6.ジュビルアーツの森から 3
「モモ、いい加減に寝ねぇか!」
「いやだ。こいつが孵るところを見るんだ。絶対!」
モモは両手に包んだものに頬ずりをして言った。それは砂色の地に、そばかすのような濃い茶色の点々が浮かぶ丸いもの――卵である。モモの小さな手にかなり余るそれは、慎重に鳥の巣に見立てた丸い容器(手づくり)に戻され、モモはその上に覆い被さって蓋をした。母鳥の感覚である。アフェルは呆れて溜息をついた。
「今日で何日目だよ、全く頑固なガキだぜ」
一体誰に似たんだ……アフェルはぶつぶつと零しながら豊かな髪をかき上げた。
「そんな床に寝っころがっていたら風邪ひくぞ! せめて寝台でやれ」
「寝台だったら本気で寝そうなんだもん! それにもうすぐ孵るって、ユーガが言ってたし」
それは数日前の仕事で、崖の上に逃げた麻薬ブローカーを追いつめた時に偶然見つけたものだった。無論悪人はアフェルにとっつかまり、公安局に突き出されたが彼の知らないうちにモモはその卵を持ち帰ってしまったのだ。
ユーガによると、その卵は暖めなくてもいい性質のものらしいが、種類までは分からないということだった。親は見当たらず、生み捨てる動物のものらしい。だが、モモはそれ以来、ずっと肌身離さず卵を観察し続けているのだ。
「寝そうって、寝たっていい時間だ。もう真夜中過ぎじゃないか、寝ろ」
「寝たら卵潰してしまいそうで嫌だ。それにアフェルは私を寝付かせて自分はさっさと遊びに行きたいだけだろ? キレイなお姉さんのところへさ! いいじゃん、とっとと行ってくればいい! 俺はもうガキじゃねぇしな!」
「充分ガキだろ?」
まだ生まれてたったの二年だ。ガキどころか赤ん坊だ。
それも、子どもの姿で、でっかい果物を食い破って出てくるような、珍妙な生まれ方しやがって。俺はあれ以上のびっくり体験、未だかつてしたこたねんだ。
アフェルは翠青の瞳を雄弁に語らせて、卵を抱きしめているモモを見下ろした。
「クソガキ」
「ガキじゃねぇ! モモだ!」
「……」
二年前、ジュビルアーツの森の奥で奇跡のように生まれてきた子どもを抱き上げた時、初めて彼女が口にした言葉をアフェルは娘の名とした。
それは回らぬ舌でもぐもぐ発音されたただの音のようだったが、アフェルはその音がなぜか気に入ってしまったのだ。
それがモモ。
子どもは大体十歳くらいの少女の体つきだったが、当然のように記憶はなく、生まれて初めて目にしたアフェルをどうやら親と思い込んだらしく、片時も離れようとはしなかった。
子育てなど微塵も興味がなかったアフェルだが、モモを引き取る条件で付いてこさせた銀色の獣、ユーガが意外にまめまめしい性格(?)で、よくモモの世話をした。熱いスープを飲ませようとするアフェルに、冷まして匙で与えろと助言したのも彼である。どのくらい生きてきたのか分からない神獣だが、意外に人間の事情に詳しいらしい。モモもまたそんなユーリによくなついた。
それから二年――
モモはどんどん成長し、言葉を覚え、日常生活を送れるようになった。中身はともかく見かけは普通になっている。ユーリの説明ではジュビルアーツの森の聖果、ピーチュランの時空を超えた根がどこの世界からかモモを吸い込んだらしいのが、だいたい九年前だと言うから、モモはほぼ七年間は果実の中で成長してきたことになる。この世界に生まれ出て二年、つまり生活年齢はたったの二歳なのだ。
無論、アフェルにもユーガにもモモの元いた世界の事など分からない。モモだって何も覚えていない。すべてはピーチュランの意志なのだった。
「あ! ねぇ見てアフェル! 殻にひびが入りかけてるよ!」
「あ~、そうかい」
全く興味がなさそうにアフェルは後の長椅子にふんぞり返っている。結局キレイどころの元へ出かけるのは止めにしたようである。モモはユーガの傍で寝そべりながら、お手製の卵の巣を見つめている。ひびはゆっくり進行し、藍色の嘴のようなものが見え始めた。
「アフェル! ほら! ほら! 孵るよ! 何が出てくるんだろう?」
モモはもう夢中で身を乗り出していた。
「……」
アフェルは見ている。卵を、そしてモモを。
二年前、同じようにしてモモも生まれてきた。ピーチュランの果実を破り、にゅっと伸びた細い腕。全身蜜液塗れの白い体が割れた果肉からぶしゅっと現れたと思うと、焦点の定まらない黒い目がアフェルを捉えたのだ。
ああ、あの時……
(何を考えている?)
ユーガの心話が流れ込んでくる。
「出た! 生まれた!」
モモの叫びにアフェルは我に返った。どうやら何かが無事生まれたようだ。
「ユーガ、これは何? ヘビ? トリ? ねぇ見てよ!」
モモの手のひらに真っ黒なトカゲのようなものが乗っていた。濡れた鱗だか羽毛だかに覆われた小さな塊。だが、そいつは小さくても鋭い爪と嘴を持っていた。
「うわっ! なんだそれ、気持ちわりぃな!」
「そんなことないよ! 可愛いじゃんか!」
(翼竜の一種だな、希少種だ)
「ヨクリュウ?」
「翼竜だろ? トカゲに羽が生えたようなもんだろ」
「そうなの? で、キショウシュって何?」
(珍しいってことだ。育たないかもしれん)
「育てるよ! 俺、ちゃんと世話する。こいつ何食べるの?」
(詳しくは知らんが間違いなく肉食だな。小さいうちは幼虫とか喰わせておけばよい)
「よーちゅーか」
モモはもっともらしく頷いたがアフェルは頭を抱える。
「うわ、おれソレダメ。頼むから俺の前では餌付けしてくれんなよ」
「あー」
小さな翼竜はルリイと名付けられ、それ以来モモを親だと思って後を付きまとうようになた。所謂インプリンティングと言うヤツである。
翼竜ルリイとモモはそれからもすくすくと成長した。
ルリイの方は生きている限り成長する種のようで、孵って五年後の今では両翼を広げると、モモの両手の幅より大きくなっている。
そして、モモは――
「おい! お前そんな短けぇ服着るんじゃねぇ! みっともない足が丸見えじゃねぇか!」
アフェルはねぐらにしている古い城跡から飛び出してきたモモを見て、即座に言い放った。
「なんだよ! アフェルうるさい! どんな服着ようと俺の勝手だろ? 要は獲物を仕留めさえすりゃいいんだ!」
「うるせぇ! 毒持ってる獣だっていんだよ! 腹に毒かかえてる男どももな! いいから、全身を包む防具に着替えてこい! でないと……」
アフェルの翠の目が剣呑な色を帯びた。
「……なんだよ?」
「連れて行かない」
「!」
アフェルがそんな風に言う時、モモに抗う術はない。この世界に生まれてからたった七年、未だ子どものままの心でも体はすっかり大人なのだ。
ルリイと違って、モモの成長は最近になって止まった。モモが望んだアフェルのような上背も、体重も、力もないままに。
程よく盛り上がった胸と、しなやかながらも小さく肢体、細い手足。
それが今のモモの姿だ。
「リリイと留守番するんだな」
「嫌だ! アフェルと行く! 戦う!」
モモは子どものように(子どもなのだが)喚いた。アフェルは動じない。
「……ならどうするんだ?」
「……着替える」
「五分しか待たねぇ」
「バカ! ケチ!」
ドタバタとモモはホールに引き返していく。その背にアフェルは怒鳴った。
「黒皮の厚いヤツにすんだぞ!」
ガア!
翼竜が一声鳴いて、一気に空に舞い上がった。窓の外からモモを応援しようと言うのだろう。
「ったくもう」
(過保護はタメにならんぞ)
ユーガが銀色の毛並を輝かせながら前に出た。
「んなこた、わーってるよ。お前だってモモには甘いじゃねぇか!」
(我は育ての親だからな)
神獣がふんと鼻を鳴らした。
「ちっ!」
わかってるんだよ!
アフェルは振り向いてモモの部屋のあたりを見上げる。ルリイが大きな羽を広げて旋回していた。
姿は娘でも、心はまだ七歳の子ども。それがモモである。
だが、彼女の目は一心にアフェルを見ている。あのジュビルアーツの森で生まれ出たその瞬間から。
置いて行かれまいとするよかのうに必死でアフェルの後を追い、同じものを食べ、同じ寝台で眠った。何とか生活ができるようになると、今度はアフェルと同じ武器や防具を身に付けたがり、一緒に戦いたいと望むようになった。
最初は遊びのつもりで教えていたアフェルだったが、元々素養があったのかモモは体が成長するとともにどんどん腕を上げ、膂力こそないものの、スピードとバネと反射能力は、時にアフェルをも驚かせるようになった。特にビームガンの腕前は素晴らしく、射手として立派にアフェルのアシストになりつつある。
アフェルは知っている。小さな子どものモモが、SSSハンターであるアフェルに見捨てられまいと必死の努力を積み上げてきたことを。
ユーガの助けがあったとはいえ、親のない子どもが何もしないで生きて行けるほど辺境は甘くない。アフェルはモモに生き抜く術を教えた。
自分に扱える武器を取り、彼の態度を、喋り方を、髪型をまねて必死に親鳥に追いつこうとする雛っこ。
それがジュビルアーツとピーチュランの申し子、モモなのだ。
「アフェル! 待たせた!」
階段を二段ぬかしで駆け下りたモモは、期待に満ちた目でアフェルを見上げた。銀の鋲で補強された皮の防具は全身をすっきりと包み、短めのマントが上半身を守っている。幅広のベルトに覆われた、くびれた部分だけが彼女を娘であると示していた。
「これで文句はねぇだろ!」
「ねぇな。行くぞ!」
「今度の仕事は人間相手か?」
「ああ、小さい集落から娘っ子を攫って行く不細工なおっさん達だそうだ。このアフェル様にうってつけの依頼だぁね」
「ちぇっ! 女の子を助け出す正義の味方にでもなるつもりかよ!?」
「むーろん、無論。さぁ! 善は急げだ!」
「あいよっ!」
身長の半分はあるビームガンを担いでモモが飛び出す。その脇をユーガが固め、頭上にルリイが舞った。
この娘の過去や素性は何もわからない。だが、辺境はそんな者たちを分け隔てなく受け入れ、役割を与える。それはアフェルにも言える事だった。
「さぁ仕事だ、仕事!」
ガア!
ルリイが鳴く。
そして二人と二匹は、乾いた空の下に今日の命を預けたのだった。
そして今に至る。