EP 11
S級令嬢の『カニ剝き』スキルと、タラバガニ(巨大蟲)のバターポン酢焼き
「ギ、ギギッ……!?」
仰向けにひっくり返った『死甲虫型』は、自身のAI(あるいは本能)がかつて経験したことのないエラー音を鳴らしていた。
目の前にいる人間たちの瞳から『敵意』や『殺意』が完全に消え失せている。
代わりに向けられているのは、よだれを垂らさんばかりの強烈な『食欲』だった。
「ウィスター! 鮮度が落ちる前に動きを止めろ! 身の細胞を壊さないように、関節の隙間だけをピンポイントで凍らせるんだ!」
「人使いの荒い野郎だぜ! 俺の魔法を業務用の冷凍庫扱いしやがって……『絶対零度』!」
ウィスターが指を鳴らすと、六本の脚の付け根と、デス・ビートルの神経節(と思われる部位)だけが瞬時に凍りつき、ピキピキと音を立てて完全に固定された。
もはやデス・ビートルは、まな板の上の巨大なカニと同義である。
「よし! ダイヤ、お前のスキルでそいつ(カニ剝きハサミ)のポテンシャルを引き出せ! 俺はマニュアルの『解体』手順を指示する!」
「承知いたしましたわ健人様! この道具……奇妙な形をしていますが、手にした瞬間、私の細胞が『完璧なカニの剝き方』を理解しましたわ!」
ダイヤが握りしめたのは、俺が先ほど召喚した日本の水産加工工場で使われるプロ仕様の『カニ用・殻むきハサミ』だ。刃の片方に絶妙なカーブがかかっており、硬い殻を滑るように切り裂くことができる構造になっている。
「いきますわよ! 秘剣……いえ、秘技! 『紅蓮の甲殻剥き(クラブ・ストリッパー)』!!」
ザクッ! チョキチョキチョキッ!!
ダイヤの動きは、完全に熟練のカニ剝き職人のそれだった。
魔法弾すらはじき返す分厚い装甲の『継ぎ目』にハサミの特殊な刃を滑り込ませると、テコの原理とダイヤの闘気が融合し、信じられないほどスムーズに装甲が切り開かれていく。
「すげぇ……あのハサミ、あんな風に使うのか」
「はっはっは! 殻が……殻が面白いように剥けますわ! 銃のメンテナンスよりよっぽど快感ですの!」
ダイヤが高笑いしながら脚の装甲をパカパカと外していく。
だが、一番身が詰まっているであろう『腹(胴体)』のメイン装甲だけは分厚く、ハサミでは歯が立たなかった。
「チッ、胴体の殻が硬すぎる! ハサミじゃ刃こぼれするぞ!」
「なら、俺が世界樹の棒で叩き割るか……いや、中身が潰れるかもしれない!」
俺たちが解体の最適解を求めて一瞬だけ躊躇した、その時だ。
またしても、ピンク色の芋ジャージがトコトコと歩み出てきた。
「えっとぉ……硬い殻を割るなら、私にお任せくださいぃ!」
リリスはそう言うと、分厚い耐衝撃ハードケースに入った『エンジェルすまーとふぉん』を両手で天高く掲げた。
「ひっ! リリス、お前まさか……!」
「いきますぅ! 殻割り用の……『ホーリー・スマッシュ(物理)』!!」
「ちがっ、馬鹿野郎! お前がやったらカニミソごとペースト状に――!」
ドッッッゴォォォォォォォン!!!
俺の制止も虚しく、リリスの振り下ろしたスマホの『角』が、デス・ビートルの腹の装甲のど真ん中にクリーンヒットした。
轟音と共に、大地が揺れる。
「あわわ……や、やりすぎちゃいましたか……?」
土埃が晴れた後。
俺たちは、信じられない光景を目撃した。
パカァッ……。
「……おおおおおっ!?」
「き、奇跡ですわ! 完璧にヒビが入っていますの!」
スマホの角が直撃した一点から、デス・ビートルの腹の装甲に美しい亀裂が走り、まるで二枚貝が開くように綺麗に真っ二つに割れていた。
神の質量による、究極のピンポイント・クラッシュ。
そして、割れた装甲の中から姿を現したのは――。
「……すげぇ。本当に、ギッシリ詰まってやがる……」
人間の胴体ほどもある、乳白色に輝く極上の『カニの身(無菌状態)』だった。
「ごくり……」
その場にいる全員(ウィスター含む)の喉が鳴った。
「健人、早くアレを出せ。お前の故郷の調味料ってやつをよ!」
「言われなくても用意してる! 『神様Pay』、発注だ!」
俺はすぐさまスマホを操作し、カセットコンロの上に巨大なフライパン(ダイヤの私物)をセットした。
・北海道産 バター(業務用):約800円
・高級 昆布だしポン酢:約500円
(残高:8万1600円)
「カニと言えばこれだ。バター焼きにして、ポン酢で頂戴する!」
熱したフライパンにバターの塊を落とす。ジュワァァッという音と共に、芳醇な乳脂肪の香りが森に広がる。
そこに、ダイヤが手際よく切り分けた『タラバガニ(デス・ビートル)』の極太の身を大量に投入した。
ジリジリと身が白く、そして表面がキツネ色に焼き上がっていく。
最後に、上から昆布だしの効いたポン酢を回しかけた。
「「「うおおおおおおおおっ!!?」」」
バターとポン酢が焦げる、日本最強の食欲バフの香りが爆発した。
「完成だ! 巨大蟲のバターポン酢焼き! 熱いうちに食え!!」
「いただきますわーーーっ!!」
ダイヤが真っ先にフォークで巨大なカニ肉の塊を突き刺し、豪快にかぶりついた。
「…………ッッッ!?!? あ、あはぁぁぁぁっ♡」
ダイヤの口から、今まで聞いたこともないような艶かしい声が漏れた。
「な、なんですのこのプリップリの食感は!? 噛んだ瞬間に、濃厚な海鮮の甘みが口いっぱいに弾けますわ! そしてこの『ポンズ』という黒い魔法の調味料の酸味が、バターのコクを完璧に引き締めて……っ! 今まで食べていたハズレオムレツ(MRE型)は、ただのゴムゴミでしたわーっ!!」
涙をボロボロ流しながら、絶頂の表情でカニ肉を貪るS級令嬢。
「むっはー! これ、サケスキーのつまみに最高じゃねぇか! エルフの里の野菜スープなんか便所の水に思えるぜ!」
ウィスターもカニ肉を片手に、スキットルの酒をガブ飲みしている。
「はふはふっ! 健人さん、ほっぺたが、ほっぺたが落ちて飛んでいきますぅ!」
リリスは口の周りをバターだらけにして、カニ肉に齧り付いている。
俺も一口食べてみたが、これは間違いなく高級タラバガニの味だった。しかも、運動量が多い魔獣だからか、身の弾力が段違いに凄い。
「……美味い。だが、忘れるなよお前ら。これはあくまで『借金返済』のための討伐だ」
俺はカニの殻についた身をしゃぶりながら、魔獣の心臓部にあった高純度の『魔石(証拠品)』と、切り剥がした『漆黒の装甲(素材)』をしっかりと袋に回収した。
「時計を見ろ! 現在時刻、11時30分! 昼までにギルドに戻って、こいつを換金しないと俺の命がないんだ! 食い終わったらダッシュで街に帰るぞ!」
「はーい! (もぐもぐ)」
「任せてくださいませ! このカロリー、一瞬で闘気に変えて走りますわ!」
最強の食欲と、最悪の借金。
大満足の(カニの)討伐を終え、俺たちは猛ダッシュで冒険者ギルドへと帰還した。
俺が、ルチアナの仕掛けた『異世界リボ払いの真の恐怖』を知ることになるのは、この数時間後のことである。




