EP 4
ネギオの論破ゲームと、社畜の経済学
「ふむ……酸度(pH)は6.5。弱酸性か。一般的な野菜を育てるには悪くない数値だな」
俺は召喚したばかりの『デジタル土壌酸度計』を畑の土に突き刺し、液晶に表示された数値を読み上げた。
現代日本のテクノロジーがあれば、土のコンディションなど一瞬で丸裸にできる。あとはこのデータに合わせて『即効性化成肥料』を撒き、ウィスターの魔法で土を耕せば、最高の土壌が完成するはずだ。
「よし、ダイヤ! まずはこの化成肥料を畑全体に――」
「おいおい、待ちやがれ都会のヒヨッコども」
俺が指示を出そうとした瞬間、背後から紫煙と共に嫌味な声が飛んできた。
振り返ると、ネギカリバーを肩に担いだ樹人――ネギオが、麦わら帽子を指で押し上げながら俺たちを鼻で笑っていた。
「そのピカピカの機械が何を測ったかは知らねぇがな。ここはアナステシアの大地、それも世界樹の加護が及ぶポポロ村だ。土の中には複雑な『魔力脈』が流れてる。それを知らずにそんな得体の知れない粉(化成肥料)をぶちまければ、作物は魔力過多で破裂するか、毒草に化けるぜ」
「なっ……魔力脈だと?」
俺は持っていた化成肥料の袋を下ろした。
確かに、ここはファンタジー世界だ。地球の農業マニュアルが100%通用するとは限らない。
「ネギオ。お前はこの土地でずっと農作業をしてきたんだろ。その魔力脈とやらを見極めた『極上の肥料の配合』、俺たちに教えてくれないか?」
俺が素直に頭を下げると、ネギオはニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
「教えるのは構わねぇが……タダってわけにはいかねぇな。俺の知恵が欲しけりゃ、俺の仕掛ける**『論破・説法ゲーム』**をクリアしてみな」
「論破ゲーム?」
「あちゃー……ネギオさんの悪い癖が出ちゃいました」
村長のキャルルが、ウサギ耳をペタンと寝かせてため息をつく。
「ネギオさん、すごく頭が良いから、こうやって高度な論理パズルや哲学問答を出して、相手を論破するのが大好きなんですぅ。村のおじいちゃんたちも、毎朝これでいじめられてました」
「性格悪ッ!!」
ダイヤが思わず素で引いている。
「へっ、バカに教える知恵はねぇってことさ。さぁ、お題を出すぜ。お前がただの小僧か、それとも上に立つ器か見せてもらおうじゃねぇか」
ネギオは葉巻の灰を落とし、鋭い眼光で俺を見据えた。
「ある日、ポポロ村に2つの悪徳商会が『太陽芋』を買い付けに来た。商会同士は互いに相談できない隔離された部屋にいる。
両方が【高値】を出せば村は潤うが、両方が結託して【安値】を出せば村は買い叩かれる。もし片方が高値、片方が安値を出せば、高値を出した方がすべての芋を買い占められる。
だが悪徳商人は賢い。互いに疑心暗鬼になり、結局はリスクを避けて両方とも【安値】を提示してくるのがオチだ。さて村長であるお前は、この状況で**『どうやって確実に両方から高値を引き出すか?』**」
「なるほどな」
俺は即座に理解した。
これは経済学やゲーム理論における最も有名なパラドックス、**『囚人のジレンマ』**の応用問題だ。互いに協力すれば最大の利益を得られるのに、個人の合理的な判断が裏切り(安値)を誘発してしまうというジレンマ。
「フフッ……どうした? 頭抱えて泣きついてもいいんだぜ?」
ネギオが勝利を確信したように笑うが、俺はコンビニのレジ打ちよりも冷静な顔で答えた。
「簡単だ。俺なら、両方の商会にこう伝える」
俺は地面に木の枝で2つの商会の図を描きながら言った。
「『もしお前が【高値】を出し、相手が【安値】を出した場合、お前の商会にポポロ村の特産品の**【独占取引権】**を永遠に付与する』……と、インセンティブ(報酬)をぶら下げる」
「……あ?」
ネギオの葉巻が、ピクッと揺れた。
「商会にとって一番怖いのは、相手に出し抜かれて独占権を奪われることだ。この条件を提示された瞬間、相手が安値を出そうが高値を出そうが、自分は【高値】を提示することが最も合理的な『支配的戦略(ナッシュ均衡)』に変化する。疑心暗鬼を利用して、裏切るメリットより、裏切らないメリットを極大化させればいいだけの話だ」
「なっ……」
「さらに言うなら、交渉の最初に『ゴルド商会はこれくらいの額を提示していましたがね』とハッタリの数字を出す。これは行動経済学の『アンカリング効果』だ。最初に高い基準を脳に植え付けることで、相手の提示額を無意識に引き上げさせることができる」
俺は立て続けに、大学の経済学の講義で学んだ(そしてバイト先のクレーム対応で培った)ビジネスの悪知恵を並べ立てた。
「どうだ、ネギオ。反論はあるか?」
静寂が包む廃村。
ネギオはポカンと口を開け、咥えていた葉巻をポロリと地面に落とした。
「す、すごいですわ健人様! 何を言っているか半分も分かりませんでしたが、悪徳商人を手玉に取る冷酷なヤミ金業者のオーラを感じましたわ!」
「健人さぁん、カッコいいですぅ!」
ダイヤとリリスが拍手喝采を送る。ウィスターは「こいつにだけは金は借りねぇようにしよう」と呟いていた。
「……ハッ。ハハハハハハ!!」
しばらく沈黙していたネギオが、突然腹を抱えて大爆笑し始めた。
「こりゃあ一本取られたぜ! ただのド素人かと思いきや、裏社会の黒幕顔負けのえげつねぇ交渉術を知ってやがる! 『支配的戦略』に『アンカリング』か……面白い! 最高に面白いじゃねぇか小僧!!」
ネギオは笑い涙を拭いながら、俺の肩をバシッと叩いた。
完全にデレたらしい。
「合格だ! お前みたいな悪知恵の働く奴がいりゃ、この村の復興も夢じゃねぇかもな!」
ネギオは自身の右腕である巨大なネギ(ネギカリバー)の先端をポキッと折り、俺に差し出した。
「ほれ。論破ゲームのクリア報酬だ。俺の身体の一部、極上のネギの食用部分だ」
「おお、サンキュー。で、魔力脈に合わせた肥料の配合は?」
「俺のネギの千切りと、お前の持ってるその『化成肥料』、あとは村の裏手にある腐葉土を3:5:2の割合で混ぜろ。それがこのポポロ村の大地を最強にする黄金比だ!」
「よし、聞いたなダイヤ! 肥料のブレンドを頼む! ウィスター、水路の確保だ! キャルルは……」
「私にお任せください! 岩でも大木でも、邪魔なものは全部蹴り飛ばして平地にしますぅ!」
キャルルが安全靴のつま先をコンコンと鳴らし、ヤル気に満ちた笑顔を見せる。
現代の農業科学、経済学の悪知恵、そして規格外の異世界パワー。
俺たちの、違約金3000万円を回避するための『超速・異世界村』が、ついに本格始動した。




