第12話 連勝と謎のマーク
薄暗いホールに設置された電光掲示板。
そこでは対戦者名やリング番号、オッズ情報が爆速で更新され続けていた。
すでに終わった試合の敗者名の横には、病院マークや天使さんマークが表示されている。
病院マークは重傷。
そして天使さんマークは想像通り、あの世へのお迎えが来てしまったことを意味していた。
早速、そこにシェルトドーガの名前と対戦相手、リング番号、オッズが表示される。
対戦相手1.1倍、シェルトドーガ82倍という、出鱈目な数字だが、これが正しい(?)地下闘技場式のオッズなのだろう。
つまり、初参加のシェルトドーガが勝てば、賭け金の82倍が払い戻されることになる。
「僕の強さに皆が目をつける前に、賭けるのは止めないよ」
そのまま、ルナを置いてシェルトドーガは試合へと向かった。
彼の歩調には緊張感など微塵もなかった。
残されたルナは近くの自動券売機へと歩み寄った。
旧世界の現金対応マシンに、200円分の硬貨を滑り込ませる。
残金は50円。
シェルトドーガのボタンを迷わず押した。
発券された薄い紙切れを、ルナはそっと摘み上げる。
もしこれで82倍になれば、1万6400円。
1200万には程遠いが、手元の200円が1試合だけで膨れ上がる計算だった。
ルナに試合を観る間はなかった。
シェルトドーガの対戦者名の横には、すでに╰⋃╯マークが付いている。
「ちんちん!? どんな結果になったら╰⋃╯が付くの!?」
ルナは驚きの声をあげた。
病院マークや天使さんマークは意味が分かった。
だが、この╰⋃╯マークの表す凄惨な、あるいは奇妙な結末は想像もつかない。
掲示板はすぐにシェルトドーガの次の試合を表示した。
オッズは対戦相手1.57倍、シェルトドーガ53倍。
さっきより倍率が下がっている。
一瞬で圧倒的な勝利を収めた少年の強さに、周囲が気付き始めた証拠だった。
ルナは急いで換金機に券を入れた。
払い戻し金である1万6400円が受け口から滑り出てくる。
ルナはその紙幣と硬貨をすべて掴み取った。
そして、再びシェルトドーガの勝利に全額を投入する。
発券された新たな賭け券を指先で挟む。
もし次も勝てば、1万6400円の53倍。
計算上は、86万9200円になるはずだった。
1200万という果てしない額が、現実的な数字として近づいてくる。
やはり試合を観に行く間なく、対戦相手の名前の横に╰⋃╯が付いた。
払い戻しされた手元の86万9200円を次の試合に投入する。
6倍のオッズの試合結果も、すぐに電光掲示板へ反映される。
そこには、二連で╰⋃╯ ╰⋃╯と表示されていた。
爆速の勝利。
そして、容赦のない╰⋃╯。
換金機から、大量の最高額紙幣が溢れ出す。
手元の金は、一瞬にして521万5200円へ膨れ上がった。
ルナはただ、券売機と換金機を往復しているだけだ。
リングに向かう必要すらなかった。
シェルトドーガのおかげで恐ろしい速度で資金が膨れ上がったのだ。
さすがに強さが知れ渡ったのか、次のオッズは1.2倍だった。
大分下がったが、払い戻しは625万8240円になるはず。
「う……」
今回も瞬殺の╰⋃╯だった。
発券途中だった機械が、ピーというエラー音を響かせる。
画面に『受付終了』の表示が出るとともに、投入していた大量の現金をドバドバと吐き出してくる。
しかし、この大量の現金を瞬殺試合の間にすべて投入し、機械に読み込みさせ、発券まで完了するのは時間的に難しかった。
物理的なスピードの限界だった。
他の観客のように、手元の携帯端末からネット購入できればよかった。
だが、ルナにはその手段がない。
吐き戻された大量の札束を、慌てて両手で抱え直す。
521万5200円の現金は、再びルナの手元にそのまま残される形となった。
「今おいくらかな?」
背後から、ちんちん王子の声がする。
いつの間にかリングから戻ってきたシェルトドーガが、ルナの肩越しに抱えられた札束を覗き込んできた。
「521万と、5200円。あ、あとお財布に50円残ってるよ」
「まだ半分届かないか」
「ごめん、手間取ってしまって本当はもっと増えてるはずだったんだけど」
申し訳なさそうにするルナ。
「ちゃんと増やしたろう。いいこいいこするから頭下げて」
ルナは言う通りに、背を曲げて頭を下げた。
高身長のルナが姿勢を低くすると、シェルトドーガの手がその金髪へと伸びる。
ニクシーに占領されていない部分を、少年は優しく撫でた。
「よしよし。いいこいいこ。今日さ、ルニャーゴの気分を害しちゃってごめんね」
彼なりに気にしていたらしい。
200年を生きる伝説の能力者。
気まぐれで、底知れなくて、ちんちんを量産する少年。
そんな彼が今、ひどく殊勝にルナの頭を撫でている。
「こっちこそ、結局シェルトドーガに頼っちゃってごめんね……」
ルナの物問いたげな視線に気付いて、シェルトドーガは優しく「ん?」と促した。
「あの……」
「なんでも聞いて?」
「╰⋃╯マークはなんだったのかな?」
「えへへ」
「質問を変えるね。まさかとは思うけど、今撫でているのは人様の下半身を触った手だったりしないよね?」
シェルトドーガは決め顔で微笑んだ。
「だったら、どうなのかな?」
少年はルナの頭から頬へと、ねっとりと手を滑らせていく。
さらに、その指先でルナの唇をなぞろうとした。
「やめてやめて! とりあえず手洗おうか!」
「ははっ! 安心して! 自分の以外にあんな汚いブツ触るわけないから」
「あの、シェルトドーガさん――」
二人のくだらない会話がなかなか終わらないので、無理やりスタッフが割り込んできた。
「ちんち――あ、いや、なんすか?」
からかいを途中で終了させられ、シェルトドーガはちょっと恥ずかしそうだ。
「本日の試合はお見事でした。╰⋃╯マークが使われたのはこの闘技場の歴史で初めてのことです。まさか二連╰⋃╯とは」
「まあ、まあ、本題に入れよ」
シェルトドーガは、バツの悪さを隠すように、すぐに冷ややかな口調で遮った。
「通常試合では、もうシェルトドーガさんのお相手が務まりません。最上ランクへ参戦いただけないかと、お願いに参りました」
「最上ランクってのは、ここにいる一般客でも賭けられるの?」
シェルトドーガは、すぐ隣で大量の札束を抱えているルナを親指で指した。
「あくまでシェルトドーガさんの付き添いとしてきた方が、お遊びで賭けるといったスタンスになりますので。そこまでの大金は賭けていただけないのですが……」
「具体的には?」
「1億以上はお控えいただけますと幸いです」
男は、恐縮したように額の汗を拭った。
1億。
ルナとシェルトドーガは顔を見合わせた。
「乗った。すぐに僕を連れていけ」
521万5200円をすべて注ぎ込む全賭け。
最上ランクのオッズがどれほどか。
それが数倍にでもなれば、1200万という目標額は一瞬で達成される。
物理的な制約で一度は絶たれた全賭けの道が、さらに巨大な規模で再びルナの前に現れたのだ。
二人が通された選手控え室には、大きなスクリーンが備えられていた。
現在開催されている苛烈なファイトが見られるようになっている。
最上ランクともなると当然、能力者同士の対戦となる。
今行われているのは、シルフィード同士の風対決らしい。
画面の向こうでは、目に見えない突風が吹き荒れ、コンクリートの壁が深く削り取られていた。
「観なくてもいいの?」
「なんで? なにを?」
シェルトドーガは、相変わらずルナばかり見ている。
スクリーンに映る派手な異能の応酬など、視界にすら入れていないようだった。
「もしかすると、すごく強い相手に当たることになるかも。こう、イメージトレーニングというか、心の準備というか」
テーブルの上には、シンプルな用紙とタブレットが置かれている。
用紙にあるのは、対戦相手の名前、身長、体重、オッズだけ。
詳しい能力の確認や賭け事は、タブレットで行うらしい。
「ルニャーゴは能力者が身近にいたこと、ある?」
対戦相手になど何の興味もないらしく、シェルトドーガの視線がルナから外れることはなかった。
「あるよ」
ルナはオパール色の浅瀬を思い出しながら、淡々と答えた。
「だろうね。初めて会った時から僕の能力に対してリアクションが薄かったからね。僕のこと憧れるって言ってくれたけど、持たざる自分をその相手と比較してるんじゃないかなって」
ルナは困ったように微笑むだけだ。
自身の過去や内面を、ことさらに語るつもりはなかった。
「あーぁ、秘密主義だね、ルナは」
わざとらしい口調で、シェルトドーガは続けた。
「わたくしめは原初のビーストであることを早々にお伝えしましたのに、ルナさんはなにも教えてくださらない」
「……なにを聞きたいのかな?」
ルナは首元の爆弾タイマーをそっと指先でなぞった。
ぶつけられる可能性が一番高い質問は、なぜ一人暮らしをしているのか、だろうか。
「夢で手を伸ばした相手は誰?」
「!?」
まさか、そのことについて聞かれるとは全く思っていなかった。
ルナは口をギュッと結んだ。
「ものすごく幸せそうな顔してたよ。女の子ーって感じの」
シェルトドーガは、ルナの僅かな動揺を見逃さない。
本当の本当の本当は。
首に爆弾を付けられたことを口実にして、あの人に会いに行こうかと一瞬だけ考えていた。
でも、それをしてはいけない明確な理由がある。
だからこそ、身内に頼るという選択肢は、ルナの中で最優先から最も遠い場所に追いやられていたのだ。
ただ、再会することを夢想するだけで。
薄汚れた繁華街の夜空に、オパール色の輝きを感じられる相手。
「僕は必ず勝つから、これはもう純度100%の約束なんだけど。僕が勝ったら、そいつについて教えてね」
少年の口調は、いつものからかいを含みながらも、どこか引き下がらない強さがあった。
ルナは小さく息を吐き、困ったように眉を下げた。
自分の過去を明かすつもりはなかった。
しかし、あの同僚を信用したのは自分だ。
その結果、背負うことになった借金について、シェルトドーガはここまで付き合ってくれている。
何も返さないのも、なんだか違う気がした。
「君はきっと勝つだろうから……」
シェルトドーガを呼び出すアナウンスが部屋中に響いた。
「うん。僕は勝つよ」
陽気にVサインを向けてくる。
「そしたら違う秘密をお伝えするよ」
「えー、男関係がいいー」
「聞いたら、君が絶対にマジ!?っていう秘密。マジって言わなかったら他の秘密も話すよ」
「そんなこと言うとハードル上がっちゃうぞ」
くっくっと笑いながら、シェルトドーガは堂々と部屋を出ていく。
「頑張って」
「うん、応援してて」
扉が静かに閉まる。
控え室に残されたのは、ルナと、頭上のニクシーだけだった。
ルナは机の上のタブレットに視線を落とした。
機械の使い方はよくわからない。
だが、指示に従って数字を入力すればいいのだろう。
「え!?」
両手の人差し指で不器用に画面を操作している最中、思わず声が出た。
シェルトドーガがまるで気にしていなかった対戦相手。
用紙には「龍一」という東洋の名前と、190センチ・95キロという体格データが記されていた。
その男の顔写真が、タブレットの画面上に大きく映し出されている。
硬い髪質の短髪に、眼鏡、そばかす。
どこからどう見ても、シェルトドーガが「金玉」と呼んで笑い飛ばしていた写真の少年。
山を割り、海を割く絶対的な能力者――プリンスその人だった。




