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◇
談笑が響く。
赤々と燃えるいくつもの松明の明かりが、踊り戯れ、あるいは舌鼓を打ち酒を呑む人々の影を揺らめきながら地面に映し出す。
イーシュたちが辿り着いた、山の森の中、斜面の途中に意図的に作られた平らな広場は祭りの真っ最中だ。
老若男女がひしめき、広場の端には旅芸人が興行し、各地から寄せられた見たこともない食べ物があちこちに並べられる。
人々は好き勝手に話し、眺め、食み、遊ぶ。
陽はとっくに落ちていたが、幼い子供たちがそこかしこで走り回っていた。咎める者はない。
「祭りの神事が終わるとますます賑やかになるよね」
「うん。見たこと無い人がたくさん!」
「森の安泰を願う新年のお祭りだから、森中の人が集まって来てるからね」
イーシュと並んで歩く友人たちが楽しそうにはしゃぐ。
そこを鹿の毛皮を被った男がすれ違う。鮮やかな鳥の羽で着飾った若い女性もだ。
集まる人々は皆、子供たちと同じように、獣の皮や植物を身に纏う。日常とはかけ離れた格好をしていた。
「精霊祭ってみんなの仮装を見てるだけでも面白いよね。森の生き物になりきって……えーと、なんだっけ?」
「うん、森の生き物になりきって、精霊や自然と一体になって、自分たちも森の一部だって再確認するため。そして、新年の機会に森の精霊に毎年加護をお願いするのがこの精霊祭」
「ああ、そうか。そうだったね」
皆より頭ひとつ大きいおっとりとした少年の説明に、イーシュ含め、小さな子供たちは頷いた。
広場には、大きな舞台があった。今はたいがいの火は落とされ、暗い。そこを神官たちが静かに行きかっていた。供物や、神具など、儀式の終わった舞台の上を片付けている。
眺めながらその前を横切る子供たちがどことなくぼんやりとした笑みを浮かべた。
「それにしても精霊舞、すごく綺麗だったなあ」
「あんな舞を奉納したんだから、今年はきっといい年になるよ。食べ物も沢山採れて、寒さもゆるくて」
子供たちの話を聞きながら、イーシュは舞台の上を憧れの眼差しで眺めていた。
いくつもの人だかりをくぐり抜け、通り過ぎると、ようやく目当ての楽師を囲む人だかりらしいものが見えてきた。
が、聞こえてきたのは楽の音ではなく、怒鳴り声だった。
「あの声……、まさか」
イーシュたちを先導するおっとりとした少年が青ざめる。
驚きながらも皆が駆け寄り、人だかりを掻き分け近づいてみると、中心には楽師ではなく、なぜか二人の少年がにらみ合っていた。
一人は、行かせまいと他の子供たちに体を押さえつけられ、一人は地面に倒れていた。楽師を囲む群れはもっと奥の方だった。ここにいるのは子供の喧嘩を眺める野次馬だ。
「ど、どうしたのさ?」
おっとりとした少年が、似合わない慌て口調で事情を問う。
倒れこんでいた男の子は殴られたらしい。口を切っている。森の生き物に扮したせっかくの衣装も汚れて破け、ぼろぼろになっていた。
「ライオルが悪いんだ!」
地面に横たえた体を、ようやくのこと半分だけ起こして、男の子は刺すように指差した。
その先には、他の子供たちに押さえつけられて暴れる少年がいた。この男の子を殴ったらしい子だ。
ぼさぼさに飛びはねた赤茶色の髪に擦り傷だらけの腕や足。汚れてまっ黒なのは日焼けのせいなんかではなさそうだ。衣服が粗末なのも喧嘩でこうなったのではないようだ。
少年は噛み付きそうなほど歯を食いしばり、琥珀のきつい瞳を爛々と輝かせている。
イーシュたち一行が、一人の例外なく首を傾げる。
「ライオル?」
初めて見る、という視線が集まってきて、居心地悪そうにライオルと呼ばれた少年は目をそらし口を尖らせた。かと思うと、乱暴に自分を抑えていた子供たちの手を振り払った。そうして、ようやくおとなしくなった。
しかし睨むような目つきはそのままだ。とてもふてぶてしい印象を受ける。
倒れていた男の子も友人たちの手を借りてやっとのこと起き上がった。
「あいつ、いきなり俺を殴ってきたんだ」
「ちがわい! お前がありもしないことを言うからだ!」
怒鳴り声に、ライオルという少年は即座に同じように怒鳴り返す。それにさらに怒鳴り声が返る。
「汚くて野蛮だって言うのが、ありもしないのかよ! 顔見てみろよ! 息だってくせえぞ!」
呆然と様子を眺めていたイーシュたちに、ずっとここにいて成り行きを見ていたらしいみつ編みの少女が小声で囁いてきた。
「あのね、あのライオルって子、今日の夕方にうちの孤児院に連れて来られたの」
そう言ってその話題の主の周りの子を見渡す。ここでイーシュたちを待っていたそのほとんどは、孤児院の子なのだ。この娘もそうだ。
少女は続ける。
「でもね、あんな感じだから……」
みつ編みの少女が見つめる人だかりの中心で孤立する少年は、見た目も性格も、どこか他の孤児院の子供たちとそぐわなかった。言葉にも、微妙な抑揚の違いがある。
同じ森の者だろうが、そうとう遠くから来たらしかったことが伺えた。
その間も、ライオルという少年と、それに張り合う少年とは、罵声を浴びせ合い続ける。まるで声の大きい方が勝つかのようにだんだん度を増してくる。
「違う! そのあとだ! どうせ親に捨てられて孤児院に来たんだろ? って言っただろ!?」
「ああ、言ったよ。そうなんだろ!?」
「俺の親はそんなんじゃねえ! 父親は戦地で勇敢に戦って死んだ立派な戦士だ! 母親はそれでも俺を必至に育ててくれたけど、病気で死んじまったんだよ!」
ライオルという少年を見る限り、とてもそういう良識ある家庭で育ったようには見えなかった。少なくとも、殴られたという少年は容赦なく疑いの眼差しを向けている。
二人は睨み合って、そのまま動かなくなった。なんとも言えない空気がその場を包む。
けれど、たいがいの大人は酔いが回っていて子供の喧嘩に入ってこようという気配はない。少し向こうの方にいる楽師も演奏の手を止める様子はない。
精霊祭はどこもかしこも無礼講で、喧嘩なのか団欒なのかわからない熱狂が支配し始めていた。毎年のことだ。普段おとなしい人々もはめを外して楽しむ伝統で習慣だ。
それに森では子供は、ある程度自立した存在として扱われていた。赤子を過ぎれば過度な干渉はされない。
野次馬で様子を見ていた人々も飽きて離れつつあった。
それでも子供たちはまだ、睨み合う二人を前に、誰も身動きできずに固まってしまっていた。
すっとそこに、イーシュが進み出る。
「ごめんね。ライオル」
無関係なのに、なぜか謝る。
見守っていた子供たちは目を丸くしたが、ライオルは驚かなかった。図太い神経が見え隠れする。
だが意表をつかれたせいか、毒気が少しだけ抜けた。
「なんだお前。孤児院の奴じゃ無さそうだけど」
「わたし、イーシュ。ライオルの住んでる孤児院の隣に神殿があるでしょ? そこにみんなと住んでるの」
イーシュはそう言いながら、ちらりとここまで一緒に歩いてきた友人たちを振り返った。
こうして改めて孤児院の子供たちと比べてみると、はるかに身綺麗で育ちが良い印象がある。
ライオルが汚れた頬のそばにある口をひん曲げた。
「なんであんなかたっくるしいとこに住んでるんだよ。馬鹿か?」
罵倒されて少し驚いたイーシュだったが、面白そうに微笑む。
「あのね、わたしたち将来神官になりたいの。だから神殿で修行させてもらっているんだよ。……って言っても、わたしは正式な修行はもう少し先なんだけど」
揃って精霊を可視するのはそんなわけだ。そんなことは当たり前の子供たちなのだ。孤児院の子供たちと仲がいいのは、そばに住んでいるからだろう。
イーシュが微笑んだのは、初めてそんなことを言われたからだった。たいては『偉いね』とか『すごいね』など褒められるものだ。
なにか文句を言いたそうなライオルを制するように、睨み合っていた少年が素早く口を挟む。
「イーシュは力を認められて、特別に赤ちゃんの頃から住んでるんだぜ。んで、将来は精霊舞を舞う『みたまいれさま』になるんだ。きったないお前なんかが話しかけるなよ!」
みたまいれ。
御霊入れ、といって、先ほど前を通った祭壇上で、精霊祭の神事のひとつとして舞を奉納する巫女のことだ。普段はあまりそうとは呼ばれず、人々の間では単にその役の通り、『精霊祭の巫女』と呼ばれることが多かった。
神職のうちでは低い身分の巫女の一種とはいえ、一年にひとりしか選ばれないため、その年の森の象徴でもあり、人々の尊敬を集める特別な存在だ。選抜には厳しい審査が行われるという。なりたいといってなれるものではなかった。
しかし男のこの口調はそうではない。まるで、もうそうなるのが決まっているかのような口ぶりだ。たまらずイーシュがうろたえる。
「あ、あの、なれたらいいなってだけだから……」
神殿の子供たちは顔を見合わせて困っていたが、他の孤児院の子供たちは、幾人かが顔を見合わせて頷いていた。
「なれるよな」
「うん、ぜったいなれる」
なりゆきをつまらなさそうに腕を組んで眺めていたライオルが、呆れたようにイーシュを見下ろした。年上なのだろう。特別背が高いというわけではないが、イーシュよりかは頭半分大きい。
「なんだ、お前。精霊祭の巫女になりたいのか?」
イーシュが戸惑いながらこくりと頷くと、ライオルはますます呆れ返ったような顔をした。
「じゃあそんな弱気なことを言ってんじゃねえよ。よく知らねえけど、精霊祭の巫女になるなんて大変なことなんだろ? ならもっと『絶対になる!』って胸張ってろよ!」
孤児院の子供たちが睨んでいる。
「お前偉そうだな……」
「なんたって未来の将軍様だからな。まあ、こっちは雑兵どまりだろうけど! ははははは」
揃って笑い声が上がる。
だが、ライオルはどんなに馬鹿にされ、笑われてもふてぶてしい。皆の前で耳垢を掻いて出すほどだ。
イーシュはライオルを見上げる。
「ライオルは将軍になりたいの?」
「そうだ」
「ライオルにも夢があるんだね」
「当たり前だ」
ライオルは掻いて出した耳垢をふっと吹いてそこらに飛ばした。そばの子供たちが顔をしかめている。けれどライオルは構いやしない。堂々と胸を張っていた。
どこから湧いてくる自信なのか。しまいに囲んだ子供たちは皆、呆れ返ってしまっていた。
だが目の前の少女は微笑み、一人頷く。
「……うん、そうだね。わたしもきっとなれるって信じて頑張る。ライオルも将軍になれるといいね」
白い頬が高揚でほんのり色づくと、まるで花が開いたような芳しさと清涼感が漂った。そのせいか、ライオルは身動きを止めてしまった。まじまじと、イーシュを見つめる。というより、もしかしたら目が離せないでいるのかもしれない。
イーシュはなにか思いついて顔を輝かした。
「あっ、そうだ、じゃあ今度ライオルに薬草のことおしえてあげるね。一緒に摘みに行こう? 兵士になるなら、きっと知ってたほうがいいよ。ケガとかしちゃうし、すごく遠くまで戦いにいかなきゃならないし。あのね、このあいだ神官長さまにおしえてもらったんだよ」
ライオルのひるんだ様子には全く気がついていない。イーシュは、ただひたすら嬉しそうだ。そのままイーシュは、蔦を絡めた白くて細い手をライオルの前に差し出した。
「まだ『よろしくね』ってあくしゅしてなかったね」
急に、かーっとライオルの顔が赤くなった。しまいに一人でじたばた暴れ始める。
「そ、そんなわけのわかんねえ草のことなんて知りたくもねえや! ばーか!」
そう悪態をついて、そこらにつばを吐くと、周りの子どもたちを押しのけ転ばせて、自分は森の小道に駆けて行ってしまった。険しい形相をした子供たちの声が追いかける。
「きったねー!」
「イーシュに謝れー!!」
だが、もう届かなかった。祭の宴はまだ中途だったが、孤児院に帰るつもりなのか、すっかり見えなくなってしまった。
イーシュが目をぱちくりさせている。
「わたし、なにか気にさわること言っちゃったのかな?」
ライオルが去っていた方からまた新たな祭を楽しむ客が現れる。戻ってくる気配は微塵もない。
「さっき、お花摘んで遊んでたから汚かったかな?」
そう言って、イーシュは自分の小さな手を見つめた。さきほどライオルと話していた神殿の男の子がそれに気づいて一緒に覗き込む。
「大丈夫。全然汚くないよ」
孤児院の子供も覗き込んできた。
「ってか、あいつがすっげえ汚いから、握手なんかしなくてよかったんだって!」
「あれで将来、偉い兵士になりたいとか言ってんの笑えるよなー」
今日孤児院に入ったばかりだというのに、あのライオルという少年はすでに相当な数の子供たちに気に喰わない奴だと思われているらしい。こんな事件があってはますますだろう。
子供たちは顔をしかめて口々にライオルの悪口を言っていたが、イーシュは笑っていた。
「絶対になるって決めてるんだね。信じてるんだね。それって、すごいね」
子供たちがぽかんとイーシュを見つめる。
「違うよ、あいつ、馬鹿なんだよ。みのほどしらずってやつ」
「そうだよ。将軍なんて喧嘩が強いだけじゃなれないんだから」
「そうそう。頭も良くなくっちゃ。たいていは騎士の子がなるもんだよ。そういうふうに育てられるし。あと、なんか、『うしろだて』? ってやつがないと駄目なんでしょ?」
「孤児じゃあ無理だよなー」
「なー」
子供たちは顔を見合わせる。
現に今の将軍も西津森の主の息子だったり、歴代将軍を務めた者の血縁者だったりする。
孤児院の子供たちは育ちのせいか、幼いながらよく世間を知っている。神殿に住む子供たちも頷く。イーシュだって知識としては知っているはずだ。
それでもイーシュは、まだ「すごいね」と言って微笑む。
それで、ついに子供たちも諦めたようだ。苦笑いをして肩をすくめる。
「イーシュにはかなわないよなあ」
毒気が無さすぎるのも煙たがられるものだが、イーシュに関しては特別扱いされているようだった。容認、というよりむしろ、だからこそ好かれているといった感じだ。皆の顔が弛んでいる。
それに神殿の子は多かれ少なかれ、イーシュと同じような傾向がある。ここでは珍しいことではなかった。
先ほど殴られて倒れこんでいた男の子が衣服の土を払った。
それを待って、何事もなかったかのように、また子供たちは祭りを楽しむため、楽の音が鳴る方へと向かっていった。




