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第11話 いざ地下闘技場へ

 オパール色の空が広がる、幻想的な浅瀬にルナは立っていた。


 凪いだ海に足を浸ける。

 足元を泳ぐ虹色の小魚を眺める。


 ふと、隣の人影に気付く。


 あれ?

 日焼け止めは、塗ってもらったかな。


 人の上に立つ者は、肌と歯と白目のメンテナンスを常に怠ってはならない。


 だから、彼はいつも。

 ルナの足に、腕に、首筋に、良い香りのクリームを丁寧に塗ってくれた。


「これは夢だ」


 自分と同じ、金の髪。

 眼鏡の奥にある、金の瞳。

 真似したいと言ったら複雑な顔をされた、棒状のピアス。


 夢だとわかっていても、つい手を伸ばしてしまう。

 そして、伸ばした指先を強く握られ、目を覚ます。


「うわ」


「うわとはなんだ、うわとは」


 隣には、片手で頭を支え、こちらを向いて寝そべるシェルトドーガがいた。


「欲情した感じで手を伸ばしてきたから、僕が欲しいんだろうなって思ったんだけど違う?」


「欲情してません」


 言いながらも、顔が火照るのがわかる。

 シェルトドーガに対してではない。


 自分は本当に夢のあの人を求めていたのだろうか。

 そんな自問が、胸の奥を落ち着かなくさせた。


「なんの夢見てたの? やらしいやつ? 僕は登場してた? ちんちん見る? その首輪はどうしたの?」


 シェルトドーガは起き上がると、ルナに顔を近付けた。

 矢継ぎ早に、きわどい言葉を並べ立てる。


 そして最後に、ルナの首元を覗き込んだ。


「これ、タイマーが動いてるね?」


 少年の視線が、赤く明滅するデジタル数字に注がれる。

 タイムリミットは、確実に縮まり続けていた。


「これ。カウントが終わったら爆発するんだって。無理に外そうとしても爆発するんだって」


「へえ、爆発するんだ」


 シェルトドーガが口笛を吹きながら台所へ向かう。

 その隙に、ルナは枕元に置いた財布を確認する。


「やっぱりやっちゃったか……」


 ルナは小さく呟いた。

 残金が250円だけになっている。


 お金の工面方法などを考えながら、街をずっと歩き続けた昨夜。

 駅前で、犬猫用の募金を呼びかける声が耳に入った。


 そのときは全くの無意識だった。

 何も考えず、財布からためらいなく3000円を募金箱へ入れてしまっていた。


 その結果が、この250円である。

 1200万を用意しなければならない人間の財布としては、あまりに心もとなかった。


 シェルトドーガが戻ってくる。

 その手には、メロンピーチ生クリームののったレモンコーヒーパフェがあった。


「はい、召し上がれ」


 ルナが「いつか食べてみたい」と話したことのある、売り切れ続出のフリーズドライスイーツだった。


「わぁ、ありがとう! えっと、おいくらかな?」


 確か、2000円を軽く超えていたような記憶がある。


 シェルトドーガは、にっこりと口角を上げた。

 答える気も、受け取る気もないらしい。


 ありがたく頂戴して、ルナはパフェを食べ始める。


「すごく美味しいよ。嬉しい」


 貧しい生活の中で、こんな贅沢ができる機会は滅多にない。


 こんなにも美味しくて、綺麗なもの。

 ニクシーと一緒に、一枚の写真に残したくなる。


「あり得ないほど並んだよ。男なんて僕一人でさ。誰か呼べばよかった」


 ほら、とシェルトドーガが携帯端末の画面を見せてくる。


「これが並び始めた直後の僕。こっちがあと三人ってところで、レジの調子がおかしくなった時の僕」


 どういう意図のセルフィーか、いまいち分からない。

 だが、シェルトドーガが満足そうならば、それでいい。


 そう言えば、ルナはシェルトドーガについて、ほとんど何も知らないことに気付いた。

 彼は自分を原初のビーストだと名乗っていた。


 だとすると、その交友関係というのは――。


「この画像も見て見て。このぶっさいのがプリンスだよ。あ、というか今の若い子って知ってるの? 僕らのこと。他にも有名な強いやつがいっぱいいるこのご時世で」


 ルナは危うく、パフェを倒しかけた。


 200年前、世界が滅びる寸前だったことは、歴史の常識だった。


 救世主の死体が埋められた土地を中心に、異空間が広まり、世界は崩壊の危機にあった。

 その崩壊を止めた存在こそが、当時学生だった六人の少年たちだ。


 プリンス、ブリザード、マジシャン、ファントム、ベルゼブブ、そしてビースト。


 世界崩壊という最大の危機が去った後、各人に熱狂的な氏子がつき、神として崇められた。


 救世主の死をきっかけに、様々な異能の持ち主が現れるようになったが、彼ら六人の力は別格だった。


 確かプリンスは、その六人のリーダー的立場のはずだ。


 しかし、シェルトドーガの端末画面に映っているのは、大柄で眼鏡をかけ、そばかす顔で、オタクグッズに囲まれて大口で笑う少年だった。


「この人がプリンス? すごい強そうだね。かっこいい」


 現代にはプリンセスと呼ばれる絶対的な身体能力を持った能力者もいる。

 プリンスおよびプリンセスの力は山を割り、海を割くと言われていた。


「いやいやいや、これをかっこいいというのは、目が腐ってると言わざるを得ない」


 シェルトドーガが本気で嫌そうな声をあげる。


 確かに見る人から見れば、野暮ったい印象なのかもしれない。

 だが、その鍛え抜かれた見事な肉体を、ルナは素直にかっこいいと思った。


「というか、こいつ僕らん中じゃ金玉って呼ばれてるからね!」


 少年の口から、伝説の英雄に対するものとは思えない不名誉な渾名が飛び出す。


「キンタマ?」


「そう。写真じゃよく分からないだろうけど、なんか実物はムワッと臭そうだから」


「ひどすぎる……」


 シェルトドーガ自身も、仲間内ではクソザコナメクジと呼ばれているらしい。


「あーもう、ルナはちょっと男を見る目を鍛えたほうがいい」


 携帯端末を置いて、シェルトドーガがにんまりと笑う。


「例えば、同僚のホストがいい奴かどうか見抜けるくらいにね」


「……なんで分かるの?」


「え、人を見る目のこと? それはもう、僕みたいな男を見てれば自然と鍛えられるというか――」


「違うよ。なんで私がホスト関係でこじれてるのを知ってるのかな?」


「ルニャーゴをよく観察してるから」


 伝説的存在の能力は、常識の枠にとらわれないのだろう。

 追跡機能なのか、あるいは別の何かなのか。


 ルナは、その異質な詮索術を深く追及する気にはなれなかった。


「僕にお金ちょうだいって泣きついてくれるかなって思ったのに、そういう素振り見せないんだもん」


 顔をぐいと近づけてくる。

 いたずらっぽい瞳が、ルナを間近で覗き込んだ。


「これまでいろんな人間に会ってきたよ。ビースト様っておもねるやつ、自然に接してますという体で近づいてくるやつ、なにかを期待しながら、期待してる自分を恥じるやつ、積極的にアタックしてくるやつ――」


 シェルトドーガはひどく冷淡な口調で並べ立てた。


「ルナはどれ? 返済期限が迫ったら僕が都合よく助けると思ってた? ああ、違うよ。どれがいい悪いじゃない。ただ、どのタイプかによって付き合うパターンが固定化してくるからさ」


 二人が知り合って、まだ日は浅い。


 200年を生き、様々な人と出会ってきたシェルトドーガにとって、ルナが今だけの退屈しのぎか、それとももう少し興味を引く相手か。

 そんな意味での質問だった。


 ルナは軽く笑う。


「君に頼る道も当然考えたのだけど、ただ君の懐事情がよく分からないから優先度は低かったんだ」


 シェルトドーガはルナの顔を見つめた。

 ふむ。自分の心情を素直に提示してくるタイプか。


 シェルトドーガは、過去に出会った膨大な人々の中から、ルナに近い人物像を照会する。


「それとね、なんだか試されているみたいで、ちょっと嫌だから、絶対に君に頼らないでおこうって今、決めたんだ」


 ふんふんふん……。


 シェルトドーガの脳内検索に、少し時間がかかっている。


 えーっと、だ。

 素直だけれど、ちょっと頑固なタイプね。


「パフェありがとう。それと、私、もう出なきゃいけないからごめんね」


「首に爆弾付けたままお仕事?」


「ううん、ちょっと地下闘技場に行くんだ。お金を稼ぎに」


「なんだよそれ!?」


 さすがに、今までそんな女に出会ったことはなかった。

 想定の範囲を軽く飛び越えられ、シェルトドーガは素っ頓狂な声をあげる。


「え? ルナが闘うの? 違うよね? 賭けるほうだよね? てか、今さ250円しかないでしょ? それで賭けられるの?」


「内緒」


 ルナは人差し指を口元に当てた。

 そして、外出の支度を始める。


 手元にあるのは250円。

 首元には時限爆弾。


 しかし、ルナの足取りは、これから散歩にでも出かけるかのように軽やかだった。


 ルナが住んでいるのは、かつて救世主が埋められたK県を囲むエリアだ。


 時空が歪んでいるのか、200年前の建物が老朽化せず残っている。

 旧世界と呼ばれるその地域は、独自の生活様式を築いていた。


 他の地域では、とっくに使われなくなった現金でのやり取りが残っているのも特徴の一つだった。


「いや、ほんと、地下闘技場って誰情報? ホテルの中川さん? 同僚のおばさん?」


 中川さんから聞いた地下闘技場の場所を頼りに、ルナは電車を乗り継ぎ、とある駅に降り立った。


 交通系カードの残高は、これで完全に底をついた。

 まさに背水の陣だ。


 アパートを出てから、ずーーーーーっとシェルトドーガはぶつくさ言いながら付いてきている。


「250円しかないのに電車乗っちゃうしさ。もう帰り分のチャージないでしょ? どうするの。というか、家族とか頼れる人はいないの?」


 ルナはあまり相手にせず、駅の階段を下りる。


 目指す場所は、寂れた地下街の奥にあるはずだった。


 駅マップにも、ちゃんと地下闘技場のマークが記されている。

 ここまで来たら、迷うことはなかった。


 公の地図に堂々と載っているあたり、この旧世界の独特の価値観がわかる。


 薄暗い地下街の通路を進んだ。

 シャッターの閉まった空き店舗が並ぶ、陰気なエリア。


「そう言えば、最初に会った時もこんなとこに来たね」


 ルナから声をかけられたからか。

 二人の思い出に似た場所だからか、シェルトドーガはにこにこと答える。


「ね。それで二人は濃厚なセックスをしたんだよね」


「してないね」


 突き当たりに、頑丈そうな鉄扉と、いかにも場違いなネオンサインが見えてきた。

 扉の前には、スーツを着た大柄な男たちが立っている。


 扉から漏れ出しているのは、地響きのような大歓声と、血生臭い熱気だった。

 ルナは男たちの前へ真っ直ぐ歩み寄った。


「すみません。試合に参加したいんで――」


 言い終わらないうちに、シェルトドーガが口を強く押さえる。


「モゴモゴ」


「え? 無策? 本当に闘うつもりだったの? 普通は残った小銭で機転を利かせて大団円にすべきじゃないの? 本当に?」


「モゴモゴ!」


 ルナは口を押さえられたまま、頭上のニクシーを指差し、何やら必死に説明しているようだった。


 対戦カードがどうの、オッズがどうのとほざいているが、どこまでもニクシーの幸運頼みの無茶な理屈だった。


 色々なバイト先で、それなりに肉体労働も担っているのだろう。


 しかし、決して筋肉質とはいえないルナの身体が、地下闘技場に集う猛者どもの容赦ない攻撃に耐えられるわけがなかった。


「……」


 シェルトドーガは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 深く息を吐き出すと、怪訝な顔でこちらを睨みつけている門番の大男へ振り返った。


「僕です。試合に参加するの。どこでエントリーできます?」


「モゴモゴ! モゴモゴ!」


 ルナはしっかりと口を塞がれたまま、抗議の声をあげる。


「はいはい。なにか言いたいなら、この手をどけられるくらい強くなってからにしましょーねー」


 目の前の連中の事情など、知ったことではない。

 大男は面倒そうに、エントリーブースの位置を指し示した。


 子供だろうが女だろうが、闘う意思さえあればウェルカムなのが、この場所のルールだった。


 シェルトドーガのエントリーが完了するまで、ルナは散々抵抗した。

 しかし、彼の指一本すら引き離すことができなかった。


「ゼェゼェゼェ……君に頼らないって言ったよ」


 ルナは金髪を乱し、荒い息を吐く。


「あのね、ニクシーの幸運だけに頼るつもりじゃなくて、まったく無策ではないんだよ! この爆弾首輪を見せれば対戦相手が怯むでしょ!? そしたら――」


「僕が勝手に参加しただけ。言っとくけどファイトマネーは僕のもの」


 シェルトドーガは肩をすくめて言い放った。


「頼らせるつもりはないよ」

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