。
木々の紅葉も随分と散ってしまった。
ひやりと乾いた空気が頬を撫で、木々を吹き抜ける風がカサカサと落ち葉を踊らせた。
冬がもうそこまで来ている。
「あ゛あ゛……う゛ぅ゛ん……あ゛!!! うえ!!! んん!!!」
さっきからばあちゃんがやたらと喉を気にしている。
「な~んか喉の調子が良くないばい。昨日ちょっと張り切り過ぎたかねぇ~」
20曲以上あれだけ全力で歌えば、そりゃ喉を傷めるさ。
――バサッバサッ
キュリーネさんがばあちゃんの傍に舞い降り、カバンから小さな瓶を取り出した。
「い…りさま……これ……」
「ん? キュリちゃん、何これ?」
「空気……乾……てい…す……喉…く…りで………花…蜜が――」
「ええ?! 何て?! よう聞こえ~ん! もう少し大きな声で言って~」
恐らく、花の蜜を集めて作った喉の薬だろう。翼人族は喉が弱いから、きっと喉薬をいつも携帯してるんだ。
「はい?! 何て?! 喉?! みっつ?! いや、私の喉は三つもないばい?! なんば言いよるとねキュリちゃん! え? はい?! 何て~~~?!」
だからばあちゃん……キュリーネさんは大きな声が出せないんだって。
キュリーネさんも、ばあちゃんの耳元で話そうとするが、キツネ耳に向かって喋ったらいいのか、エルフ耳に喋ったらいいのか、オタオタと戸惑っている。
どっちも聞こえるから、どっちでも大丈夫ですよ! キュリーネさん!
《――さま、蓮さま……聞いてますか?》
(あ! ごめん! もう一度いい?)
《ですから、キンジュさまのノートには『私が私でなくなるようでもあり、私がようやく私になるような感覚だ』とありました》
(ああ、書いてあったね)
《それは、裏を返せば……前世の記憶を忘れることは、現世を生きること――とはならないでしょうか?》
なるほど……前世を忘れることで、現世が始まるか。
本来なら前世の記憶を持っていること自体、あり得ないことだ。
もしも魂というものがあるならば……
あ、いや……この場合、その考えも無意味か――
《そうです。私、知恵の宝庫という『魂』のみの存在がありますし、現に転生という現象は起きています。魂がなんであるかは分かりませんが、『在る』という前提で考えていいでしょう》
(う、うん、そうだね。ねえ、それよりちょっと気になるのが……チエちゃんさ……さっきからちょこちょこ俺の心、読んでるよね?)
《え?》
(それはちょっと~……倫理的にどうなの?)
《あ、すみません。豚との戦闘以降、蓮さまとの魂の繋がりがより強固になり、何と言うか……蓮さまと私の境目、『心の扉』がガバガバになってます。蓮さま側から意識して頂かないと、こっちに心の声が駄々洩れなんです》
(あ、俺? こっち側の問題、なのね)
《はい。心の声と念話をしっかり意識して、使い分けてください》
(すみません。わかりました……心の扉ね)
《続けてもいいですか?》
(お願いします)
意識ね、意識。
心の扉……意識!
え~聞こえますか? チエちゃん……私は今、心の扉を閉めて……
あなたに聞こえないように語り掛けています。意味、わかりませんね。ふふ。聞こえてますか?
《例えば全ての人が『前世の記憶を保持し続けることが出来る』としましょう》
ん。聞こえてない。こんな感じね。
《それって……大変な事じゃないですか? いや、知恵の宝庫である私的には、記憶を保持し続けるなんて、夢のような話ですが》
(確かにそうだな。記憶がたまり続けるって……とてもじゃないけど耐えられそうにないな。いい思い出ばかりじゃないだろうし)
《魂をパソコンに例えてみましょうか。パソコンもメモリがいっぱいになったら、パフォーマンスは著しく落ちますよね?》
(うん。容量がいっぱいになったら何もできなくなる)
《ですから、その場合データを消去しないといけません。これってキンジュさまの『記憶の忘却』に似ていませんか?》
「似てるね。っていうか、そのままだ」
《つまり……記憶を消さないと、メモリがパンクし、魂が動かなくなる……のかもしれません》
「なるほどね……魂のキャパシティにも限りがあるってことか」
《情報熱力学では、情報、つまり記憶にも熱量があるとされています。逆を言えば、転生者が記憶を保持し続けるには、膨大な熱量を支える魂のキャパシティがいるとも考えられます》
忘却――
それは転生した魂が壊れないための安全装置なのかもしれない。
チエちゃんと話していてなんとなくそう思った。
《あと、もう一つ大きな発見がありました。転生される時代は、元いた時代から同じとは限らないということです》
(そう! それね!)
《キンジュさまは80年前……昭和20年の日本から転生し、蓮さまと伊織さまは令和7年の日本から転生しました。これより考えられることは、転生に『時間軸は関係ない』という事です》
(時間軸……なんでそんなことが起こるの?)
俺はこの後すぐに、チエちゃんに安易に疑問を投げかけたのを後悔した。
知恵の宝庫に『突っ込んだ何故』を問いかけると……
※以下、チエちゃんが一人でぶつぶつ言いますが、流し読んでも構いません。
《よくお聞きくださいました。はっきり申し上げて、今の私には――わかりません。『時間の矢』が逆方向に進むことはあり得ないですし、エントロピーの増大の法則、つまり熱力学第二法則にも反します。いや、ミクロ単位ではその範疇ではないのですが、マクロとなるとやはり……しかしながら、実際に時間軸のズレは起きています。ミクロの時間反転対称性は本当にミクロの世界でしか起こりえないのか? マクスウェルの悪魔もいなかったと実際に証明されてしまいましたし……ただし、マクロ視点でも、極端な、非常に極端な天文学的確率の揺らぎによって時間の可逆性が『理論的には』観測される可能性もないとはいいきれないのでは――いや! ちょっと待って下さい。そもそもミクロとマクロの線引きを『どこ』で行うのか……んん? 極端な確率のゆらぎ? 異世界への転生、記憶の継承、熱量、時間……瞬間的なエントロピーのゆらぎが重なれば、やはり在りうるという事でしょうか……いやいやいや! そもそも、これはキンジュさまに限ってのことかもしれませんし、テストケースが少なすぎてこのまま仮説をすすめていいかどうか――》
……こうなる。
マジで何を言っているのか分からない。
エリカあたりだったら、嬉々として話し相手になれるんだろうが、俺じゃこのレベルの話に全くついていけない。
《ああ! やはり解らない! おのれ世界め……どこまで行っても謎ばかり……世界の奴め~~~! なんと、なんと――》
(あの、チエちゃん……そんなに思いつめなくても――)
《なんと面白い! 解いても解いても解けない謎! なんと素晴らしい! 世界は……世界は今日も美しい!!! エウレ~~~カ~~~!!!》
※エウレカ:古代ギリシャ語で「我、発見せり(わかった!)」の意。
ええ~~~。なんか一人で盛り上がってらっしゃる……
《蓮さま、やはりもっと参考資料がいります! もしくは実際に他の転生人とも会って話を聞きたいです! あと、エストキオの転生者研究施設……私は俄然興味があります! 東側へ向かう際は是非その事も頭に置いておいてください!》
(う、うん、分かったよ)
そりゃそうだよな……
チエちゃんが『転生』なんてとんでもない謎に、知識欲を燃やさないはずがないよね。
転生や魂なんて俺には理解不能だけど、チエちゃんならその謎をいつか解いてくれるかもしれない。
などと考えていると、キュリーネさんの喉薬を飲んだばあちゃんが声をあげた。
「くっさ! この蜜、甘いけどくっさ~! 何ねこれ、キュリちゃん! これ、無茶苦茶くさ――あ、でも声、でぇ~るぅ~! キュリちゃん! これいいば~い! まは~!!!」
――バサッバサッ! パンパン! ビュン! はぁ! バサバサバサッ……バッサ~~~! はぁっはぁっ……グゥッ!
上空のキュリーネさんが息を切らしながら手信号で返事をし、最後に親指をグッと立てた。
手信号、何て言ったか分からないけど……最後の親指だけでいいんじゃね?
◇ ◇ ◇
「蓮さま! 伊織さま! ここからは馬車でファクタに向かいます! ここまでくれば、ファクタまでもうすぐです! 交渉しますので少々お待ち下さい!」
ヴィヴィが馬車の猫亜人の御者とファクタまでの運賃を交渉し始めた。森の外を知っているのはヴィヴィとキュリーネさんだけだ。ご存知の通りキュリーネさんの声は極細なので……こういった交渉事はヴィヴィに任せた。
ギルドに属していたこともあり、ヴィヴィの存在は心強い。ヒズリアでは俺とばあちゃんは世間知らずにも程があるからな。
「ふふ、同じ猫亜人のよしみで安くしてもらいました。さあ! 参りましょう!」
馬車なんて初めて乗ったので、俺は少し緊張してしまった。
「ほえ~、私も馬車に乗るんは初めてやねぇ」
「昔は馬車無かったの?」
「私が生まれたころは、鉄道も走っとったし、自動車が普及し始めとったけんねぇ。オート三輪とか。馬車はあんまりみらんやったよ?」
《日本では明治初期に馬車鉄道などがありましたが、その後すぐに鉄道や自動車が台頭してきましたからね。馬車が活躍する期間が短かったのです》
「はぇ~。やっぱり流石チエちゃんやねぇ。なんでんしっちょんしゃあ~(何でも知ってるね)。そういやさっき、蓮ちゃんとなんか話よったんやろ? 何の話ばしよったん?」
《転生について考察しておりました。時間軸のズレやエントロピーのゆらぎなど、色々です》
「はい? ジュクンジュクにズレたエロエロピーの下着? エロエロです??? なに? 猥談?」
――《違います!》「違う!」――
「あんたら、念話でなんばしよっとね! そんな……そんな下品な話を――」
《伊織さま、違います! どんな聞き間違いですか!》
「そうだよ! 何のために耳が四つもついてんだ!」
「ずるいばい! 私も混ぜんね!」
――《はい?!》「はぁ?!」――
「ふ、ふへぇ~へへ! れ、蓮ちゃんもついにこっち側に……ッ! ジュクンジュクにズレたエロエロピーの下着?! 何ねそれは!!! ようと詳しく聞かせんね!」
《……伊織さま……全く違います。いいですか、エントロピーのゆらぎというのは――》
この後、ファクタに着くまでの馬車の中……
ばあちゃんは、想像と全く違った話を延々と聞かされ青ざめていた。
ばあちゃん……スケベ脳が災いしたな。




