新生
本作はカクヨムにて総PV30万回、★2,000超えを記録した戦記のマルチ投稿作品です。
※カクヨム側の公開スケジュール(月水金更新)と歩調を合わせ、本作も【全45話・11月中旬の完全完結】に向けて、予約投稿にて一歩ずつ大切に配信してまいります。どうぞ安心してお楽しみください。
(本文のブラッシュアップにAIを一部利用して格調高く仕上げております)
いつの間にか風は止み、東の空が藍色に染まりつつあった。
時間は止まる事を知らず、日は薄っすらと明けつつある。
真っ黒だった目の前の山が原色を取り戻そうとしていた。
逢坂山………確か標高は300メートル少しだったはず。
山頂は東海道の北側にあり、東海道自体は逢坂山南の鞍部を通っているが、それでもかなり過酷な道だ。
追分から少し歩くと、急な登りに差し掛かる。
いよいよ逢坂山か…。
日ノ岡峠と同じように道は泥濘み、足跡や轍の跡がそこら中にある。
すぐに心が折れそうになるが、なんとかそれを繋ぎ止める。
途中、ちょうどいい長さに折れた枝を見つけ、それを杖代わりにして、文字通り泥だらけになってその山を登っていく。
額からの汗がこぼれ落ちるたびに手の泥が滲む。
両手に持っていた大根は辛くてとても食べれた代物では無かったのでとっとと捨ててしまっていた。
京都の伝統野菜で辛味大根というのを聞いた事があるが、昔の大根はそういう感じだったのかも知れない。
さっきの日ノ岡峠も過酷だったが、逢坂山の方がより過酷だ。
なんといっても逢坂山は奈良時代から関所が置かれた要衝の地なのだ。
大地を踏みしめる足が痛く、杖を持つ手も痛く、草鞋の鼻緒の靴擦れは発狂しそうなほどに痛い!
しかし、手足を休める訳には行かない。
明智軍はすでに本能寺と妙覚寺がもぬけの殻だということに気づいたはずだ。
いつ追手が現れても不思議では無かった。
最も、日ノ岡峠にしろこの逢坂山にしろ、馬で登るのも難しいだろうが………。
はぁ………
ふう………
左馬助の助けも借りて、なんとか1時間ほどかかってようやく登りきり、開けた場所に出た。
………大谷の集落だ。
ここで近習の多くが予足………予備の草履に履き替えていた。
左馬助も履き変える。
俺の草履は信長用の特別製なのか、もう少し持ちそうだ。
最も鼻緒擦れの痛みのせいで、もう二度と履こうとは思わないが………。
集落の中ほどに、平安時代に創建された関蝉丸神社がある。
それと逢坂山の関所。
だが、確かこの時代はその役目をもう終えていたはずだ。
一行はまだまだ先へと進み、止まる気配を見せない。
………仕方ない。
逢坂山の関所跡を抜け、谷の道を今度は北側へ。
そのまま真っ直ぐ坂を下り、関蝉丸神社下社を過ぎる。
ここを下ればようやく目標としていた膳所……大津だ。
信長はそこでやっと小休止を命じると、北に向けて物見を放った。
大津から北へ10キロも行かぬうちに光秀の坂本城がある。
それを警戒しての事だろう。
「何とかここまでたどり着き申したがや」
そう言って左馬助は地面に座り込む。
俺も、もう一歩も歩けないーと思いながら地面に倒れ込んだ。
この場所からではまだ琵琶湖の湖面を望む事は出来ない。
その時信長の元に駆け込んで来た男がいた。
「ご注進申し上げまする。秋田城介様御一行、日ノ岡峠を越え、ただいま逢坂山に向かっておりまする!」
「うむ、相分かった平左衛門。して明智十兵衛が動静、知れ申したか?」
「はっ、明智の徒、妙覚寺と本能寺を囲みし後、もぬけの殻と知るや急ぎ粟田口に向かった由!」
「危ういの………」
信長が言葉を漏らす。
この人が福富平左衛門………。
全身泥だらけの俺とほとんど見た目は変わらないが、秀吉の書状に名前が上がった信長の赤母衣衆か………。
「重ねて言上仕る!秋田城介様には上様の御身大事に遊ばされ、急ぎ膳所から瀬田へ向かわれるようにとのご忠言承って御座りまする!」
信長は頷くと、福富平左衛門にしばし休めと命じてから近習衆に出立を告げる。
まだ歩くのか?歩かないとだめなのか?
俺は途方に暮れながらも立ち上がろうとしたが、運動不足の体の節々が固まって立ち上がるのもやっとだ。
ここから瀬田までは確か7〜8キロはある。
今までに比べれば平らな道なのでまだ楽だが………。
「虎松!瀬田城主、山岡美作に先触れに参れ!」
「はっ」
近習が走り出ていく。
虎松ということは今のが恐らく高橋虎松か………。
「瀬田まで着けばひと休みだわぁ〜」
立ち上がった左馬助が呟く。
東の空から太陽が眩しく顔を出す。
俺はため息をつきながら思った。
史実なら、今日のうちに信長は死ぬ。
だが、今はもう大津まで逃げた新しい歴史の1ページだ。
そう、俺は太陽を眺めながら思った。
新しい六月二日の始まりだ………と!




