第14話 50円の帰宅
ルナと竜子が、それぞれリングへ駆けつけた。
「龍一、完璧なFFFだったと思う。すごかった」
FFFとは、二人が愛好するレトロ格闘ゲームの略称だ。
趣味の話となれば、竜子は時に龍一以上にディープなネタまで知っている。
龍一は差し出されたタオルを受け取り、白い歯を見せて笑った。
「アムネラ師範こそが我が師匠だぜ」
一方、ルナは倒れたままの少年の傍らに膝をついていた。
その名を何度も繰り返して呼ぶ。
「シェルトドーガ、シェルトドーガ、シェルトドーガ」
シェルトドーガはピクリとも動かず、気絶したふりを続けていた。
ルナがこうして名前を呼び続けているのは、全賭けした自分が負けて大金がぱあになったからか。
それとも、自分が目覚めないことを心配して、悲しんでいるからか。
そろそろタコ口になって、いじわるを終わらせようとした矢先だった。
全身に強烈な違和感が走った。
「待て!」
シェルトドーガは勢いよく上体を起こし、ルナの手を掴む。
「わ」
「今なにしようとした!? 今!?」
ルナは目を泳がせ、なんとか言い訳をしようとしている。
だが、獣の察知能力を騙せるわけがなかった。
「テイカーだよね? ねぇ!? まさか本人が能力者だったなんて!」
気質の話ではない。
能力としてのテイカー(引き受け手)は、献身の人とも呼ばれていた。
能力の大小こそあれ、他人の痛みや傷、病気を引き受ける。
中には要人の死すら代わりに引き受けるために、高額で雇われているテイカーもいた。
先程、ルナはシェルトドーガが負った怪我を、テイクしようとしていたようだ。
世間にテイカーを悪用する犯罪は多い。
それゆえ、自分がテイカーであることを隠す者がいるのも知っていた。
「隠しておきたかった? それなのに傷を治そうとしてくれたの?」
「いや、その、君が本来負う必要のない傷だからね。私が巻き込んだせいで、お友達と闘うことになったというか……」
ルナは言葉を探しながら答える。
彼女にとって、損得の問題ではなかった。
自分が原因で生じた傷なら、自分で引き受ける。
ただ、それだけだった。
ああ、とシェルトドーガは思う。
この子はなんて厄介なんだ。
「ほれ、僕はこんなに元気。もう平気」
「そうか。よかった」
ルナは素直に頷く。
「ごめんね。500万円分の信頼に応えられなかった。幻滅していい」
「大丈夫。50円残ってるから、ここからまた始める」
めげないというか、緊張感がないというか。本当に厄介だ。
シェルトドーガは、まとめて受け取る予定になっているファイトマネーのことを思い出す。
それをそのままルナに渡せばいい。
足りなければ氏子に連絡して――
「おい、お前も使うか?」
不意に声が飛んできた。
龍一が、自分の汗と血で汚れたタオルを差し出している。
「ノンデリ金玉死ね」
シェルトドーガは後ろにいる竜子に声をかけた。
「お嬢さん、こんなやつはやめといたほうがいいっすよ。見てごらん。今もわざと汗で張り付いたシャツで乳首を誇示してるような輩」
「たっちゃん、こいつね、下ネタ好きなだけのモブザコだから気にしなくていいぜ」
「ムキーっ」
竜子は軽く受け流していた。
「プリンスの龍一くん、だよね。よろしく。爆弾です」
「あ、これはこれはご丁寧に」
龍一も軽く頭を下げる。
爆弾ことルナは話を続けた。
「ときにプリンセスに会ったことはあるのかな?」
「あー、いるってことは知ってるけど、どこの誰だかはよく知らねぇな」
「A教会のシスター・オラトリオでしょ」
竜子が横から口を挟む。
能力者の話題になると、彼女は途端によく喋った。
誰が強いのか。誰が最強なのか。
そんな議論が、とりわけ好きだった。
「そうそう。オラトリオ。そうか、会ったことはないのか」
ルナは少し残念そうに呟いた。
「その首輪って、無理に外そうとしたら爆発するやつなの?」
今度は竜子がルナへ興味を向ける番だった。
「そう言ってたよ。外すには鍵が必要みたいで――」
「ちょっと触らせてくれるか?」
龍一が首輪へ手を伸ばした。
勝利を譲られた借りを返したい。
自分ならば爆発前に破壊できるのではないか。
そんな思いが大男にはあった。
ルナも特に警戒した様子はない。
龍一の指先が首輪の一部を摘まむ。
そして、ほんの少しだけ力を込めた。
バキッ。
乾いた音が鳴る。
金属製の輪に、クッキーでも割るような気軽さで亀裂が走った。
「いけるぜ」
「待て待て待て待て!」
シェルトドーガが悲鳴じみた声を上げる。
「爆発したらどうする!? ルニャーゴの頭吹っ飛ぶぞ!」
「いや、龍一くん、やってくれるかな?」
「なんでいきなり思い切るんだよ!」
ルナは頭の上を指差した。
そこにはニクシーがいる。
この世界で、もっとも大切で、もっとも愛している幸運の人形が。
「もし頭部が爆発しても、脳みそでニクシーを守ってみせる」
「その意気や良し」
ルナの男気に、竜子が即座に応えた。
彼女はそういう熱い展開が好きなのだ。
見ていられないとばかりに両手で顔を覆うシェルトドーガをよそに、龍一は再びルナの首輪へと手を伸ばした。
「いくぞ」
「よろしく」
「いやぁあああああ!!」
シェルトドーガの悲鳴が地下闘技場に響き渡る。
龍一の指先に躊躇なく力が込められた。
バキン。
乾いた破砕音が鳴る。
鋼鉄製の首輪に蜘蛛の巣状の亀裂が走り、次の瞬間には砕け散った。
首元を締め付けていた金属の輪が、床へ落ちた。
カラン。
やけに静かな音だった。
爆発は起きない。
火花も上がらない。
赤く明滅していたタイマーも、床に転がった首輪の上で完全に停止していた。
ルナは自分の首筋をそっと撫でる。
そこにはもう何もない。
つい先ほどまで確かに存在していた死の宣告だけが、床の上に取り残されていた。
「なんだよ、そんなん僕もできましたが?」
開口一番、シェルトドーガが不満げに言った。
顔を覆っていた手を外しながら、明らかな負け惜しみを口にする。
「いや絶対無理だっただろ」
龍一が切り捨てる。
「できたし」
「できてねえよ」
「ガチガチ噛み切れましたー」
「やってから言え」
「爆発したらどうするのさ!」
「龍一くん、ありがとう」
二人の言い争いの合間を縫って、ルナは素直に頭を下げた。
「いいってことよ。めでたしめでたしってな」
「これ、燃えないゴミでいいのかな?」
ルナは床に転がる首輪の残骸をつまみ上げる。
砕けた金属片はすでに危険な気配もなく、ただの壊れた時計にしか見えなかった。
「危険物系の能力者の処理にも慣れてると思うからスタッフさんに渡しておけば?」
竜子はこういうことをよく知っている。
先ほどまで命の残り時間を刻んでいた首輪について、空き缶でも捨てる相談をするような気軽さだ。
くだらないやり取りをしている間にも、地下闘技場のスタッフたちは慌ただしく動き回っていた。
やがてスタッフ数人が大型ケースを抱えて現れる。
金属製の補強が施された重厚な黒ケース。
映画なら機密兵器か麻薬でも入っていそうな代物だった。
「お待たせいたしました」
スタッフたちがテーブルの上へ次々とケースを置いていく。
「シェルトドーガさんのファイトマネーになります」
「龍一さんのファイトマネーになります」
「こちらが竜子さんへの払戻金になります」
それぞれの前にケースが並べられる。
どれも一人で持ち運ぶには少々気合いが必要そうなサイズだった。
龍一が竜子の分もケースを持ち上げる。
「無駄に厳重だな」
「現金ですので」
ルナにだけは、当然なにも渡されなかった。
首輪こそ外れたものの、所持金は相変わらず財布の中の50円だけだ。
交通系カードの残高も尽きている。
帰りの電車に乗ることすらできない。
「それじゃあ、ありがとう。いつかまた」
ルナは龍一と竜子へ軽く頭を下げる。
地下闘技場での騒動は終わった。
首輪も外れた。
あとは帰宅するだけだ。
龍一は大型ケースを提げたままの片手を上げた。
「おう」
竜子も小さく会釈する。
「またね」
ルナは微笑み返し、そのまま駅と反対の出口へ向かった。
時間はかかるが、徒歩で帰ればいい。
もう命のカウントはないのだから。




