第7話 怪異と恋愛相談会
「えー、皆さん、朝食はお召し上がりいただけましたでしょうか。本日は2日目です。ごゆっくりお過ごしください……」
スピーカーの声は、まるで元気がなかった。
廊下に残っているのは、ルナを含めて八人だけだった。
壁には救助者たちが開けた穴がいくつも残り、昨日までの騒ぎが嘘のように白けた空気が漂っている。
「多分、きゃーきゃー言う女たちを上から眺めたかったんだよね、アンデッド」
「とりあえず全員解放して、仕切り直せばいいのにねぇ」
「一度発動した異空間は、解除日まで何もできないんですよ」
「さらっと会話に混ざってくるんじゃねぇよ」
暇を持て余した女性たちはそれぞれ、ぽつりぽつりと自分がまだ残っている事情を話し始める。
最初に口を開いたのは、細身のおとなしそうな女性だった。
「私、このままだとアンデッドの嫁になっちゃうかも……」
「ポッ」
「照れるな」
即座に突っ込みが飛ぶ。
「私の彼氏ね、私のことはすっごく好きなんだけど、蟻より弱いの。すぐ骨折するし、年中風邪ひいてるし、ちんちん5センチくらいだし。そんなので異世界、ちゃんと生き残れるかなって……」
次に口を開いたのは、きつい顔立ちの美人だった。
「私の彼氏も似たようなもん。92歳だから、もうダメかもね」
「あの……おうちではダメだったのかな? その、逢瀬をするのは?」
珍しくルナが踏み込んだ質問をした。
「死ぬならラブホで死にたいって言うのよ、彼」
「そうなんだ。警察が来るから大事になるんだけどね。本人の希望との兼ね合いが難しいよね」
「蟻……92歳……」
アンデッドは本格的に罪悪感を抱き始めているらしかった。
続いて話し始めたのは、肩幅の広い骨太な女性だった。
「実は今回のプレイのテーマ、俺が女装して、あっちが男装するプレイだったんだ。彼女、助けに来てくれるかな」
「ちょっと、花嫁候補の設定ガバガバじゃない!」
「目ぇ腐ってんじゃない!?」
「あ、腐ってます。だから上手くいかないんですかね」
女性たちが呆れ返る。
「4日目になったら俺、どうなるんすか?」
「花嫁にします」
「そこはぶれないんだ」
「でも、あなたたちは、ひょっとしたら相手が来てくれるかもね」
室内なのにサングラスを外さない女性が、大きくため息をついた。
彼女は静かに続ける。
「私はさ、自殺オフ会だったから。一緒に来た男の人……もう目的達成してるかも……」
重たい。
とても重たい。
あまりにも重たい。
他の面々が、無言で一歩だけ彼女から距離を取った。
「んもー、みんなもっと気楽に考えようよ。私を見習いなって。興味本位でヤギ連れてきただけなんだから。今頃どこかで草でも食べてるんじゃない?」
モデルのような容姿の女性がケラケラ笑う。
ヤギ。
獣姦。
「ヤギ!? ヤギですか!? それも女の子同士みたいに普通のことなんですか!?」
「普通じゃない」
「むしろ初めて聞いた」
一斉に否定が入る。
「なんか私はまだマシな気がするよぅ。来月結婚するから最後にセフレと会ってただけだもん。でもさぁ、これでバレたらヤバいよねぇ」
清純で真面目そうな女性だった。
世の中、外見だけではわからない。
「ちゃんと割り切ってるならいいけど……」
女装男子が苦笑する。
もはや花嫁候補の牢というより、恋愛相談会だった。
「それは秘密にして、墓場まで持っていきなね。絶対言っちゃだめだよ」
「墓場ってことは俺にその話をプレゼントしてくれるってことですか?」
アンデッドが嬉々として会話に加わる。
「君は墓地に生息しているの?」
ルナが確認する。
「アンデッドですので、そんな感じです」
「じゃあ、花嫁になったら、その後はどういう生活になるのかな?」
「そうだよ。ちゃんと生活環境とか整えられるわけ? 人外風情が」
「貯金額言ってみろ。腐れ目」
アンデッドを責める時の一致団結感は凄まじかった。
しばらく沈黙した後、スピーカーの向こうから咳払いが聞こえる。
「あのですね。4日経って残っている方々は、まず両手足を千切って持ち運びやすいサイズにします」
場が静まった。
「それからお腹を開いて、中のぐちゃぐちゃした部分を食べます。空いたところにおが屑を詰めて花嫁の完成です。俺が毎日、口に土を運びますし、人数が多くても安心してください。ちゃんと一人一人にお棺を用意しますので」
――あ、こいつやっぱり怪異だ。
今までの間抜けなやり取りが嘘のように、廊下の空気が一瞬で凍り付いた。
誰も突っ込まない。
ただ嫌な沈黙だけが広がる。
やがて、隅の方にいた大人しそうな女子大生が震える声を上げた。
「あの……私……うっ……初めてこういうホテルに来たんです……」
今にも泣きそうな顔だった。
「だから穢れじゃないです……そしたら私は花嫁候補じゃないですよね?」
逆ユニコーン。
アンデッドが自身をそう説明していたはずだ。
全員の視線がスピーカーへ集まる。
数秒の間。
そして。
「えー……また設定ガバっちゃいました?」
「ガバじゃねぇんだよ!!」
廊下中に総突っ込みが響き渡った。
「クソ怪異が! この子と、このスタッフさんは帰してやりなさいよ!」
「大丈夫だよ、俺たちが守ってあげるからね!」
女装男子が女子大生の盾になり、周囲を他の女性陣で固める。
「一緒にきた人がキスしてくれれば帰れますよ」
「うっ……おじ、おじさん、アプリのおじさん、本名も知らない人なのに……私、友達の間でまだだから馬鹿にされ……グスグス、こんなことになるなら吉鷹君に告白すればよかった……」
女性たちが痛ましい目を彼女に向ける。
「そんな子たちと友達やめちゃいなさい」
アンデッドも同情的だった。
「うるせぇ……グスグス……」
「うわ、最近の子怖い。でも、ルールはルールですので、はい、大人しくアプリのおじさんを待ってください。それとですね、そちらのスタッフさん」
「はい?」
「ちょっと考えたんですが、さすがに救助者がいないのは理不尽なので、そういう相手がいたら、その人を呼んでもいいですよ」
不意に、脳裏であの少年が笑った。
『僕? 僕のこと?』
ルナの意識より早く、イマジナリーシェルトドーガが調子に乗り始める。
両腕をぐるぐる回し、腰を左右に揺らして踊っている。
「そういう相手はいません」
「なら、4日目になったら自動的にお嫁さんですね」
「よく行くコンビニの店員とかでもいいから、一縷の望みに賭けなよ!」
周りの女性たちのほうが、ルナ本人より真剣だった。
「馬羊猿酉犬猪でもいいから!」
ケモナーの女性だけは最後までぶれなかった。
『ほら、恥ずかしがらずに僕を呼んで』
幻影が自分の頬に人差し指を当て、可愛くポーズを決めていた。
『かわいい胸ポケットを見てごらん。前に渡した僕の連絡先が入ってるよ?』
出会った頃は、少し謎めいた不思議な少年に見えた。
だが一歩でも距離が縮まれば、遠慮という言葉を知らないタイプだった。
ルナが幻影に頬をつつかれたり、頭を撫でられたりしながら真面目に悩んでいると――
不意に、高らかな鳴き声が響いた。
メェエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!
「ヤギきた! ヤギ!」
全員が叫ぶ。
壁の穴から、ヤギがむっちゃむっちゃと口を動かしながら入ってきた。
「おまえ、私のこと探しにきてくれたのー!? もーう、かわいいー!」
ヤギが現れた理由は誰にもわからない。
モデルのような容姿の女性が、文字通り美女と野獣のキスを交わす。
「それじゃ、またいつか!」
光に包まれ、そのまま消えていった。
「戻ったら、ヤギさんとそういうことをするんですかね?」
アンデッドが猥談へ誘導したがっている。
しかし、誰も乗ってこない。
――ヤギですら来てくれたのに。
廊下には気まずい沈黙だけが広がった。
その沈黙を破るように、新たな救助者が現れた。
股間が不自然なほど盛り上がった優男だった。
痛々しいほど隠せていない。
「遅れてごめんセックス」
発する言葉に欲望が漏れ出していた。
「ううん、来てくれて嬉しいよぅ」
清純で真面目そうな女性が両手を広げて、セフレを抱きしめる。
『あれに比べたら僕ってまともじゃね?』
イマジナリーが男の形をした劣情に怯えていた。
来月結婚するというのに、そのセックスしか頭にないセフレを野放しにして本当に大丈夫なのか。
小さな不安だけを残し、二人は光の中へ消えていった。
「きゃ、なんか寒気が」
突然、アンデッドが声を上げる。
なぜだか廊下の温度が下がったようだった。
ぽたり。ぽたり。ぽたり。
天井から水滴が落ちる。
廊下の奥。薄暗い向こう側に、人影が立っていた。
最初は影に見えた。
だが違う。
全身が濡れている。
足音もしない。
顔色は悪く、目の下は黒い。
生きている人間には見えなかった。
ずるり。ずるり。
濡れた靴が床を擦る音だけが近付いてくる。
「うわっ」
「ちょっと待って」
「怖い怖い怖い」
女性たちが後ずさる。
濡れた男は真っ直ぐ歩いてくる。
自殺オフ会の女性、ただ一人だけを見ながら。
「死んだのかと思った」
サングラスの女性が笑う。
「先に死んでる」
アンデッドまで黙っていた。
生者と死者、二人が唇を重ねた瞬間、光が溢れた。
「いや、脱出できるんですか!?」
アンデッドが叫ぶ。
「判定ゆるいね」
ルナが答える。
光の中で女性が振り返った。
「先に帰ってるね。みんな頑張って」
次の瞬間、二人は消えた。
「もう我慢できない! 私、迎えに行く!」
虚弱蟻系彼氏を持つ大人しそうな女性が立ち上がる。
「私も行くよ!」
92歳の彼氏を持つ女性も続く。
「待ってください! ルール! ルールは相手が助けにきてくれることですから!」
アンデッドの制止も聞かず、二人は壁の穴へ向かって駆け出した。
手には朝食時に用意されたナイフとフォークを装備している。
「うるさい! ガバガバ設定馬鹿! いいんだよ、ルールは私が決める!」
「ダー(リン)! 今行くよん!」
駆け出した二人をもう誰も止められない。
残っている花嫁候補は今や三人だけだ。
「もう……めちゃくちゃです」
「それ、お前の設定の問題だよね。言っとくけど、俺、女にしか興味ないから」
女装男子が脛をぼりぼり掻く。
ルナは壁の破片や死者の残した水溜まりやヤギの糞を片付け始める。
体が清掃を覚えているのだ。
「いずれにせよ! 明日1日終わったら、残ってる三人は俺のものですからね!」
スピーカーが「ふて寝!」と音を立てて途切れる。
女装男子と女子大生は困ったふうに顔を見合わせた。
こうして怒涛の2日目が暮れていく。




