1-3
◇
イーシュが何の気なく言ったその機会が訪れたのは、精霊祭も終わった数日後のことだった。
山の斜面に逆らうように、まっすぐに天に向かって太い幹がそびえ立つ。そこから生えた幾本もの枝は空を覆うように伸び、数限りない葉を茂らす。
昇ってしばらくした日の光は白く、揺れる枝の木の葉の色を黒くして、その隙間から輝くように漏れた。
あの精霊舞の祭壇が組まれた場所からほど遠くない、同じ山の別の場所だ。
新年を迎えたばかりの盛夏の森は青々と茂り、渡る風に心地よさげに不揃いな長い身の丈を揺らしていた。
小道のそばの、そんないくらでもある木陰のひとつで、白い塊がもぞもぞと動く。
「いい匂い……」
イーシュだ。手には輪郭の丸い、赤く筋張った葉を持っている。
しゃがみこみ、地面に這うように生えるその草を摘んでいるのだ。そしてそれを、そばに置いた篭にそっと入れる。
指は泥だらけだった。真っ白な服の裾もだ。
しかしイーシュは傷んでいない葉を見つけては、あるいは篭の中のすでに摘んで集めた葉を見ては、また満足げに手を伸ばす。
聞こえるのは鳥の声と風の音。
森の中からは見えないが、山のふもとの家々では、今頃は朝餉の準備にかまどが熱くなり、煙突から灰色の煙が昇る時分だ。
篭はもう、ほとんどいっぱいになっていた。
ふいに、生い茂る藪を掻き分ける音がした。久方ぶりの珍しい音だ。イーシュのずっと後方からだ。
イーシュが音の方を振り返ると、そこには見たことのある少年が立っていた。
逆立ったぼさぼさの赤茶の髪に日焼けした傷だらけの顔。記憶と違うのは、今日はよく拭いてあるということだ。
「あれ? ライ……オル……?」
確かめるようにイーシュに名を呼ばれて、ライオルは気まずそうに顔を歪めると、そばの木の幹に体を半分隠した。
「どうしたの? こんなところに」
その場から覗き込んでくるイーシュの問いに、ライオルは一瞬さらに幹の影に引っ込める。けれど、すぐさまその体を、今度は前触れ無く急に現して突進してくると、持っていた粗末な篭をイーシュの目の前に突きつけた。
「ほらよ!」
イーシュは目をぱちくりさせるだけだ。
「えっ? なあに?」
ライオルはそわそわしているような、いらいらしているような様子で、早口で半ば怒鳴る。
「お前の好きな草だよ!」
そう言うと篭をさらに突きつけた。今にもイーシュの鼻先にぶつかりそうだ。
それでもイーシュが受け取ろうとしないので、篭をそこらに捨ててライオルは斜面を横切り、元来たらしい小道のある方に駆け上がっていった。
「あ、待って、ライオル」
イーシュが呼び止める。
すると意外にも素直にライオルはその場に足を止めた。背中越しにイーシュを振り返る。それで余計にイーシュが大きく首を傾げる。
「どうしてこんなところにまで来たの?」
「ど……どうしてって、お前が一緒に草摘もうって言ってたからだろ!?」
「あっ。一緒に摘みに来てくれたの?」
ライオルは渋い顔を返してきた。だが否定はしない。
肯定だと感じたイーシュは、もう嬉しそうにしている。
「でもよくわかったね。わたしがここにいるの」
「……小さい山だから探せば見つかると思ったんだよ。だいたいここらへんの小道のそばにいるって聞いたしな」
他の子からの情報だろう。
ぶっきらぼうに、嫌々、という様子でライオルは答える。
けれどイーシュはさきほどからと同じように、にこにこしたままだ。
孤児院の子供たちとは大分反応が違うのだろう。調子が狂う、とでも言いたげに、少年は乱暴に頭を掻いた。
「けどよ、おまえ。一人でこんなところに来たらあぶねえぞ?」
「大丈夫だよ。ここは森のだんな様のお館があるお山だから。迷子になっても、おっきな声を出せば、きっとだれかに見つけてもらえるはずだし。それに毎日のぼってるし」
初めは誰かに付き添ってもらったのに違いないが、イーシュにはもう慣れた道だった。
それに山とはいえ、大きな丘とも言うべき規模だったし、裏手に回りさえしなければ、道に万一迷っても、斜面を下ればふもとの民家に辿り着くような単純な森山だった。
「なまいきいうなあ。俺よかちっちゃいくせに」
ライオルはそこらにつばを吐いた。祭りのときも去り際にやっていた。どうやらこれは癖らしい。育ちが知れた。
イーシュはそれも含めて微笑んだままだった。
「ライオルはいくつなの?」
「八才だ」
「じゃあ私よりみっつもお兄さんなんだね」
「そうだ。だから俺の方がえらいんだぞ。だから俺の言うことはよく聞け」
「うん」
だから、だからと繋げたライオルの無茶な要求を、イーシュは簡単に呑んで、再び草を摘む。
そんなのが相手では、張り合いが無い。ライオルは何か言いたげに上げた手の行き場なく、困りながら顔を掻いた。
「……おまえのこと、他の奴に聞いたぞ。西津森の旦那様の遠縁なんだってな」
「うん、そうみたい」
ライオルが鼻を鳴らした。
「どうりで特別扱いされてるわけだ」
「特別?」
「そうだ。おまえみたいなとぼけた奴、ふつうは『はみ』だ。『はみ』」
「とぼけてるかな?」
イーシュが目をぱちくりとさせる。全く身に覚えが無さそうだ。
ライオルが少し勢いを取り戻した。憎たらしく言う。
「ああ、とぼけてる。一人で喋ってる時はあるし、こんな朝っぱらから草なんか摘んでるし」
「うん、朝早くだと虫さんも寝てるから、刺されないの」
「ああ、まあ、それはそうだな……変ではないか……」
口をひん曲げ考え込んだ後にライオルは言う。
「じゃあ、なんで一人で喋ってんだ? 頭がおかしいのか?」
どうしてもイーシュを変人に仕立てたいのか、ただ慣れない相手に話題に困っているのか。どちらにせよライオルは会話が下手なようだ。下手どころの騒ぎではない。相手を怒らせるようなことばかり言う。
しかしイーシュは笑った。そう言われることには慣れているらしい。
「精霊さんと喋ってるところを見られたんだね、きっと」
「精霊!? おまえ、精霊と喋れんのか!? っていうかいるのか!?」
ライオルは飛び上がる。
「うん。精霊さんはあんまりおしゃべりじゃないけどね。すこしはつきあってくれるんだよ。あ、それと、おしゃべりできるのはわたしだけじゃないよ。神殿いるほとんどの人がそうだよ」
ライオル呆然としていた。
神殿の隣にある孤児院だ。他の孤児の子供たちはそのことをよく知っていたが、ライオルの耳にはまだ入っていなかったらしい。
けれどライオルの反応は森の一般人としては通常だ。宗教としての信仰は固いが、実際は精霊の存在は信じられていない。
「ここにもいるんだけど……見える?」
イーシュは目の前の藪を示す。ライオルは即答だ。
「見えねえ」
だがライオルは目をきらきら輝かせていた。
「すっげえ。いるんだ。へー。すっげえなあ」
なんの証拠もないのに、イーシュの言葉だけですっかりライオルは信じた。もう少し大人だったらそうはいかなかったかもしれないが。根は素直なのかもしれない。
相変わらずせっせと草を摘むイーシュに、今度はやけになれなれしくライオルは話しかけてきた。
「おまえ、なんのために草摘んでんの?」
「あ、これね。これ神官さまにわたすの。薬草なんだよ」
「ああ、まあ、薬草は聞いた。精霊が食うのか?」
イーシュが笑う。
「精霊さんはなんにも食べないよ。……あのね、神官様が喜んでくれるの。そして、これを使ってお薬を作ってくれるの。そうしたら、今度は兵士さんが喜んでくれるの。兵士さんが元気になると、兵士さんの家族が喜んでくれるの。森の主の旦那様も喜んでくれるの。みんなみんな喜んでくれるの。きっと、今日も沢山お薬が必要だから……」
子供でも知っていた。
イーシュたちの住む西津森は今、南の強国と戦争状態にある。ひと世代も前からのことだ。そして十年も前には、すでに同胞が住んでいた東の森も落とされていた。
戦地から遠く、森の主が住まう館建つ、平和に見えるこの西津森の中心にも、戦争の影はたしかに落ちている。いつも朗らかに笑うイーシュたちのそばにもだ。
孤児院の子供らは、その戦で親族を亡くした者ばかり。
修行のため神殿に暮らす子供らにだって身近だ。戦場から毎日のように運ばれてくる沢山の怪我人、それに死人を目の当たりにする。そして、その悲しみも。そうしてまた、隣り合う孤児院には新しい仲間が入る。
イーシュは急に子供のつくりの顔に似合わない儚い笑みを浮かべた。
「私が集められるのはこんな少しだけど、それでもお手伝いできるのが嬉しいの」
それを湛えたままで、薄汚い少年に顔を向ける。
「そ……そうなのか……」
さっき、変だと言って罵倒したのが急に恥ずかしくなったのだろうか。ライオルのおかしな勢いが無くなった。
「と、ところでよ。……あれ……合ってるのか?」
気まずさ紛れに指差したのだろう物は、先ほどライオル自身が持ってきて、そこらに転がした篭だった。
その中に緑色のものが覗ける。草だ。ひっくり返っているというのに、飛び出してこないということは、そうとうぎゅうぎゅう詰めにされているらしかった。
イーシュはそっとそれを取って、中を伺う。小さな指で挟んで一、二枚引っ張り出してみると、その倍以上の葉が引きずられて飛び出してきた。ぐしゃぐしゃになって汁すら滲んでいる。さらにもう少し出そうとすると、全て絡まり出てきて、あたりに散らばる。
ライオルが胸を張った。
「おまえがよ、こないだ言ってたからよ。薬草とかなんとか。そこにも一枚くらいそんなの入ってるはずだ。だから教わる必要は無い。なんだったら持ってってもいいぞ」
「う……うん……」
イーシュの顔は微笑みのまま、珍しくぎこちなくこわばる。
それを見てライオルは戸惑った。
「な、なんだよ! はっきり言えよ! 一枚もないってことはないだろ、あるだろ!?」
「えと……ないみたい」
「…………だああああああ!!」
一瞬止まったライオルは、その後は真っ赤になりながら空を掻きもだえる。そうしてそこらに頭を抱えてしゃがみこんだ。「恥ず……」という小声が聞こえる。
ぐったりと顔を下げたライオルを、イーシュがさらに下から覗き込んだ。
「だから一緒に摘もうよ。少ししか私も知らないけど、教えてあげる。いつかライオルの役にも立つかもしれないし」
口を捻じ曲げたライオルは、恥ずかしさで泣きそうな情けない目をイーシュに向ける。
「……将軍になるからか?」
「うん、そう」
ライオルはしばらく考え込んでうなだれていたが、ようやく顔をあげた。
「そうか。じゃあ、まあ仕方ない。お前から教わってやる。ありがたく思えよ?」
照れ隠しなのか、ライオルはえらくふんぞり返っていた。
ライオルの様子に何の疑問も感じないイーシュは、さっきのようにしゃがみ直して自分の隣の地面をぽんぽんと掌で叩いて示す。
「ねえ、そろそろここに座って? 話しずらいよ」
ライオルの気も知らないで、イーシュはなかなか酷なことを言う。
しかし不思議にライオルには、もう逆らわなかった。イーシュの笑みのせいだろうか。仕方無しにと言った様子をわざとらしく見せながら、照れ切った少年はこじんまりとそこに座る。
イーシュはライオルが座るのか去るのかも確認しないまま、また薬草摘みを始めていた。座ってくれるはずだと、疑いもしていない。
目は良い草を選びながら、声はライオルに使う。
「ねえ、ライオルはどうして将軍になりたいの?」
「そりゃあ、アンデルア人が嫌いだからだ。あと、将軍になれば贅沢な暮らしができるからだ」
贅沢な暮らしに憧れるのはライオルの身なりをみれば幼いイーシュでも理解ができた。元から着ていた服だろう。あちこちつぎはぎだらけだった。
孤児院に入ったといっても、神職並みに質素な暮らしだ。恐らく、孤児院に入る前の生活水準と大差ないだろう。
「じゃあ、どうしてアンデルア人が嫌いなの?」
イーシュは草を優しく持って、摘む。
ライオルも同じ葉を見つけて手を伸ばしたが、乱暴に引っ張って引きちぎってしまった。これじゃ使い物にならないな、と独り言をこぼしてそこらに捨てる。
「馬鹿だからだ。図体ばっかりでかくて、頭はからっぽだ」
「そうなの? 会ったことあるの?」
「ない。でもきっとそうだ。なんせあいつらは躊躇無く森を焼く」
イーシュは顔を上げた。その、もう少し説明を求めるような目に促されて、ライオルはまた口を開いた。
「森には水もあるし食べ物もある。日よけにもなるな。遊んでも楽しい。とにかく役に立つ。アンデルア人は岩ばっかりのみじめな国に住んでるくせに、森の良さが分からないなんて、そんなの馬鹿に決まってる。いや、だからかな。暑さで頭が悪くなったのかもな。」
木が一本大きくなるのには何年もかかる。森ができるのなんてさらにだ。
もう何百年も森の民はこの森に住んで、恩恵にあずかり、同時に大切に育ててきた。
ライオルの言うことは、口の悪い森の大人がアンデルア人を語る時に必ず言うことだった。育った環境がそうだったのだろう。責められない。だが誉められない。
しかし最後にライオルは森の民らしい、いいことを言った。
「なにより森は綺麗だ。落ち着くし。好きだ。だから森を焼くアンデルア人は嫌いだ。一度焼いちまったらそう簡単に元には戻らないってのによ」
イーシュがやっと柔らかく笑った。
「ライオルは、じゃあ、森を守るためにも将軍になりたいってことなんだね」
「森を……。うん、まあ、そうだな。間違ってはない」
自分では気づいていなかったのだろう。ライオル自身、指摘されて少し驚いていた。
イーシュは嬉しそうに微笑んだ。
「わたしも森がだいすきなの。きっと、みんなも。そんな森をいつか守ってくれるなんて、ライオルってステキだね」
急にライオルはのぼせたように真っ赤になると、口を固く結び黙り込んでしまった。
イーシュは何事もなかったかのように、再び地面に目を移し、楽しそうに草を摘む。
「わたしもね、なりたいものがあるの。祭りで精霊舞を舞う、みたまいれさまになりたいの」
「……知ってる。このあいだ聞いた」
ライオルは不満でもあるように口を尖らせる。顔は真っ赤だ。
不満があるとすれば、どうしても照れてしまう自分のことなのに違いない。
しかし、ライオルの将軍になりたいという夢も驚くほど高望みなのだが、イーシュの御霊入れになりたいという夢も相当だ。もしかしたら将軍になるより難しいことかもしれない。
けれど先日と同じように、ライオルは欠片も否定しなかった。
イーシュがライオルの方を見た。
「みたまいれさま、って、くわしくどんなのか知ってる? ライオルってたぶん、遠くから来たんだよね?」
はじめに会った時から誰もが気づいていただろう。同じ西津森のどこかではあるだろうが、ライオルの言葉はどことなく抑揚が違う。
ライオルは不満そうにつばを飛ばしながら早口で言った。
「馬鹿にするな。遠くから来たのはほんとだけど、そんなの知ってるに決まってんだろ!あれだろ? 新年のお祝いにやる精霊祭で、精霊を降ろしながら舞う特別な巫女のことだろ? このあいだ見た!」
イーシュが目を丸くしている。ライオルの剣幕に。
それで、はた、とライオルが顔色を変えて、おとなしくなる。
「ま、その……見たのは今年がはじめてだけどな……」
神殿にイーシュは住んでいるという話はライオルも先日聞いた。きっと御霊入れ本人ともごく自然に何度も会っているだろう。
そのイーシュに御霊入れを知っていると偉そうに息巻くのが、どことなく恥ずかしくなったのに違いない。
ライオルは頭を掻いた。
「たしか、たくさんいる巫女の中から、毎年たった一人しか選ばれないんだろ? 一番すごい奴がよ。ちょっと人間ぽくなくて怖い感じもするけど……綺麗だし、なんか精霊みたいでかっこいいよな」
ライオルの「かっこいい」という男の子らしい感想に、イーシュはふふっと面白そうに笑う。
「……みたまいれさまも神官さまとおんなじで、神殿に住んでいて、たまに一緒に遊んでくれるの。、巫女さま方もそうだけど、すごく優しいの。神事の時は舞を舞ってるけど、普段はお勤めをしているの。特別な人だけど、巫女だからね。他の神官さまみたいに治癒とかはしないけど、精霊とお話したりして土地を清めたり、整えたり、それから色んな人の相談に乗ったりもするの。いつもみんなのことを考えていて祈りを捧げてるの」
森の民の神官機関は閉鎖的で、外部にその内部構造をあまり見せたがらない。
御霊入れについても、民が知っているのは新年祭で舞うことくらいで、普段はどうしているのかはあまり知られていない。
けれど神殿で暮らし、御霊入れを目指すイーシュはその姿をよく見ていた。それは当然だが、ライオルには初めて聞くことだったらしい。感心したように聞き入っている。
イーシュは続ける。
「そしてね、すごくがんばり屋さんなの。とっても強いの。めげないの。前向きなの。……私はね、精霊祭で舞いたいだけじゃなくて、そんな人になりたいんだ……」
語るイーシュの瞳はきらきらと輝いた。
自分のはっきりとした将来の夢だ。イーシュは幼いながらもそれを持っていた。
息をのんで黙っていたライオルが突然、声を張り上げた。
「なれよ。なれるって!!」
その声に驚いて、大きな目をさらに大きくしたイーシュがライオルを見つめる。
ライオルも自分で出した声に驚いていた。
我に返ると、慌てて後ろを向いて顔を隠した。自分がどんな顔をしているのかわかったのだろう。そうしてこっそり後ろのイーシュの反応を伺う。
目が合った少女は、またにこっといつもの笑顔を見せてくれた。
「そうだね。前もそう言ってくれたよね。……ありがとう。わたし、がんばるね」
「……あ、ああ……」
ライオルの顔が急激にまた赤くなっていく。
イーシュは「ふふっ」と小さく笑うと、また白く細い手を伸ばし、泥にまみれるのもいとわず薬草摘みを始める。
ライオルの恥ずかしさの理由なんてものには微塵も気づいていない。そもそも恥ずかしがっているということすら気づいていないかもしれない。
「みたまいれさまになるには体力も必要なんだって。舞を舞うのって、けっこう疲れるんだって。きれいだからそうは見えないよね。だからわたし、もちろんみんなが喜んでくれるっていうのもあるけど、毎日お山に登って体をきたえてるんだよ。」
ここは山と呼ぶには申し訳ないほどの丘に毛が生えた程度の小さな山だが、まだ幼いイーシュには十分な鍛錬になる道のりだ。
驚いたライオルは、あんぐりと口を開けたまま閉めるのを忘れていた。やっとのこと、という様子で言葉を返す。
「そ、そうだったんだ……」
すっかり泥まみれになった手を止めて、イーシュはライオルを見上げた。
「ライオルは将軍になるために、なにかしてる?」
問われた少年は急に手をあちこちにばたつかせる。口を何度か魚のようにパクパクさせた後、しどろもどろに言う。
「え? えーと……その……あ、そう、剣の素振りだ、素振り。毎日、百回はやってる。それから、んー……走ってる。野原を……五十周くらいな!」
とっさにそう言ったライオルだったが、もちろん全部嘘だろう。問い詰めずとも、口調が全て物語っている。
しかし、イーシュは信じてしまった。他の子供なら違っただろうが。
その純真さは少々危険だが、貴重でもある。目指す神職は天職かもしれない。
「そうなんだ。すごいね。ライオルもがんばってるんだね」
「あ、あたりまえだろ!?」
ライオルは虚しく胸を張り、高笑いを響かせる。
イーシュは後ろめたいだろう可哀想な少年に無垢に微笑む。追い討ちをかけることになるだろうなどとは、もちろん夢にも思いもしない。
「わたしね、将軍様って会ったこと無いけど、みんなの話を聞いて、みたまいれさまみたいに、すごーく優しい人がなるんだと思ってるの」
「? 強い人じゃなくて?」
ライオルは何度も目をしばたたかせた。そんなことを言うとは意外だったようだ。
にっこりと微笑みながら、イーシュは頷く。
「うん。強いのもそうなんだろうけど。優しい人。だって、森のみんなのために戦っているんでしょ? みんなのために自分は危険な場所に行くなんて簡単にはできないよ。兵士さんも、もちろんそうだけどね。将軍ならなおさらでしょ?」
「う~ん……全員に当てはまるわけじゃないような気もするんだけど……」
問われて、ライオルを腕を組んで考え込んだ。
森の民は質素で平凡な暮らしを好む民族で、我欲の為に力を誇示しようとする者は少ない。が、いないこともない。そこまで全員が綺麗ではない。
そして戦では得てしてそういう者が生き残り、武勲を立てたりもするものだ。
子供とはいえ、イーシュよりは世間を知っているライオルだったが、最後には頷いていた。そうして拳で自分の胸をとん、と叩く。
「でも、そんな将軍なら、みんなも護りたくなるよな。ついて来てくれるだろうし。……よし、じゃあ俺、強くて優しい将軍になるよ!」
「強くて優しいの? それってすごくステキだね」
「だろ?」
ほころんだ花のように可憐に微笑む少女を前に、頬を赤らめた少年は得意げに鼻の下を指でこすった。
そうしてなにか思いついて、いたずらっぽく瞳を輝かす。
「よし! それじゃあ、同じ将来の夢があるもの同士、どっちが早く夢を叶えるか競争しようぜ」
「え……」
「おじけづくなよ。絶対なるんだろ?」
ライオルはイーシュをなかば睨むような、挑発するような、それでいてはっぱをかけるように見つめる。
戸惑っていたイーシュだったが、最後には静かに頷いた。
「……そうだね。うん、いいよ」
風が渡るのに合わせて、森の梢がさわさわと揺れた。




