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第23話 〇〇しないと出られない空間再び!

「!?」


 驚きに目を見張るルナの前に155センチの肉食獣がいた。

 苛烈な眼差しが突き刺さる。


「も一度付き合って」


 あらゆる拒絶を許さない声だ。


「おい、おまえ、何やってんだ!」


 龍一が慌てて止めに入る。

 せめてデートの場を丸く収めようとしたリーダーの気遣いは、一瞬で吹き飛ばされていた。


「あ」


 竜子が声を上げる。


 二人の姿が、夜の臨海公園から瞬く間に消え去ったからだ。


 物理法則を無視した浮遊と速度無効化。

 絶対的な「ビースト」の異能による移動は、常人の目に追いつく隙を与えない。


「もしかして6神だったら、またあの空間に戻れたりする?」


 竜子は誰もいなくなった虚空を見つめ、問いかけた。


「俺はできないが、あいつなら匂いだか勘だか頼りに戻れるかもしれねぇ……」


 今、這々の体で出てきたばかりの難所へ自らまた戻るなんて、通常は考えられない。

 しかし、シェルトドーガの異常性を龍一は200年間見てきた側だ。


「あのクソザコエロナメクジ……」


 胸の内になんの炎が燃え上がっているのか知らないが、あえて怪異に飛び込むなど、正気の沙汰ではない。


 シェルトドーガがエロアニメないしエロビデオのデータを持っていることを、今はただ祈るしかなかった。


「また? え? またここ? なんで?」


 床には『セックスしないと出られない空間』の赤文字。

 さすがにルナも目を白黒させている。


「ごめんね。でも、ルナのアパートは壁薄いしさ、ラブホは勤務先としか思ってないから雰囲気出なくて濡れないでしょ? そのナントカさんみたいに逃げられても困るし、ここで愛を証明させてほしいな」


 先程の話のセックスが気持ち悪い鈴木さんのことだ。


「ねぇ、さっき、なんで対処方法を最初から言わなかったの?」


「……」


「男三人と密室にいたって聞いたら僕が嫉妬するって思ったから?」


 それは確かにそうだった。


 ルナが思い浮かべる誰か。

 それが誰かも知らないのに、シェルトドーガの独占欲と本能が混じるところをこの前、見たばかりだ。


 それを察知していたからこそ、ルナは過去の攻略体験を言うのを躊躇っていた。


「正直、そんな奴等は目じゃないんだけど、ルニャーゴさ、リサのこと聞いてから話し始めたでしょ?  お前だって他の女と遊んでるじゃんとか思った? 安心して。リサってそんなんじゃないから」


 口に笑いの形を貼り付けているが、声は笑っていない。


「同じビーストだからってどいつもこいつも馬鹿のひとつ覚えみたいに言ってくるんだもん。やになるよ」


 ルナにはシェルトドーガがなにに苛立っているのか本当にわからなかった。


 リサという名が出たからか。

 過去の交際関係を知られたくなかったからなのか。


 それとも、獣の愛が簡単に乗り換えられるものだと疑われないよう必死なのか、判断がつかない。


「……君が過去に誰を好きであって、これから誰を好きになろうとも、それは君が心のままに決めることだよ。私を気にする必要はないよ」


「ひどいことを言う。僕、二人の距離はもっと縮んでると思ってたよ」


「大事な友達だよ」


 シェルトドーガの目が極限まで見開かれる。

 とても大切なものを壊されたような顔だった。


「了解。そうだね。こんな想い迷惑だったね」


 シェルトドーガは大きな音を立て胡座を組んで座り込む。


「じゃ、ここからどうやって出ようか? 愛の押し付けはできないから、僕からは手を出せないしね」


「自分で入ってこれたなら出られるんじゃないの?」


「無理。ごめんね」


 嘘か本気かわからない。

 シェルトドーガは目を三日月のように細める。


「勝手だね……」


「深く頭を下げるよ。申し訳ないことをした」


 本気でへりくだっているのか、それとも下品なからかいのチャンスを窺っているのか、その境界線は不気味なほどに曖昧だった。


 溜め息を吐き、ルナも白い床に座り込む。


(お腹空いたな……)


 ホラー映画の激しいエログロ描写で食欲をなくし、そのまま昼食を食べなかったことを深く後悔した。


 弱っていく獲物の食べ頃を見計らうような、シェルトドーガの視線をひしひしと感じる。


 ルナはその気配を完全にスルーしながら、じっと空腹を我慢した。


 何度も何度も腕時計を見る。

 文字盤の針は無情に進み、再びこの空間に入ってから既に1時間が経過していた。


 シェルトドーガに目を向けると、彼はニヤニヤと楽しげに笑って見せた。


 そのまま自分の胡座の膝を、手の平でポンポンと軽く叩く。

 その態度が意味するものは、あまりにも明白だった。


 僕から手は出さないけれど、そちらから来るのはご自由に、ということだ。


(どうしようかな)


 このまま根比べを続けて、ルナが神様相手に勝てるわけがなかった。


 更に1時間が過ぎた。


 ぼんやりと外の世界にいる龍一達のことを考える。


(待たせてしまっていたら可哀想だな……)


「ねぇ、本当に特別なスキンケアとかしてないの? 最初に会った時より可愛すぎる。ずっと見てられる」


 胡座を組んだままのシェルトドーガがうっとりとした声を漏らした。

 気力の尽きてきたルナの姿をただただ愛おしそうに眺めている。


 グゥ。


 不気味なほど白い世界に、あまりにも間抜けで、大きな音が響き渡る。

 ルナの腹の底から放たれた空腹の悲鳴だった。


「っ!!!」


 次の瞬間、ルナの頬が一気に赤く染まっていく。


 常に肌と歯と白目のメンテナンスは怠らないように。

 寝ている時でさえ、身体から音を立てるのは控えるように。


 厳しく教え込まれてきた鉄の規律。


 それが、この理不尽な怪異空間の中で、最も恥ずかしい形で破られてしまった。

 幼い頃から教え込まれた恥じらいだけは深く心に刻み込まれ、貧しい生活の中においても彼女の行動の基準となっていた。


「クックッ……アハハハハハハ!」


 ルナの恥ずかしさをさらに増長するように、シェルトドーガが大口で笑い出す。


「……」


 ルナは無言で立ち上がり、ゆっくりとシェルトドーガに向かった。


 胡座のまま両手を広げるシェルトドーガ。

 怪異に見舞われる度、高頻度でお姫様抱っこされているため、身体を預けるのは慣れてきていた。


「失礼するよ」


 大きさの違う身体を乗せるルナ。


「ようこそ、お姫様」


 獲物が自らを差し出してきたような征服感。

 勝利はすでに確信していた。


「僕は押し付けてないよ? これはルニャーゴからのおねだりだ」


 シェルトドーガがルナのスーツへ手をかける。ルナはその手を押さえた。


「恥ずかしくないよ。僕たちだけ。全部見せて」


 キスしようと顔を近づけると、スパイシーな香料の匂いがする。


 コロコロコロ。


 ルナの口元から微かに音がした。


「……この状況で飴舐め赤ちゃん?」


「お腹空いてたの知ってるだろ」


 照れ臭そうに笑うルナ。


「君はお腹空いてないの? 飴ちゃん、どうぞ」


 上下の歯で挟んだ真っ赤な飴を見せる。

 今まさにルナが舐めている飴を、シェルトドーガに口移しで渡そうとしているのだ。


「ずるいな。そんなの。僕がいただかないわけないじゃん……!」


 シェルトドーガの口に飴を滑り込ませる。

 それはセックスよりも、よほど官能的な仕草だった。


「ガウって噛み砕いてみて」


 薄目で囁かれると、獣はもうたまらない。

 主導権は完全にルナに移動していた。


「ガウ」


 口内の飴を砕いた瞬間。


「ギャッ!!!!!!」


 凄まじい辛さ。

 味というより、これは痛みだった。


 その飴の中心部には、20万を超えるスコヴィル値の激辛エキスが凝縮されていたのだ。


「フ、ギ、アアアァァァッ!!」


 シェルトドーガは悶絶し、髪を振り乱して床へと転がった。

 のたうち回り、真っ白な床に爪を立てる。


 竜子がいたら、最強の異能者であっても味覚を攻撃されたら弱いという新しい視点に喜んだだろう。


「そんなに?」


 仕返しを企てた本人が驚いている。


 新世界で流行中の激辛飴だと、すきっ歯の田中さんがくれたものだった。

 チェーン系列ラブホの清掃員バイトで同僚をしている、例の脂ギトギトのこどおじだ。


「あの人、美味しいって言ってたけど……」


 なるほど。

 喜んでお尻を差し出してくるマゾだけある。


 20万を超えるスコヴィル値の激痛エキスを、美味として咀嚼できる人間の性癖など、ルナには到底理解し得ない領域だった。


「ル、ルニャ……ハァーッ! ハァーッ! ま、僕の負け……」


 愛する者を従えたという愉悦は完全に粉砕されていた。


 取り繕うこともできないのか、ルナの首根っこを掴むと、侵入してきたのと逆経路を辿りシェルトドーガは空間を出た。


 一度入退出したからこそできる裏口脱出だ。


 次の瞬間、二人の全身に夜の冷たい潮風が吹き付けた。

 時空の歪んだ旧世界特有の、街灯の少ない薄暗い広場だ。


「げほっ、ごほっ……!」


 コンクリートの床に着地した途端、シェルトドーガはルナから手を離し、その場に四つん這いになって激しく咳き込んだ。


 顔面を涙と汗で濡らし、口元を両手で押さえ未だに激痛と戦っている。

 肉食獣としての威厳はどこにも残っていなかった。


 外では龍竜ペアがずっと二人を待っていた。


 ジャンル問わず、レトロゲーに登場する老人キャラを交互に言い合うゲームをしていたから退屈はしなかったようだ。


「ゼクトール」


「それは変身前が老人なだけだぜ。……お、戻ったか! おい、大丈夫かお前ら!?」


「おかえり……それは金的のダメージ?」


 竜子がシェルトドーガの苦しみ度合いから一番考えられる攻撃方法を当てはめる。


 男が襲いかかり女がその股間を容赦なく蹴り上げた図を、彼女は脳内で極めて客観的にイメージしていた。


「ハァーッ……ハァーッ……╰⋃╯、やられる方が、どれほどマシか……っ」


 金的のほうがマシな痛がり方。

 龍一はルナをまるで未知の異形を見るかのような目で見た。


 こういう普段ふやけたタイプが仕掛けてくる逆襲こそが、この世で一番恐ろしいのだ。


「まぁ、強引に連れて行ったのはおまえだしな」


 龍一が溜め息交じりに呟く。


 隣に立つ竜子も、そして仕返しを終えたルナも、無言のまま静かに頷いた。

 三人揃って心の底から自業自得だと確信しながら、七転八倒するシェルトドーガを見下ろしている。


「ハァーッ……ハァーッ……水、水……!」


 シェルトドーガはアスコットタイを引きちぎらんばかりに口元を拭い、物理法則を無視した這いつくばりで動き出した。


 一刻も早く口内を洗い流すため、噴水に頭から飛び込んでいく。


 ――後日、竜子からプリンスの強靭さは世界で一番辛い唐辛子に耐えられるのかと尋ねられ、困りきった龍一の姿があったという。

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