第4話「暴かれた真実」
ちょい長め?です。
離れに着いた。いつものように古ぼけた扉に、古ぼけた南京錠が掛かっている。
「……」
カギを通すと、南京錠は古ぼけた外見とは裏腹に小気味よくガチャリと音を立てて錠部分が外れた。
古ぼけた南京錠の割に錆びついて開けにくい様子はない。定期的に開錠と施錠をしている証拠だ。
「……」
南京錠を外し、扉に手をかける。
この奥には何があるんだろう。想像もつかない。でも、どんな物が待っていようと決して後悔はしない。
私は、扉を開けた。
「……」
開けた先は真っ暗だった。扉と、カーテンの隙間から僅かに差し込む日の光だけしか光源がない。
目が少しずつ薄暗い空間に慣れていき、そして天井の方からから垂れるヒモを見つける。これはなんだろう。
おそるおそる手を伸ばし、ヒモを掴んで引っ張ってみる。
すると、なんとも心ともない明かりがついた。私の持つヒモの先には、古ぼけた裸電球が頼りなさげにぶら下がっていた。
私は、再び周りを見回す。
「……」
扉の先にあったのものは、ただの部屋だった。
倉庫か、と問われれば違うと思う。空き部屋か、と問われればやはり違うと思える。
この部屋にあるものは、机、椅子、何も入っていない棚、簡素な布団、そして照明。ただそれだけ。
私達の小屋とさして変わらない。ただ生活するために寝泊まりするだけの、ただの部屋だ。
部屋の中を歩いて回る。埃をかぶっているのは棚の中のみで、他は最近まで使われていたようだ。
いや、最近なんてものではない。今日の朝どころかついさっきまで使われていたと言ってもいいほど、ぬくもりが感じる。
一体、誰がここに住んでいるのだろうか。
ふと、棚の中に何かが伏せておいてあるのに気付いた。
埃をかぶっている棚の中の物に触れば、触ったことがばれてしまうから触るべきではないと思った。
でも、気になって仕方がなかった。だから私は、迷いながらも好奇心に負け、その伏せてあるものを起こした。
「……あ」
それは、写真立てだった。写真立てが見えないように伏せておいてあったんだ。
なぜ伏せてあったのか、事故か、もしくは故意に……それは分からないが、その写真立ての中には一枚の写真が飾ってあった。
……男と女のツーショット。どちらも、まだ20代前半といったくらいだろうか。
男はとても見覚えのある不機嫌そうな顔で。女はすこぶる笑顔で。とても仲が良さそうに寄り添っている。
二人の左手の指には、同じ形をしたペアの指輪。仲睦まじい様子からも、この二人が夫婦だったということは容易に想像できた。
そしてもう一つ気になった点。
女性の右手に抱えられている、一匹の猫。私達のようなネミ族ではない、正真正銘の猫。
何故か分からないが、その猫がとても気になった。まるでこの猫に何か秘密があるのではないのかと思ってしまうほどに。
写真の下部には、日付とかすれた文字が書いてあった。この二人のどちらかが書いたものだろうか。
“結婚後の初デート、出会いの池で”
……何処かで見た覚えがある背景だと思っていたけど、これはおそらく……私が溺れたあの池だ。
そこでこの二人は、この写真を撮ったんだ。
私は気づいていた。この写真に写っている男は、私達のご主人だ。ご主人の若い頃の姿だ。
でも不可解な点もある。この二人が夫婦だったとして、この男がご主人だったとして。
ご主人が指輪を付けているところなんて見たことが無い。この女の人も、一度も見たことが無い。
私は写真立てを元の位置に戻し、もっとも気になる箇所……机へと向かう。
机の上には、ペンと分厚い本。古ぼけた表紙には「Diary」と書いてあった。
一目でわかった。これは日記だ。
誰の日記かは分からないが……おそらくきっと、私達のご主人の日記なんだ。
「……」
手に取りめくろうとして、不意に腕が止まる。それは恐れだったのか、それとも別の何かだったのか。
一つ、分かっていること。それは、これを開いて読めば……きっと私は、後悔してしまう。
扉を開ける前に後悔だけはしないと思ったのに、あの写真を見てから……私の中でその決意はあまりにあっさりと崩れ落ちた。
確信はない。けれど、あの写真を見た時にそんな予感がした。私が今知ろうとしていることは、生半可な気持ちで知ってはいけないことだと。
でも、ここまで来て戻るわけにはいかない。いや、もう戻れない。
……私は、知ることを選んだ。
本を開く。分厚いこの本のどのページを読んでみようかと考えあぐねていたところ、随分歪んだページが目についた。
そして吸い込まれるようにそのページを私はめくる。
「……」
開いたそのページは酷い有様だった。ページは歪み、文字は滲み。
読めないことはない。しかしこのページに日記を書いた筆者のことを想うと読むべきか迷ってしまう。
それでも私は、引き返さないためにもそのページの内容を読むことにした。
“妻が死んだ。今日の午前のことらしい。
一緒にいた者の話によれば、木から池へと落ちた子ネコを助けるべく池に飛び込んで、そのまま溺死した、とのことだ。
バカな女だ。自分も泳げない癖に無茶をして助けに入るなんて。ネコ好きだからってそこまでするのか。
子ネコもバカだ。さしずめ木に登って降りれなくなって、足を滑らせて落ちたんだろう。
妻も、ネコも、死んだ。バカ共が。揃いも揃って、救いようのないバカだ。
お前の命はもはやお前だけの物じゃないというのに。まだ見ぬ俺たちの子を、宿したばかりだというのに。
俺に無断で死んじまうなんて。お前も、ネコも、大っ嫌いだ。
大嫌いだ。”
「……」
バカだ、嫌いだと書き綴られた内容。でも、このページの有り様がその時のご主人の状態を連想させる。
涙で歪んだページ、震えるペンで書いただろう歪な文字。滲んだ文章。
「……ッ」
私はそのまま日記を部屋から持ち出した。
何処へ行くでもなく、私は屋敷の中を歩く。本の内容を眺めながら。
歩きながら、ページをめくる。この日記を書いた筆者の、思い出を辿っていく。
“毎日が、酷く退屈になってしまった。毎日が、酷くつまらなくなってしまった。
私は生きているでもなく、死んでいるでもない。しかし心に穴が開いてしまったことだけは確かだ。
父も母も、愛すべき兄姉達も全て失ってしまった私なんかと一緒になってくれたお前だけが私の全てだったのに。
妻の所有物はすべて捨てずに残してあるのに、そこにお前だけがいない。
処分しなければ辛いだけだ。でも、処分するのはもっと辛いことだ。手に取るすべてのものに、思い出が詰まっている。
思い出のデートの時にお前が着ていたコート、あの日告白した時にお前がうれし涙を零して濡らしたセーター。お前が実家から持って来たオルガン。
一緒に買ったマグカップ、二人で作った木製の椅子。この日記帳だって、付き合い始めた頃にお前が送ってくれたものだった。
どれも、これも、大切なモノばかり”
”今日、古い友人に出会った。
友人は多くの亜人の女性を侍らせており、私に色々とアドバイスをしてくれた。
『ムシャクシャして気が晴れない時には亜人の女を犯すに限る。
ヤツらには人権なんてないのだから好き放題ヤれる。飽きたり使えなくなってしまえば捨てればいいだけの話だ』
そうなのだろうか。今の私にはよく分からないが、それでこの喪失感が払拭できるのならばやってみるのもいいかもしれない。
もう私には何も残っていないのだから”
“奴隷商人の元へ亜人の女を買いに行ったところ、ロクな者がいなかったのでネミ族の少女を三人買うことにした。
何故あの少女たちを買ったのかは自分でもわからない。あの事件以来ネコは大嫌いになったというのに。
妻がネコを可愛がっている姿が目に焼き付いて離れないからだろうか。可愛い子猫がいれば、ネコ好きな妻が戻ってきてくれるとでも思ったのだろうか。
我ながらなんとバカバカしい”
“ネミ族の少女たちは三つ子で、名前をルーメ、ヨミ、タテハというらしい。
見た目は人間に近いがネコの耳や尻尾など人間には見られない部分がある。また仕草や性格もやたらネコらしいものばかりだ。
特に次女のヨミは非常にネコの性質が強い。狭いところを好んだり、何にでも興味を示して好奇心も旺盛。それでいて姉妹以外には懐こうとはしない。
俺の大嫌いなネコそのものだ”
“あの三つ子はとても仲が良い。彼女たちを見ていると、かつて居た私の兄や姉を思い出す。
親父が死んだあの時、仲が良かったはずなのにその莫大な遺産を奪い合って争い合った、兄や姉たち。
愛する兄や姉たちに傷つけられるのも傷つけるのも怖かった私は遺産などこれっぽっちも要らないと表明していた。
結果、私以外の兄姉は殺され、殺した張本人である長男の兄も獄中で死んだ。私はあの時、一度目の孤独を味わうことになった。
この子たちには、決してそうなって欲しくはない”
“今日久しぶりにあの奴隷商人に会った。何でもこの街から出ていくらしい。
ルーメ達のことを聞いたところ、あの子たちは元々捨て子だったらしい。それを拾って奴隷にした、というわけだ。
ならば捨てた張本人、おそらく親が居るはずだ。どんな理由で捨てたのか分からないが、あの年齢の子供には父親と母親の両方が必要だ。
血の繋がった、ちゃんとした親が必要なのだ。他人が親を装ったところで彼女たちは歪んで育ってしまうだけだ”
“あの子達の食卓に魚を出したところ、かなりの好印象を受けた。どうやら三人とも魚が好物のようだ。
三つ子だからみんな同じ食べ物を好むのも分からないでもないが、少し問題もある。
この内陸では魚なんて滅多に入ってこない。手に入れることが出来たとしても三匹も手に入るのは稀だろう。
それほどまでにこの辺では海の幸は珍しいものなのだ。こればかりはどうしようもない。
たとえ一匹手に入ったところでその魚を食べられるのは一人だけだ。他の二人はそれを我慢しなければならない。
やはり三匹で無ければダメだ。もし魚の取り合いにでもなったら姉妹の仲に溝が出来かねない。
そういえば、あの池には魚が住んでいたはずだ。…いわくつきの場所ではあるが、私は溺れるような真似は絶対にしない。
少し泥臭い魚になるが、仲よくあの子達が気兼ねなく魚を食べるためにもあそこで調達してみよう”
“今日、ヨミを殴ってしまった。何故か私に触ろうとしてきたヨミを、大嫌いなネコに見立ててつい殴ってしまった。
愚かなことをしてしまった。彼女たちはネコじゃない。ネコに似た何かであって、ネコではないんだ。
しかしあまりにもネコらしいヨミの仕草に、手が出てしまった。
しかし私は、これを必要なことだと割り切るつもりでいる。
私は彼女の父親ではないから、愛する必要はない。彼女たちは私の子供ではない。私の子供は生まれる前に死んでいる。
だから決して彼女達に、私が父親の代わりであると誤認させてはならない。彼女達の父親は、ちゃんと存在しているのだから。
妻も私も子供が欲しかった。彼女のお腹の中に新しい生命が宿ったと聞いた時、私は飛び上るほどに嬉しかったのだ。
あの子達も同じだったはずだ。誰かに望まれて生まれてきた大事な宝物。捨てたのもやむを得ない理由があったのだと容易に想像もできる。
きっと後悔している。そして、待っている。私は彼らを探し出さなければならない。何があっても、親を偽って子を本当の親から奪うことなど許されるわけがない。
私は彼女たちの主人。彼女たちは私の奴隷。私はただ、彼女達の本当の親が見つかるまで預かっているだけの他人に過ぎない”
“彼女達の親の痕跡を頑張って辿っているが、何故か最後には手がかりが無くなってしまう。
生きていることは確かなのだが、あと一歩が届かない。彼らは亜人であるから住処を転々とせざるを得ないのは分かるが、それでも歯がゆい。
今の私の生きがいは、あの子たちの本当の親を見つけることただそれのみ。それ以外に望みなど無い”
“また今日も、ヨミを殴ってしまった。彼女はやたらと自由奔放で、なんにでも手を出そうとする。
実にネコらしくてバカな女だ。普段は無口で大人しいように見えるがかなりやんちゃでどうしようもない。
だが人一倍思いやりが強く、姉妹に対しての愛情も強い。裏からこっそりフォローをしているところをたまに見かける。
これでもう少しお転婆なところさえ何とかなれば手を焼かずに済むのだが。とりあえず池の傍にだけは近づけないようにしなければ。きっと不用意に近寄って落ちて溺れてしまうだろう。
ルーメは気弱でいつも自信なさげにしているが、とても優しい性格をしている。物腰もやわらかく、他の姉妹の悩み事にも親身になって考えようとする。
それにとても聞き上手だ。なんだかんだ言って長女として一番しっかりとした考え方も出来るし、理想的な姉の姿に思える。
タテハは陽気で物事に無頓着だが、とてもよく物を見ている。いろいろと気が付き、機転も利くし、要領もいい。
これで極度の面倒くさがり屋じゃなければ言うことはないのだが”
“この館を売りに出すことに決めた。今の私には必要の無いものだからだ。そのためには掃除をして綺麗にしなければならないが、それはどうにかなるだろう。
それに今の私は彼女たちの親を見つけるためにあらゆる所へ旅をしなければならない。旅費の工面も大事だ。
あの子たちを買った時点で私の財産はほぼゼロになった。このままでは数年もしないうちに私も彼女達も飢えて死ぬだけだ。
この館の物も、片っ端から売ってしまおう。もう必要のないものばかりで、残しておいても辛いだけの物ばかり。全て、もう終わったことなのだから。
妻との思い出も全て売ってしまおう。死んだ女より、生きてる女共の飯を優先することにおかしなことなど無いはずだ。
この指輪も、いつか決心がついたときに売ってしまおう。名前の部分を磨いて消せば売り物にはなるはずだ”
”また今日も、ヨミを殴った。もはや毎日のようにヨミを殴っている気がする。
暴力を振るうことが日常的に、そして当たり前になっている自身が怖い。だが、それ以外に彼女達との接し方もわからない。
私と彼女たちは、主人と奴隷の関係。そして私は、奴隷を甚振る最低な主人でなければならない。奴隷を大切にする主人になってはならない。
もし私が優しくしてしまったことにより、あの子たちが奴隷であることを望んでしまったら。もし本当の親が見つかったのに、親の元へ帰ることを拒んでここにいることを望んでしまったら。
そんなことがあってはならない。あの子たちに奴隷としての生涯を受け入れて欲しくない。だから決して『奴隷で居て良かった』なんて一片たりとも思わせてはならない。
彼女たちは亜人であれど、心を持つ人間だ。奴隷としてではなく、ちゃんとした人間として幸せにならなければならない子たちだ。子供たちの自由な未来の選択幅を、私達大人が狭めていい訳がない。
だからこれでいい。奴隷を金で買う主人など蔑まれていなければならない。愛されていない方が都合がいい。嫌われているくらいが丁度いい。
それに何より、その方が別れも辛くなくて済む。あの子達が親と再会した時に、何の気兼ねなく『普通の家族』に戻るために。
こんな空っぽの俺でもその役に立てるのなら、これ以上の幸せはない”
「見つけたぞ」
……我に返る。気が付けば私は、本を抱えて、読みながらベンチの上に座っていた。
後ろの方からご主人の声が聞こえる。きっと、私が部屋に入ったことがバレたんだろう。
「部屋に戻ったら俺の日記が無くなっていた。……お前だなネコ次女!」
「……」
「あれほど近づくなと言ったはずだ。なのにお前は……!」
「……」
「まずは本を返せ。……とっととその本を返せッ!」
「…ッ」
後ろから日記を掴まれ、そして私から奪い取ろうとする。
私はぎゅっと掴んで離さない。どんなに引っ張られようと離さない。
「離せ……離せッ! ネコ奴隷の分際で人の日記を盗んでんじゃねえぞッ!」
「……ッ」
「いい加減にしろ……いい加減にしろよネコ次女ォ!」
「ッ」
日記ごと、地面にたたきつけられる。衝撃が体中に伝わる。夕焼け空が視界に映る。
それでも私は日記を離さなかった。
「…おい、ネコ次女……泣い、てんのか……?」
「……ッ」
……そっと頬を、触る。
私は、知らずに涙をこぼしていた。なんで涙なんて流しているんだろう。
殴られた痛みからか? 本を盗み出した後悔からか?
……違う。この涙は、きっと……。
「……まさかお前、読んだのか……!?」
「……」
私は、小さくうなずいた。
「……う、ウソをつくもんじゃない。お前は字が読めないし書けないハズだ。
もしもあの部屋に忍び込まれても大丈夫なように字の読み書きは教えなかったんだぞ……」
「館の、図書室で本を処分する仕事をした時……捨てる前にこっそり色々な本を読んで覚えた……。
難しい字は分からないけど……この本の内容なら、読めた……」
「ッ……好奇心旺盛にもほどがあるぞネコ次女ォ!」
「うッ……」
胸倉を掴まれ、無理矢理立たされる。
私はご主人の顔を見ることが出来ない。目の前にあるご主人の顔を見ることが、あまりにも辛過ぎる。
この日記を書いていたのがご主人だとしたら、私は……私達は……。
「忘れろ……忘れろッ……! お前が読んだのは、ただの嘘っぱちだ!
真実なんかじゃない! だから覚えるな! 全て……忘れろッ!」
「……ゃ……」
「あぁ?」
「イヤ……」
この日記の内容は、嘘っぱちなんかじゃない。
紙と文字を見ればわかる。その全てに年季とその時の想いが全て余すことなく綴られている。
これは、ご主人の……心。ずっと、ずっと知りたかった、私が暴きたかったもの。
私がずっと求めていた真実なんだ……。
「……忘れろ」
「イヤです……」
バチン!
容赦なく、平手を顔に受ける。
その平手がいつもよりも力がこもっているものだということが分かる。
痛い。ものすごく痛い。頬がヒリヒリして熱を持っている。
それでも私は、屈するわけにはいかない。
「もう一度言うぞ。忘れろ」
「イヤッ……!」
「忘れろッ!」
地面に殴りつけるように叩きつけられ、日記を奪われる。
体が地面にたたきつけられ、肩をすりむく。
「ッ……」
痛い。今まで受けた暴力の中でも、特別痛い。
ご主人の本音が加わったようなこの暴力が、私には痛すぎる。
「わかったか……。俺はお前を殴ることに何の抵抗も無い。
お前が痛みにもだえる姿を見るのが何よりの楽しみだ。
だからお前達を甚振るのに何の躊躇いもない!」
「……違う。ご主人は……うッ」
腹部に蹴りを入れられる。すごく、痛い。
吐きそうになるが、必死に抑える。そしてご主人を見据える。
ご主人の体が震えているのが分かる。まるで寒さに凍えるように。
まるで化けの皮が剥がれそうになる自分を無理矢理奮い立たせるように。
「ははッ……! たった一冊の嘘っぱち日記読んだだけで今までのことを全て忘れやがってよ。
俺がお前たちにしたことを思い出せ! 何度も殴った、何度も蹴った、何度も甚振った! 今みたいにな!
お前の中の俺は、そんな本の中の俺ではないはずだ! 思い出せ!」
「忘れて、ない……。忘れてなんか……いない……。
私達のこと、買ってくれたこと……私達のこと、育ててくれたこと……。
私達のこと、養ってくれたこと……私のこと、助けてくれたこと……。
……私達を、ずっと一緒に居させてくれたこと。
全部全部、忘れる訳、ない……」
「ふ、ふざけるな……都合よく解釈しやがって……。そんなの恩に感じるようなことじゃない。
俺はお前達を育てて好き放題犯して捨てるために育てていただけだ!
まさかお前、俺がただ温情でお前たちを飼っているとでも思っていたのか?」
「……」
倒れる私を上から見下ろすその姿に、いつものご主人の姿は無く。
ガタガタと震え、そして怯えている。それでも威勢だけは失くすまいと暴言でまくし立ててくる。
……私は後悔している。だって私は、こんな姿のご主人を見たかったわけじゃないのだから。
だってこの人は……ずっと独りで戦ってきたんだ。
誰にも頼らず、誰にも理解させず、ただ私達の幸せの為に仮面を被って戦ってきたんだ。
そんなご主人を、これ以上傷つけていいわけがない……。
「ッ……なんだその目は。お前が向ける目は、もっと冷たく軽蔑した目だったはずだ!
そんな目で、俺を見るなッ……俺は、俺はお前達をメチャクチャにしてやりたいと日頃から」
「……だったら……だったら、してください」
「!?」
「今、この場でメチャクチャに……。
私は、奴隷。何をしても、逆らいません……から」
「……こ、この……ッ!バカにしやがって……!
後悔させて、やるゥ……!!」
「……」
…私を犯して楽になるのなら、もうそれで構わない。
元々そのつもりでご主人は奴隷商人の元へ足を運んだはずだったんだ。
……怖くないと言ったらウソになる。怖い。すごく、怖い。殴られたり蹴られたりするのとは訳が違う。
でも、ご主人がこのまま独り寂しく凍えて震えるのを見ていたくない。
最低だと思っていたこの人に、今だけは遠ざけられたくない……。
ご主人の心を埋められるのなら、もうそれで……いい。
「……ふ、服を破いて、お前を犯してやる……ッ。
主人にたてついたらどうなるか……教えてやる……!!」
「……はい」
ご主人は私に馬乗りになって服へ手をかける。
ご主人の冷たい手が、震えている。服を伝って私の体に伝わる。
怖い。でも、ご主人の方が…きっともっと怖いんだ。
「……く、そッ……くそォォォォォォ!」
「!」
服にかけていた手を離し、数歩後ろへフラフラと後ずさると。
「う、う……う……うあ……ぁぁぁぁ……」
涙を流しながら、うめき声をあげながら、ご主人は仰向けに倒れた。
「ご……しゅ……じん……」
「……大嫌いだ。お前らネコなんて、大嫌いだッ!
いつもこうやって俺の人生を狂わせる! 俺の大切な人を、俺の大切な計画を……全て台無しにしやがるッ!」
「……」
「何故だ、何故なんだ!! 何故逃げようとしない! 何故お前は俺を押しのけようともしなかった!?
何故こんな最低な主人に体を許せる!? 奴隷だからかッ!? だったら……何故……何故奴隷であることを、肯定する……んだ……」
「お前達ネコなんか……お前、なんか……大嫌いだ……大っ嫌いだ……大っ嫌いだ……ぁ……」
……ご主人は声も無く泣いた。今までため込んでいたものをほんの少し漏らすかのように。
そこに居たのは、私達を甚振る最低なご主人ではなく、兄姉や恋人に置いて行かれ、望みすらも絶たれた……独りの男の姿があるだけだった。
……私は、『知る』という何よりも罪深い業を犯してしまったんだ。
つづく。




