りんごの子のお話。
ローブをひるがえし、ヴァルゴは歩いていた。目的があるわけではなく、思案にふけりながら闇雲に歩いていた。
どれほどの時間が経っただろうか、夜の虫がミーミーと鳴き始めたことでヴァルゴは歩くのをやめた。
いつの間にか大きな森に入っていた。
疲れもあったので、仕方なく近くに生えていた大木の根元で腰をすえる。するとか細い声が近くから聞こえてきた。
「こんばんは。旅の方、どうか私の願いを聞き届けてはいただけませんでしょうか」
暗闇、か細い声の主を探すと、茂みの中にりんごが転がっていた。
「こんばんは。どうしたのですか、私にできることならば手伝いますよ」
挨拶をしながらりんごの子を拾い上げると、それは想像以上に未熟で青かった。
そしてなにより、このあたりにりんごの木が見当たらない。
親はどこへ行ってしまったのだろうかとヴァルゴはいぶかしむ。
「実は、貴方の後ろに生えている大きな木が私のお母さんなのです。お母さんは寿命を悟り、私を切り離しました。成熟させてあげられなくてごめんねと、悲しい声で謝られました。だから、お願いします。私は立派に生長し、大きく大きく育って、沢山のりんごを実らなければいけないのです。そのために、私をとある場所へ連れて行ってください。その地へ埋めていただきたいのです」
陳情するりんごの子。
動物や人のように表情があれば、涙が溢れ出していそうな声音だ。
「もちろん、いいですとも。しかし、夜の虫が知らせてくれていますので、明日の朝その場所へ向かいましょう」
ヴァルゴは両手で、そっとりんごの子を抱きかかえなおす。母だといった大木の根元に座りなおすと、水の魔法でりんごの子を潤した。
巨大な城が大木の上空に現れるが、暗闇のなかでは些細な変化だった。
「ありがとうございます。私にこのご恩に報いる機会があるまで、絶対に忘れることはありません」
りんごの子はプルプルと震えていた。
未熟なまま母から切り離されたことは、もはや死を宣告されたようなものだったのだろう。
道連れよりはと決断した母と、余りにも僅かな希望をただ待つ子。
ヴァルゴが通りかかったのは文字通り奇跡だった。
「それはそれは。この程度のことでそこまで感謝していただけると、やりがいってもんがでますね」
この奇跡に報いねばならないとヴァルゴは思っていた。ヴァルゴの親切心が大きく膨らむ。
しばらくの間、りんごの子を安心させるための旅話をしていると、静かで小さい寝息が聞こえてきた。両腕の中で僅かに動くりんごの子を今一度確認し、ヴァルゴも眠ることにした。
翌朝、薄霧が立ちこめ草木の先に露が蓄えられる森の中、目を覚ましたヴァルゴとりんごの子は早速安住の地を目指して出立した。
りんごの子が母から聞いたという目印を頼りに、薄暗い森を突き進む。
大木のお母さんが空から見た景色だから、絶対にたどり着ける。と何度もりんごの子はつぶやいた。
ヴァルゴの足で半刻ほど経っただろうか。
りんごの子の壮大で、長い長い冒険は終わり、安住の地が目の前に広がった。
そこは森の中でも少し小高い丘になっていて、太陽の陽気を実全身で受け止められる広場になっていた。大きな四角形の石が一つ、不自然に直立している以外とくに気になる物もない。
「ここです。ここでございます。ああ、お母さんの言っていた通りの四角い石です。ここの丘の中心にどうか埋めてください」
ヴァルゴは言われたとおり、丘を登り、その頂上中心に穴を掘った。
堀り虫が土からこんにちはしてくるくらい、よく肥えた土だった。ここなら未熟なりんごの子でも、立派に育っていけるだろう。
「さて、名残惜しいですが、ここでお別れですね」
穴の中にそっとりんごの子を置いてあげる。
未熟な青い果実が肥沃な土に触れ、力強く頷いた。
「はい。ですが、お別れではありません。私は決してこのご恩を忘れることはございません。いつの日か、ヴァルゴ様がこの地に立ち寄ることがございましたら、全身全霊を持ってご恩に報います」
決意の声が丘を震わす。
周囲を埋め尽くす木々たちが、一斉に魔素を放出し祝福した。
ヴァルゴはゆっくりと、掘り返した土をりんごの子に被せていく。完全に埋まりきったりんごの子の、あれほど強く感じた決意の気配はもう大地に還っていた。
「汝に祝福あれ」
巨大な城が心地よい太陽の光を完全に隠し切り丘全体に影を落とすと、ヴァルゴの発動した水の魔法がヴァルゴの指先からりんごの子の埋まっている大地に降りかかり、優しい音を奏でる。
大地が見る見るうちにその水を吸い取るなか、残った水滴に太陽の光が反射して宝石の様に輝いた。
どこからか、可愛らしい声でありがとうと聞こえた。
ヴァルゴは満足げに歩き出した。目的は無いが、足取りは軽やかだった。




