EP 9
焚き火と煙草とマシュマロと。そして迫り来る「引き落とし日」
「……はぁ、はぁっ……。お、お前……マジで容赦ねぇな……っ!」
深夜の森。月明かりの下で、俺は泥だらけになりながら大の字でぶっ倒れていた。
全身の筋肉が悲鳴を上げ、数え切れないほどの打撲傷がズキズキと痛む。世界樹の木の棒を握る手は豆が潰れ、感覚すらなくなりかけていた。
「へっ。素人にしては、なかなか良い殺意だったぜ。特に最後の、俺の目に泥を投げつけてからの膝カックンはな。エルフの誇り高い戦士なら泡吹いてキレてるだろうよ」
ウィスターは呆れ半分、感心半分の顔で笑いながら、自身の杖を地面に突き刺した。
彼も少しだけ息が上がっており、額には薄っすらと汗が滲んでいる。
「……グリーンベレーのマニュアルに書いてあったんだよ。『敵の視界を奪うことは、戦術の基本』だってな」
「違いねぇ。いい本じゃねぇか、それ」
ウィスターは懐から銀色のスキットルを取り出すと、キャップを開けてあおり、そのまま俺の顔の横に放り投げてきた。
「飲め。痛みが散るぞ」
「……あんたが他人に酒を譲るなんて、明日は世界樹が枯れるんじゃないか?」
俺は身を起こし、スキットルの口に口をつけて琥珀色の液体を流し込んだ。
「ごふっ!? げほっ、けほっ! かぁーっ、キッツ!! なんだこれ、喉が焼ける!!」
「ギャハハハハ! そりゃあ度数40度の『サケスキー』だからな。ガキには早かったか?」
腹の底からカッと熱くなる強烈なアルコール。だが、不思議と嫌な酔い方ではなく、疲労しきった筋肉にジンワリと染み渡っていくような感覚があった。
俺は咳き込みながらも、ポケットから『セブンスター』の箱を取り出し、一本くわえた。そして、ウィスターの方へ箱ごと放り投げる。
「……火、貸してくれよ師匠」
「おう。授業料の追加だぜ、クソ弟子」
ウィスターが指先でパチンと鳴らすと、小さな『火属性の魔法』が俺のタバコの先端に灯った。
静まり返った夜の森で、二人の男が並んで倒木に腰掛け、紫煙を夜空に吐き出す。
「……ふぅ。悪くねぇ夜だ。パチンコ屋のネオンがないのは退屈だがな」
「借金返したら、いくらでも打たせてやるよ。俺の金以外でな」
ウィスターと肩を並べてタバコを吸い、サケスキーを回し飲みする。
つい昨日まで、俺はコンビニのバックヤードで廃棄弁当をかき込みながら、レジの呼び出し音に怯える社畜だった。それが今じゃ、異世界でエルフと酒を飲んでいる。人生、何が起こるか分からない。
「……健人様。あなた達、こんな夜更けに不良みたいなことして……少しは身体を休めたらどうですの?」
少し離れた焚き火の前から、呆れたような声が聞こえた。
ダイヤだ。
彼女は紅蓮のアーマーを脱ぎ、軽装のシャツ姿で焚き火の前にちょこんと体育座りをしていた。
「おう、ダイヤも飲むか?」
「お酒と煙草はやりませんわ。剣の感覚が鈍りますから。それより健人様……これ、どうやって食べるんですの?」
ダイヤの手には、木の枝が握られていた。
その先端に刺さっているのは、俺が10万円の枠から召喚した『マシュマロ』だ。
「あぁ、それは火に近づけて、表面がキツネ色になるまで炙るんだ。焦がさないようにな」
「こ、こうですか? ……あっ! 膨らんできましたわ!」
ダイヤが真剣な顔(野盗を銃撃する時よりも真剣だった)でマシュマロを炙る。
表面がトロッと溶け出したところで、俺が召喚しておいた『粉末のコーンスープ(お湯割り)』の入った紙コップを彼女に手渡した。
「それと一緒に食ってみろ」
「……いただきますわ」
ダイヤは火傷しないように、ふーふーと息を吹きかけてから、トロトロのマシュマロを口に含んだ。
「…………ッ!!!」
パァァァァッ! と、効果音でも鳴りそうなほど、ダイヤの顔が明るくなった。
「な、なんですのこれぇぇぇっ! 口に入れた瞬間、シュワッと溶けて……強烈で上品な甘みが広がりますわ! そしてこの熱々のコーンスープの塩気が、甘さをさらに引き立てて……無限の永久機関が完成しましたわ!」
ダイヤは目をキラキラさせながら、次々とマシュマロを枝に刺しては炙り、頬張っていく。
(……こうして見ると、ただの年相応の可愛い女の子なんだよな)
S級の賞金稼ぎで、銃と暗器をぶっ放す『紅蓮の戦乙女』。
だが、その本質は恋愛経験ゼロの純情乙女であり、甘いお菓子に感動して無邪気に笑う20歳の女の子なのだ。
「むにゃ……あまい匂いがしますぅ……」
テントの中から、リリスがヨダレを垂らしながら這い出てきて、ダイヤのマシュマロ袋に突進していった。
「ああっ! ダメですわリリス! それは私の明日の分の……っ!」
「いいじゃないですかぁ! 女神の徴収ですぅ!」
ギャーギャーと騒ぐ女二人を見ながら、俺とウィスターは呆れたように笑い合い、残りのサケスキーを飲み干した。
俺たちの奇妙なパーティーの、初めての夜はこうして更けていった。
***
――翌朝。
俺は、スマホのアラーム音で飛び起きた。
「……ん、朝か」
寝袋(召喚した)から這い出し、顔を洗おうとして、ふとスマホの画面を開いた。
そこに表示された『日付』を見て、俺の全身から血の気が引いた。
「おい……嘘だろ。今日は、何日だ?」
俺の問いかけに、外で剣の素振りをしていたダイヤが不思議そうに答える。
「何日って……4の月の、26日ですわよ?」
「26日……! 明日じゃねぇか!!」
俺の絶叫が、朝の森の鳥たちを飛び立たせた。
しまった。昨日、異世界転生だの、S級令嬢との出会いだの、エルフとの修行だので完全に思考の片隅に追いやられていた。
ルチアナのクソ女神が作った90万円の借金。
クレジットカードの**『引き落とし日(強制徴収日)』は、毎月27日だ。**
「健人様? どうなさいましたの、顔面が蒼白ですわよ!」
「ウィスター! 起きろ! リリス、お前もだ!! ギルドに行くぞ、今すぐにだ!!」
俺はまだ寝ているウィスターの胸ぐらを掴んで揺さぶり、マシュマロを咥えたまま寝落ちしているリリスを芋ジャージの襟首ごと引っこ抜いた。
「な、なんだよ朝から……俺はまだ低血圧で……」
「悠長なこと言ってる暇はねぇ! 明日までに、最低支払い金額の『金貨2枚(約2万円)』を稼がないと、俺は身ぐるみを剥がされて一文無しで荒野に放り出されるんだよ!!」
「えっ!? 健人様、借金取りに追われていますの!?」
ダイヤがドン引きした顔になる。違う、誤解だ。いや、合ってるけど。
「事情は歩きながら説明する! ダイヤ、この辺で一番手っ取り早くて、報酬が高い『討伐クエスト』は何だ!」
S級賞金稼ぎのダイヤは、少し考える素振りを見せた後、真剣な顔で答えた。
「……金貨2枚以上を即日で稼ぐなら、一つだけ心当たりがありますわ。最近、この近くの『天魔窟』というダンジョンから迷い出てきて、街道の商人を襲っている凶悪な魔獣がいますの」
「そいつの名前は!」
「『死甲虫型』。死蟲王サルバロスの眷属にして、魔導バズーカすら弾き返す超重装甲のバケモノですわ!」
「……虫のバケモノか。上等だ。俺のデビュー戦にはおあつらえ向きじゃねぇか」
俺は『世界樹の棒』を握りしめ、スマホの電源を落とした。
「ウィスター、手伝え。報酬の金貨が出たら、セブンスター1カートンとサケスキーを奢ってやる」
「……ッ! その言葉、二言はねぇな!? 行くぞ虫退治!!」
手のひらを返したようにやる気を出したクズエルフと共に、俺たちは大急ぎでテントを畳み、街のギルドへと駆け出した。
借金返済を賭けた俺の初陣が、今まさに始まろうとしていた。




