第17話 最低な愛の証明
「なにかの呪いじゃないか? 経緯を文章にしてみるといい。ああ、僕は彼の友達だ。インバッハ。よろしく」
「この陰毛みたいなのは気にしなくていいからね。紙に書いてみようね」
インバッハを明らかに邪魔者扱いしながら、シェルトドーガはルナを6畳間に連れていく。
驚くほど物がない室内からメモとペンを見つけ、ちゃぶ台に座らせたルナの前に置いた。
「スマホでメモして送信させれば?」
「口を挟むな素人が。ルナに入力させてたら年越すわ」
「一年では済まないってことか」
インバッハは納得したように頷いた。
シェルトドーガは必死にペンを動かしているルナの違和感に気付く。
「あれ、ニクシー、ニクシーはどうしたの?」
いつも頭上に乗せているトレードマークとも言える存在がいない。
ルナははらはらと涙をこぼしながら描き終えた紙を渡してきた。
メモには波打った線がたくさん引かれている。
「???」
「読んでくれた?」と期待するルナの涙目には悪いが、判別は不可能だ。
「君、スマホ自体持ってないんだな? 一緒に打ち込んでみようか」
「また、お前勝手に」
インバッハが自分の携帯端末を取り出し、ルナに画面を覗き込むよう指示する。
「ここを押して、こうして、こう」
非常にわかりやすい説明で入力方法を伝え、ルナもうんうんと返したが、結局打ち込まれた文字は大量の魚へんの漢字だった。
「鮪鰯鯵鰆鰻鮭鱚……」
液晶画面に羅列された文字を見て、インバッハは静かに端末を引いた。
「なるほど。電子入力でも、魚へんの漢字に変換される呪いらしい」
新世界で普及している最新の端末を用意したところで、結果は同じだろう。
「カサンドラとはちょっと違うが、誰も彼女の言葉を受け止められないんだろうな」
少なくとも、言葉や文字は魚に関するものへ変わってしまうようだ。
神話のカサンドラはアポロンに呪われ、予言を誰にも信じてもらえなくなった。
では、ルナは誰に呪われ、そしてなぜニクシーと離れたのか?
「鰐! 鰌鰌ーー!」
ルナはちゃぶ台を両手でバンバン叩き、必死に何かを訴えようとした。
「落ち着いて。なんかの怪異に遭ったんだよね?」
シェルトドーガはルナの顔を覗き込むようにして、優しく問いかけた。
ルナが頷く。
「で、ニクシーをとられちゃったの? それでそいつを退治しにいこうとしたの?」
部屋に入った瞬間から、台所の上に包丁が出されていることには気づいていた。
さらに、どこから調達したのか、床には巨大なハンマーまで置かれている。
言葉は通じなくても、ルナの殺気立った執念だけは、その不釣り合いな武器たちが雄弁に物語っていた。
ルナはシェルトドーガの言葉に大きく何度も頷いた。
「なら、場所と相手を教えて。僕が代わりにやるから」
ルナは泣きながら両手をフニャフニャと動かす。
「……うーん、それは海!」
「鯨!」
このジェスチャーは簡単だった。
なにしろ魚という大ヒントがあるのだから。
続いてルナは両足を揃え、床の上でパタパタと動かした。
「きゃわ」
「それは人魚?」
シェルトドーガが直球のセクハラ目線で喜ぶ傍らで、インバッハが冷静に正解を口にした。
「鰈!鰈!鯵鰊!」
インバッハに期待を込めた視線を向け、ルナはまくし立てる。
だが、呪った相手がわかっても場所が特定できない。
海は広いし大きいのだ。
ハッとしたルナが旧世界の地図を取り出して、ちゃぶ台に広げ始めた。
なんのマークか、なんの意味を持った塗り潰しなのか、地図上には意味深なハートマークがいくつも書き込まれていた。
清掃員のヘルプとして訪れた例のラブホテルのハートを示そうとするが、途端に眩暈と吐き気が込み上げ、全身に力が入らなくなる。
それでもニクシーのため気力を振り絞るが、目隠しをされたように地図そのものが見えなくなってしまった。
呪いの力が、具体的な場所の特定を拒んでいるのだ。
「無理しないで。場所を伝えるのはタブーなんだな。とすると、ルナに先導させて僕がついていくのもダメそうだな。OK。他にヒントになりそうなことはある? ゆっくりでいいよ」
背中をさすさすしながら、シェルトドーガが聞く。
いつもならどさくさに紛れた下ネタが混ざるが、今はルナを労う手つきに徹していた。
「……鱒」
せっかく強大な協力者がいるのに、あの腐敗した人魚を懲らしめられないのが悔しくてたまらない。
腐った腕の中で、ニクシーはどうしているのか。
ルナは涙を拭い口を開いた。
「私の身体が腐り果てる前に見せておくれ。聞かせておくれ。愛し合った人間に捨てられた哀れな魂に見せておくれ。聞かせておくれ」
そのしわがれた声はルナのものではなかった。
「もし男が、おまえを誰よりも愛するようになって、命よりもおまえを大切に思い、生涯おまえだけを妻とすると心から誓う男がいるならば、その男がお前への愛のためになにができるか見せておくれ。聞かせておくれ」
怪異が伝えた解呪とニクシー返還条件が口から流れているだけなのだ。
「それが呪いの解放条件か。例えば王子が人魚姫のナイフを避けず胸を刺されたら愛の証明になる?」
インバッハが淡々と言った。
当然、思い浮かぶのは童話の人魚姫だ。
「ほれ」
シェルトドーガは迷いなく胸元をはだけた。
インバッハが台所から持ってきた包丁をルナの手に握らせる。
「鰕鰕鰕!?!?」
ルナの目は驚愕でこれ以上ないほど見開かれた。
魚語の悲鳴を上げ、全力で手を引こうとする。
「平気平気、心臓に傷ついたことなんて何回もあるし」
「大丈夫だよ。こいつは自分で治療もできるから」
インバッハも表情一つ変えずにルナの背中を押す。
だが、自分のために目の前の男が自ら刺されようとしている状況は、恐怖以外の何物でもなかった。
それでもと、ニクシーのために包丁を振りかざす。
はだけたシャツから見事な胸筋がのぞいている。
原初のビースト。
自分の腕力なぞで致命傷を負わせられるわけがない。
本人も平然としている。
「鰹っ!」
でも、やっぱりダメだ。
そんなことできない。
「心配してくれてる? でも、それは失礼だよルナ。僕はとても強いから」
ルナは首を振る。
「さっきの声は私の身体が腐る前にと言っていたな。つまり期限があるわけだ。早く解決したほうがいいんじゃないか」
「お手本はこうだ!」と言って、インバッハは洒落にならない殺意の構えを見せた。
そう、期限がある。
あの人魚は相当腐っていた。
崩れ落ちる寸前だったのが、さらにタックルしてきたことにより損壊していた。
残り時間はないに等しい。
爆弾首輪といい、何故にこうも時間に追われなくてはならないのか。
ルナは床に両手をつき、二人へ深く頭を下げた。
やはりニクシーの危機に自分が体を張らずになんとする。
胸を叩いて、我、妙案を思いついたからもう大丈夫と表情で語る。
「やせ我慢しちゃダメ。なんなら杭を打つみたいにハンマーでナイフを打ち込んでみる?」
「それはアリだな」
インバッハが同意し、ハンマーを運んでくる。
二人の神の目は至って真剣だった。
このまま部屋に留まっていれば、本格的に吸血鬼退治の真似事をさせられる。
それも、自分が打つ側としてだ。
「鰻〜っ!」
ルナは取るものも取りあえず6畳間を飛び出し、ボロアパートの階段をダッシュで駆け下りた。
ルナの心情を察したようで、二人は距離を空けてついてきていた。
すぐには干渉せず、見守るつもりらしい。
しかし、ルナが当初の目的通り、一人で人魚退治するため電車でラブホに向かおうとすると、場所を指示したことになるらしく激しい不快感に襲われた。
呪いの拒絶反応が、容赦なく内臓を雑巾のように絞り上げる。
武器を用意するため一度、アパートに戻ったのは失敗だった。
あのまま素手で人魚に挑んでおけばよかった。
しかし、後悔しても遅い。
次の手を考えなければならなかった。
自分が魚語しか喋れなくなる程度であれば、十分に許容範囲だ。
だが、期限切れでニクシーが没収されては、それこそ世界の終わりだった。
命よりもおまえを大切に思うようになった、その人がおまえのためになにができるか。
人魚の声が脳裏で執拗にこだまする。
自分も、もしニクシーがナイフを向けてきたら、喜んで刺されるだろう。
ニクシーのためなら、苦手な高所でバク転だってできる。
お化けなぞ怖くもない。
……では、あの人はルナのためになにをしてくれるだろうか。
困難に直面しすぎて、現実逃避をしているのかもしれない。
足元のアスファルトが、ふっと消えたような錯覚に陥る。
オパール色の空が脳裏に甦り、足元に凪いだ海が広がった。
眼鏡越しの金色の瞳がルナを見下ろし、棒状のピアスが軽く揺れていた。
甘いものは1時間に1回と制限され、むくれた日。
似合うと言って履かせてもらったミュール。
ニクシーの不在で癇癪を起こしたり、泣き出したりするのを、すべて受け止めてくれた逞しい腕。
強烈な不快感を堪えながら、駅前の大通りにようやく到達した。
通りは買い物客や家族連れで溢れかえっている。
楽しげに笑い合う学生の集団や、犬を連れて散歩する老夫婦の姿。
世界は驚くほど賑やかに回っていた。
例えばここで。
皆の視線が集まるこの場所で。
愛を試す方法は、命を賭けることだけではない。
人によっては、尊厳を失うことを死より恐れるだろう。
あのプライドの高い人の愛はどんな形で証明されるのか。
「例えばここでちんちん見せるとか……」
条件を提示するためなのか、自分の声が一時的に戻った。
だが、そんなことよりも自分は一体なにを言っているんだと激しく動揺した。
ラブホ勤めのせいではない。
絶対にシェルトドーガに感化されている。
「いいよ」
羽のように軽く、シェルトドーガが眼前に降り立った。
小さな呟きを受け止めたシェルトドーガの顔に、一片の曇りもない。
ルナの突拍子もない、かつ最悪の願いに対して、満点の笑顔を向けている。
「元気な状態じゃなくてもいい?」
ルナが止める間もなかった。
「やあやあ! 我こそは200年前の世界崩壊を阻止した原初の獣なり!」
派手な身振りでシェルトドーガが周囲の注目を集める。
大通りの買い物客や家族連れの視線が一斉に突き刺さった。
ズボンのベルトに指がかけられた。
「救世の源をとくと見よ!」
「きゃあっ!」
「うわっ!」
大通りを行き交う人々から、一斉に驚きと困惑の悲鳴が上がった。
シェルトドーガは躊躇なくズボンとパンツを引き下ろしていた。
その露わになった股間を、ルナが正面から全力で抱きしめ、覆い隠した。
180センチの長身を屈め、小さな神の体を正面から包み込む。
自分の身長と長い手足を、これほど感謝した瞬間はなかった。
「兄ちゃん達、何やってんだよ!」
通りがかりの買い物客の男性が、顔を引き攣らせて怒鳴った。
周囲の家族連れが、子供の目を慌てて手で覆いながら足早に去っていく。
完全に通報されてもおかしくない事態だった。
「なあに? やっぱり他の人に見せたくなくなっちゃった?」
抱きしめられた勢いのまま、シェルトドーガはルナの腰にしっかりと手を回していた。
「あ」
「あ? 可愛いね。甘い声出すのはまだ早いよ」
「あ、あ、あ、声……戻ってる」
「ははっ、ほんとだ」
胸元に顔を押し付けてグリグリと動かしてくるシェルトドーガを拒絶しながら、ルナは複雑だった。
人魚が求めた「愛の証明」。
それはきっと、童話のように美しく、命を賭した気高い献身のようなものだったはずだ。
まさか大衆の面前で下半身を晒すような、最低の泥仕合を見せられるとは思っていなかったに違いない。
「これでいいのか人魚……」




