第16話「タテハ」
「……」
私も、ご主人も泣き止んでから少し後。
落ち着いた私達に、タテハとルーメが近づいてくる。
「ヤソは説得できたよ。ご主人の入牢は手違いだったということになるから、本部に送られることなく釈放って形になると思う」
「よくなんとかなったわね」
「まあね。ま、これも私達……特にお姉ちゃんが頑張った成果だと思うよ」
「……」
「あっはっは、ヨミお姉ちゃん照れてる。可愛いなあもう」
「それでいつ、ご主人は釈放されるのかしら?」
「色々と事後処理があるからすぐに釈放……って訳にはいかないけれど、そんなにかからないと思うよ」
「よかった」
「……どうしてだ」
ご主人が、私達三人を見据えて尋ねてくる。
「どうしてお前たちは俺にここまでしてくれるんだ……?」
「ご主人は恩人だしね。少なくとも私はそれだけでも理由としては十分だと思ってる」
「そう、か……」
「ま、だから私達の恩返しはここまで。釈放してからのことまでは知らないよ」
「ああ。十分だ……本当に、ありがとう……」
ご主人は、私達に向かって頭を下げる。
らしくない、けれど……きっと本当にご主人は、心から感謝してくれているんだ。
私は……そっとご主人に近寄る。
「………ごしゅ、じん。釈放した後、行く宛が無いのなら……そ、の……私、と……」
顔が、熱くなる。
自分がゆでたこのように赤面していることがわかる。
タテハが後ろでニヤニヤしているのがわかる。
ルーメも後ろで優しく微笑んでいるのが分かる。くそう。
でも、ご主人は。
「……恩はもう十分返してもらった。そこまでする必要はない」
そっと、私の申し出を拒絶した。
「……」
でも引き下がるわけにはいかない。やっと、再会を果たしたんだ。
また離れ離れになるのはイヤだ……!
「違うの。私……ご主人と、ただ一緒に居たくて……」
一緒にいたい。恩返しを果たした今でも、そう思ってる。
だから、だから……。
「あの時にも言ったはずだ。俺とお前はもう赤の他人なんだと。
それなのにお前はこうして俺を救ってくれた……。ぬくもりをくれた。もう、十分だ……」
私に優しく微笑みかけてくれる、ご主人。……微笑んでいるはずなのに、寂しげに見えるのは何故だろう。
ダメだ。ここで引き下がるわけにはいかない。またご主人を独りにするわけにはいかない。
今度こそ……私が傍にいるんだ。
「私ね、まだご主人に」
「もう俺のことなんて構うな」
私の言葉を、ご主人は遮る。
「見てりゃわかる。お前、ずっと俺のことを探してくれてたんだろ? この五年間、ずっと……。
おまえ、ホントにバカだよ。俺なんかの為に五年間を棒に振りやがって……」
「……バカじゃない。棒に振ったなんて思ったこと、一度もない」
「バカ野郎が。いい加減自分の為に生きろ。
……頼むよ。やりたいこと、いっぱいあるだろ? 自由になったんだ。俺に縛られる必要はないんだ」
「……私のやりたいこと、は……ご主人と一緒に」
「いい加減にしろ……ッ。 ふざけたことばっか言うんじゃねえ」
「ふざけてなんか、ない……ッ」
私もご主人も、語気が強くなる。
譲れない。でもきっとご主人も譲れないと思ってる。
私にはこの五年間、ずっと想ってきた。この想いは、たとえご主人が相手だろうと負けない。
睨みつけるように、ご主人を見つめる。
「はぁ……どうやら忘れちまったみてえだからもう一度はっきり言ってやる。
俺はな、お前らネコが大っ嫌いなんだよ!」
「!」
そ、うだ……そうだった。ご主人、私達ネコが……嫌いだった、んだ。
忘れてた。私、ずっと想っていた……けれど、私……ご主人の都合なんて一切考えて、いなかったんだ。
勢いが削げた私に対し、ご主人はまくし立てる。
「お前は何様のつもりだ? 俺と一緒にいたいだと? ふざけるんじゃねぇぞ……。
はっきり言って迷惑なんだよ!それにな、俺の傍に居られるのは俺の家族だけだ!
俺の家族は、兄弟と、妻と、子供だけだ。お前のようなネコ風情が調子に乗るんじゃねえよ!」
私、迷惑……? 家族じゃないから? 奥さんでも、娘でも、ない、から?
だったら、ご主人の家族は……どこにいるの? 奥さんも、子供も、兄弟も、親も……もういないこと私知ってる。
独り……独りだよ? なのになんで、こんな『強がり』を言えるの?
それとも、これがご主人の……本音、なの?
「……ッ……わたし、ただ、ご主人の奥さんのように、なって……」
「黙れッ……お前はミナじゃねえ……。お前ごときがあいつの代わりに俺の傍にいられるなんて思ったら大間違いなんだよクソネコが。俺が大好きだった妻は、ミナだ! 断じてお前じゃねえんだよ!」
「……」
大切にされてるって、思ってた。私は、ご主人に愛されてるって、思ってた。
でも、本当は……愛されて、なかった? 恩返しをしにきた私達のこと、さっきは受け入れてくれたのに。私の胸で泣いてくれた、のに。
「さっきも言ったがよ、恩はもう返してもらったんだ。だからこれでもうお前を縛るものは一切なくなったはずだ。
……だからよ、帰れ。……帰る場所、あるだろ……」
ご主人を抱きしめたのは、恩を返したかったからだけじゃない。他にも、いっぱい想いがあったから。
帰る場所なんて、ない。あるとしたら、それは……。
「私の、帰る場所、は……ご主人、の……」
「うるさいッ……いいか、二度と来るな……。二度と……俺にまとわりつくんじゃねえ。
……お前はもう、俺には必要ないんだよ」
「……え……?」
必要、な……い?
「…………」
私、ご主人に……必要と、されて……ない……?
「ーーーーッ!」
「ヨミお姉ちゃんッ」
私は、その場に居られなくなって……逃げ出した。
何処へ行くでもなく、ただただ何処か遠くへ逃げ出したかった。
私には、ご主人の言葉が、耐えられなかった。
***********************
「私……必要、ない……。
……そ、っか……そう、だよ、ね……。
もう、他人、だもん……ね……」
私、家族じゃないから。私、ネコだから……。
嫌われていたことなんて、昔から分かっていたことだ。ずっとずっと、それで殴られていた。
なんでだろ、わかっていたことなのに。なのに……こんなにも心が苦しいなんて。
あの頃は、嫌われることも構わなかった。でも今は、たとえウソの言葉だったとしても……嫌われたくない。
「……おねえ、ちゃん……」
……タテハが、私の傍にまで来ていた。
詰所の裏で泣きながら佇んでいる惨めな私を、優しく見つめている。
「ずっと、会いたかった。ずっと、探してた。ずっとずっと、想ってた。
でも、この想いは……ご主人にとって、ただ迷惑だったのかな……」
涙が、止まらなかった。さっきご主人を抱きかかえた時に流した涙は、あんなに嬉しかったのに。
この涙は……苦しくて、辛くて……痛い。
「……さあ、どうだろうね……それは私にもわかんない」
タテハはそっと、私の隣に座ってくる。
寄り添うようにもたれかかって、そっとタテハは目を閉じる。
「……奴隷と主人の関係も、ない……恩も、返した……家族にも、なれない……。絆、もうなんにもない……。
ご主人との繋がり……もう、何も…ない……。また、ご主人が、独りに……なる……」
「お姉ちゃん……誰しも、人はみんな孤独から始まるんだと思うよ。
だから何もないのは当然。何もないところから絆を育んで、人は愛を知るんだと……私は思う」
「……」
「お姉ちゃんってホント、ご主人の言葉には弱いよね。
他の人には何を言われてもへっちゃらなのに」
「……」
「私はご主人の言うこと、もっともだと思うよ。
奴隷として育ててもらった恩はこれで返したんだし、もう貸し借りチャラじゃん。
だからお姉ちゃんがこれ以上ご主人に肩入れする必要ないわけ。ご主人との絆が切れようと、ご主人が独りになろうともう関係ないわけ。
家族になんかなる必要ないわけ。違う?」
恩は、返した。
もう肩入れする必要、ない。
絆が切れようと、独りになろうと……関係ない。
家族になる必要、ない。
そうなのかもしれない。ご主人もそれを望んでいる。
でも私は、それでも……。
「……」
「ほら、はっきり言いなよ。違うって」
「……タテハは、いじわる」
「あははは。まあいいじゃんこれぐらい。……知ってるよ、お姉ちゃんの想い」
「……」
タテハは私のことを知り過ぎてる。
私の扱い方も、私のたきつけ方も知ってる。
私の気持ち……誰よりも理解してる。きっと、私以上に。
「奥手でウブで処女で、『愛してる』の一言も伝えられないヨミお姉ちゃん。
……ホント、一途なんだから」
「……処女なのはタテハも同じ」
「私はいい人に巡り会えてないだけだからノーカン! ていうかなんで知ってるの!?」
「タテハが知ってるのと同じ理由」
「じゃあそれってただの勘じゃん! まったく、失礼しちゃうなーこう見えて百戦錬磨なのになー」
「……」
覚めた目でタテハを見つめる。タテハは顔を合わせない。わかりやすい。
私だってタテハのことは知ってる。誰よりも分かる。なめないでほしい。
「ま、まあ私のことはともかく。
……どうするの、お姉ちゃん。ここまで来て引き下がるつもりもないんでしょ?」
「……ん。でも、どうやってご主人に想いを伝えればいいのかわからない。
それに……ご主人にはもう想い人がいるの……」
「亡くなった奥さんでしょ? もうそろそろ乗り換えたっていい時期だと思うけどね」
「無理だよ……ご主人はずっと奥さんのことを大切に想ってる。それに、私もご主人の奥さんへの想い、忘れてほしくない……。乗り換えなんて……して欲しくない」
ご主人の奥さん。どんな人かは全く分からないけれど、素晴らしい人だったということはなんとなく分かる。
ご主人が愛した、女の人。羨ましくもあり、尊敬の対象でもある。
たとえもう亡くなっていたとしても……今でもご主人は変わらず愛してるんだ。代わりなんていないんだ。
私じゃあ、代わりになれないんだ……。
「お姉ちゃん……なんでそんな知らない女の人のことまで想えるの?」
「ご主人が愛していた女の人だから……ご主人の孤独を埋めてくれた人だから……。
それは、私にとっても大事な人なの……。憧れ、なの……」
「はぁぁぁぁぁぁ……」
タテハは私の言葉に対してあきれ返り、ものすごく深くて長いため息をついた。
「お姉ちゃんってばホント純粋過ぎ。もっと魔性の泥棒猫になってもいいのに。
それくらいの魅力あると思うけどなぁ。顔といい体つきといい、いかにも男好きにする感じでモテそうなのに」
タテハは私の体をなめまわすように見つめる。ちょっとオヤジくさくていやらしい。
「三つ子の姉妹なのに、なんでこんなに差があるのかな。不公平だよね……。
私がお姉ちゃんみたいにふくよかな胸を持ってたら男どもを誘惑しまくるんだけどなー」
「ご主人以外の男に好かれても困る……」
交互に自身と私の体を見比べている。
……タテハは昔から自分の体格にコンプレックスがあったのを知っている。
でもそれは私も同じ。私だって姉妹の中で一番背が低いことをずっと気にしてる。私ももっと身長が欲しい。
ルーメほどの長身は無理としても、せめてタテハより大きくならなければ姉としての威厳が保てない。
「……それでどうするの?」
「どうしよう……どうすれば、いいのかな……」
「うーん、どうすればいいのか具体的には私もわからない、けれどね。
お姉ちゃんは、ご主人のためとかご主人の都合とか……ご主人のことばっか考え過ぎだと思うんだよね。
……お姉ちゃんはね、もっとわがままになってもいいと思う」
「……え?」
「昔、言ったけどさ……お姉ちゃんはお姉ちゃんらしくやればいいんだよ。お姉ちゃんが思ったことをやってみればいいの。
とりあえず思いついたことをやってみればいいんだよ。今までのお姉ちゃんの行動に、間違ったものなんて一つもないんだから」
「タテ、ハ……」
「とりあえず今日は一旦家に帰って、しっかり寝る! そして明日、とにかくご主人に会うこと!
そこから先は全部お任せ。お姉ちゃんがやりたいようにやればいいんだよ。そうすれば、自ずと結果もついてくる。
お姉ちゃんが欲しい、正しき道が選べるはずだよ……今までそうだったように、ね」
「……うん。ありがと……タテハ」
「むふふふ……ひゃっ!」
寄りかかってくるタテハを、そっと抱きしめる。
タテハはすごくくすぐったい感じで悶えてるけど、構わずそのまま抱きしめ続ける。
「タテハは、ずっと私のこと支えてくれる。大切な妹……大好き」
「ちょ、ちょっと……それはご主人に対して言う言葉でしょ!? 私に言ってどうするの」
「それでも……言わせて、欲しい」
そのままさらに抱き寄せ、抱え込むようにタテハを包む。
タテハは少し抵抗したがすぐに観念し、私の背中にそっと手をまわしてくれた。
「……ん。私も、お姉ちゃんのこと、大好きだよ……。
だから、ちゃんと幸せになってね……」
「ん……」
「……あー、お姉ちゃんはホント、あったかいや……」
タテハは顔を胸にうずめてくる。
……昔からそうだった。タテハは姉妹の中でも特に寒がりで、病弱だった。
こうしてよく、温めてあげていた。それに、あまり顔には出さないけれど甘えん坊だ。
今も昔も、これからも……きっと変わらない。
大事な妹。ずっと助けてくれた頼りになる妹。
だから、ちゃんとタテハも……幸せになって、ね。
*********************
いつの間にか日が傾き、辺りを茜色に染め出す頃。
私とタテハは詰所の前へ戻ると、ルーメが心配そうに立っていた。
「あ、ヨミちゃん……大丈夫?」
「ん。もうなんとも、ない……心配かけて、ごめん」
「そう……よかった」
「ルメお姉ちゃんは何してたの?」
「その……ついさっきのご主人の物言いに、カッとなってしまって……。
ご主人を、思いっきり殴ってしまったわ……」
「あははは! まあいいんじゃない? ご主人てば殴られたくて仕方がないって感じだったし」
「……殴れないなんて言っておきながら、その……私、医者を目指す者として失格だわ」
「深く考えすぎだって! お医者さんだって感情のある人なんだからさ!」
「……」
ルーメが人を殴るところなんて想像できない。……よっぽど頭に来たんだ。
そういえば、タテハも昼間ヤソを殴っていた。二人とも、私のことをバカにされて怒ってくれた。
……私もそうなのかな。ルーメやタテハのことを誰かにバカにされたら、殴ってしまうほどに怒るのかな。
きっと、そうだ。二人がそうだったということは、私もそうなんだ。
奴隷の頃からずっと一緒だった、私の家族なんだ。誰にもバカにはさせない。
奴隷……家族……。
そうか……私は……奴隷だったんだ。だったら……私の想いを伝える方法、これしかない。
……待ってて、ご主人。今度こそ私は、必ずご主人に想いをぶつけてみせるから。
「ヨミちゃん、そろそろ……」
「ん……。タテハ……私とルーメは、そろそろ帰ろうと思う」
「うん。後の事は任せて……と言いたいところだけど、私も本部に戻らなきゃいけなくてさ。
ま、そもそもこっちに帰ってくること自体想定外だったんだけどね」
「タテハちゃん、もしかして……本部のお仕事すっぽかしてきたとか」
「大正解!」
「……タテハちゃん」
ルーメがタテハに何やらもの言いたげな目を向ける。
これは心配しているというより、少し怒っているときのルーメだ。
「お、怒んないでよぉ。それに仕事すっぽかしたのなら、ほら。ヨミお姉ちゃんもそうじゃん」
「……」
こっちにも飛び火が来た。余計なことを。
ついタテハを睨みつけてしまう。
「おっと? ヨミお姉ちゃんにそんな目で見られる筋合いはないと思うんだけどな?」
「……」
「それでタテハちゃん。この後のご主人は?」
「後の事はヤソに全部任せてあるから大丈夫。少なくとも悪いようにはしないはずだよ」
「……ん」
私からするとヤソはまだ完全に信用できるかと言われると怪しいところだが、タテハがそう言うのなら大丈夫だろう。
「じゃあね、お姉ちゃん達。私もう行くよ。
……ホントはね、最後まで付き合いたい。だけど……本当に残念なんだけれど、私に出来るのはここまで。
ごめんね」
「仕方がないわ。お仕事も大切だもの」
「そうだ、ね」
いつも勝気なタテハが、少し大人しくなる。
最後まで居られないことに負い目を感じているんだろうか。少しらしくないと感じた。
見ればタテハは、こちらをそっと伏し目がちに見ている。
そっと近寄ってきて、小さく口を開く。タテハらしくないほどか細い声で。
「あ、あのさ……えっと、ヨミお姉ちゃん」
「ん……なに?」
「私、ちゃんとお姉ちゃんの役に立てた、かな……?」
……役に、立てた?
そっか。タテハが気にしていたことは、それだったんだ。
最後まで付き合えない負い目もあるだろうけれど、タテハが一番気にしていたことはそれだったんだ。
「……タテハは、バカだね」
「な、なにおう!?」
「昔からタテハは頼りになる……今回だって、ご主人を見つけてきてくれた。
タテハ以上に頼れる人を……私は知らない」
「……あはは、なんか照れちゃう、ね。でも……なんだろ……すっごく嬉しいや」
タテハははにかんで、小さい声で、やった、と呟きながらこっそり拳を握りしめてガッツポーズを作っている。
褒められれば、嬉しい。それは誰だって当然なんだ。
私だって、きっとそう。……大切な人から褒められれば絶対嬉しいと思う。
「それじゃ、ね。……上手くやってね、ヨミお姉ちゃん。
ルメお姉ちゃん、ヨミお姉ちゃんをよろしくね」
「ええ。タテハちゃんも、しっかりね」
「うん」
タテハはくるっと背を向け、そして走って去っていく。
立派な妹。きっとこの先の時代を牽引することになるだろう、自慢の姉妹。
私とルーメは、夕日へ向けて走るタテハの姿が見えなくなるまで後姿を見送った。
つづく。




