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第19話 ニクシー救出劇

「あぁ、あるな。入り口」


 暗い海面の底を覗き込むシェルトドーガ。


「しかもデカい」


 インバッハは力む様子もなく、さてやるかとばかりに手を上げた。


「助けてもらってる身として言うべきことじゃないんだけど――」


 氷は冷たいからと、まだ抱えられたままのルナが神妙な顔で言う。


「海を割るってどんな感じで?」


「あぁ、本当に海水を巻き上げるんだ。普通の海上竜巻とは違って――」


 講釈を続けようとしたインバッハに、ルナが続けて尋ねた。


「海の生き物は死んでしまわない?」


「そこかー」


 厄介な善意にシェルトドーガは呻いた。


「海の生き物の生体機能を短時間だけ凍結させ、すぐ戻せば普通に泳ぎ出す。死なせはしないさ」


「短時間……」


「大丈夫! 僕がバビュンと行って、すぐに見つけて戻るから!」


 先ほど、シェルトドーガ自身がデカいと言った海のダンジョンだ。


 もし捜索に手間取れば、それだけ海が割れている時間は長くなる。

 インバッハの言う短時間を過ぎてしまえば、海の生態系に深刻な被害を与えるかもしれない。


「……もしだけど、ニクシーの声が聞こえたら、すぐに場所を特定できるかな?」


「え!?」


 シェルトドーガが目を丸くした。


「前に、ニクシーは喋れるって言っただろ」


「聞いてみたい! 聞けたらすぐに助けられる!」


 原初のビーストの聴力と野生の勘があれば、たとえダンジョンの奥深くでも見つけられる。


「ほんの一言くらいになるけど」


「いける!」


「あとね。これも助けてもらってる身で言うのもなんなんだけど、人魚がインバッハに熱い眼窩をバシバシ向けてるのは気付いてた?」


 インバッハに連れてこられたことで、どうやら恋心でも芽生えたらしい。


「無論知ってた。けど、そこはあえてスルーしてほしかった」


 微妙な指摘に口を曲げながらも、インバッハは再び腕を伸ばした。

 海水を巻き上げる姿勢に入る。


 ダンジョンが姿を現したら、ルナがすかさずニクシーに声を出させる。

 その声を頼りに位置を特定したシェルトドーガが、即座に連れ戻す算段だった。


「いけるか、二人とも」


 シェルトドーガとルナが同時に頷く。

 そんなインバッハに、人魚はさらに熱を上げたようだった。


「早く腐らないかな、この人」


 冷凍を施した本人が言う。


 ため息をついた後、インバッハが腕を上げた。


 海面が揺れる。

 次の瞬間。

 轟音とともに海水が巻き上がった。


 巨大な竜巻。

 白い飛沫を撒き散らしながら、海そのものが天へ向かってねじ上がった。

 沖合の水が消えていく。


 黒い大穴。

 海の底で口を開ける、巨大な空洞。

 周囲の岩肌には、珊瑚とも建造物ともつかない奇妙な構造物が絡みついている。


 長い間、海中に沈んでいた異界が姿を現した。


「やれ」


 インバッハが号令した。


 シェルトドーガの表情が変わる。

 視線に獣が混ざる。


「いた」


 短く呟く。


 次の瞬間、獣の姿が消えた。

 氷が砕け、白い破片が弾け飛んだ。


 海底へ口を開ける巨大な穴へ小柄な身体が一直線に飛び込む。

 シェルトドーガは迷いなく、黒いダンジョンの中へと消えていった。


 ルナは氷の縁まで進み、海底を覗き込んだ。


 10分も経たなかっただろう。


「お待たせー」


 まるで近所へ買い物にでも行ってきたような顔でシェルトドーガが戻ってきた。

 そして、その頭の上には白い人形がちょこんと乗っていた。


 ルナの目が見開かれる。

 言葉が出ない。


「いい子にしてたよなあ、ニクシー」


 シェルトドーガが、子守のお兄さん気取りで言った。


 ルナが氷の上を滑るように距離を詰めた。

 そして、勢いのままシェルトドーガへ抱きつく。


「おっふ」


 ルナは両腕に力を込めた。

 涙をポロポロ流しながら、シェルトドーガの頭上のニクシーを見つめる。


 戻ってきた。本当に。

 ちゃんと戻ってきた。


「ごめんね、離れて」


「いいんだよ」


 シェルトドーガがルナを抱きしめ返す。


「お前にじゃないよ」


 律儀に突っ込むとインバッハは腕を下ろす。


 巻き上がっていた海水が、轟音とともに海へ戻り始めた。

 巨大な渦が崩れ、氷の足場の周囲へ白波が広がる。


 海面下に色鮮やかな魚影が戻り、何事もなかったように泳ぎ始めた。


「うぅ……10時間36分22秒も離れて、私はなんて詫びればいいのか……それに本当に君たちには感謝してる」


 人魚は自分まで感謝されたと思ったらしく、照れた。


「いや、そもそも、君が私に襲いかかってきたからなんだからね。真実の愛だの海のダンジョンだの散々だよ」


「まあ、惚れられたよしみで、こいつの最後は僕が見届けるから、二人は陸に戻るといい」


 インバッハは、二人がそのまま帰れるよう自然に話を収めた。

 こういう気遣いのできる男だ。


「でもまだなんのお礼も……」


「感謝は受け取った。また会う機会があったらコーヒーの一杯も奢ってくれればいい」


「かっこつけてるけど、こいつの頭部は陰も――冷てっ!」


 顔面を凍らせられ、シェルトドーガがのけ反った。


 龍一は金玉。

 インバッハは陰毛。

 他の神はなんという渾名なのだろう。


 ルナは少しだけ興味が湧いた。


「お前の軽口はもういいから、とっとと行け」


「言われんでも」


 別れの挨拶もそこそこに、シェルトドーガはルナを抱き上げた。

 ニクシーはすでにルナの頭へ戻っている。


 シェルトドーガはそのまま氷を蹴り、陸へ向かって飛び出した。

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