第9話 助けにきた獣
3日目の朝が来る。
手足を千切られ、腹を裂かれる1日前だ。
「おはようございます……」
アンデッドの声は、地獄の底から這い上がってくるようだった。
「おはようございます」
ルナは周囲を見渡した。
誰もいない。
昨日まで賑やかだった廊下には、もう自分しか残っていなかった。
「???」
「そうですよね。不思議ですよね。俺も不思議なんです。でも調べたらわかりました。脱出ルールって、ホテルに一緒に来た相手とのキスでしたでしょ」
アンデッドは疲れ切った声で続ける。
「残ってた女子大生と男の二人ね、おしゃべりしてる最中に、お互いが同じ時刻にホテルへ来たことに気付いたんですよ。で、試しにかるーくキスしてみたら、この通り。もう脱出してここにはいません」
「そんな、ガバガバな……」
絶句した。
いくらなんでも抜け穴が大きすぎる。
「ええ。なんとでも言ってください。もう花嫁はあなた一人なので決定です」
「……アンデッドは婚活支援サイトに接続する環境がある? 公的組織が運営してる安全性の高いやつを知っているんだけど、どうかな」
「ありますが、なにか? でも、そんなものやりませんよ」
「そういうものを駆使したら、結婚への近道なんだと思うよ」
しばし沈黙。
もう他に誰もいない。
残っている一人は花嫁確定。
それで気が抜けたのか、スピーカー越しではなく、廊下の奥から声が聞こえてきた。
「近道? そんなことはありませんでしたよ」
若い男の歩き方だった。
「こんな大がかりなことをする前に、もうとっくに試してますから!」
姿を現したアンデッドは意外に足が長く、肩幅も広く、綺麗な体格をしていた。
だが、顔は腐り、襟元は腐肉でべたついている。
世の女性なら、その時点で「清潔感なし」と判断するだろう。
「これでもちゃんと調べて、いろんな婚活サイトに登録してみたんですからね! でも、どのアドバイザーも、プロフィールに四肢切断は書かないほうがいいとか、焦って異空間に連れていかないほうがいいとか、加工アプリでもうちょっと顔を作りましょうとか!」
アンデッドは拳を握り締めた。
「こっちの言ってることを何も理解してくれないんです!」
「そうか、苦労したんだね。失礼したよ」
「共感ありがとうございます」
アンデッドは少しだけ嬉しそうだった。
「きっとあなたとなら素敵な棺内ライフが送れるかと」
そして「特別に」と言って、何種類もの靴下状のものを取り出す。
「千切った部分を覆うのはどれがいいですか? 俺はこのカエルちゃんがいいと思います」
「こんなことを言うとあれなんだけど――」
「はい」
「やっぱり心当たりあるんだ」
「え?」
「いわゆる助けに来てくれそうな殿方」
「今さら!? 今さらですか!?」
ルナは懐からメモ用紙を取り出した。
昨日まで周りにいた人たちがいなくなり、やはり少し心細くなったのだ。
シェルトドーガにも都合があるだろう。
もっと早く頼めばよかったと少し後悔していた。
「君ならこの空間でも、この人と連絡が取れるかな?」
「うぅ……ひどい。ひどすぎます」
アンデッドは肩を落とした。
「俺の顔が嫌なら嫌って言ってくださいよ」
「嫌じゃないよ。どうせ肉体はいつか滅びるんだから、腐敗は誰もが免れないだろうし」
「優しい……」
「それでね、私は機械に疎くてね。連絡が取れるなら、君にやり取りをお願いしたいんだ」
アンデッドは数秒固まった。
「あなたを閉じ込めた怪異本人に『助けに来て』って打ち込ませるんですか!? そんな、そんなシュールな話あります!?」
もうどうでもよかった。
なにもかも。
結局、自分は不幸な星の元に生まれたのだと、アンデッドはノートPCを起動させながら泣いていた。
「グスグス……元々、使う予定なかったやつですから、音声入力とかできませんよ。ほんとにキーボード打てないんですか?」
「ふふっ」
「なんかムカつきますね。はい。最初はなんて打ち込むんですか? ほら、早くしてくださいよ」
「えーっと、拝啓、怪異が花嫁を選ぶ季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか」
「いいんですね!? 本当にそれで打ちますよ!?」
半ばヤケクソでエンターキーを叩く。
その瞬間だった。
返信が来た。
『ルナ! 連絡嬉しいよ! なにを使って連絡してきてるの? スマホ買った? 僕とお喋りしたかったの? 今、僕お仕事中! お仕事終わったら会う?』
「速っ」
アンデッドが引いた。
送信から3秒も経っていない。
「悪いんだけど、今置かれている私の状況を説明してくれるかな?」
「俺が自分でやった悪事の経緯を説明しなきゃならないですと?」
アンデッドは天を仰いだ。
その間にも、シェルトドーガからのメッセージは止まらない。
『今どこにいるの?』
『早く会いたいな』
『お餅もらったから一緒に食べよ』
『膝に乗せて、あーんしてあげる』
泣く泣く、自分の失敗した計画の経緯を書き込む。
途中で何度も手が止まった。
送られてくる文章の9割は、他愛ないラブメッセージだった。
だが、残り1割が妙に気になる。
怪異退治が待っている。
氏子の依頼がある。
どこそこへ顔を出さなければならない。
それは一般人の使う言葉ではなかった。
アンデッドは画面を見つめる。
ルナの現在地。
異空間の情報。
脱出条件。
本当にこのまま送っていいのだろうか。
なんだか嫌な予感がする。
『そこはどこ?』
『また異空間にいるの?』
相手の文章の波が変わったようだ。
『今は誰といるの?』
『怪我はない? 大丈夫?』
さっきまでの浮ついた文章とは違う。
『場所を教えて』
『迎えに行く』
「なんか怖くないですか?」
「そうかな?」
『今どこ?』
『まだ?』
『ルナ』
『返事』
送信速度がおかしい。
一文読む間に、次が届く。
『今向かってる』
アンデッドの指が止まった。
「向かってる?」
ルナも首を傾げる。
まだ場所は送っていない。
『海じゃない』
『地下でもない』
『ホテルだよね?』
アンデッドの背筋が冷えた。
「はい?」
ルナを見る。
再び画面を見る。
位置情報は送っていない。
送っていないはずだった。
『壁があるね?』
『今その向こう』
「いやぁああああああああああああああああああ!」
アンデッドはノートPCから飛び退いた。
同時に――
ドン。
どこかで音がした。
ドン。
重い音。
ドン。
また一歩。
『近いね』
画面に表示される。
ドン。
『もうすぐ』
アンデッドは震える指で画面を指差した。
「これ怪異ですよね!?」
「いや?」
「怪異でしかないでしょっ!?」
「多分、シェルトドーガだと思う」
「その認識がおかしいんですよ!」
ドン。
今度は壁そのものが揺れた。
そして最後のメッセージが届く。
『見つけた』
アンデッドは人生で初めて、自分より怖い存在の接近を感じていた。
「これ、なんなんですか!? 誰なんですか!? こんなことどうしてできるんですか!?」
「今、君の後ろに来ているよ」
アンデッドは振り向けない。
振り向いてはいけない気がした。
背後に何かいる。
そんな確信だけがあった。
誰かが立っている。
音はしない。
息遣いもない。
だが、そこにいる。
恐る恐る視線だけを動かす。
廊下の床に長い影が落ちていた。
アンデッドの影ではない。
ルナの影でもない。
異様に長い。
まるで獣が後ろ足で立ち上がったような影だった。
「シェルトドーガ、来てくれてありがとう!」
「はいはい、シェルトドーガめが参りましたよ」
あまりにも普通に返事があった。
けれど、まだ動くことができない。
山を前にしたような圧迫感。
嵐の海を覗き込むような恐怖。
こんなものと、自分が同じ土俵に立てるわけがない。
決死の覚悟で振り返る。
そこには、スーツ姿の少年が立っていた。
それだけなのに、異空間そのものが静まり返っている。
まるで、この空間が彼の存在を警戒しているようだった。
「へぇ……」
シェルトドーガがノートPCを覗き込む。
送信待ちで残っていた文章を読んでいるのだ。
アンデッドの喉が鳴った。
まずい。
本当にまずい。
この化け物の所有物らしき相手を、自分は3日間も軟禁していた。
しかも今、経緯を全部読まれている。
「いや、その、これには事情が――」
「よくやった、おまえ!」
肩が崩れるほどの力で叩かれる。
「!?」
「そっか、そっか。今日中にチュウしないとここから脱出できないのか。時間が迫ってるね、ルナ。どうしよっか?」
その場に崩れ落ちるアンデッド。
怖かった。
本当に怖かった。
顔の肉がすべて落ちるかと思った。
「チュウってのは枕越しでも達成になるのかな?」
ルナが確認する。
「知りません」
「枕越しになにを感じろというのだ。それで思い出したんだけど、極厚コンドームってあるでしょ。あれって装着したらなにも感じないんじゃないの? 僕、いつも生だからわからないんだよね」
いつものおふざけを言いながら、うねうねとタコ口を伸ばしてくる。
「待って、待ってほしい。まだ心の準備ができてないから」
助けを求めておいて、ルナも往生際が悪い。
「待たない。なぜならここはラブホテルだから。エッチをするべき場所だから」
「もう、いいですから。さっさと出ていってくださいよ」
アンデッドが半泣きで訴える。
「悪いが、キスだけではこの獣は収まらないぞ」
その瞬間、ルナに天啓が下った。
シェルトドーガを呼んだのは、このためだったのかと。
自分で自分の選択に感謝する。
「アンデッド! 私は一緒にホテルに来た人がいないから、特例の救助者とキスすればいいんだよね?」
「はいはい、そうですよ」
投げやりな返事だった。
ルナはへらへらしたシェルトドーガの手から逃げると、悪臭漂うアンデッドの背後へ回り込む。
そして、その腰に抱きついた。
「あ? ルニャーゴ、それはなんの真似だ?」
「きゃー、助けてアンデッド。あの人から私を守って」
「は?」
アンデッドは固まった。
「できるわけないでしょう! 今、睨まれてるだけで俺は崩れそうなんですから!」
獣の影が、ゆらりゆらりと大きく揺れる。
「大丈夫。『はい』って言うだけでいい」
「え?」
「私のこと助けて。お願い」
「え? 『はい』って言う? はい? どういうこと――」
「ありがとう。これで君が救助者だ」
アンデッドは「はい」と言った。
少なくとも、ルナはそういうことにした。
条件だけ見れば、「救助者」として成立している。
ルナは何のためらいもなく、アンデッドの顔へ唇を寄せた。
「嫌じゃない」と言ったのは本当だった。
その唇が腐肉に触れる。
その瞬間、二人の足元から光が溢れ出した。
キラキラと輝く粒子が舞い上がる。
脱出判定だ。
「え、俺も脱出なんですか」
「おめでとう」
こめかみに青筋を立てたシェルトドーガを残し、二人の体は異空間から消え去った。
後日談。
女装男子と清らかな女子大生は、異空間脱出後も時々連絡を取り合っているらしい。
そして、アンデッドは怒り狂ったビーストに見つからないよう土中に潜り、またこっそりと婚活サイトのあれこれを比較しているのだった。




