第9話「あれから」
一応の区切りとして、ここから後編の始まりです。
お付き合い頂けたら幸いです。
あれから。あの日からかなりの年月が経った。
あの日というのは、忘れもしない……私が自由を得た、あの日のことだ。
「……」
五年。それが、私達姉妹が自由を得てから、今に至るまでの年月。
あまりにも、長く……そして、歯がゆい五年間だったと思う。
五年前のあの日を境に、あらゆるものが変わっていった。
たとえば世界。たとえば社会。たとえば見解。
この変化を如実に表している最たるものは、紛れもない私達亜人だと思う。
私自身はどうだろう。私もやはり、変わってしまったんだろうか。
私は……もうあの頃とは違うんだろうか。
いや、決してそんなことはない。私は今も昔も、決して変わってなんかいない。
「ヨミお姉ちゃ~~~ん!!」
遠方から私の名前を呼び走ってくる妹の声が響く。
「タテハ」
「待った?」
「……少し」
「ごめんごめん! ……あれ? ルメお姉ちゃんは?」
「まだ」
「相変わらずルメお姉ちゃんはどんくさいんだねえ。私が急ぐ必要なかったかな?」
「ううん、急いで正解。……ほら」
私が指差した方角から、小走りでルーメもやってくる。
「ご、ごめんなさい……待った? 待ったよね……」
「ううん」
「あれ? あれあれ? なんか私の時と態度違くない? ていうか違うよね?」
「ルーメはどうせ少し遅れてくることが分かっていた……だからルーメに待たされたとは思わない」
「ええ、そ、そんな……そんなに私ってどんくさいと思われてるの?」
「そりゃあねえ……」
「……そ、そんな……」
「ルーメは忙しいから仕方ない。……だから、そんなにどんくさいとは思っていないよ」
「でも少しはどんくさい?」
「……うん」
「ヨ、ヨミちゃん!?」
「……まあまあ、立ち話もなんだし適当なところに入ろうよ?」
「ん……」
「ま、待ってよ……!」
私達は歩き出す。あの頃と変わらぬ距離を保ちながら、一緒に。
**********
「それにしても……変わったよね」
喫茶店に入ってから、数分。一番最初に話を切り出したのはルーメだった。
あまり話を切り出すタイプではないルーメにしては珍しい……そう思ったけれどまったくの不自然だとは思わなかった。
久しぶりにタテハに会ったこともあるとは思うけど、ルーメがそう言いたくなるのはとてもよく分かるからだ。
「あはッ、そんなに変わったかな私?」
「ううん、そうじゃなくてね……いえ、えっと……そうかもしれないけど。
世界が、変わったなって。まるで別世界みたい……そう思えるほどに」
「……ルーメの言いたいこと、私も分かる。
……こうやって耳や尻尾を出していても、私達は平然とお茶を飲んでいられる。
まるで、夢を見ているみたい」
「それは叶って嬉しい夢? それともただ信じられないってだけの夢?」
「……両方、だと思う」
「でもさ……嬉しい変化、でしょ?」
「ええ。嬉しいことには違いない、わ」
「……」
嬉しい……? 嬉しいかと言われれば……嬉しいとは思う。
でも五年前のあの頃が恋しいかと言われれば………きっとあの頃の、変わる前のあの生活も恋しいんだと思う。
このことを言ったら、二人は怒るだろうか。特に、この世界の変化に貢献していたタテハは怒るだろうか。
……いや、二人とも怒らないだろう。きっと私がそういう風に考えていることを、誰よりも知っているはずだから。
私が、未だに過去に囚われていることを知っているハズだから……。
「タテハちゃん、お仕事は大変じゃない? 一人暮らしは大丈夫?」
「大丈夫だって。ルメお姉ちゃんはホント心配性なんだから」
「だって不安で不安で……」
「ま、辛くないことが全くないといえばウソになるけどさ。それでも、私……今すっごく充実してるよ。
そりゃ二人に会える機会が少ないのはさびしいけどさ」
「……タテハちゃん」
「そういうルメお姉ちゃんこそ大変じゃないの?お医者さんなんて絶対大変でしょ」
「ま、まだお医者さんになった訳じゃないよ。見習いの、見習い……くらい」
「それでも大変なことには変わりないじゃん」
「一人暮らしをしているタテハちゃんのほうが絶対大変だよ」
「もう、そんなに大変じゃないってば」
「……」
世界は変わった。でも私達の距離は変わらない。それぞれが違う道を選び、違うものを見ているハズなのに。
それなのに、私達はこうやって、会えばあの頃から変わらない仲で居られる。私はそれがとても誇らしい。
……きっとご主人も、この形が続くことを望んでいたんだと思う。
「ヨミお姉ちゃん」
「ん……なに?」
「次の舞台はいつなの? 暇があったら見に行きたいなって思ってさ」
「次……次は、明日」
「え!? 明日ぁ!?」
「ん」
「そ、その次は!?」
「……あさって」
「えー……。働き過ぎじゃない?」
「……今日がやっと取れたお休み。あんまり取れなくて、ごめん、ね」
「そんなこと気にしなくていいよ。……お姉ちゃんが頑張ってくれたから、私達だって頑張れたんだから、さ」
「そんなこと……」
「ううん。これだけはゼッタイに言えること。この世界を変えた一番の立役者はヨミお姉ちゃんだよ」
「……」
「あ、ごめんごめん。ヨミお姉ちゃんはこの話されるの、苦手だったね」
「苦手、というわけじゃない……けど……でも」
「わかってるよ。でも私は感謝してる。たとえお姉ちゃんにその気がなかったとしても」
「……」
やっぱりタテハは私のことをよくわかってくれている。
私は、世界の変化を望んでいたわけじゃない。私が望むものは、あの頃から何一つ変わっていない。
五年という長い月日が経って、体も成長して考え方も変わったかもしれない。でも、それでも……願いは変わらない。
気兼ねなく、ただひたすらあった出来事や些細な会話を続ける。
それは奴隷でいた頃と変わらない、姉妹の会話。私達が仲良し姉妹であることのなによりの証。
……幼い頃はただただ一緒に居たいと思っていた。その思いは今も残ってはいるんだと思う。
でも、私には私の道があったように、みんなにはみんなの歩みたいと願う道がある。私も、ルーメもタテハも、お互いに好きな道を歩んでほしいと思っている。
それに……私達は知ってるんだ。どんなに離れようと、違う道を進もうと、もう会えなくなるわけじゃないことを。
こうやって、再会を楽しむことが必ずできることを、みんな分かっているんだ。
……そして、楽しい時間はあっという間に過ぎて。
「あ……もうこんな時間なのね……」
「ホントだねぇ……もうちょっとお姉ちゃん達とお喋りしたかったけど……そろそろ行かなきゃね」
「タテハ……今度はいつ、会える?」
「わかんない。けれどまた近いうち戻ってくる……と思うよ」
「?」
「ま、そんなわけで。じゃあまた今度ね! ルメお姉ちゃん、ヨミお姉ちゃん!」
「ええ、また誘ってね」
「もちろん!」
「体には気を付けて。タテハは昔から体が弱い、から」
「大丈夫大丈夫!……ま、もしもの場合はルメお姉ちゃんにお世話になるよ!」
「病院のお世話になるのは極力控えてよね……?」
タテハは走って去っていく。昔から変わらない。能天気だけど、前向き。
きっとそんなタテハだから、世界を変えるために奔走できるのかもしれない。
「……」
三年ほど前に、タテハは家を出た。決して私達家族と不仲になったからという訳ではなく。
彼女はとある団体に参加して、ある運動を積極的に推進するためにその団体の本部がある街へと移った。
その団体の名は『亜人権』。
亜人の権利を主張するための運動を展開するために出来た団体で、亜人も少なからず所属している。
タテハは結成時の頃より所属しているため、今となってはその団体の顔とも言える存在になっている、らしい。
いつも忙しそうにしており、何より結成当初は危険だらけだった。亜人をぞんざいに扱う貴族からは目のこぶのようなものだったからだ。
しかし世界の風潮が亜人との共存に傾いてきた今、『亜人権』はかつてない勢いで勢力を伸ばしている。
目下の運動として、未だに亜人がこっそり奴隷として扱っている貴族を炙り出すために尽力中、のようだ。
「それじゃあヨミちゃん、私も病院に戻るけど……ヨミちゃんはどうするの?」
「私は一旦家に帰ろうと思う」
「あ、じゃあ今日遅くなること、お父さんたちに伝えておいて欲しいのだけど、いい?」
「ん……わかった」
「ありがとね、ヨミちゃん」
ルーメはゆっくり背を向け、歩き出す。
気弱なところは相変わらずだけど、少しずつ自信がついてきて、今では立派なお医者のタマゴだ。
「……」
ルーメは四年ほど前から医者を目指して病院へ行くようになった。
当時亜人は怪我をしたり病気にかかっても、お医者に診てもらえることは滅多になかった。亜人には人権がないので、医者にかかることすらままならない。
そんな状況を知ったルーメは酷く心を痛め、だったら自分が医者になって亜人を助けたいと思うようになっていった。
必死に勉強し、そして亜人であることを隠してある医者に師事し、そして現在に至る。
今では世界の風潮が亜人蔑視でなくなったため亜人であることを隠さなくてもよくなったそうだが、それでも亜人で医者を目指している人は少ないらしい。
「……」
そして、私も。
私も……五年前のあの日に歩き出した。ご主人に『捨てられた』日からしばらく経ったあの日。
たった一人の人間を探し出すことの難しさに、心が折れそうになっていたあの時。
「……」
私は家にまっすぐ帰ろうと思っていた。でも私は、気が付いたら寄り道をしようとしていた。
私は人気の少ない林の中へと入っていく。そして、あの池へとたどり着く。
……私が溺れた池。あれ以来、五年前の私は怖くて近寄ろうとさえしなかった……そんな場所。
それでもご主人の手がかりが何かあるかもしれない……そんな淡い期待を抱いて、なんとか恐怖を抑え込んで、あの時足を運んだんだ。
あの時のことを、私は鮮明に思い出す。
*************
「……」
そっと池の近くに立つ。
ほんの数か月前、この場所に立って釣りをしていたご主人。
それで真似をしたくなって、釣りを体験したくなって……私は落ちて溺れてしまった。
「もう一回落ちたら、助けに来てくれるかな……」
……また私のこと、バカなネコって罵りながら、殴ってくれるかな。
「?」
そんなことを考えていた時、不意に後ろから人の気配を感じ、振り返る。
「ごしゅ……」
「ほえ? なにかようかい?」
……後ろにいたのは、随分と元気そうな老人。
期待していたわけじゃない。でも、それでも、そうであって欲しかった自分が確かにいた。
「……ううん、なんでもない、です……ひと、ちがいでした……」
「人違い、のぅ。こんな人気のないところに人違いになるほど人は来んじゃろ」
「……」
「昔は人がよく来ていたもんじゃよ。今は寂れて分かり辛いがここは公園でのぅ。色々な人が来ていたんじゃ。
なのに今となっては滅多に人は来ん。……まあそれも仕方のないことだとは思うがの」
「仕方のないこと……?」
「そうじゃ。八年くらい前かのぅ……この池で溺れて死んだ娘がおったんじゃよ。
……優しい娘じゃった。ネコが溺れているのを見かねて助けようと池に飛び込み……そして亡くなってしもうた」
「……」
「この公園によく人が来ていたのはその娘のおかげでもあったんじゃよ。
なんでも歌手志望だったらしくてのぅ、若い頃からこの公園に来ては練習しておったんじゃ。
綺麗な歌声でのぅ、みんなほれぼれして聞いておったわ。
みんな彼女に会うために、その声を聴くために来ていたようなもんじゃったからな」
「……」
「……結婚してすぐじゃった、その娘が死んだのは。新婚じゃったろうに、可哀想なことになってしまったもんじゃ。
それからじゃよ……この池、この公園には誰も近寄らなくなってしまった。薄情なもんじゃのう……。
来るのはわしか、この池でよく釣りをしていたおっさんくらいなもんじゃ」
「……その人は、最近来ているの……?」
「……わしも毎日来ている訳ではないからわからんが……最近は見ないのぅ。
なんじゃ、そのおっさんを待っておるのか?」
「……多分、そうだと思う」
「そうか……来るといいのぅ……」
そう言って、おじさんは去っていく。
「……」
この池で死んだ女の人。ネコを助けようとして死んだ女の人。
……それはきっと、ご主人の奥さんだったんだ。それなのに、ここへ来て釣りをしていた。
ここに来たって、もう奥さんとは会えないハズなのに。……ここは辛いだけのはずなのに。
そういえば、あの伏せられていた写真。
あの写真には、ここが出会いの場所だと書いてあった。
ここでご主人と奥さんは出会ったんだ。そして、ここであの写真を撮った。あの、幸せそうな写真を。
「……」
私は目を閉じ、二人が出会った時のことを想像する。
親、兄弟……全てを失って独りになった当時のご主人が、癒しを求めてこの公園へとやってきたのだとして。
そこには、人々を惹きつける歌声を持つ魅力的な女性が居た。
ご主人は、声に惹かれ、彼女に惚れ、そして恋に落ちた……そんな感じだったのかな。
「……」
ご主人は、今もまたその頃と同じように独りになってしまっているのなら。
……ここで『誰か』が歌を歌えば、その声に癒しを求めて訪れてくれるのだろうか。
そんな都合のいい話、あるわけない。
……私は、ご主人の奥さんのようにはなれない。
人を惹きつける声を持っているかと問われれば、分からない。
あの写真に写っていた奥さんのような、あんな眩しい笑顔……私には、ない。
「……」
……それでも、いい。
私はこの時、一つの道を選ぼうとしていた。
私は、歌を歌ってみたい。ご主人が愛した、その女の人のようになりたい。
ご主人を癒せる存在に、私はなりたい。ご主人のことを癒せる存在が奥さんだけならば……。
私が、ご主人の奥さんの代わりに……なるんだ。
******************
そして五年の歳月を経て、今に至る。
「……」
タテハと会ってから数日。みんなそれぞれが違う場所で今日も頑張っている。
だから私も、今日を頑張る。いつかご主人と再会するその時まで、止まることは許さない。
私は、ステージへと上っていく。みんなが待つ、あの場所へ。
「うおおおおおおおっ、ヨミぃぃぃぃ!」
「ヨミちゃーん!!!」
「ヨミさまああああああ」
私の姿を見た観衆が、どよめく。みんな私を待っていたんだ。
「……」
私は目を瞑り、そして……想いを馳せる。
それが合図。私の歌が始まる、暗黙の了解。
観衆もそれを知っているから、どよめきが収まり、静寂を取り戻す。
「……」
静かに、でも力強く、歌を紡ぐ。
何処にいるのかもわからないご主人へ、この歌が届くことを願って。
私は、歌手になっていた。
つづく。




