風が、スカートを許さない
あの日から三日が経った。
体は相変わらず女のままで、戻る気配は微塵もない。会社には「療養中の親戚を名乗って一時的に手伝ってもらっている」という、我ながら苦しい説明で乗り切っていたが、いつまでも部屋着とスウェットで通すわけにもいかない。田中は仕方なく、休日に駅前のショッピングモールへ足を運んだ。
女性用の服を選ぶという経験自体が初めてで、店に入った瞬間から田中は完全に萎縮した。マネキンの服のサイズ感も、素材の名前も、何もかもが未知の領域だ。突っ立っているところに店員が声をかけてきて、なし崩し的に勧められるまま、無難なブラウスと、もう一着――「今の季節、動きやすくて楽ですよ」という言葉に押されるまま、プリーツスカートを買ってしまった。
その言葉を鵜呑みにしたことを、田中はこの日、心の底から後悔することになる。
昼休み、コンビニに向かう道すがら、ビル風が強い交差点に差し掛かった。高層ビルに挟まれたその一角は、普段から風の通り道になっていることを田中は知らなかった。
ふわり、と裾が浮く感覚がした。
(あ)
思う間もなく、突風がスカートの裾を大きく巻き上げる。田中は反射的に――いや、反射「以前」に、体が勝手に動いていた。両手が交差するように裾を押さえ、膝が内側に折れ、上体が丸まる。まるで何年もその動作を練習してきたかのような、淀みない防御姿勢だった。
(な……なんで、体が勝手に……!)
頭で「押さえなきゃ」と考えるより先に、体がその答えを知っていた。田中の意識はただ突然の風に驚いているだけなのに、体はとっくに「見られたら困る」という前提で動いている。膝を寄せ、腰をわずかに落とし、視線を集めそうな下半身の面積を最小限にする――教わったわけでもないのに、体が勝手にその"正解"を知っているという事実が、何より薄気味悪かった。
風が止み、裾が下りた後も、田中はしばらくその場で固まっていた。心臓がやけに速く打っている。周囲を見渡すと、幸い誰も気にしていないようだった――そう思ったのも束の間、少し先を歩いていたスーツ姿の男が、ちらりとこちらを振り返ったのが見えた。
(見られた……のか?)
確証はない。だが、確証がないことがかえって落ち着かない。羞恥のはずなのに、それを羞恥だと自分で認めるのが一番悔しい。中身は男だ。この程度で動揺するはずがない――そう思おうとすればするほど、頬の熱は引いていかなかった。
通りすがりのOLらしき二人組が、くすっと笑う声が聞こえた。
「わかるー、あるあるだよねー、あそこの角」
完全に「女の子あるある」として処理されている。田中は男なのに。中身は男のはずなのに。誰も疑いすらしていないという事実が、じわじわと効いてくる。
「……くそ、次からはズボンにしよう」
コンビニでの買い物もそこそこに、逃げるように会社へ戻りながら、田中は固く誓った。だが、翌朝クローゼットの前に立った田中は、なぜかまたプリーツスカートに手を伸ばしている自分に気づいて、愕然とした。
(いや、待て。今、なんで無意識にこっちを……)
深く考えるのが怖くて、田中はその違和感に蓋をした。この体が何を"選ぼう"としているのか、まだ向き合う準備ができていなかった。




