第7話「首輪を外すとき」
「今日でここともオサラバか。もう戻って来たくないな~」
「そうね……ここは辛くて、痛くて…怖い思い出しかないもの」
「そうだね。……ま、奴隷としてはマシだったとは思うけどね」
「ええ……そうね」
「……」
次の日の、夜。
私達がここから、出ていく夜……。
私達は館の正門の前に居た。
昨日は何も手がつかなかった。ずっと放心したまま過ごしていた。
もうすぐ、私達は……自由になる。この門の外で暮らす日々が訪れる。
「……」
「で……ヨミお姉ちゃん?……まだ、取らないんだね、首輪」
「……ん」
責める訳でもなく、急かす訳でもなく……タテハが私に言ってくる。
わかっている。これを外さなきゃいけないってことくらい。
これをつけている限り、私は奴隷のままなんだから。
でも……。
「……ま、だ……」
「……まだ?」
「ま、だ…わたし、ごしゅ、じんに……おわかれ……いって、ない……」
「……そっか。そうだね」
おかしな話だとは、思う。捨てられたのに……もうご主人は私達に会う必要はないのに。
それでも、せめて……最後に一目でもいいから、会いに来てほしかった。
「あ……来た、みたい」
そう言ってルーメが指差す方角は……門の外側。
はるか向こうに、ノゴ…そして、どこか見覚えのある男女がいた。
「……」
「……」
その場にいる、全員が息をのんだ。そして。
「お父さん……お、かあさ、ん……」
真っ先に…普段陽気でへそ曲がりなタテハが、珍しいくらいに感極まった声を零した。
彼女は、三つ子の中でも一番下の妹。最も親の愛情に飢えていたのかもしれない。
タテハはそのまま走り出す。つられてルーメも走り出す。
泣きながら、ルーメもタテハも、顔をぐしゃぐしゃにしながらお父さんとお母さんに抱きつく。
お父さんとお母さんも、同じように顔をぐしゃぐしゃにしながら。
「……」
やっぱり、私達は家族なんだ。どんなに離れていても、たとえ一度捨てられたとしても。
私達は……家族に戻れるんだ。また、やり直せるんだ……。
間違いはあった。この世の厳しさの前に子供を手放すこともあった。
でも、それでも……私達、いつか許せるようになるはずなんだ。
「ヨミお姉ちゃん!」
タテハが手招きしている。早く来い……と。
「…………いま、いく」
ご主人は、現れなかった。……当然だ、ご主人は私達を捨てたんだから。
だからもう会いに来る必要はないんだ。私も、もう……解放されてもいいんだ。
私、自由になっても……いいんだ。
私は、首輪を外す為にカギをポケットから取り出し、握りしめ……そして、落とした。
「あ、あれ……?」
手に力が入らない。腕が上がらない。目前にした自由へ、手を伸ばすことができない。
「……お姉ちゃん」
タテハも、ルーメも……心配そうに見てくる。ダメだ、このまま二人に心配かけちゃいけない。
カギを……拾って、そして……また力なく落ちる。鍵穴に到達することなく。
拾い、そして落とす。
それを何度も何度も繰り返すけど、それでも、首輪へカギが向かうことはなかった。
「……は、はは」
その場に座りつくす。
一体どうすればいいのか、分からなくなって。
……この首輪を外してしまうのが本当に正しいのか、分からなくなって。
もう……動かない。腕も、指も、もう決して動こうとしなかった。
「いい加減にしろ」
ふと……今、誰のものよりも聞きたい声がした。
「ッ」
……したと、同時に。
私は、振り返ることすら許されず、痛みと共に門柱へと殴り飛ばされ、叩きつけられる。
「ッ……ご、しゅ……」
「さっきから情けないことばかりしやがって。
……まだ首輪をつけてるバカがいると思ったら、案の定お前か。
首輪も外せないほどバカなのかよお前は!」
「……ッ」
「もういい、俺が外してやる。最後の最後まで手を焼かせやがって、このクソネコ……」
ご主人はカギを拾って、私の首輪を掴む。
「ッ……!」
つい私は、その手を振りほどいて後ずさってしまう。
……ホントは分かっていた。この首輪を外せない、理由が。外すことの、意味が。
「……ッ」
たまらず、逃げ出す。
……怖い。この首輪を取ってしまったら、もう……私とご主人の間に『何もなくなってしまう』。
イヤだ、それだけは……イヤ……絶対にイヤ!
「待てコラァ!」
ご主人は追ってくる。私は、追いつかれまいと広い屋敷の庭園内へと逃げ出す。
「あの最低野郎、まだヨミを虐めるのかよ!くそ、もう許せねえ!俺が」
「待って、兄貴」
「なんでだよ! アイツこのままだとボコボコにされるぞ!?」
「……お願い。最後くらい、ヨミお姉ちゃんの好きにさせてほしいんだ。
きっとこれが、最後の……奴隷としてのお姉ちゃんの、最後のご主人への反抗……」
「奴隷としての反抗って……もうヨミは奴隷である必要ないんだぞ!?」
「……お姉ちゃんは……。ヨミお姉ちゃんには……首輪に『鎖』が見えてるんだよ。
他の人から見たら拘束して縛り付けるだけの鎖でも……お姉ちゃんにとって、それは……」
「本当に大丈夫なのかい……?」
「大丈夫なのかは、分からない……。
でも、ヨミお姉ちゃんのことを本当に愛してあげているのなら……待ってあげてほしい。
私も、ルメお姉ちゃんも……ヨミお姉ちゃんのこと、信じているから。
たとえお姉ちゃんがどんな答えをだしたとしても……どんな結末を迎えようと……」
「あ、雪……」
****************
「はぁ……はぁ……!」
走る。ずっと走り続ける。心臓が止まってもいい、足が壊れてもいい。
この首輪だけは、絶対に外すわけにはいかない。この首輪を外せば……そしたら……。
「はぁ……はぁッ……」
辺り一面が、白くなっていく。雪が積もっていく。
全てを白く染めていってしまう。全てを無に帰してしまう。
私の心を白く染め上げてしまう。あの人の心と体を凍らせてしまう。
「ッ!」
足がもつれて、転んでしまう。
雪が混じった泥に、私はその身を叩きつける。泥のしぶきが、私と周りを汚していく。
「う……うぅ……」
ぜぃはぁと肩を上下させながら、ご主人が近づいてくる。
「はぁ……やっと、つかまえ、た……ぞ……この……クソ……ネコ……ォ……!」
逃げなきゃ。泥の中を這いつくばりながら、私は逃げる。
この腕がちぎれたって私は止まるわけにはいかない。
「……もう諦めろ。お前の、負けなんだよ……ははッ……」
がし、と首輪をしっかりと掴まれ、体ごと持ち上げられる。
振りほどこうとするけど、全然ビクともしない。
さっきは気を抜いていたから意表を突く形になったけど、もうそんな油断はご主人にはなかった。
「んーッ……んーッ……!!」
何度も何度も、ご主人の腕を振りほどこうとする。それでも力が緩むことはない。
爪を立てて引っ掻いて血がにじんでも、ご主人は掴んだ首輪を離そうとはしなかった。
「……」
ご主人は、黙ったまま……もう片方の手でカギを差し込もうとする。
「イヤッ……やだッ……やめて、お願い……お願いだから、いれないでッ……やめ、て……!!」
涙ながらに懇願するも、ご主人は聞く耳を持たない。
私は必死に抵抗する。あのカギを差し込まれたら、全てが終わってしまう。
大事なものがなくなってしまう……!
「……なぁ……ネコ次女……」
不意に、ご主人のカギを持った手の力が緩む。
ご主人は、私を見ながら諭すように話し出した。
「なんでだよ……。自由になれるんだぞ……もう俺に殴られないで済むんだぞ……?
なんでそこまで嫌がるんだよ……。お前は、やっと人に戻れるんだぞ? ……あの人たちの家族に戻れるんだぞ……?」
「……」
「お前の親御さんたちと、会って話をしたよ。
二人とも、ずっとお前たちを探してた。
亜人でも受けられる仕事に就いて細々と生活しながら、その傍らお前たちを探してたんだよ。
二人ともいい人だった。俺なんかよりよっぽど優しくて、いい父親と母親だ。
……彼らは一度だけ、たった一度だけ失敗しただけなんだ。
その失敗はお前たちにとって許せないほどのものではあったが、それでも……。それを償うためにお前たちをずっと探していた。
お前たちにあの人たちの罪を赦せなんて言わない。でも、赦すチャンスを与えてやってくれ。一度犯した罪に苦しみ続けるのは何よりも辛いことなのだから」
「……」
「お前の四つ子の兄貴……ノゴだったっけな。
……いい兄貴じゃねえか。お前達妹の為に本気で怒れる……優しい兄貴じゃねえか。
離れていた期間が長いだけで、お前たちは兄妹……家族なんだ。絶対に分かり合える。だからもういいだろ?」
「……」
「……それにな、ルーメも、タテハも。お前と一緒だから家族の元へ戻ることを承知したんだ。分かるだろ?
お前たちは仲良しの姉妹。誰か一人が泣けば二人が慰め、誰か一人が笑えば二人も一緒に笑う。
……ホント、いい姉妹だよお前達。
お前が行かなきゃ、あの二人は頷かねえ。お前がいてこそ、あの二人も笑うんだ。それはお前が一番よく分かってるはずだ。
だから……ちゃんとみんなで幸せになれ」
「ッ……ぅ……」
力が、入らない。その言葉に、逆らえない。
私は……姉妹……。あの二人のこと、誰……よりも……大事に想ってる……。
でも……それでもきっと……それ以上に、私は……この人のことが……。
だらりと、腕が落ちる。もう抵抗する力なんて……残っていなかった。
「いい子だ、クソネコ」
カギが、私の首輪の鍵穴に入っていき……そして……。
…………カチリ……。
乾いた音を立てて、私の心を『自由』へと解放した。
ご主人は首輪を離し、そして私は力なく地面にへたり込んだ。
「これで、もうお前は俺の奴隷じゃねえ。
……行け。もうお前を縛るものはなにもねえんだからな」
ご主人は、そのまま立ち去ろうとする。でも、私はそれを止めてしまった。
ぎゅ……。
「……」
ご主人の、服の裾を掴んでしまう。
ここで離してしまったら、もう二度と触れられない気がして。
「……」
ご主人は振り向きもせず無言のまま、振りほどこうとする。
「待って……お願い……」
「……」
ご主人の動きが、止まる。
「私……奴隷じゃなくなった?」
「ああ」
「私……家族ができた?」
「ああ」
「私……自由になった?」
「ああ」
「ご主人……望みが叶った?」
「ああ」
「みんな……幸せになった?」
「……ああ」
「でもご主人……私達が、居なくなったら……独り、だよ……?」
「……」
「独りは、寂しいよ……独りは、辛いよ……独りは、苦しいよ……独りは…寒いよ……」
「……」
「だから……だから私……ご主人と一緒にいる、よ……」
「ふざけるな」
「私……ご主人と……一緒にいたい……」
「ふざ、けるな……ッ」
「ふざけてないよ……私、本気、だよ……」
「……お前と俺はもう赤の他人だ。お前が一緒にいられる道理などない……ッ」
「……だったらもう一度……」
「それ以上、言うな……」
「……私、奴隷になる。……奴隷で、いい」
「言うな……ッ」
「私、ご主人の奴隷がいい……」
「ふざけたことを言うなッ!!!!!」
「ッ」
激しい怒号と共に平手が飛んでくる。私は咄嗟に目を閉じて、いつものように身構える。
「……?」
あれ……おかしい……。痛みがない。
それどころか、殴られた感触すらない。
いつまで経っても、たたきつけられるあの衝撃が来ない。
私はおそるおそる目を開けると……。
「ぁ……ぁ……」
……ご主人の平手は……私の顔の、直前で止まっていた。
「……へッ、危ないところだったぜ。お前を殴るわけにはいかねぇんだよ。
もう俺はお前の主人でも何でもないんだ……もう殴っていい立場にはいねえ。わかったろ……?」
「あ……あ…………。
……あ……あぁ……あああぁぁぁぁぁぁ……ッ!!」
ない。ない……ない。
さっきまではあったのに。さっきまでは確かにそこにあったのに。
ホントに……もう……私達の間には……何もない……んだ……。
「……わ、たし……ごしゅ……じん、の……ど……」
「はやく姉妹の元へ戻りやがれ!……一時の感情でせっかくの家族を裏切ろうとするんじゃねえよ。
行くんだ。……ルーメとタテハが待ってる。アイツらはお前を置いていくくらいなら、きっと」
「るー、め……たて、は……うッ……ううッ……」
「……」
もう、どうしようもなかった。
もう何も考えられなかった。どうしていいのかも分からなくなった。
どうすれば家族を裏切らずに済むのか……この人を幸せに出来るのか……分からなくなってしまった。
「……」
気が付けば私は、ご主人に手を引かれて家族の元へと連れ出されていた。
泥だらけの私を見たタテハとルーメは、私を抱きかかえてくれた。
「……ネコ長女、ネコ三女、……こいつを頼む」
ご主人の手が、離れる。私をよく殴るその手が、冷たくなってしまったその手が……。
初めて会ったあの時、私を撫でてくれた……あの手が……遠くなって……いく…。
「……さよなら、ご主人。……ヨミお姉ちゃん、連れてくね……」
「……ああ」
タテハがそれだけを告げ、私達はご主人の家を後にする。
門の前に、あの人が立っている。手を振るわけでもなく、ずっとこちらを見ている。
ご主人の、口が……動く。もう聞こえる距離じゃない。
きっと私の耳には届かない。そう思って呟いただろう彼の言葉。
“…………ヨミ……”
彼の顔に光る、見えない涙と共に……その言葉が私へと届いた。
それが、私が見た最後の彼の姿だった。
「……ッ」
二人に支えられながら、力なく歩く、私。
何処を歩いているのか、何処へ向かっているのか、空が曇っているのか、ルーメとタテハはどんな顔をしているのか。
全て、認識することが出来なかった。全て、どうでもよくなってしまっていた。
そんなフラフラな状態であっても、この手の中の物だけはしっかり離さずに持っていられた。
ずっと握りしめて離さなかった、私の首輪。あの人から最初にもらった、大事な絆。
でも、ご主人が私にこの首輪をかけてくれることはもうないんだ。
雪はしんしんと降り積もっているのがおぼろげに見える。今頃、館には大量の雪が積もっているに違いない。
誰かが雪をかかなければならない。でも、そこに私は…もういない。
私は……自由になったんだ。
つづく。




