第21話 〇〇しないと出られない空間
「最近、なんかお肌につけるものとか変えた? とみに可愛くなってるんだけど」
いつもと同じノリでシェルトドーガがルナを覗き込む。
「なにも変えてないよ」
「じゃあ、誰かに恋してるのかも。身近にいて、いつも守ってくれる獣の騎士様を」
耳元へ寄るようにして囁く少年に、巨躯の男が苛立ちをぶつける。
「うるせぇぞ! なにが騎士だ。お前はナメクジなんだからぺちゃくちゃ喋んな! 考えがまとめらんねぇだろ」
眼鏡の奥の瞳を不機嫌そうに歪め、龍一が声を荒らげた。
「馬鹿が頭使うな。ねー、竜子ちゃん、キャンタマが変なこと言ってて面白いね」
シェルトドーガは完全に龍一を小馬鹿にした調子で、隣の少女へ視線を振る。
「うん、確かに考えても無理かもしれない」
竜子はあきらめたように息を吐き、四人しかいない真っ白な空間を眺めた。
足元には鮮烈な赤色で文字が書かれている。
『セックスしないと出られない空間』
その下品な一文以外には、壁も扉も存在しない。
龍一の圧倒的な身体能力による打撃も、シェルトドーガの爪を使った広範囲の探索も、すべて空振りに終わっていた。
頭上のはるか先まで、ただ不気味なほどの白が広がっている。
「お前らはまだセックスしてないの?」
直後、激しい音が響いてシェルトドーガが張り倒された。
「たっちゃんと俺はその、アレだアレ!」
龍一が顔を真っ赤にして叫ぶ。
「友達だよね」
サラリと言う竜子の言葉が空間に響いた。
「一緒にホール・ニュー・ワールドのデュエットした仲だ……」
龍一はちょっと悲しそうな声を出す。
「ここってセックスした人じゃないと出れないのかな? それとも一組だけがすれば全員出れるのかな?」
竜子は屈んで、足元の文字に極小の追加文がないか確かめる。
なんのヒントもない。
「たっちゃん……女の子が堂々と口にするもんじゃないぜ……」
「ごめん、私あんまり気にしないかな」
「うわぁ、金玉くん、性を意識しすぎてきついんだけど」
巨漢に頭部を踏みつけられるシェルトドーガ。
「グエッ! なんでも暴力にすんじゃなくて口で張り合え! 口で!」
「お前と口論したら下ネタしか出してこねぇだろうが!」
「第一な、たっちゃんを誘いたいから、こないだの地下闘技場のメンバーでダブルデートしないかって提案したのおまえだろうが! 言い出した奴が解決案出せよ!」
「おま、そういう内情を言っていいのかよ!?」
龍一は狼狽の極みといった声をあげる。
「地下闘技場の二人のバトル面白かったね。あれは本気だったの? だとしたら、プリンスのほうが強いの?」
竜子はルナともまた違ったドライさがある。
色恋よりもシャチと象が対等の条件で闘うとしたら、どちらに軍配が上がるのかのほうが気になるのだ。
「ああ、あれ嘘バトルだから、こんな蒸れてるやつに僕が負けるわけないって」
床から頭を上げたシェルトドーガが、すぐに調子を取り戻して言い放つ。
「あー、ここいい感じに広ぇし、壊れそうなもんはお前のスケベ頭しかねぇからガチンコするか?あ?」
龍一は拳を強く握り締め、屈強な体躯から殺気を滲ませた。
「ホール・ニュー・ワールド一緒に歌ったから仲が発展したと思ってるのが可愛いなぁ眼鏡君。ん? 何曲歌ったら次のステップにいけるの? スケベなお兄さんに教えてごら――」
シェルトドーガが言い終わる前に、龍一の拳が空を割る。
応戦するシェルトドーガ。
二人を冷静に観察する竜子。
声に出さず、純粋な筋力ならプリンス、手数と変則的な動きはビーストが上、などと考えている。
竜子が無言なのを見て、ルナが気を使う。
「えらい目にあっちゃったね竜子ちゃん。あの二人もなんだか白熱してるし、止めてこようかな」
「このままが面白いかなって思ってる。えーっと、ルナちゃんと頭の上の子は?」
「ニクシーだよ」
「くん?ちゃん?」
「多分、本人としたら御大とか付けてもらいたがると思うけど、ニクシーだけでいいよ」
「御大……」
竜子は本日一緒に行動していても、ルナのキャラクターがいまいち把握できていなかった。
シェルトドーガが言ったとおり、今日のお出かけは龍一の願いだった。
龍一の立てたスケジュールは完璧だったはずだ。
有名なワンちゃん像の前で待ち合わせ、最初はカフェに入り談笑する。
恋愛映画を鑑賞し、お昼は人気のイタリアンを食べる。
腹ごなしに植物園をお散歩し、程よい頃に二手に別れる予定だった。
しかし、実際は全く違う。
ルナの頭上のニクシーを見つけて駅で集合になった四人。
ほどよく空いてるカフェが見つからず、何故か頑固マスターのいるコーヒー店に入店してしまい緊張して即退散した。
なんの映画を観るか揉めた末、ジャンケンでシェルトドーガが勝った。
ベッドイン描写多めのホラー映画を観る羽目になり、激しいエログロ描写で全員が食欲が湧かなくなる。
じゃあ、せめてもと最新の恋人達のスポットと呼ばれる場所にきた。
しかし、そこは恋人達に人気の怪異「セックスしないと出られない空間」に遭遇するスポットだったのだ。
また、各所でルナはお金がなくてと頑なに財布を閉じた。
映画館では頭からニクシーを下ろさないといけないしと理由を追加し、完全にデートの意味を台無しにしていた。
天然なのか、マイペースすぎるのか。
だが、先んじて竜子に話しかけたことから、極度の人見知りというわけでもなさそうだ。
竜子がルナの掴みどころのなさに内心で首を傾げている間も、龍一とシェルトドーガは激しい攻防を繰り広げている。
「ルナちゃんはもうシェルトドーガとセックスしたの?」
「!?」
死闘の果て、床に転がっていた大男と小男の荒い呼吸が同時に止まった。
あまりにも直球な質問に、真っ白な空間の空気が一気に張り詰める。
「竜子ちゃん、女の子が堂々と口にするものでは……」
ルナも龍一と同族かと竜子は思う。
「ルナちゃんはラブホテルに勤めてるのに恥ずかしいの? あと、経験もないの?」
「待って、竜子ちゃん! 踏み込みすぎだよ! 逆に私だって竜子ちゃんはどうなのって聞いちゃうよ!?」
男達が固唾を飲む。
「私はまだ。あんまり興味ないし」
竜子は表情ひとつ変えずに、あっさりと答えた。
そのあまりに淡々とした告白に、龍一は泣けてくるほどだ。
シクシクシク。
広い背中が細かく震え始める。
「なぁ、おまえ、本当に童貞なのか?」
シェルトドーガが憐れみを帯びた調子で問いかけた。
200年間、龍一童貞説は仲間内でまことしやかに囁かれていた。
「……そんなわけねぇだろ……」
龍一は体を丸めたまま蚊の鳴くような声でボソリと呟いた。
その体格に似合わない弱々しい反論を、シェルトドーガは見逃さない。
「ちゃんと三次元で済ませたってこと? アニメのドールみたいなのは勘定に入れんなよ」
「おまえはどこまでも俺を馬鹿にしくさって……」
「いや、だってみんな興味津々だったわけだし、どうする? 今更だけど脱童貞のお祝いするか? 竜子ちゃんも誘って。ほらまたデートの口実できたじゃん。で、ギシアンしちまえよ」
ブチっ。
龍一の堪忍袋の緒が切れた音が響く。
これまでの情けなさが嘘のように、眼鏡の奥の瞳が冷酷な光を宿した。
次の瞬間、プリンスたる絶対的な腕力をもって、シェルトドーガの横っ面を全力で張り飛ばす。
凄まじい衝撃音が空気を震わせた。
シェルトドーガの身体が床の上を何回転も激しく転がっていく。
「おまえこそ、なにが騎士だ! なにがルニャーゴだ!」
龍一は肩を激しく上下させ、転がった少年神を指差して怒号を浴びせた。
「そういや、あの白いビーストはどうしたんだよ!? あの可愛い女の子だよ! リサちゃんだったか? ベタベタしてたじゃねーか!?」
床に倒れたシェルトドーガの身体がピクリと強張る。
「別れた途端、別系統の女に鞍替えか!? さすがビーストは情がねぇなぁ!」
最強のフィジカルから放たれた暴露は、真っ白な空間を完全に沈黙させた。
「……おい」
起き上がったシェルトドーガの声から、先ほどまでのふざけたトーンが完全に消える。
空間を切り裂く不可視の爪が、その指先から微かに大気を歪め始める。
全身で本気の不快感を露わにしていた。




