第10話「猫歌姫」
「今日のヨミも良かったな!」
「ああ!やはり今をときめく『猫歌姫』は伊達じゃねえよ」
「彼女の歌を聴いていると、すごく心が温かくなるわぁ」
「わかる。でも同時に、すごく切なくもなるよな」
「わかりみしかない」
興行を終え、観衆たちが去っていく。
私は舞台袖でその様子を眺めていた。
「……」
『猫歌姫』……それが私につけられたあだな。
こう呼ばれ出したのは、二年ほど前くらいから。
私が歌手として売れ始めてから、すぐにこう呼ばれるようになった。
「今日も良かったわい、ヨミちゃん」
「あ……おじいさん」
しばらく経って裏口からこっそりと会場を後にしたところ、五年前のあの時に出会った、そして今となっては顔なじみのおじいさんと出くわした。
「しっかし、まさか“溺れた女の亡霊”がここまでのしあがるとはのぅ、長生きはするもんじゃ」
「……」
“溺れた女の亡霊”……それは、『猫歌姫』よりも前……四年以上も前に呼ばれていたらしいあだなだ。
一体誰がそんな風に私を広めたのかは知らないけれど、言い得て妙かもしれない。
私はご主人の奥さんみたいになりたいがために、この五年間をずっと歌に費やしてきた。
歌について何も知らないシロウトの私が突然歌手になんてなれる訳がなく、最初の二年ほどはずっとこっそり練習と勉強(主にオペラ)ばかりをしていた。
昼間はルーメについていく形で図書館へ一緒に忍び込んで発声の方法などの基礎的な知識を蓄え、夜になったら人目のつかない場所で歌唱の練習。
ご主人のことを想って、歌を紡ぐ。奥さんと同じように、あの池の畔で。奥さんの軌跡をなぞるように、私はあの池でひたすら歌の練習を続けた。
夜、池があるあの公園で練習をするようになってから一か月ほど。
あの周辺では“溺れた女の亡霊”が夜な夜な公園に現れる、という噂が流れた。
あの池で溺れた女が生者を呪う歌を口ずさんでいて、惹きつけられた人間を池へ引きずり込んでしまうとかなんとか。
「ま、あの時にヨミちゃんに声をかけたわしの慧眼もなかなかのもんじゃったということかの!」
「……」
亡霊の真偽を確かめに来たのがこのおじいさんだった。その時に、おじいさんが
“歌を歌いたいのであれば是非歌ってもらいたい場所があるんじゃが”と私に頼み込んできたのを今でも覚えている。
いつも歌っている女の人が体調を崩してしまい、長く休むことになってしまったので代わりを探していたらしい。
やってみたかったけれど、亜人である私が人気のあるところで歌を歌うのは大変危ない行為だと感じていたため断っていた。勿論お父さんとお母さんも反対した。
でもルーメとタテハが反対を押し切る形で、私の背を押してくれた。私は私のやりたいようにやればいい……そう言ってくれたんだ。
私は、その場所……少し寂れた酒場で歌を歌うことになった。
最初、酒場に来るお客さんなんて歌にはそこまで注目しないだろうと思っていた。でも、実際は違った。
そこで歌を歌うようになってから数日で、来るお客さん全ての目が私に注がれていることが分かった。みんな静寂を以って私の歌に耳を傾けてくれていた。
いつしか私の歌は評判になり、そしてあれよあれよという間に、こんな大きな舞台で歌を披露するまでになったんだ。
「なによりヨミちゃん……おぬしはホントに度胸があるわい。この舞台での初公演の時に自身が亜人であることをカミングアウトするなんてのぅ」
「……」
……あの時は、一つの賭けのようなものだった。でも、どうしても明かしたかった。
私が歌う歌は全て手作り。作詞も作曲も全て私がした。私が一番最初に作った歌は……亜人が人間に身分違いの恋をする歌だった。……私の心を映し出した、私自身を投影した歌。
この歌を歌うのは人間に紛れて暮らす私ではなく、あの頃のような、奴隷ではあったけれど亜人として生きていた私じゃなきゃいけない。
じゃないと、真の意味でこの歌を歌うことは出来ない。私を表現することができない。
それに……大きな舞台になって、聞いてくれる人も一層増えて……もしもその中にご主人が居たのならウソ偽りない私を聞いてもらいたい。
だからご主人と一緒にいた時の私であるために、亜人であることを明かしたんだ。
結果として、みんなは私を受け入れてくれた。むしろ薄々(うすうす)気が付いていたらしい。それでいて、みんな私の歌を聴きに来てくれていた。
私の歌は、人間からも、亜人からも愛されるようになっていった。
「ヨミちゃんの歌がこの人間と亜人の世を作ったと言っても過言じゃないわい」
「……それは、違う」
「ほえ?」
「今の世があるのは……『亜人権』のおかげ。彼らが頑張ったから、私も亜人だけどこうやって暮らしていける」
「そうかのう。まあ『亜人権』が頑張っているのはわかるが、ヨミちゃんの影響も確かにあったと思うんじゃ」
「……」
違う。たとえそれが事実だとしても、それは真実じゃない。みんな勘違いしているんだ。
……私は、亜人と人間の共存の世を願って歌っていたわけじゃない。結果的にそうなったとしても、それは私の手柄じゃない。
それに、私はまだ何もできてない。ご主人に会えてすらいない。みんながなんと言おうと、私の望みはまだなにも叶っちゃいないんだ。
歌を歌う時、必ず私の心の中にはご主人がいる。ご主人のことだけを想って、歌を紡いでいる。他の人のことを想ったことは一度もない。
人間と亜人の共存のための歌……みんなからはそう思われているらしいけど断じて違う。
この歌は私の願い……私がただ、ご主人と一緒にいたいと願っただけの歌。
この歌の中では、亜人の女の子と人間の男は再会を果たす。そして、ハッピーエンドを迎える。これこそが私の、願い。
……でも、本当はまだ何も果たされてはいない。
ご主人……あなたは一体、何処にいるの?
「あ、ヨミ!」
おじいさんと歩いていると、突然後ろから声をかけられる。
振り向けば、いつしか顔なじみになった男性がいた。
「おや、どうしたんじゃ?」
「なんだ、じいちゃんも居たのか」
「なんだとはなんじゃ!」
「はは、悪い悪い」
「……」
この人は、このおじいさんの孫。名前は……なんだったっけ。
酒場で歌を歌っていた頃からの付き合いで、優秀なピアノ奏者でもある。
私が歌を歌うときには彼がピアノをいつも担当してくれている。今回の舞台でもそう。
彼のピアノの腕がなければ、私の歌は今ほど表現できていなかったかもしれない。
「今日のお前のピアノ、なかなかよかったぞ」
「そうかい? ありがとうじいちゃん。まあ俺のピアノなんてヨミの歌声のお供みたいなもんだからさ。
俺のピアノよりヨミの声を評価してやってくれよ」
「会って真っ先にしとるわい」
「はは、そうだよな」
彼は社交的だし、喋るのもすごく上手。口下手で陰気な私とは正反対。
紳士的だし、私にも優しく接してくれる。……でも。
「……」
「ヨミ、せっかくだし打ち上げがてら食べに行かないか? 奢るからさ。
俺らみたいな平民でも行けるお洒落な店を見つけてさ」
「……いい」
「つれないな。いいじゃないか、少しくらい。俺とお前の仲だろ?」
「いい」
「なんかこの後用事でもあるのか?」
「ない。帰るだけ」
「じゃあいいじゃないか……な?」
「イヤ。家に帰って、お父さんとお母さんと一緒にご飯食べる」
「そ、そうか……。家族団らんを邪魔しちゃ、悪いよな……すまない」
「別に謝るほどのことじゃない」
私は二人を置いて、家路に着く。
ほんのわずかだが、二人の会話が聞こえた。
「ヨミ、なんでいつもあんなにそっけないんだろう。
もう四年くらい一緒にいるのに、全然心を開いてくれない」
「心は開いてるじゃろ。別に邪険に扱われている訳でもないしの」
「あれでか? あれじゃあ嫌われてると言われても驚かないぞ」
「本当に嫌いなら口も利かんじゃろう。
あの娘はシャイじゃが、何処までも自由気儘な娘なんじゃろう」
「そ、そうか! ならまだ目はあるよな。……あのさ……じいちゃん、俺本気なんだ……。
あの娘と結ばれたい……そう心から思ってるんだ……」
「ふぅむ……孫の恋路を邪魔するつもりはないのじゃが……おぬしにあの娘は口説けんよ。
……多分誰にも無理じゃよ」
「な、なんでだ?」
「会った時からずーっとそうじゃった……あの娘の瞳は、恋する乙女の……」
「……」
……いい人だとは思う。それに感謝だってしてる。でも何故か好きにはなれない。
彼は私に対して今の関係以上のものを望んでいる。そういうことに疎い私でもそれくらい分かる。
恋人の関係……それとも、結婚とか……? 確かにそれは、人生を生きる上での一つの幸せの形だと思う。
でも私の求める幸せは、そんなところにはない。家庭なんていらない。恋人も、裕福な生活も要らない。
あれだけ求めていた自由も、もはや要らない。私にとって自由は、あまりにも息苦しい。
ご主人の奴隷だった時の方が、私はきっと私らしくのびのびと生きていた……そんな気がするんだ。
恋も、愛も……よく分からない。まだ分からない。
この心がなんなのか、まだ私には判別がつかない。
いつか、分かるのだろうか。それすら、私には分からない。
でもきっと、この心は……。
「ヨミお姉ちゃん!」
突然、後方からタテハが現れる。確かあの日、本部のある街へ戻ったはずなのに。
「……どうしたの? 確か本部の方へ戻ったんじゃ」
「また帰ってきたんだよ! ああ疲れた!」
「……」
タテハは随分と疲れているようだった。よっぽど急いで帰ってきたらしい。
……どうして、そんなに急ぐ必要があったんだろう。
「お姉ちゃん。落ち着いて聞いてほしい」
「ん……」
「…………見つかったんだよ。『ご主人』が」
「………………えっ…………?」
つづく。




