第六話 父の思惑
驚く朔弥をよそに、克政が切り出す。
「今すぐにって話じゃねぇ。」
「どういうことですか?」
克政は鍵を指差しながら、言葉を続けた。
「とりあえずその鍵はお前に預けておく。住所はこれだ。引っ越し前に確認に行くといい。」
克政は住所が書かれた紙を朔弥に渡し、そのまま続けて話す。
「生活に必要なもんは準備させてある。引っ越してから二、三日は、うちの使用人を常駐させておくから、生活の仕方を一通り教えてもらえ。生活費以外は、俺はもう手を貸さねぇからな。後は、自分でなんとかしろ。」
鍵を持つ朔弥の手の上に、
ポン、と通帳とカードと印鑑の入った袋を載せた。
「わ、わかりました。」
「もう行っていいぞ。」
手を払い、追い返すような仕草をする克政。
「ありがとうございます。」
朔弥が出口の方を向いた矢先、
「風邪引くなよ。たまには帰ってこい。」
克政の小さな声が聞こえた。
「……はい。」
少し涙ぐみながらその場を後にした。
その日の夕食の席。
今日も克政と朔弥は向き合って食べた。
朔弥が先に切り出す。
「父よ。」
克政は箸を止める。
「なんだ?」
「先ほどの話の続きなのですが。」
「ああ、どうした?」
一度、生唾を飲む朔弥。
「いつまでに引っ越しをすればいいのでしょうか?」
克政は、近くに飾ってあるカレンダーを手元に引き寄せ、指で文字を追う。
「そうだな、今が二月下旬で、入学式が四月上旬だから、
三月中旬くらいか?」
「どうして引越しを許可してくれたんですか?」
頭を掻きながら克政が答える。
「その…なんだ…お前が中学に通うなら、この屋敷からじゃない方がいいだろうと思ったまでよ。」
「元々、考えてくれてたのですか?」
「まあな。しかし、お前から先に言ってきたのには、俺でも驚いたわ。」
「ははは、すみません。」
「手間が省けたから良かったがな。」
話し終えると、克政は再び箸を動かした。
(父はああ見えて、しっかり自分の事を考えてくれていた。)
日中、迷子の母親にお礼を言われた時と同じ感覚が、朔弥の胸に広がる。
(これは、嬉しい時の気持ちだ)
「ありがとうございます、父。」
朔弥が一礼する。
「何度も言うな、照れるではないか。長話が過ぎた、飯が不味くなるから早く食え。」
克政は箸を持ったまま、手振りで催促をする。
「はい!」
夕食を食べ終えると、二人はそれぞれの部屋に戻った。
朔弥の部屋のテーブルには、さっき受け取ったばかりの、
鍵と通帳の入った袋が置いてある。
朔弥は、イヤホンを耳に付けてベッドに寝転がる。
「クロ、父と話をしてきたぞ。」
『どうでしたか?』
朔弥はクロに先ほどのやりとりを説明した。
『やはり父は、父なんですね。』
「あんなに俺の事を思っていたなんて、
俺は嬉しいんだ、クロ。」
『主が嬉しいと感じている事が、私は嬉しいです。』
朔弥は近くにあったクッションを抱きしめながら話す。
「クロ、明日なんだけど、家を見に行くぞ。」
『もう引き渡されたのですか?』
「鍵ならここにある。」
テーブルに置いてあった鍵を取ると、キーホルダーの輪っかに指を通し、クルクル回す。
「俺の家かー。どんな家なんだろうな。」
『普通の家だと思いますよ、主。』
鍵をテーブルに戻すと、布団を深く被り、
寝る支度をする朔弥。
「早く寝て、起きたらすぐ行くぞ。」
『わかりました。』
その日の朔弥の部屋は、早々に明かりが消えた。




