グラディエーターのお話①。
メガシティの中央闘技場。何万もの観客を収容できる、石英作りの荘厳な施設だ。
円形状に客席が配置され、深く掘り下げられた最も下段の広場は、端から端までを貫けるほど強力な魔法を放てる者はそういない。
足場は赤茶けたサラサラの土で、今しがた噴出したであろう鮮やかな赤色の血や汚水が染み込まずに溜まりをつくっている。
そう、今まさに円形闘技場でグラディエーターたちによる殺し合いが行われているのだ。
「へへへっ。不和と争いの女神を殺せるときがくるなんてな。俺は幸運だぜ」
魔結晶の埋め込まれた戦鎚を振り回し、向かってくる敵を真っ二つにし続けること十二回。いい加減魔装具も血塗られてきたところで、目の前に飛び出してきたのが手負いのエリス・ハートライトだった。
魔素の壁を切り裂ける戦鎚がこれまで十二回してきたように、振り込まれた。
長い獣耳が戦鎚の切り裂く空気の音を聞き分け、長い尻尾がしなりながら体重移動に掛かる負荷をいなしていくことで、エリスは横殴りの戦鎚を間一髪で回避する。
無理な姿勢からの移動だったため、地面の窪みに足を取られ転げたエリスを、戻ってきた戦鎚が真上から襲う。
「おらッ! ぶっ殺されとけや」
唸りを上げながら迫り来る戦鎚と、下卑た笑みを浮かべる大男を、濃縮された魔素によって揺らぐ青い瞳が捉えた。
勝負は一瞬だった。
僅かに半身を捻り、戦鎚の直撃を避けたエリスが右手より炎を、左手より水を宿し混合魔法を放ったのだ。
高温に熱せられた水が大男の体を焼きながら貫いた。下卑た笑みを浮かべたまま死んだ。
「ふう。ちょっとやられ過ぎね」
汗で濡れたふわふわの短髪を流し、一呼吸おく。普段は綺麗なオーシャンブルーカラーの体毛が、乾いたり出たての血で汚れ、見る影も無い。
広すぎる円形闘技場に立っているのは人が二名、獣が三匹、そしてカーバンクルのエリスだけとなっていた。
「不和と争いの女神か。やはり、お前が生き残るのか」
生き残りの男が言った。
次の瞬間にはもう喋らなくなった。
「同じ獣の類が、同胞を殺し何を求めているのだ」
といったオオカミは魔力抵抗が弱く、体の中から沸騰した自身の体液によって爆発死した。
その他の獣も大体同じような末路を辿った。
観客のため息が聞こえてくる。不和と争いの女神の加護を受けたカーバンクルが出場すると、勝者はこのカーバンクルで決まっていた。
賭けも楽しみの一つであるはずなのに、それが成立しないのだ。
そして、今回もやはり賭けは成立しないだろう、とエリス以外に賭けた者達が吐き出したのだ。
「さあ、最後はあなたよ。生きるか、死ぬか。全力で来なさい」
生き残ったのはエリスよりもだいぶ年下の人の子だ。
明らかに場違いな、そこらの農村からつれてこられたであろう、弱々しい奴隷の子。
「く、くそう。僕だって、やらなきゃいけないんだ」
両手を胸の前で交差させ、そのまま腰まで下げる。土の魔法が赤茶けた地面を隆起させ、エリスへ襲い掛かる。
「くらえッ!」
エリスは持ち前の脚力で、左回りに駆け出した。魔法の流れが追いかける。
足を止めることなく右手に炎を、左手に水を宿した。動き回りながら混合魔法を使えるものはそうそういない。
男の子は何度も同じ動作を繰り返し、エリスが近寄らないように土魔法を放ち続けた。その全てを回避され、歯を食いしばる音が聞こえてきそうなほど苦悶の表情を浮かべる。
しかし、土魔法の無駄打ちが、一瞬の好機を生み出した。
回復力の高いカーバンクルであっても、塞がっていた傷が度重なる運動によって再度開いてしまったのだ。
右足に走る激痛で、動きに乱れが出た。左回りの動きも右足へ負担がかかった要因であった。
痛みから三歩目で踏ん張りが利かなくなり、右足が滑る。
これまでの経験から、尻尾で体勢を維持しようと左足を右足の前へ交差させた瞬間を土魔法が直撃してしまった。
グシャッと音がした。エリスははじけ飛び、豪快な砂埃を撒き散らして止まった。
「はぁッ。はぁッ。はぁッ」
魔力の使いすぎで脂汗を浮かべていた奴隷の子も、地面に転がる不和と争いの女神を見て、表情が変わった。
それは観客も同じで、ざわめきが消えた後、痛いほどの静寂を破り、痛みを感じるほどの歓声が響き渡った。
「あいつ、やりやがった。大番狂わせだ」
「おい、誰かあのガキにかけてたやついるだろ!? 今日はそいつの驕りだからな」
「不和と争いの女神なんて言われて、図に乗ってたからな。今日はよく寝れそうだぜ」
などなど、好き勝手なことを口々に言い合い、観客たちは立ち上がって興奮を共有した。
奴隷の子はその観客の歓声に応えるように、両腕を高く掲げ賞賛の雨を浴びる。
盛大な拍手が鳴り響く中、奴隷の子の満面の笑みが吹き飛んだ。
「勝手に殺さないでよ。それと、ファンファーレも鳴らないうちに油断するから悪いのよ」
砂を払い落とし、エリス・ライトハートは立ち上がった。
同時に生き残りが一人になったことを告げる、聞き触りの悪い金属音が響いて、今回のグラディエーターたちの宴は終わった。
参加者五十二名による一瞬の宴は、今回もエリスが勝って終わった。
自体を飲み込めた観客たちから、順々に興味の色を失い、それは客席全体を包み込んでエリスへの殺意へと変わっていく。
「くそカーバンクルが。お前なんかさっさと死んでしまえ」
誰かが言った。足取り重く、闘技場から出られる転移魔方陣へ向かうエリスの背中にささった。
「いつまでも無駄に勝ちやがって。何人殺せば気が済むんだ」
客席の上階から見下ろせば、小さな小さなエリスへ向かって、容赦の無い罵声が沸きあがる。
転移魔方陣を踏み込んだエリスは、それらの心無い言葉を一心に受け、そして明日も戦いに出なければならない。
彼女の終わりなき戦いは続く。




