第4話 早すぎる再会
ルナが異空間に囚われている間に、現実世界では二日が経過していた。
しかし、体調に変化はなかった。
空腹も感じなければ、二日も過ごしたはずの身体に汚れひとつ見当たらない。
ルナはその足で、バイト先へ向かった。
チェーン展開するラブホテルへ足を踏み入れると、無断欠勤について平謝りした。
「本当に本当にすみません。ちょっと異空間に入ってまして……」
「なんだ怪異に捕まってたのか。そりゃ災難だったな」
雇われ店長も他のパート従業員も同情的だった。
怪異被害が増えた影響で、最近は怪異手当なる制度もできつつあると聞く。
「うちの息子の友達もこないだ1週間捕まって、やっと帰ってこれたからよ。無事でよかった記念にアメニティからセットしてくれや」
「はい」
ルナはすぐに作業着へ着替えると、いつものようにヘルプの清掃員として働き始めた。
人間のあらゆる生々しい欲望の遺物を片付ける仕事だった。
コスプレ衣装を洗濯し、高齢客の利用に合わせて足腰に負担の少ないよう部屋を整える。
頭の上のニクシーも、ルナの激しい動きに合わせながら、落ちることなくちょこんと乗り続けている。
明け方近くになって仕事を終え、裏口から外へ出る。
さすがに強烈な眠気が襲ってきた。
「おつかれ」
「うわああああああああああ」
が、眠気は瞬時に吹き飛んだ。
ホテル裏の路地で体育座りをしているのは、間違いなくあの少年だ。
場違いな黒いスーツ姿のまま、薄暗い路地の片隅へすっぽりと収まっている。
ルナの叫び声に耳を貸さず、淡々と上目遣いでこちらを見上げていた。
「家で会う約束だった気がするよ。というか、バイトの場所はなんでわかったのかな?」
「あの後すぐ解放されて――」
つまりあの空間の主を倒したというわけだ。
「ショッピングモールに向かったんだ。いや、まいったよ。どこのショッピングモールも似た店が入ってて、似た感じだから探すのに苦労してさ。まあ、うまく見つけられたから、邪魔しないように後を尾けてきたわけ」
「……ショッピングモールにいたの、10分あるかないかだったと思うけど。その間に見つけたの?」
「うん? そうだよ。飴がイチゴチェリーサイダー味だって顔してる時に見つけた」
現実世界に帰還した直後の、極めて短い時間の出来事だった。
少年はほんの僅かな時間で自分を見つけ出し、尾行していたことになる。
「お礼、なにがいいかな。なにか食べたいものでもあれば――」
「眠いと頭働かないでしょ? まずは家に行かない?」
少年は体育座りからひょいと立ち上がり、軽い調子で言う。
結局家へ来る気なのだと知り、ルナはなぜここで待っていたのだろうかと心の中で首を傾げた。
「恥ずかしいくらい狭いし、その、古いからびっくりしちゃうかもね」
どう見ても、6畳一間の古いアパートが似合う人物ではなかった。
それとも、そういう暮らしぶりが逆に新鮮で楽しみなのだろうか。
「別にびっくりしないよ。アパートは下見済みだし」
「そっか……」
よくない予感がルナの胸に満ちてくる。
フレンドリーに接してくれていたこっくりさんがお帰りくださらない状態というか、穏便に済ませたい気分になってきた。
下見済みという言葉どおり、少年は勝手知ったる様子でアパートの階段を上がっていく。
奇妙な人物の行動は相変わらず読めない。
ルナは眠気でふらつきながら、その後を追った。
鍵を開ける前から「お邪魔します」と少年は微笑んでいる。
「どうぞ」
「お構いなく」
ルナの部屋には、必要最低限のものしかなかった。
三つ折りのマットレス。僅かな衣類を収めたプラスチックケース。
目を引くのは、小さな玩具の椅子と、古風なちゃぶ台に置かれた動物の百科事典くらいだった。
少年は当然のように黒い上着をハンガーへ掛け、寛ぎ始めた。
図書館から借りた動物百科事典を手に取り、パラパラとめくる。
「動物、好きなの?」
「うん。好きだよ」
どうとでもなれという心持ちになってきたルナは、ペットボトルのお茶を差し出す。
「ありがとう。僕、これ読んでるから寝ていいよ」
「いや、お客様をお待たせするのは、さすがにね……」
「いいからいいから。おやすみ」
ただでさえ限界だった脳が、その言葉をきっかけに思考を完全に停止させる。
三つ折りのマットレスが、まるで底なしの沼のようにルナの身体を引き寄せた。
残った気力を振り絞り、脱衣所で部屋着へ手早く着替える。
そして、自分にとって何よりも最優先であるニクシーを専用の椅子へそっと座らせる。
その大切な儀式さえ終えてしまえば、もう重たい瞼を開けている理由はどこにもなかった。
マットレスへ倒れ込んだ瞬間、意識のスイッチが完全に切れる。
背後からは、お茶のペットボトルを置く微かな音と、紙が擦れ合う音が響いていた。
どれだけ眠ったのだろうか、ルナは自然と目を覚ます。
目覚めて最初に確認したのはニクシーだった。
専用の椅子へ座るその白い姿を見て、まずは安堵する。
そして、気になる客人は――
「!?」
少年はスヤスヤと寝ていた。
壁で。
マットレスは一人用だし、180センチのルナが寝ていれば隣へ転がることはできない。 だからと言って、だからと言って。




