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グラディエーターのお話②。

 エリス・ハートライトは歩いていた。


 何かから身を隠すためか、ゴーストシープの毛から作られる黒色のフード付きローブを頭から被り、紐で結わえつける服と、革のズボンを履いている。


 足首までを覆う短いブーツはよく使い込まれ、無駄の無い歩行で音を殺すのに一役買っていた。


 歩幅は一定で、焦る様子はない。振られる腕に合わせて、ローブはひらひらと空中を舞っている。



 エリスの向かう先は広大な国土を持つメガシティの、北に位置する肥溜めの森だ。


 そこは、メガシティの荘厳な闘技場と、それを取り囲むようにそびえ立つ巨大で精密に作りこまれた街とは違い、深い森の木々の間に簡素な土壁を築いただけの住まいが所狭しと並んでいる場所。


 豊かな魔力を持ち、日々を悠々と闊歩する富裕層が、その魔力でさえも足りない欲を満たすため連れて来られた奴隷や魔力弱者が身を寄せ合って生活している。


 ここでは人も動物も、惨たらしく、そして無駄に死んでいく。


 殺し、強盗、強姦、魔力弱者同士の無益な魔素搾取、この森で咎められるような罪は存在しない。とても危険な場所なのだ。



 そんな肥溜めの森をエリスはただ歩いているわけではない。目的はしっかりしていた。


 彼女の向かう先は、この森唯一の子どもの生活する場所だ。


 そこは彼女の保護と、肥溜めの森の暗黙の了解によって成り立つ唯一の憩いの場であった。


「エリス! みんな、エリスが帰ってきたよ」


 匂いに敏感な後ろ右足が無い犬の子どもが、それでも元気いっぱいに飛び跳ねエリスを見つけた。


 するとどこから出てきたのか、そこかしこから様々な生命が喜びの色を醸し出す。


「ただいま。月が3回も満ち欠けしちゃったけど、その間に問題は無かった?」

 

 フードを外し、長い獣耳と青く艶のある短髪を風に泳がせる。ローブへ魔力を注ぐことを止めたため、エリスに生き物としての気配が戻った。


「カイリスとリチャードが死んだけど、それ以外は変わりないよ。人の子は脆弱だからね」


「そう……。お墓はどこに作った?」と一瞬だけ悲しげな表情をしたエリスが言った。


「いつも通り、みんなのお墓にしたよ。どこもかしこも死体だらけだから、そこら中お墓だらけになっちゃうね」


 足の無い犬の子どもは尻尾をコレでもかと振り回しているせいで、何度も何度もバランスを崩しながら、それでもエリスに擦り寄る。


 泥で汚れた毛並みが、エリスの首元から伸びる真っ白な毛並みと結わえ付けた服を茶色くしていくが、そんなことお構いなしだ。


 そして、エリスも気にする様子も無く存分に犬の子どもを撫で回す。


 勢い余って転んだ上に、次から次へと子どもたちが飛び掛り、あっと言う間に笑い声で埋まった。


 薄暗い森を、それでも真上から太陽が照らし、暖かい。



 昼を過ぎて、ヤファイというどこでも育つ豆をすり潰し、捏ね、固めて焼いたものを食べ、子どもたちはそれぞれに課せられた仕事をしに出て行った。


 あるものは水を汲みに、あるものは動物を狩りに、あるものは薪を拾いに。


 魔力を上手く扱えない子ども達にとって、それらはとても過酷な仕事であったが、それでも皆一生懸命に仕事に従事した。


 それがエリスとの約束であり、加護の呪文の発動条件であったから。



 肥溜めの森で暮らすものはみな、このエリスが発動している加護の呪文により、子ども達へ危害を加えることはない。


 子どもを害せば、不和と争いの女神が瞬く間に駆けつけ、死ぬよりも恐ろしい目に遭うことを知っているからだ。

 

 肥溜めの森に落ちてくるものにとって、グラディエーターとして戦い続けるエリスとの魔力差は絶対的で圧倒的なのだ。全ての劣悪な性格のものが束になって襲い掛かったとしても、傷一つ付けられず殺されてしまうだろう。


 青く美しい短毛と、白いフワフワの長毛に包まれた可憐なカーバンクルは、グラディエーターとして稼いだその魔素を余すことなく肥溜めの森へ還元していた。



 

 枯れ風の吹く月、エリスは肥溜めの森へ向かって全力で駆けていた。


 大炎上する肥溜めの森で、加護の呪文が次々と砕かれ、消えていくのを感じていた。


 ズキンッとくる感覚が加速し、そして森の入り口に着くころには、ほとんど無くなった。


 

 目の前では炎のドラゴンが、夜空を煌々と照らし、面白いように昇り、そして急降下してはそこかしこを爆破していた。


 エリスは溜めに溜めた魔素を自身の命をも顧みず、水の魔法に換えて放出する。


 しかし、強力な水の魔法も、膨大な量の生命の魔素と木々を糧に燃え上がる炎には成す術がなかった。


 水の魔法は次第に、エリスの涙となって零れるだけとなった。


 

 かなり遅れてやってきたメガシティの魔導師部隊が、森と街の境へ放水し街が燃えないように対処していた。


 エリスは涙で歪んだ灰色の視界で目の前を眺めていた。


 本人は気付くはずもないが、その瞳は強烈な魔素の放出で青く揺らぎ、涙を上へ上へと流した。


 もう一度駆け出したエリスの強靭な脚は、意思に関係なく魔導師部隊へ向っていった。



 荒れた道を向かってくる青白く発色したカーバンクルが、魔導師部隊に発見されないわけもなく。指揮系統を通して、意図的にエリスへ向かって炎の魔法が放たれた。


 美しい毛並みが燃え上がる。


 しかし、それも構わず突撃してくるカーバンクルに、魔導師部隊の前列が怯む。


 お互いの目と目が交錯する位置で、勝敗は決した。


 エリスが無造作に放った魔法が敵の体を次々に貫き、たくさんの命が消えた。



 面白いように転がっていく死体を眺めながら、魔導師部隊長は体から魔素が流れ出ていくのを感じていた。


「なんだ、これは。メガシティの魔導師部隊がこれほど呆気なく。あのグラディエーターにこんな力があったのか……」


 もはや、攻撃するための魔法を放てるだけの魔力は残っていない。それは他の部隊員も同様だ。


 傷は癒え、魔素はみなぎり溢れ、不和と争いの女神が加護を受けたエリスは、最後に残った部隊長を殺した。戦意は無く、簡単にその胴体は貫かれた。



 敵が消え、肥溜めの森が燃える音だけがごうごうと響く中、エリスの意識は灰色の世界の中にいた。


 先ほどまであれほど鬱陶しく蠢いていた赤色の影はすべて消え、静かな灰色の湖面上を歩いている感覚に包まれていた。


 それはどうやら、とても心地のいいものらしく、一歩踏み出すごとに広がる波紋を、どこまでも追いかけて行きたくなった。


 ふと、その波紋の広がっていく先に目を向けると、気持ちの悪い赤色の影が大きな大きな山を作っている場所があった。


 エリスはどうしても、その気持ち悪い赤色の山を削りたい衝動に駆られた。


 さらに一歩を踏み出す。波紋は大きく、何重にも連鎖しながら広がる。


 もう一歩踏み出す。二歩、三歩。駆け出したエリスは赤色の山を目指していた。


 魔法を放つと赤色の影が消え、静かな灰色の世界がやってくる。そうすると波紋はまたどこまでも広がっていく。


 気持ちがいい、と思いながらエリスはひたすらに魔法を放ち灰色の世界を取り戻していった。




「おはようございます。大丈夫ですか?」


「……え?」


 エリスは赤茶色の土の上で寝転がっていた。


 ここは通いなれた場所、闘技場だ。


 周囲を囲む観客席に空が切り取られ、強い風が真っ白な雲をあっという間に流していく。


「お水です。どうぞ」


 毒はありませんと言わんばかりに、先に一口含んでから、背の高い男が筒を差し出してきた。エリスはそれを上体を起こしながら受け取り、ゴクリと飲んだ。


 口の中に鉄の味が広がり、舌で触ると大きく切り傷ができていた。


 よく見れば、手や足にも土交じりの血が乾いて固まっているし、頭もずきずきする。


 エリスはもう一口水を飲み、筒を男へ返した。


「ありがとう。それで、いったい何があったのかしら」


 男は少し驚いた表情を見せ、そしてその場に座り込みながら、


「話せば長くなりますが、幸い邪魔が入ることはありませんので」と言った。


 

 


 エリスと背の高い男は小高い丘の上を、西へ向かって歩いていた。


 背後には、手のひらで隠せてしまうほど小さくなったメガシティの跡地。北の肥溜めの森はまだ燃えて、黒煙を雲よりも高く吹き上げている。


 やがて二人の姿は完全に見えなくなった。

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