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9/13

馬背

本作はカクヨムにて総PV30万回、★2,000超えを記録した戦記のマルチ投稿作品です。

※カクヨム側の公開スケジュール(月水金更新)と歩調を合わせ、本作も【全45話・11月中旬の完全完結】に向けて、予約投稿にて一歩ずつ大切に配信してまいります。どうぞ安心してお楽しみください。

(本文のブラッシュアップにAIを一部利用して格調高く仕上げております)





瀬田唐橋………宇治橋、山崎橋と共に日本三古橋の1つにして、【唐橋を制する者は天下を制する】と言われた要衝。



さらに急がば回れのことわざにもなったその瀬田唐橋が、今、焼き落とされようとしていた………。



山岡景隆の部下が、油を染み込ませた藁を板橋に丁寧に敷き詰めていく。



敷き終わると火縄を長くしたものを導火線代わりにし、橋の端にある藁に巻き付ける。



携帯用種火の火入れから、導火線代わりの火縄に着火する。




ジュ……ジリジリ………




赤く日の粉を飛ばしながら、火が火縄を這って行く。



瀬田城門の前、信長一行の後ろから、俺はその様子を固唾を飲んで見ていた。



そして………




ゴゴゴ…………ドガーーーン!!




その瞬間、焼けたというより何かが爆発したような熱風を感じ、俺は思わず顔を背けた。




バキッ、メキメキ………ドッシャーー!




橋としてのバランスを失って、残った橋の板や木製の橋桁が一気に崩落する。



後に残ったのは黒い煙と焼け焦げた橋桁の一部だけだった。




「よし、参るぞ!」




そういうと信長は自ら口輪を取ると芦毛の馬にまたがった。



山岡景隆が用意出来た馬の数は百頭ほど。



信長と信忠、それに一門衆や同朋衆に母衣衆が優先だったが、信長に気に入られたのか、俺にも特別に1頭割り振られた。



もちろん馬を操れない俺に代わって、左馬助が前乗りをする。



瀬田城から安土までは30キロほど。



徒歩だと俺の足では一日かかってもたどり着けない………いやそれどころかほぼ確実に途中で行き倒れになっていたので、正直飛び上がりたいほど嬉しかった。



足が痛くて飛び上がるなど出来ないが………。



本能寺を200名で出た信長一行ではあったが、信忠と合流し、山岡景隆の一族郎党を加えてその数は1000人ほどになっていた。



とはいえ明智光秀の軍勢は一万数千……逃げる他はない。



梅雨の中休みか、今日もいまのところは晴れ間がのぞいている。



日はそろそろ中天を過ぎる頃か………。



だが、流れる雲が幾分早いのが気にかかる。



馬の足でも安土までは2時間はかかるだろう、まして2人乗りだ……3時間………いや4時間は見なければ。



俺に充てがわれた馬は黒鹿毛のひときわ丈夫そうな馬だ。



まず、左馬助が前に乗り、俺がその後ろに乗り左馬助にしがみついて密着する。




「ほな、行くでよぉー」




左馬助が合図と共に手綱を軽く引いて馬を走らせる。



発進の衝撃で鞍が揺れたが、尻繁と胸縣がしっかりしているおかげで鞍がずれる事はなかった。



後ろからは近習や山岡景隆の家来衆、その奥方や女中、子供まで歩いて安土に向かう事になる。



俺は心を痛めながら胸中で叫んだ。




俺は足が痛いんだよ!!




馬は東海道を土埃を立てながら、北東に向かう。



現代ならなんて事はない道でも、この時代の東海道は小刻みなアップダウンがあり、そのたびに宙にある俺の足が大きく揺らされバランスを崩しそうになる。



前乗りの左馬助は鐙がある分そこは楽だろうが、路面が泥濘んでいるところもあり、そこを踏むたびに馬が止まりそうになるからどちらが楽かは一概には言えない。



左馬助は馬と乗り手双方に過度の疲労をかけないよう機敏に手綱を操作している。



なんといっても二人乗りだ。



細かいアップダウンの登りで踏ん張り、下りで前に体重がかかるということが繰り返されると、前後への揺れで乗り手は相当振り回される。



瀬田を出て小一時間、いい加減揺れで気分が悪くなって来た頃、ようやく馬上から琵琶湖の湖面を望む事が出来た。




「そろそろ草津だわぁー」




前の左馬助が叫ぶ。



言われて前を見れば、街道沿いに町家や民家、商家や問屋等がまばらに立ち並んでいるのが目に入った。




「これが草津………」




草津と言えば関所があり、宿場町が軒を競い多くの旅人が行き交うイメージだ………が、よく考えればそのイメージは五街道と宿駅制度が整備された江戸時代のものだった。



馬は乾いた埃を舞い上げながら草津の宿場を貫通する東海道をひた走る。



戸を半分閉めた店が多く人の姿もまばらに見える。



洗い物をしていた人が手を止めてこっちを見るが、その顔は青く暗い。



馬はあっという間に草津を抜けて先へと進む。



この先は野洲、そして安土。



草津から先は東海道ではなく、中山道となる。



日はすでに高く昇り、初夏の湿った熱気が街道に立ち込めている。



鞍越しにも馬の火照った体温が伝わる。



二人乗りの馬が行くのを奇異な光景と見咎めた村人が、農作業の手を止めて呆然と見送る。



中山道を吹く風は少し湿り気を帯び、野洲の手前辺りから雨が小降りに降り始めた。



泥濘と化す土道………俺は遂に耐えきれなくなり左馬助の小袖の襟を後ろから掴んだ。




「なにがや?」




左馬助が馬を止めたと当時に、俺は落ちる様に鞍から降りて、近くの草叢に嘔吐した。




一度では収まらず、二度三度と嘔吐する。




「なんや?悪いもんでも食うたがや?」




馬上からの心配そうな左馬助の声が聞こえる。



俺はもう一度嘔吐してから、馬の鞍にまたがった。




「なんやおまん、顔色真っ青だに、大事ないがかえ?」




「………案ずるな、乗り物酔いだ」




俺は酸っぱくなった口でそう返した。



乗り物酔いが伝わるとは思えないが、案ずるな…は伝わったと見え、左馬助はまた馬を走らせた。




「ここから先は、また泥濘むだに、気ぃつけるでよぉー」




左馬助の声が響く。



小雨だった雨はいつしか本降りへとかわっていた。



時々馬が足を滑らせかけるのが心臓に悪い。



俺は左馬助の腰に必死にしがみついて耐えるしかなかった。



少し走って大篠原を過ぎると中山道の鏡の宿に入る。



ここは確か義経が元服したとされる地で、義経元服の池やら義経宿泊の館跡とかがあった事は知っていたが、こんなにも泥濘んだ地面だとは知らなかった。



馬の背の上下に合わせて胃が跳ね上げられる感じがする。



雨によって左馬助の腰を掴む手が滑りそうになるのが恐ろしい。



こんな悪路では左馬助の腰を放した途端に落馬は免れない。



鏡の宿も草津の宿と同様、人の姿はあまり見られない。



急な雨ということもあるのかも知れないが………。



泥を跳ね飛ばしながら鏡の宿を出て少し行くと小さな集落が見えて来た。



近くには鎮守の森も見え隠れしている。




「もう武佐だに、そろそろ見えて来ようがやー!」




左馬助が叫ぶ。



何が?と聞き返す俺に黙って、左馬助は手綱を振って馬首を北に変える。



街道から外れた馬は泥濘をかけ分けるように喘ぎながら前へと進む。



あれだけ降っていた雨がポツリポツリと小降りに変わり、いつしか止んだ。




「見えたでよぉー!!」




左馬助が大声で叫ぶ。



雨が止み、少し霧がかった山容が向こう側に現れる。



近づくにつれてその霧が少しづつ晴れて行き、山容はっきりと見えてくる。



雨は完全に上がり、代わって夕陽が茜色を降り注ぐ。



その茜色に輝くのは………黄金の天守!



その下の朱塗りの八角堂や辺りを睥睨へいげいする入母屋破風と千鳥破風、白壁と黒漆の塗られた板壁のコントラストが実に美しい!



俺は魂を奪われたように安土城に見入っていた。




「見事なもんやろ、あれが上様の御城がや!」




左馬助はさも自分の城であるかのように自慢げにそういうと、




「もうひと踏ん張りだわ!」




馬の腹を蹴って加速させる。



この安土城、今度は絶対炎上させるものか!



そう俺は心に誓ったのだった。



◆◇◆


当時野洲から先は泥濘が広がっており、参考と致しました。








よろしくお願いします!

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