2-1
今日も傾ききった陽が茜色に染まりながら森の向こうへ落ちていく。
小山の八合目あたりにそびえる西津森の館の白い壁も、そこに張った蔦の葉も同じ色に染まる。
八才になったイーシュは、二年前にようやく神官修行を始めることを認められ、十数人の子供たちからなる見習い神官の一人として忙しい毎日を送っていた。
今日も館での神事に朝から狩り出され、陽が傾くこの時分にやっと解放されたばかり。
奉公が終わったイーシュは、しかし、神殿に帰ろうとする同期の子供たちに別れを告げると、なぜかほんのり嬉しそうな笑みを湛えながら、館の長廊下を足早に駆けていた。
その小さな後姿を神事の間からずっと遠慮がちに伺っていた影があった。廊下を渡りきった角のところでようやく声をかける。
「よお、イーシュ。今日はもう終わりか?」
突然背後から聞こえた声の主は、毛量の多い赤茶色の髪を乱雑にはねらせた少し年上の男の子だ。もちろんイーシュの知るあの少年だ。
「あっ。ライオル。びっくりしたよ。いつからいたの?」
神殿の隣に併設される孤児院に住む、将軍を目指すイーシュの幼なじみ、ライオルだ。
「い、いつからって……」
ライオルが口ごもる。
性格上、まさか他の見習い神官たちがいなくなるまで、ずっと見ていたとは言えまい。
「ちょっと通りかかっただけだよ」
ぶっきらぼうにそう言い放つと、口をとがらかす。しかし顔色までは隠せない。イーシュに首を傾げられる。
「そう? どうしたの? 顔が赤いよ?」
ますますライオルは赤くなって、勢いあまってつばを飛ばす。
「なんでもねえよ! あれだ、その、今まで剣の訓練をつけてもらってたからな! あー暑い、暑い」
ライオルは両手を扇の様にして顔を扇いだ。
見るからに照れている。それは誰にでも分かりそうなものなのに、イーシュは全く気づかず何事も無かったように話を進める。
「そうなんだ。たしか、門兵さんに教えてもらってるんだっけ?」
悟られなかったことにほっとしたような表情をしていたライオルの顔が、にわかに得意げなものに変わった。
「そう。けど……ところがなんと、今度から旦那様を守る近衛隊の副隊長が教えてる訓練隊で、見習いとして教えてもらえることになったんだぜ!!」
「えーっ!? すごい! どうして?」
元々大きな目をさらに大きくして、イーシュもまるで自分の事のようにはしゃぎたてる。
ライオルは鼻を鳴らした。
「その門兵が、俺は見込みがあるからって副隊長……ベルン様っていうんだけど、頼んでくれたんだ! ほんとはまだ子供過ぎるらしいけど、早いうちから本物を見て覚えるってのも大切だって言ってさ!」
「よかったね! ライオル! 見習いなんて私と一緒だねっ」
「さすが俺だ。本気で自分でもそう思った」
二人はそれを合図にしたように、揃って声を立てて笑った。
ライオルはいつでも変に自信家だ。
「ところでイーシュの方は最近どうしてたんだよ」
そう言ってから急に、ライオルは腰に下げた訓練用の剣を鞘から抜いたり出したりと、がしゃがしゃ音を立て始めた。落ち着きが無い。視線も合わず、頬もほんのり赤い。
そのライオルに、イーシュはこれでもかというほど残酷に可憐な笑みを自覚無しに見せ付ける。
「どうってこともないよ? いつも通り神官長様から手ほどきを受けて、神殿やお館でご奉公して……」
「ふーん……なんか、この頃すっかり神官みたくなってきたよな」
イーシュの姿をライオルはしげしげと見た。
真っ白な布地に、灰糸の刺繍が入った衣装。それに薄い羽織をかけ、帽子をかぶる。子供のものとはいえ上等の法衣だ。
視線に気づいたイーシュは補足する。
「服のせいだよ。今日は神事のお手伝いがあったから……正装なの」
「まあ、でもまだ、どっかおもちゃみたいな感じはあるけどな。ははは」
そんなイーシュをからかって、ライオルは笑う。
「もーっ……。でもそうかも。今日ね、森の旦那様、わたしたちを見て笑ってたから」
「そりゃまた別の話だ。たぶん。離れて暮らしてる、ひ孫でも思い出して笑ってたんだろ? ちょうど俺たちぐらいのが何人かいるはずだからな。お前、旦那様の遠縁なんだから余計だ」
西津森の主には今は亡き三人の奥方がいて、その間に何人かずつの子供をもうけている。もうその子が子供をもうけ、さらにその子がまた子供をもうける世代となっている。
その系譜のうちの男子の何人かは戦場に出て帰らぬ人となってはいたが、女子や子供は館に住んだり、ふもとや近隣の集落に住んだりしていた。その人数は五十人とも百人とも言われていた。
血筋といえば、中津森の奥方も西津森の主の血を引くお方の一人だ。主と第一夫人との間に生まれた娘の子供だ。西津森の主の孫に当たり、幼い頃はこの森で暮らした。長じてからは両親とともに中津森へ移り住み、その森の主と縁あり、嫁いだお方だ。
時折、祖父である西津森の主を尋ねて、この西津森に帰って来ることもあった。戦争中のため、その回数はぐんと減ったという話だが。
そんなことをかいつまんでライオルはイーシュに語った。
門兵に剣を教えてもらっているライオルは、館に出入りするうちに、いつのまにかそのあたりの事情に詳しくなっていた。
その話を、なぜかイーシュは微妙に浮かない顔をして聞いていた。
「どうした? 腹でも痛いのか?」
「ううん。大丈夫」
「そうか?」
少し気になる素振りを残しながらも、ライオルは「ところで」と言って話題を変えた。
「……話に聞いたんだけどよお、神官の修行って、なんか相当厳しいんだろ? 朝は何時に起きてあれしてこれして……食べ物は肉は駄目で……とか。今は子供だから卵くらいはいいけど、大人になったらそれも駄目だって……」
「うん。でも食べ物のことはみんな不自由してないと思うけど……元々お肉嫌いな子が多いから」
「そうなのか? もしかしてお前もか? 神官になりたい奴はやっぱ変わってんだな。俺は肉がないと生きていけない」
イーシュがくすくす笑う。
その話題でライオルも笑ったのだが、それはすぐに、すっと消えた。妙に真面目な、そして、どことなく寂しげな表情に変わる。
「……マイセが辞めて親元に帰るって聞いた。それ、本当なのか?」
マイセというのはイーシュのひとつ上の男の子だ。同じ年に神官修行を修行を始めた子だった。寝食を共にする神官見習いたちだ、イーシュももちろんその子のことはよく知っていた。暗く、表情を翳らせた。
「うん……そうみたい……残念だね。せっかくここまで一緒に頑張ってきたのに……。来年からはようやく、なりたがってた専門職の修行も始まるところだったんだけど……」
マイセという子だけではない。
もう同期の何人もが、修行の場から離れていっていた。
すでに人数は二年程前、神官見習いの指導が始まった日から比べて、約半分になっている。
中には一時的に修行を中断しているだけの者もいたが、多くは親元へと戻ってしまっていた。それはもう神職には戻らないということを意味していた。
ライオルはふいに眉を寄せた。
「イーシュは大丈夫か? 辛くないか?」
心配している顔だ。
あれこれ言って遠回りしていたが、ライオルはこの話をしたかったらしい。ずいぶん時間がかかったのは性格だ。
イーシュは幼い顔に、妙に大人びた苦笑を浮かべた。
「辛くないことはないよ? ……でもね、私は御霊入れになりたいし、それに、帰る場所は無いの。だから、どうしても、私は神殿を出るわけにはいかないから、大丈夫なの」
ライオルが一瞬、身を僅かに飛び上がらせる。
「帰る場所が無いって……お前って、親いなかったのか!?」
イーシュは答えず、小さく肩をすくめて見せた。そこにライオルは目をしばたたかせながら詰め寄る。初耳だったのだろう。
「お前、西津森の旦那様の遠縁なんだろ!? もし親がいなくっても身寄りなんか探せば誰かいるんじゃねえの? つうか、遠縁って言ったら、旦那様はなんかしてくれないのか?」
まるで叱咤するような剣幕でライオルが問い詰めるので、仕方なく、といった微妙な顔でイーシュが話し始める。
「私ね、赤ちゃんの時に神官長さまに神殿に連れてこられたんだって。その時にね、旦那様の遠縁になる子です、って聞いたんだって。でもね、どんな関係か、とか、両親の名前とか、なんかも聞いてないんだって。だから神官長さまはそう言うけど、ほんとはね、証拠は無いの」
さきほど森の主の話が出たときに、イーシュが浮かない顔をしたのはこのせいだったのだ。
「だからあんまりみんなにも言いたくないんだけど……なんかもう知られちゃってるから。ライオル、がっかりしちゃった?」
イーシュが心配したように首をかしげる。見つめられたライオルは変な顔をした。わざとだろう。
「別にがっかりはしねえよ。ただ、なんだそりゃ、とは思う。その時に誰も聞かなかったのかよ。……じゃあ、今からでも無理やり聞きに行けよ。神官長さまなら分かるだろ、両親の居場所」
「今はどうしてるのか知らないんだって。生きてるのか、そうでないのかも」
「ほんとかなー……大人ってけっこう平気な顔して嘘つくからな」
「神官長さまは嘘はつかないよ」
「ふーん。まあ、俺だったら信じないけどな」
ライオルは鼻と唇がくっつくほど、口を尖らせる。
そんなライオルを見ておかしそうに笑ったあと、イーシュは言った。
「でもね、それにね、どっちにしても私、神殿で暮らさないといけないの」
「なんで?」
「あのね、私、精霊が見えすぎるから、危ないんだって。ちゃんと修行して力とか心とか修めないと。って神官長さまが言ってたの」
「危ないってなんだよ。精霊って悪い奴じゃないだろ?」
「んーと……、悪いのもいるんだって。惑わされちゃうこともあるんだって。他にも色んなのがいるんだって」
「なんだそれ……どんなのだよ?」
イーシュは小さく首をかしげた。そうは言っているイーシュ自身にも、どう危険なのかわかっていない顔だ。
修行を始めて二年の見習いたちは、強力に護られながら修行を積む場を与えられている。神官たちに、それに神殿に施された守りの力で。知識だけで、まだ遭遇しないようにされている。これ以上を今のイーシュに聞いてもまだ無駄だ。
ライオルは頭を掻く。
「なんかよくわかんねえけど……大変だな」
目の前の少女は目をぱちくりとさせて、ちんまり立っているばかりだ。はた目には、とても神官たちに心配されるような力を持っているようには見えない。
幼馴染だが、神官のことをまるで知らないライオルにはましてだった。
「……つかよ、そんな心配されるほど、お前見えてんのか? ちゃんと人間と区別はついてんのか? なんか精霊って、人の形になってる時もあるんだろ?」
普段イーシュが見るのは光の珠状になっているが、時折、見る人の思念体系に合わせて擬人化する、というか見る人がそう感じることもある。
そんな話を誰かから聞いたのだろう。
途中から、ライオルは半分からかうようににやけ笑いを浮かべ始めた。だがイーシュはいたって真面目に答える。
「それは大丈夫。だって人間は飛ばないもん」
「……」
ライオルが言葉を失っても、イーシュは大真面目で頷く。
その様子をたっぷりと観察し、堪能したライオルが、ようやく呆れ気味に口を開いた。
「……お前がどっかとぼけてんのは、そのせいもあんのかもな……」
「とぼけてる? 前にもライオルにそんな風に言われたことがある気がする。いつだっけ?」
イーシュの問いには答えず、おもむろにライオルは首や肩をを二、三回した。気分転換をしたかったのに違いない。
「ま、いい……それにしても、そうか……。神殿に暮らしてるとはいえ、イーシュも孤児みたいなもんなのか」
「……うん……まあ……」
口ごもり、イーシュはそこで、なぜか館の中庭に造られた庭園の一角を眺めた。そこには病気で枯れかかった薔薇の花が植わっている。
だが、どうせ精霊でも見ているのだろうと思ったのだろう。イーシュにはいつものことだ。こんな話の後では余計だ。ライオルもイーシュの視線の先を見たのだが、特には聞いてこなかった。
代わりにまた顔を赤く染めなおして、飛び跳ねた髪の生えた頭を掻く。
「まあ、でも、あれだよ。その……もし辛くてどうしようもなくなったら、俺に言えよ。話ぐらいは聞いてやるぜ? 解決は出来ねえけどな」
ライオルらしい言い方だ。聞こえはぶっきらぼうだが、心はそうではない。
「……ありがとう」
イーシュは微笑む。そのことはよくわかっているという証拠だ。
そして、心配をかけたことに気づいて、「それから」と言って繋げる。
「あのね、でもね、私も大きくなって、もう大丈夫って神官長さまに認められたら、神殿から出て行ってもいいんだって」
イーシュはふんわりとした羽のように軽やかな笑みを浮かべる。
「ライオルが言うとおり、遠縁ってことはわかってるんだから、ちゃんと探せば私の両親が見つかると思うの。それなのに会えないってことは……きっと今はなにか会えない事情があるのかなって思うの。でも、たぶん……神殿を出られるくらいになった時にはきっと、両親に会えると思うの。だから今は探さないの」
言い切って満足していたイーシュだったが、急に何かに気づいて慌てて付け足す。
「あ、でも両親に会えたとしても出ては行かないけどね。御霊入れになりたいから」
そう言って、今度こそ本当に満足げに微笑む。
「……お前、おりこうすぎるよ」
直視できなかったのか、暴言を吐いてライオルはぷいと急にそっぽを向いてしまった。それをも追いかけて、イーシュは横から覗き込む。
「ライオルも辛くなったら私に言ってね」
微笑みかけられて、一瞬、顔を赤くしたライオルだったが、すぐにいつものようにぶっきらぼうな迷惑そうな顔を作る。あまつさえ鼻で笑う。
「俺は辛くなることはねえよ」
「どうして?」
「そりゃあ……毎日楽しいからだ。……イーシュもいるしな……」
言ってからライオルは赤面と言う言葉では足りないくらいに赤くなる。ひっきりなしに汗も拭く。
「?」
そんなライオルに、憎たらしいほど可愛らしく、イーシュは分かっていない顔を返した。余計にライオルが困るのは当然だった。
そこに時を告げる鐘が鳴る。
あともう一度鐘が鳴れば、館の門が閉まる時間だ。陽は斜めに差し込み黄金色に辺りを染めていた。
ライオルには助け舟だ。
「お、やべ。さっさと用事済ませなきゃな!」
イーシュの不思議そうな顔を見て、聞かれる前にライオルは答える。
「あ、俺、ベルン様のとこで剣を教えてもらう代わりに、雑用任されてんだ」
ライオルはがさがさと、懐から用事が書かれているらしい紙を出して確認を始めた。裏からではよく見えないが、その数はひとつやふたつではなさそうだ。
さっと目を通し終えると、ライオルはまたもとの場所に紙をしまった。
「お前また庭見てから帰るのか? 精霊とでも話してんのかもしれねえけど、誰もいないとこでにやにやしてっと変だぞ」
「え? そうかな?」
「そうだよ! ……ほんとお前って奴は……まあ、声に出して話してないだけましだけどな。まあいいや、じゃあまたな!」
言い終わらないうちからライオルは大きく手を振りながら元気に走り去っていった。
なんだかイーシュと話す前よりも、一段と元気になったように見える。まあ、ライオルはいつでも元気なのだが。
その背を見送り、イーシュは胸の前で手を振った。そしてそれがすっかり見えなくなった頃、ぽつりと寂しそうに独り言をもらした。
「……精霊さんは、とっても優しいんだよ……? 言葉じゃなくて、心がね、そばにいるとあったかくなるの。いつも私を慰めてくれるの……。それにね、何でも知ってるの。でも、ほんの時々しか教えてくれないけどね。あの枯れかかったケシの花の精霊さんはちょっと違うんだけど……」
イーシュは先ほどのケシを意味ありげに見た。
その瞳が揺らめいている。ライオルが見たなら、きっと取り乱して驚いただろう。こんな顔をするイーシュを誰も知らない。
イーシュはすぐに、涙の気配をごしごし袖でぬぐって消した。そして、ため息を残して、ライオルに話しかけられる前に向かっていた方向へと進み始める。
が、そこでふと、気づいて足が止まった。
「……あれ? どうしてライオル、私がいつも館の庭を見てることを知ってるんだろう? ……変なの」
ライオルがイーシュの後姿をこっそりついて来ていたことを知らないイーシュには、その答えを導くのも難しい。そもそも、はなから解く気もないのだから余計だ。




