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第6章 伝説は本人より速く走る

 王都へ戻った俺を最初に迎えたのは、人間ではなかった。


 高さ六メートルほどの俺だった。


「……誰ですか、あれ」


 王都の城門前。


 青空の下に、巨大な木像が立っている。


 片手を天へ掲げ、もう片方の手で外套を翻し、魔王軍を睨みつける勇者の姿。


 足元には、こちらの世界の文字で大きく題名が刻まれていた。


 ――未来を捨てし虚無の勇者。


 俺はそんな決め台詞を言った覚えも、そのような立ち方をした覚えもない。


 そもそも木像の顔が、俺より三割ほど整っていた。


「トオルを模した像だ」


 隣を歩くガルドが言った。


「それは見れば分かります」


「なら、なぜ聞いた」


「現実として受け入れたくなかったからです」


 ガルドは灰色の毛並みを持つ獣人の斥候だった。


 灰牙族との契約が正式に結ばれた後、王国と部族の連絡役として俺たちの旅へ加わった。


 ヴァルガ族長と同じ狼系の獣人だが、体格は細く、足音がほとんどしない。


 口数も少ない。


 俺の発言を英雄的に深読みすることもない。


 その一点だけで、旅の仲間の中では最も信頼できた。


「顔は似ていない」


 ガルドが木像を見上げる。


「ですよね」


「実物のほうが弱そうだ」


「余計な部分まで正確です」


 王都へ戻る予定はなかった。


 魔王軍の補給拠点を脱出した後、俺たちは予定どおり城塞都市リュネアへ到着した。


 川が戻ったことで灰牙族の畑には水が流れ、王国から最初の食料も届いた。


 魔王軍の補給路は一時的に麻痺し、国境周辺の侵攻速度も落ちたらしい。


 俺としては、そのままリュネアの安全な部屋で目立たず過ごしたかった。


 しかし到着した翌朝、国王から緊急帰還命令が届いた。


 理由は、国民が勇者の凱旋を求めているから。


 戦況ではない。


 世論だった。


「勇者様だ!」


 城壁の上にいた兵士が俺たちを見つけた。


 鐘が鳴る。


 一つ。


 二つ。


 たちまち町中の鐘が鳴り始めた。


「虚無の勇者が帰還されたぞ!」


「魔王軍の千眼を破った英雄だ!」


「川を奪還した救国者!」


 城門が開く。


 その先には、通りを埋め尽くす人々がいた。


 青と白の旗。


 花びら。


 横断幕。


 勇者をたたえる歌まで聞こえる。


「聞いていた人数より多くありませんか」


 俺は後ずさった。


「王都の住民だけではないようです」


 セレナが群衆を見渡す。


「近隣の町や村からも集まっています」


「帰還日は秘密だったはずでは?」


「昨日、オラクル網で発表されました」


「なぜ秘密にしたんです」


「敵への対策です」


「民衆へ発表したら意味がないでしょう」


 城門の向こうから、白い祭服を着た若い女性が走ってきた。


 栗色の髪を肩のあたりで切り揃え、胸には透明な魔晶石をいくつも下げている。


「勇者様!」


 女性は俺の前で勢いよく頭を下げた。


「お帰りなさいませ! オラクル神殿記録官のエルナです!」


 この声には聞き覚えがある。


 俺の発言を勝手に編集し、王国全土へ流していた声だ。


「あなたがエルナさんですか」


「はい! 勇者様の御活躍を一人でも多くの民へ伝える役目を頂いております!」


「少し話があります」


「光栄です!」


「できれば人のいない場所で」


「単独取材ですね!」


「苦情です」


 エルナの笑顔が僅かに固まった。


 だが群衆は、俺たちの会話など聞いていない。


 城門をくぐった瞬間、歓声が体を叩いた。


「勇者トオル!」


「虚無の先導者!」


「空白こそ勝利!」


「思考を捨てろ!」


 最後の標語はかなり危険だと思う。


 通りの両側には、俺の姿を描いた看板が並んでいた。


 黒角獣へ鉄輪を落とす俺。


 濁流を操る俺。


 獣人族と握手する俺。


 千眼のバルダスを見下ろす俺。


 どれも事実を少しずつ加工している。


 少しずつどころではないものもある。


 中には俺が両手から黒い光を放ち、魔王軍を消滅させている絵まであった。


「俺、魔法を使っていますけど」


「民間の絵師による想像図です」


 エルナが説明する。


「想像で能力を追加しないでください」


「ですが、こちらの絵は大変人気で」


「人気なら事実でなくていいんですか」


 エルナは言葉に詰まった。


 横から花束が飛んでくる。


 セレナが受け止め、俺へ渡した。


「受け取ってください」


「投げつけられたように見えましたけど」


「興奮して距離を誤ったのでしょう」


 花束には、小さな紙が結ばれていた。


 ――兄を救ってくださり、ありがとうございました。


 裏面には、リュネア守備隊所属の兵士の名前がある。


 補給路が断たれたことで魔王軍の攻撃が遅れ、兄が生き残ったのだと書かれていた。


 俺は何も言えなくなった。


 木像や決め台詞は迷惑だ。


 だが、俺たちの行動で助かった人も確かにいる。


 それまで全て否定してしまえば、感謝を向けてくれた人を傷つける気がした。


「トオル様!」


 今度は通りの反対側から、十歳ほどの少年が声を上げた。


「僕も勇者になります!」


「ならなくていい!」


 俺は即座に答えた。


 周囲が静かになる。


 少年が目を丸くした。


「危ない場所へ行かないでください。戦う人が偉いわけではありません。家族を心配させないよう、安全に暮らしてください」


 言い終わると、少年の母親らしい女性が涙を流した。


「聞いたか」


 群衆の中で誰かが呟く。


「幼子にまで、自分と同じ道を歩ませまいと……」


「己だけで、全ての責任を背負うおつもりだ」


「なんという覚悟」


「違います!」


 歓声が再び膨らんだ。


 俺の訂正は、鐘と拍手にかき消された。


 ガルドが横で呟く。


「大声を出すだけ無駄だ」


「分かっています」


「なら黙れ」


「黙ると威厳だと思われます」


「面倒な人間だ」


「俺が悪いんですか?」


「半分は」


 残り半分が誰の責任なのか、ぜひ詳しく聞きたかった。


 王城までの道は、通常なら歩いて十五分ほどらしい。


 その日は二時間かかった。


 何度も呼び止められた。


 負傷兵に礼を言われた。


 商人から無償で品物を渡されそうになった。


 子どもを抱いてほしいと頼まれた。


 剣へ触れて祝福してほしいと兵士に頼まれたが、俺は剣を持っていない。


 代わりに鞘へ触れたところ、


「武器を抜かずに勝てという教えだ」


 と解釈された。


 もう何でもよかった。


 王城へ到着すると、歓迎式典が開かれた。


 大広間には貴族、軍人、神官、各地の代表者が集まっている。


 国王レオルドが玉座から立ち上がり、両手を広げた。


「我らが勇者、トオル殿!」


 拍手が響く。


「そなたの働きにより、魔王軍の補給線は寸断され、灰牙族との新たな友好が結ばれた。国境の民は希望を取り戻した!」


「実際に戦ったのは、セレナさんたちです」


「仲間の功績を決して忘れぬ謙虚さも、そなたの美徳である」


「ヴァルガ族長と灰牙族の協力がなければ、何もできませんでした」


「種族を越えた連携を示した!」


「監視塔が倒れたのは事故です」


「偶然すら味方につける知略!」


 駄目だ。


 国王は、俺の言葉を全て表彰文へ変換する能力を持っている。


 儀式の最後に、俺は新しい勲章を渡された。


 黒い円の中央に、何も彫られていない銀板。


 名称は「空白大勲章」。


 空白なのに情報量が多い。


「辞退します」


「名誉を欲せぬか」


「重いので」


「その重さこそ、民の感謝である」


 物理的な話だった。


 勲章を受け取ると、首が前へ引っ張られた。


 歓迎式典の後、俺たちは王城の会議室へ移動した。


 国王。


 ベルド宰相補佐。


 軍の将校たち。


 オラクル網の担当者。


 そして俺たち一行。


「まず、国境の状況について報告を」


 国王の言葉で、ようやく真面目な話が始まった。


 机上へ地図が広げられる。


 魔王軍は補給拠点を失い、一部の部隊を後退させている。


 だが完全に撤退したわけではない。


 北方では新しい部隊が集結中。


 魔王グラウゼルの本軍も、魔王領中央から南下しているらしい。


「敵は一時的に速度を落としただけです」


 セレナが説明する。


「我々は、この時間を防備の強化と住民避難に使うべきです」


「防備だけでは、いずれ押し切られる」


 軍将の一人が反論する。


「今こそ攻勢へ転じる機会だ」


「敵の兵力は把握できていません」


 ミレイユが言う。


「補給拠点一つの喪失を、魔王軍全体の弱体化と考えるのは危険です」


「だが、勇者殿は千眼のバルダスを破った」


「退けただけです」


 俺は訂正した。


「本人も生きています」


「予測術式の中枢を傷つけたと聞く」


「俺ではなく仲間が」


「勇者殿の導きによってだ」


 軍将は地図の北部を指す。


「魔王軍が混乱している今、国境を越え、敵の要塞を一気に落とすべきではないか」


「反対です」


 俺は即答した。


 全員の視線が集まる。


「補給拠点を失った敵が、本当に混乱しているとは限りません。こちらを誘い込むため、弱く見せている可能性があります」


 千眼のバルダスがそうだった。


 無人の拠点を見せ、俺たちを侵入させた。


 あの規模の敵が、一度の失敗で何も学ばないとは思えない。


「それに、敵地へ入れば退路が長くなります。食料は? 負傷者は? 避難している住民を誰が守るんですか」


 会議室が静かになる。


 セレナは頷いた。


 ミレイユは俺ではなく、ベルドを見ていた。


 ベルド宰相補佐は、表情を変えない。


「勇者殿の慎重さは理解できます」


 彼は穏やかな口調で言った。


「しかし、国民は勝利を求めております」


「国民が求めれば、危険な作戦を実行するんですか」


「戦争には、民意も必要です」


「民意は、正しい情報を知ったうえで作られていますか」


 ベルドの目が僅かに細くなった。


 俺はエルナを見る。


 彼女は会議室の隅で、記録用の魔晶石を抱えている。


「俺の言葉が編集されています」


「民へ分かりやすく伝えるためです」


 ベルドが答える。


「『危険な場所には近づかず、何かあればすぐ逃げてください』が、なぜ『民には安息を、我は危地へ赴く』になるんです」


「主旨は変わっておりません」


「変わっています」


「勇者殿は実際に危地へ赴かれた」


「行きたくて行ったわけではありません」


「結果として民を守った」


「俺が言っていない言葉を、俺の言葉として流す理由にはならないでしょう」


 エルナが両腕で魔晶石を抱きしめる。


「申し訳ありません」


 小さな声だった。


「エルナさんを責めたいわけではありません」


「ですが、編集したのは私です」


「誰の指示ですか」


 彼女はベルドを見る。


 ベルドは一切動じなかった。


「国王府広報局の方針です」


「勇者という存在は、戦時下の王国を一つにまとめる象徴です」


 ベルドが言う。


「事実を一から十まで並べれば、民は理解できません。複雑な事情を整理し、希望として届ける者が必要なのです」


「整理ではなく、作り変えています」


「では、民へ何を伝えるべきでしたか」


 ベルドの口調は穏やかなままだ。


「異界から来た勇者には魔力がなく、剣も使えず、毎回逃げようとしていると?」


 心臓が一度、大きく鳴った。


 会議室にいる何人かが、怪訝そうな顔をする。


 ベルドは知っている。


 少なくとも、疑っている。


「それで兵士が戦えるとお思いですか」


「嘘を信じて戦わせるよりはましです」


「敵は事実だけで攻めてくるわけではない」


 ベルドは地図上の魔王領を指す。


「魔王グラウゼルは恐怖の象徴です。兵士は、あの存在を前にすれば武器を落とす。ならば我々にも、それに対抗する象徴が必要だ」


「その象徴が偽物でも?」


「民を救うなら」


「偽物だと分かったときは?」


「分からせなければよい」


 室内の空気が冷えた。


 国王が眉をひそめる。


「ベルド」


「戦時の現実を申し上げております」


 ベルドは頭を下げる。


「勇者殿が本当に何者であろうと、すでに勝利をもたらしている。それが国にとっての真実です」


「俺にとっては違います」


「個人の真実と、国家の真実は時に一致しません」


 俺は言葉を失った。


 個人の真実。


 国家の真実。


 事実は一つのはずなのに、使う人間によって形を変える。


 俺の弱気な言葉が勇ましい名言になるように。


 偶然の結果が、完璧な作戦になるように。


「本日の会議内容は、公開しないでください」


 俺はエルナへ言った。


「記録はしていますが、配信はしていません」


「今後、俺の言葉を変えないでください」


「しかし、広報局の規則が」


「変えないでください」


 エルナは迷い、やがて小さく頷いた。


「分かりました」


「勇者殿」


 ベルドが口を挟む。


「情報の発信は国家の管轄です」


「俺の名前で話すなら、俺にも関係があります」


 自分でも驚くほど強い声が出た。


 ベルドは微笑んだ。


「承知しました。今後は可能な限り、勇者殿の意向を尊重しましょう」


 可能な限り。


 その言葉が信用できないことを、前世の会社員経験で知っていた。


 会議は結論を出さずに終わった。


 少なくとも、すぐに魔王領へ侵攻する案は保留となった。


 俺は少しだけ安心した。


 だが王城の廊下へ出ると、ミレイユが俺を呼び止めた。


「トオル」


「何ですか」


「ベルドは、あなたに魔力がないと知っています」


「やっぱり」


「王城での最初の測定記録が改ざんされていました」


「改ざん?」


「本来は『魔力反応なし、再検査が必要』と記録されていたものが、『測定上限を超えたため反応を取得できず』へ変更されています」


「誰が」


「記録へアクセスできるのは、神殿上層部と国王府です」


「ベルドですか」


「証拠はありません」


 ミレイユは廊下の向こうを確認し、声を落とした。


「能力鑑定晶についても調べました」


 俺は足を止める。


「召喚前から、内部に亀裂がありました」


「やっぱり壊れていたんですか」


「交換記録がありません。管理担当者は、儀式前日に亀裂を見つけていた可能性があります」


 最初の神殿で、不自然に汗を流していた小太りの神官を思い出す。


「壊した責任を恐れて黙っていた?」


「おそらく」


「では、俺が触れたから割れたわけではない」


「触れたことが最後のきっかけにはなりました。ですが、能力とは無関係です」


 最初から。


 何もなかった。


 分かっていたはずなのに、明確な証拠を示されると胸の内が揺れた。


 鑑定晶は壊れていた。


 魔力測定は書き換えられた。


 俺の活躍は編集された。


 勇者という存在は、最初から事実の上に立っていない。


「全部、嘘だったんですね」


「全てではありません」


 ミレイユがすぐに否定する。


「魔物が倒れたこと。待ち伏せを見抜いたこと。灰牙族との衝突を止めたこと。川を戻したこと。全員を生還させたこと。それは事実です」


「やったのは皆です」


「あなたもいました」


「俺がいなくても」


「同じ結果になったとは限りません」


「でも、勇者ではない」


 ミレイユは黙った。


 否定しなかった。


 そのほうがありがたかった。


「皆に話すべきでしょうか」


「あなたは、どうしたいのです」


「分かりません」


「では、分からないまま話すべきではありません」


「でも、俺の名前で人が動いている」


 ミレイユが以前言った言葉だ。


 力がないことと、影響がないことは別。


「正体を話せば、軍が混乱するかもしれません」


「話さなければ、嘘を信じて戦う人が増えます」


「はい」


「どちらを選んでも危険ですね」


「だから、あなたが決める必要があります」


 また責任が戻ってきた。


 俺は廊下の窓から外を見る。


 王城前の広場には、まだ大勢の人が残っている。


 勇者の旗。


 木剣を持った子ども。


 歌を歌う若者。


 俺の名前が書かれた青い布。


「明日、話します」


 俺は言った。


「皆の前で?」


「まず、仲間に」


「分かりました」


「その後、国王にも。オラクル網で訂正できるなら、それも」


 言葉にするだけで胃が痛くなる。


 セレナは失望するだろうか。


 ガルドは見限るだろうか。


 兵士たちは怒るだろうか。


 民衆は、騙されたと思うだろう。


 実際、騙していた。


 俺が積極的に嘘をついたわけではない。


 訂正しようとはした。


 だが、最後まで本気で止めなかった。


 勇者として扱われれば、衣食住が保証された。


 護衛もついた。


 危険ではあったが、立場を失うのも怖かった。


「明日の朝、全員を集めてください」


「はい」


 決めた瞬間、少しだけ胸が軽くなった。


 怖い。


 それでも、話さなければならない。


 俺はその夜、王城の客室へ戻った。


 机の上には、各地から届いた手紙が積み上がっていた。


 怪我から回復した兵士。


 避難できた村人。


 灰牙族と交易を始めたい商人。


 俺を目標に騎士を目指す子ども。


 全て読むことはできない。


 その中に、一通だけ、封のされていない薄い紙があった。


 ――勇者様の言葉を信じ、志願します。


 署名は、王都に住む十八歳の青年。


 家族へ残した手紙の写しらしい。


 勇者が魔王軍を追い詰めた。


 今こそ自分も戦うべきだ。


 勇者と同じ戦場に立てるなら、死も恐れない。


「死を恐れてください」


 紙に向かって呟く。


 死は怖い。


 怖くていい。


 俺は一度死んだ。


 二度目は絶対に嫌だ。


 誰かの名声を信じて、恐怖を捨てる必要などない。


 俺は手紙を持ったまま、部屋を出た。


 青年を探そうと思った。


 志願兵の受付場所を聞き、直接止める。


 少なくとも、自分の名前を理由にした人だけでも。


 廊下の角を曲がると、セレナが走ってきた。


 普段の彼女からは想像できないほど、顔色が変わっている。


「勇者様」


「どうしました」


「軍が動きました」


「何の軍です」


「北方遠征軍です」


 頭の中で、会議の地図が開く。


「侵攻は保留になったはずでは?」


「正式な王命ではありません」


「では誰が」


「国境の諸侯と、義勇兵を中心とした連合軍です。オラクル網で流れた勇者様の勝利を受け、独自に出陣を決めました」


「止めてください」


「すでに王都北門を出ています」


「何人ですか」


 セレナが一瞬、答えるのをためらった。


「第一陣だけで、八千」


 息が止まった。


「第二陣、第三陣も各地で編成中です」


「何の許可で」


「勇者様の名のもとに」


「俺は許可していません!」


「分かっています」


「では、なぜ」


「オラクル網に、今朝新しい映像が流れました」


 エルナが約束を破ったのか。


「内容は?」


 セレナは答えず、携帯用の魔晶石を取り出した。


 空中に映像が浮かぶ。


 今日の会議室。


 軍将が攻勢を提案した場面。


 そして俺が発言する場面。


『補給拠点を失った敵が、本当に混乱しているとは限りません』


 そこまでは正しい。


 映像が飛ぶ。


『敵地へ入れば、退路が長くなります』


 さらに飛ぶ。


『食料は。負傷者は。避難している住民を誰が守るのですか』


 俺の発言の前後が切られ、低い音楽が重なる。


 画面に文字が浮かぶ。


 ――勇者は、すでに魔王領侵攻後の統治と民の保護まで見据えている。


「違う」


 映像の中で、軍将が俺へ尋ねる。


『今こそ攻勢へ転じる機会ではないか』


 次に映ったのは、別の場面で俺が言った一言だった。


『俺がやったことにできませんか』


 灰牙族への報復を避けるため、補給拠点破壊の責任を引き受けたときの言葉。


 映像では、侵攻軍を率いる意思表示のようにつながれている。


「違う!」


 最後に、木像の前で群衆へ囲まれた俺の映像。


 少年へ向かって言った言葉。


『戦う人が偉いわけではありません』


 そこで切れる。


 続きの「安全に暮らしてください」は消えていた。


 代わりに別の言葉が重ねられる。


『俺の名前で人が動いている』


 ミレイユとの私的な会話。


 誰が記録した。


 映像の中で、俺の声が一つの演説へ作り変えられていく。


『敵地へ入れば、退路は長くなる』


『食料は。負傷者は。民を誰が守る』


『俺がやったことにできないか』


『俺の名前で、人が動いている』


 最後に、存在しない言葉が字幕として表示された。


 ――ならば、進め。全ての責任は、虚無の勇者が背負う。


「言ってない」


 声が震えた。


「俺は、何も言ってない」


 映像は歓声とともに終わった。


 発信元には、王国広報局の紋章。


 監修者の欄には、ベルド・ラウゼン。


 遠征軍は、この映像を見て出発した。


 俺の名前を旗へ掲げて。


 俺の存在を勝利の保証だと信じて。


 手紙を持つ指に力が入る。


 紙が小さく破れた。


「今すぐ止めます」


 俺は歩き出した。


「北門へ?」


「追いつける場所まで」


「馬を用意します」


「オラクル網も使ってください」


 セレナが足を止める。


「何を伝えますか」


「全部です」


 声にした瞬間、怖くなった。


 能力がないこと。


 強くないこと。


 勝利の多くが偶然と仲間の力だったこと。


 俺を信じて進めば勝てるという保証など、どこにもないこと。


「俺は勇者ではないと伝えます」


 セレナの青い目が揺れた。


 それを見て、胸が痛んだ。


 だが止まれなかった。


「今度こそ、誰にも編集させません」


 王都の北では、八千人の兵士と義勇兵が、魔王領へ向けて進軍している。


 俺の名前が書かれた旗を掲げながら。


 その中には、俺が顔も知らない十八歳の青年もいるかもしれない。


 俺が真実を言えずに逃げ続けたせいで。


 伝説は、本人より速く走る。


 そして俺が追いついたときには、すでに大勢の命を乗せ、止まれない場所まで進んでいた。


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