無自覚のお話。
隆起した筋肉をフワフワの毛皮が覆う四足歩行の動物ヤガー。その巨躯を優雅にしならせながら、曇天の空の下を男女一組の旅人を乗せて歩く。
彼の名前はジュルリ。
ジュルリの背で落下防止具を握る男はヴァルゴ。
身長が高く、厚手のコートと厚手のズボンを着込み、これまた分厚い首巻きを何重にも巻いている。ブーツと手袋には毛皮が内貼りされていて、この男の防寒への気概をうかがわせる。
ヴァルゴの後ろで旅荷へ埋まるように座っている少女ニーニは、マントに包まってはいるがジャケットとパンツ、ロングブーツの軽装だ。
印象的なのは額から頬骨あたりまでを覆う白塗りの仮面で、目元には朱色のラインが左右の耳に向かって伸び、左目の下に小さい魔結晶が三粒装飾されている。
荒れた岩場を登りきり、視界の先に大きな城壁が見えた。
「ヴァルゴよ、あそこにも行ったことがあるのか」と野太く響く声でジュルリが言った。
「そうですね、かなり昔に立ち寄ったことはあると思うのですが、如何せん記憶が古くて断片的ですね。なにより、北部は寒いのであまり足が向きません」
ジュルリの動きが止まり、防止具を握る必要がなくなったヴァルゴは両腕で体を摩擦する。丘の下から吹き上げる凍えた風はヴァルゴにとって苦痛でしかなかった。
「行きましょう。こんな風が抜ける場所に長居は無用です」
ヴァルゴの一声に相槌を打つと、ジュルリは水が流れ落ちるように滑らかに丘を降り始めた。
登りよりも速度が出るのでニーニの長い黒髪が小気味良く踊った。
そう経たずに、旅人達は城壁の真下まで来た。
見上げるほどの高さがある城壁に何重にも魔障壁が張り巡らされ、ありとあらゆる物を遮っている。
「さてさて、門を開けてもらえると良いのですが」
ヴァルゴの呟きに合わせてか、石造りの城壁を砕きながら木が生えてきた。
瞬く間に巨大な城門となった木は三枚の、手のひらくらいの葉を作り、それを旅人達へ差し出すと「この葉を噛んでいただくことで入門の可否を判断させていただきます」と振動した。
「野菜は嫌いだ」とジュルリが唸る。
城門の木は静かだ。
「それでは」と言ったヴァルゴからニーニ、ジュルリの順番で葉を噛んだ。
手のひらサイズの葉にはそれぞれサイズの異なる歯形がくっきりと掘り込まれた。
程なくして満足げな城門の木がバキバキと裂けるように重そうな扉を開く。
八足昆虫の巣を突き破るような、纏わりつく感触を魔障壁に受けること五回。
旅人達は先ほどまでの寒さと変わらない城壁内へ辿り着いた。
「寒い、寒すぎます。なぜ魔障壁に防寒を施さないのですか!」
珍しくヴァルゴが喚いた。きっと魔障壁内が常夏だとでも思い込んでいたのだろう。
「ヴァルゴよ、早速宿を探しに行こう。暖かい地肉のスープを飲み干したい」
野太い声にも若干の期待が混じったような色が付く。
ヤガー種は南部を主に生息域としている動物のため、毛皮は主に虫除けで、寒さには強くない。
肉球が凍傷になる前に、是が非でも暖かい暖炉と食事が必要なのだ。
あたりを見回すと一直線に伸びた広い道は土を踏み固めただけの簡素なもので、城壁と魔障壁の荘厳さからは想像もできないほど粗末な長屋が軒を連ねている。
人通りはそこそこだが、皆一様に目的に向かって歩むだけで賑わいは無かった。
関わってくれるなという雰囲気を纏った動物や人の中で、それでもいくらか話を聞いてもらえそうな小動物に、宿場か食堂の場所を訪ねてみた。
「ああ、それならこの通りを真っ直ぐ進んで、広場を右に折れた先にそういう地域がある」とそよぐ風より小さな声が返ってきた。
礼を述べ、言われた通り土を踏みしめていくと段々と生命の数が増えていった。
色々な看板も目に入るようになった頃、適当に選んだ店先でこれしかないという店主の一存で決まった、ヤファイという豆を煮込んで作るスープを注文し落ち着ける角のテーブルへついた。
ジュルリは荷物を隅に置くと成人男性の頭と同じくらいのサイズまで縮んだ。
こうすることで少ない量でも大変満足のいく食事ができるのがとてもうらやましい、とヴァルゴはいつも思っていた。
そうこうしているうちに運ばれてきた暖かいスープが冷えた体を喜ばせるが、その味は舌を喜ばせることはなく、ジュルリに至っては顔中の筋肉が活動を停止してしまったような表情になっている。
「ヴァルゴ、この後はどうする」
「そうですね、荷物をどこかに預けて町の中を散策したいですね。大昔に来たときとは雰囲気が違いすぎて、私の記憶かどうかさえも怪しくなってきたので」
ヴァルゴとジュルリの会話を尻目に、ニーニは不味いヤファイスープをごくごくと飲み干した。仮面越しだが、完飲した少女は大変満足げな表情で店員に二杯目を注文した。
これまた適当に選んだ宿でこの部屋しかないという店主の一存で決まった、広くも狭くもない、とても簡素な一室に一行は案内された。
大きな旅荷は後で店主が運んでくれるとのことになったので、準備もそこそこに散策へ出かける。
「ニーニ、ジュルリは重いんじゃないですか」
「大丈夫。それに、気持ちいい」
人形ほどに縮んだジュルリの、凝縮したフワフワ感を味わっているニーニ。
ニーニを溺愛するヴァルゴにとって、その光景は血涙さえも流せそうである。
のんきに先頭を行くニーニとジュルリ。
恨めしそうに見つめるヴァルゴが食事処へ行くために曲がった広場に出ると、大勢の生命が行列を作っていた。
その行列は街を割ってしまうのではないかというほどの熱気を帯びているのに、静かにひたすらに行進している。
「これは、なんですかね」
そんな疑問に答えるように、ヴァルゴの正面に躍り出た少年が間髪入れずに言った。
「おじさん入国の時にくぐったでしょ?巨大な城壁と魔障壁を。あれは僕たちの大切な魔素を吸い取って維持されているんだ。だけど僕たちは使役される魔物じゃないんだって、ああして訴えてるんだよ。大きな声を出すとカッとなって暴れだしてしまうから、静かな訴えなんだ。僕も大人になったらあの行列に混じってパパとママと一緒に訴えるんだ。あの行列は僕たち街の誇りなんだ」
行列に負けない熱を帯びた少年が輝いた瞳で真っ直ぐに語った。
小さな体からは想像もつかないほどに、力強いその声質が石畳に反響する。
少年は満足したようで、それだけ言うと行列の行進に合わせて先へ進んでいった。
入れ替わるように今度は初老の女がヴァルゴたちの正面へ歩み出た。
「あんたらこの辺りでは見ない服装だね。旅をされている方だとわからないだろうが、このあたりの大地が魔素を含まず、ヤファイなんて豆しか育たなくなったのは城壁と魔障壁が建設されてからなのさ。もともとは寒くとも実り豊かで貧しさとは縁のない地域だったのに、今では曇天と干からびた土に挟まれた空洞みたいな街になってしまったのさ。だから私たちは訴えているんだ。私たちは守られるずともやっていける。無駄な魔障壁を解き、魔素を街へ返せとね」
ニヤっと元気なく笑った老女はトボトボと歩みを進めていった。
続けざまに名乗りを上げたのは変に腹回りだけが肥った青年だった。
ボサボサで油が溜まった髪を振り乱し、熱心にこの行進がどれほど偉大であり、自分はその行進を支える重要な人物であるかを語る。
青年の身振り手振りを押しのけ、髪の毛をきっちりと縛り付けた女性がいかに私が苦労をし、その苦労を惜しまずこの行進に参加しているか、静かな行進にどれほどの意気込みを注いでいるか、寝食も忘れるほどだと訴えだした。
いつの間にか、ヴァルゴたちの前にどんどんと行列が出来上がっていった。
いい加減うんざりといった表情のジュルリが石畳の上で丸まって寝始めたが、ニーニとヴァルゴはそれでも熱心に街の声を聞いた。
ほとんどの話がこの行進が偉大で、それに自分がどれくらい貢献しているのかというものだった。
それでも掻い摘んでまとめると、城壁と魔障壁は街の中央に遥か昔からある巨大な魔結晶を中心に円形に囲われており、その魔結晶に膨大な魔素を吸われているため街に元気がないとのことだった。
なぜそんな場所に街が出来たのか、なぜ今もそんな場所に住み続けているのか、返答をくれるものは居なかった。
ジュルリが寒さで目を覚まし、ニーニへ抱っこを要求する頃にはヴァルゴたちの行列の終わりが見えてきていたが、魔結晶がある街の中央へ伸びる行列はまだまだあった。
「いやー、すさまじい熱気でしたね」
楽しそうに天を仰ぐヴァルゴ。魔結晶へ続く行列の最後尾で、先ほどの勢いをそのままにどれほどの物なのかと興味津々だ。
北部では珍しいヤグーの大きな体が静かに行進するのはどれほど威力があるか、と前の行列参加者に半ば横暴なほどの勢いで頼み込まれ、ジュルリはニーニを背に乗せて闊歩している。
左右に広がる景色は相変わらず質素な長屋で、時折商店などが看板を出していたが活気はない。
相変わらずの曇天が日の光を失ってより一層の暗闇を生み出す頃、すでに解散した行列の最後尾だった一行は目の前に浮かぶ魔結晶を見つめていた。
その魔結晶は太い鎖で封印されているが、それさえも飲み込まんとする勢いで膨張しているようで、ところどころが鎖を膜のように浸食している。
「これほど純度の高い魔結晶を見るのは久しぶりですね。魔法で生み出されたようですが、相当な技術で精密に作りこまれています」
光悦の表情で巨大な魔結晶を褒め称えるヴァルゴ。
凝縮された魔素があまりの密度で結晶化、視覚化し、さらに浮力まで得てしまっているのだから、いかにこの魔結晶が高純度かとうかがえた。
いい加減飽きてきたニーニとジュルリがヴァルゴを置いて宿へ戻り始めると、名残惜しさを隠しもせずヴァルゴが渋々歩き始めた。
それで、あの魔結晶はどうするのですか、とニーニが言う。
すでに長屋に隠れてしまった魔結晶があるであろう方向を向きながら、ヴァルゴはうれしそうに言った。
「それはもちろん。いらないのであれば貰いましょう。それが街の役に立つのなら尚更です」
宿に戻ると千切るだけの保存食を食べ、狭いベットをヴァルゴが、部屋に対して適度な大きさになったジュルリとニーニが寄り添うように早目の就寝となった。
ヴァルゴの嫉妬オーラが、少しの時間をおいて静かに消えた。
翌朝、あれほど分厚く覆っていた雲は跡形もなく消え、おはようと声を掛けてきそうな太陽が陰鬱な街を暑いくらいに照らしている。
もぞもぞと最初に起きてきたニーニがジュルリ、ヴァルゴを起こす。
朝食はヤファイのスープとは比べ物にならないごちそうが別皿に盛られていた。
一行は夢中で食べた。
部屋に戻り、ヴァルゴがあれだけ念入りに着込んでいた服装を改め、首巻きと手袋を荷物にしまった。
「さてさて、今回の旅では十分すぎる成果を得られましたから、早いですが出発しましょう」
ジュルリに旅荷を括り付け、落下防止具を取り付ける。手際よく済ませると、宿の主人に挨拶をした。
「旅人さん、そんなに急がなくても。朝食には間に合いませんでしたが、お昼から盛大にお祭りが開かれることに急きょなったんですよ。街中の腕利きが備蓄されたごちそうを使って盛大にやるので、今晩も泊まって行かれればいいのに。全部ただですよ」
ニーニが主人の言葉にぴくっと反応している。
ヴァルゴはニーニのぴくっにドキドキしている。
「だいぶ長いこと旅をしてますので。そろそろ、一旦拠点に戻ろうかと思いましてね。それにしても街の方がとても明るくなられたようで、なにかいいことでもあったのですか」
「そうなんですよ。昨晩なんですかね、街の魔素を吸い尽くす極悪非道な魔結晶の封印が解かれ、この街、この土地の豊かな魔素が戻ってきたのですよ。これでまた安定した生活が送れるはずです。きっと静かなる街の行進が、祈りが、あの魔結晶を砕いたに違いありません。ですから、これからお祭りの準備です。いやー久しぶりに忙しくなりそうですよ」
それでは旅の無事を、と陽気な声音の主人は宿内に戻って行った。
街中は昨日までとは比べ物にならないほどに明るかった。
土地から染み出る魔素を魔法に変換し、お祭りの飾りつけをする動物や壊れた街並みをきれいに整えていく人。
ところどころにある商店からはいい匂いの湯気が立ち上り、大通りには露店が所狭しと作られていった。
光の線がくっきり見えるほど美しい太陽を、空に浮かべられた七色のプレートが反射して煌めく。
昨日は力なく淀んでいた街の空気が、あの行進よりも数倍も強い熱気であおられ、たぎっていた。
「旅人さんよ、もう行ってしまうのかい? せっかくめでたい日なんだから、ぜひとも楽しんで行ってもらいたいな」
城門の木と並んで門番をしている男が、浮かれた表情で出国の手続きを進めている。
「いやー、それにしても。俺はいつか魔結晶が無くなると信じていたから。いつかいつかって待ち遠しかったけど、いざ土地から魔素が湧き出てくるとこんなにも明るい気持ちになれるんだな。あの行進は――」
門番をしている男がひとしきり喋り、出国手続きが終わると、また城門の木がバキバキと重そうな扉を開いてくれた。
あの気持ちの悪い感触が襲う魔障壁はもうない。
「いやー良かったですね。お互いが喜びを共有し合えている感覚といいますか。これこそ助け合いの精神です」
「ヴァルゴ、うれしそう」
沈み行く夕日が、今頃お祭り騒ぎとなっているであろう街を赤やオレンジ、紫や青が染め上げる。その光量に輪郭は溶け、全てを色が混ぜ合わせていく。
ジュルリの背が揺れ動くたびに、自然と高揚した体がリズムを刻んでしまうヴァルゴとニーニ。
旅の疲れもこうした出来事が飛ばしてくれる感覚を一行は共有していた。
「私が軒並み潰して回っているで、あれだけ豊かな魔素が湧き出る地は本当に少なくなりました。記憶があやふやなので、たぶん来たことがあると思い込んでいたのでしょうね」
瞬く間に朱が飲み込まれ、夜の気配が漂い始めた空を見上げ、ヴァルゴは思う。
世界から魔力を無くす旅に終わりが見え始めているのではないかと。それはヴァルゴの切望である。
「本当に、あれほど強力な封印の呪いを消したのは誰だったんだろうかな」
「そうなのよ、誰一人として成し遂げなかったことよ」
「だが、おかげでコレだけ豊かな魔素の恵みにありつける」
「あの旅人だったりしてな」
「まさかー全くと言っていいほど魔力を感じない凡人だったわよ。私より魔力がなさそうだわ」
「たしかにな。ありえないか」
お祭りの最中、久しぶりの泥酔魔法で意気揚々とした街で、どこのだれかもわからない人々の会話が喧騒となってつむがれる。
大地から湧き上がる夥しいほどの魔素は使えども、使えども泉の如く湧き上がり、全能感をもたらした。
もはや、この世界に自由にできないものなどないほどの高揚だった。
そうして街が魔素を消費していると、あちらこちらと何も無い空間が眩く燃え上がった。
炎はこの地に封印されていた魔神アルドラウスが顕現した証拠であった。
こうして、お祭り騒ぎは怒号に変わり、豊かに湧き出た炎の魔法が全てを飲み込んだ。
真っ赤に燃え上がる焼け爛れた大地には、耐火性を持つヤファイが元気に育っていた。ここは何度かの朝日のうちにヤファイ原になるだろう。
その光景を見るものはしばらく訪れることは無い。




