第10話 3日後までに1200万円!
ラブホテルの一室。
ルナはベッドのシーツを素早く剥ぎ取っていた。
部屋の片隅。
一人の男が手伝いもせず、つっ立っている。
同じホテルで働く男だった。
夜はホストクラブで働いている。
しかし、指名が取れず、稼ぎは最底辺。
副業をしなければ、日々の食事にも困る状態だった。
男は根元が黒く伸びたプリン頭だった。
美容院に行く金すらない。
同僚はルナの背中に向かって、切実に声を絞り出した。
「1回だけでいい。僕のヘルプに入ってくれないか」
「難しそうだな。私、お酒があまり強くないし」
ルナはベッドメイクを続ける。
「飲む必要はないんだ。ただ、席に座っていてくれるだけでいい。君みたいな見た目の人が隣にいるだけで、女の子たちの注目を引ける」
同僚は、冗談では済まない表情をしていた。
ここで断られれば、いよいよ進退窮まる。
必死に窮状を訴え続けた。
その内容が嘘か本当か。
ルナには判断ができない。
他人の深刻な事情に対し、そもそも興味が薄かった。
ただ、彼は一つだけ、特別な行動をしていた。
これまでバイト先で会うたびに、ルナの頭の上を見る。
そして、ニクシーのことをいつも褒めてくれる人だった。
それだけで、ルナにとっては信用する理由になってしまった。
「そこまで言うなら、いいよ」
ルナは仕方なく微笑んだ。
同僚の顔に安堵が広がる。
何度も頭を下げ、お礼を言った。
約束の日はすぐに訪れた。
通信機器を持たないルナ。
ホストはくどいほど、店の場所、従業員入口へ入る際の合図、時間を復唱させていた。
そのため、道に迷うことはなかった。
「おう、いらっしゃい。待ってたよ」
案内役の男がにやりと笑う。
促されるままにロッカールームを素通りする。
ルナはそのまま、店内へと導かれた。
店が営業している気配はない。
幹部らしき数名が、ソファに大股で座っていた。
他のホスト連中が、緊張した面持ちで壁に並んでいる。
営業前のミーティングにしては、おかしな雰囲気だった。
幹部の一人が、冷ややかな視線をルナに向ける。
「おい、本当に来たぞ」
ルナを誘った同僚ホストの姿は、そこにはなかった。
男たちは、騙されてやってきたルナを品定めするように見つめた。
不思議そうなルナに向かって、幹部が事の顛末を説明し始める。
同僚のホストは、自身の借金を肩代わりさせるためにルナを呼び出したのだという。
同僚にとって、ルナは格好の標的だった。
ニクシーを褒めておけば、自分への警戒まで緩む。
そのことに同僚は気付いていた。
「あいつの借金な、600万あるんだわ。それをあんたが返すわけ。返せなかったら全ゾーキね」
幹部が薄汚い笑みを浮かべて言い放つ。
「全身の各臓器を売買するわけか。でも、若くて健康的な私のパーツなら1000万は超えるのでは?」
「やだ、こいつ、バカボケで騙されてきたわりには勘がいい」
初めからホスト連中の目的は、全臓器の売買だった。
需要のない身体の部位など、ひとつもない。
「返済期限はいつまで?」
ルナは尋ねた。
「今、今この瞬間」
幹部がタバコを咥える。
火をつけ、こちらへ煙を吹きつけようとする仕草を察知する。
ルナは咄嗟に頭上のニクシーを下ろし、胸元へと隠した。
大切なものに、煙がかかるのを防ぐためだった。
「3日だけ待ってくれないかな?」
「フーーーーッ、なにを根拠にだ? あ?」
幹部が紫煙を吐き出しながら睨みつける。
ルナは胸元にニクシーを抱えたまま、淡々と答えた。
「心当たりがないわけじゃないわけじゃないかもしれない」
あまりに曖昧な物言いに、幹部の眉間の皺が深くなる。
ホストたちの包囲が、一歩縮まった。
幹部の顎の合図で、ホストの一人がルナの元へと歩み寄った。
ルナのポケットから、マジックテープ財布を引っ張り出す。
バリバリバリ。
中身をぶちまけ、冷酷に確認を始めた。
3250円。
それと、数枚のポイントカードと交通系カード。
クレジットカードの類いは、一枚も見当たらなかった。
財布が投げ返される。
もう一人のホストが、散らばった現金を拾い集めるルナへスマートフォンのカメラを向けた。
スーツの生地や縫い目、内ポケットの中身を撮影し、買い取り価格を調べようとする。
しかし、スーツは既製品ではないらしく、画面にはエラーコードが戻ってきた。
胸元に隠された白いのっぺらぼうなニクシー。
これに価値があるとも到底思えなかった。
ホストたちの目には、ルナの持ち物がどれも金になりそうになかった。
そんな人間が、何を根拠に大金を用意できるというのか。
「――あ、はいはい、わかりました。おい、あの馬鹿の解体に時間かかるって」
別の幹部の一人が、通話を切って吐き捨てた。
ルナは気付いていないが、あの馬鹿とは例の同僚のことだ。
どうやら逃げきれず捕まってしまったようだ。
そして、同僚はお宝クラスの一物を持っていたらしい。
その貴重品を丁寧に扱うために、処置に時間が必要になっていた。
「あー、ならいいわ。わかった、貧乏人。3日だけ待ってやる。ただし返済額は倍だ。600万の倍だから……」
幹部は指を折り、しばらく黙り込んだ。
「……1200万な。無理ならゾーキだ」
「ゾーキ好きだね」
当の本人は、案外呑気だった。
見渡せば、室内にいる全員の目がルナを凝視している。
それは人間を見る目ではなかった。
レバ、ハツ、タン、ホーデン。
彼らはルナを、ただの部位の集まりとして値踏みしていた。
幹部が再度、顎で指示を出す。
ホストの一人が、金属製の首輪を取り出した。
ルナの首に、それが強引にはめられる。
カチリと、硬い音が響いた。
首輪の中央で、小さなデジタルタイマーが作動を始める。
赤い数字が残り3日を示し、1秒ずつ減り始めていた。
爆弾付きの首輪を装着すること。
それが解放の条件だった。
自分が戻らず、どこかで爆発したら、全臓器の売買などできないのに。
600万の2倍をすぐに計算できなかったことも含め、ここのホスト連中はあまり頭がよろしくないのかもしれない。
しかし、その矛盾を突っ込むようなボケはしなかった。
首輪を装着したルナは店外へ解放された。
夜の繁華街。
さて、どうしようか。
自分の死ぬべき時は自分で決めている。
普段、物事に執着しないルナだったが、そこだけは譲れなかった。
「1200万……」
呟いたルナの目に、街角のくじ屋が飛び込んできた。
ニクシーの幸運。
それがあれば、懐の3250円を4000倍に増やすことなど、容易いかもしれない。
仕組みは分からない。
だが、ニクシーはこういう時ほど奇跡を起こしてきた。
くじ屋に近づき、並べられた各種くじの金額と当選発表日を見比べた。
残念。
3日以内に発表される高額くじはないようだった。
その場で当落がわかるくじもあったが、それでは最高賞金が足りなかった。
競馬、競輪、競艇ポーカー、ブラックジャック、ルーレット。
それらの賭博場は、やはり紹介制なのだろうか。
買い方も換金方法も分からない。
自力で調べる術もなく、騒がしい街角で思考を巡らせる。
心当たり。
本当に、ないわけではない。
ある人物の顔が浮かぶ。
多分、自分の身内ならば、3日も待たずに用意できるだろう。
いや、そもそもあの人たちは、お金なんて触ったことがあるのかな?
思わず苦笑する。
お金そのものを知らなかったりして。
なんだか泣きたいような、おかしいような吐息が漏れる。
一人暮らしを始めて、1年以上。
なにも持たない生活は、あまり変わっていない。
だが、家を出た目的は、徐々に達成されている。
もしかして、もう忘れられているかもしれない。
薄汚れた繁華街の空をルナは見上げる。
星も見えない夜空の下。
ネオンの刺激的な光だけが、白いスーツを冷たく照らしていた。




