第四話 初めて楽しむ
ーー翌日
玄関を開けると、透き通るような冬晴れの空が広がり、冷たい風が耳を刺す。
朔弥は首を縮めながら正面の門へと向かう。
近づくほどその大きさが冬晴れの朝が広がっていた際立ち、行く手を拒むかのようにそびえ立っていた。
朔弥はこれまで、この門の先へ足を踏み出したことがない。
だが今日は、自分の意思で門の扉を開け、その先へ足を踏み出した。
「クロ、初めて敷地の外に出たぞ。」
『主にとっては初の一歩ですね。』
まずは屋敷の周りを歩いてみることにした。
ちょうど通勤時間帯なのか、スーツを着た大人や作業着を着た人、制服姿の学生など様々な人が行き交う。
その中で一人で歩く朔弥を見ても、気に留める者はいない。
「みんな歩くの早いな。」
朔弥はキョロキョロと周囲を見渡す。
『通勤時間は皆そうですよ。』
しばらく歩き回ると公園にたどり着いた。
「喉乾いたな。」
水飲み場にたどり着くと真っ先に蛇口を捻る。
回しすぎたせいか勢いよく水が噴き出した。
少し調整して飲み始める。
「飲みにくい……」
袖で顔の周りの水滴を拭った。
一つの古びたベンチを見つけ腰を落とす。
「なぁクロ、結構歩いたつもりだったけど、特に何もないな。」
『はい、そうそう物事は起こりませんよ。
のどかな状況を平和と言います。』
「平和か。」
そう言うと、朔弥は空を見上げた。
日は高くなり、次第に日光の暖かさが伝わってくる。
雲は少しあるが絶好の冬晴れだ。
それからしばらくベンチで過ごしていたものの、何も起こらなかった。
ベンチから立ち上がると、両手を上げて背伸びをした。
「んー。クロ、ここにいても何もないぞ。移動する。」
『検索します……
主、近くにショッピングモールがありますので、
そちらに行きましょう。』
スマホの画面には地図が表示されている。
「道がわからないから案内頼む。」
『ナビ開始のボタンを押してもらうと案内が開始されます。』
朔弥はナビのボタンを押して、指示通りに進む。
しばらく歩くと大きな建物が見えてきた。
「でけぇ……」
『こちらのモールには、食料品売り場と約百店舗が入っている専門店エリアがあるそうです。』
腕を組み、クロの説明を聞きながら歩いていると、モールの入り口に着いた。
「とりあえず入ってみようぜ。」
正面の大きな自動ドアの前に立つと、扉が開く。
「これが自動ドアか、初めてくぐるぞクロ。」
『立ち止まらず進んでください、主。』
建物内に入ると右手には食料品売り場、左手には専門店が立ち並んでいる。
モールの中は奥まで続いており、その先までは見通せない。
「広いな。人もいっぱいいる。」
『中を一周してみましょう。』
「そうだな。」
朔弥はそのまま専門店方面に歩き出す。
数歩歩くと左側からコーヒーのいい匂いが立ち込める。
店頭にいた店員が声を掛けてきた。
「コーヒーはいかがですか?」
急に声を掛けられ驚く朔弥。
「どうすればいいクロ?」
『お礼を言って受け取りましょう。』
店員が、小さなコップに入ったコーヒーを手渡してきた。
「こちらをどうぞ。」
「ど、どうも。」
朔弥は、ぎこちない手つきでコーヒーを受け取り、一口飲む。
苦みもなく、ほんのり甘みのあるコーヒーだった。
「美味しい……」
飲み切ったコップを店員に手渡す。
「ありがとうございました。」
「タダでコーヒーもらったのに、お礼を言われたぞ、クロ。」
その場を去ろうとしたとき、クロが言った。
『主も「ごちそうさまでした」と言いましょう。』
慌てて店員のところに戻り、お礼を言う。
「ご、ごちそうさま、でした。」
店員は微笑みながら言った。
「またのご来店お待ちしております。」
一礼してその場を去る。
「クロ、モールってすごいな。
コーヒーがタダで飲めるし、お礼まで言われた。」
『その店舗独自のサービスの一環ですね。食料品売り場でも試食というサービスが行われています。
今後、主が親切にされた場合は、お礼を言うことにしましょう。』
「そうだな……そうするよクロ。」
朔弥は頷きながら、再び歩き出した。
両側に店舗が並ぶ通路を歩くと、柱と柱の間にエスカレーターが見えてきた。少し先にはエレベーターもある。
朔弥は一度立ち止まり、上階を眺める。
「上にもお店があるのか。」
『後で上にも行ってみましょう。』
視線を正面に戻し、再び歩き出す。
「なんかいいな、こういうの。」
『主、それを「楽しい」と表現することがあります。』
朔弥は両手を広げ、ぐるりと周囲を見渡す。
屋敷の中では味わったことのない感覚が、胸の中に広がっていく。
「これが楽しいということか。」




