先輩②
「じゃあ、教えてよ!」
「ちょっと、耳を貸してごらん」
「はい!」
理々杏は素直に顔を寄せた。
警備員もそれに合わせて屈み込み、小声で囁く。
「いいかい……そこは特別な人しか入れないんだ」
もちろん嘘だった。
だが、こういう手合いに真正面から説明しても意味がない。
否定すれば反発される。最悪の場合は泣かれる。
そうなれば、休日の警備業務どころではなくなる。
だから男は決めた。
彼女の妄想に少しだけ付き合い、満足して帰ってもらう。
それが最善策だと判断していた。
「うぽっ!?」
(やったぁぁぁ!やっぱりあるんだ!あるんだよ、クロぉぉぉ!)
(はいはい。良かったねぇ。アハハハハ……)
まだ面接も受けていない。社員にも会っていない。
そもそも会社が存在するかも怪しい。
それなのに理々杏の頭の中では、
すでに正義の味方として悪の組織を壊滅させていた。
「キョロキョロ……」
「しぃぃぃっ!静かに!敵に聞かれる!」
理々杏は慌てて背筋を伸ばした。
「すみません!」
「いいかい?敵に気付かれないよう注意して話すんだ」
「は、はい!」
「この件はトップシークレットだ」
「シークレット……!」
理々杏の目が輝いた。警備員は少し後悔した。
思った以上に食いつきが良かった。
「その文字も、君みたいな特別な人をスカウトするために――」
「とっ……!」
「もう分かるだろう?もし敵に知られたら――」
途中から警備員は屈むことすら面倒になっていた。
そのまま立ち上がり、
昔見ていた戦隊ヒーローの設定を適当に混ぜながら説明を続ける。
だが理々杏には十分だった。
「あっ……!」
理々杏は慌てて頭を下げた。
「ごめんなさい!私、ごめんなさい!」
ぺこぺこぺこぺこと謝り始める。
(わ、私のせいで……)
(アハハハ。そうかもしれないねぇ)
(そんなぁぁぁ!私、本当にやらかしたのぉぉぉ!?)
通行人から見れば、小柄な少女が警備員へ全力で謝っているだけ。
事情を知らなければ意味不明な光景である。
「あっ、いや!今回は大丈夫だ!」
警備員は慌ててフォローした。
「周囲に敵はいないことを……俺の第六感で確認済みだからな!」
(俺、今すごいこと言ったな)
警備員は、自分でも少し感心した。
「えっ……」
理々杏が顔を上げる。
「あなたも……第六感が……?」
(クロ!仲間よ!仲間だって!)
(良かったねぇ……)
実はクロも、自分の存在を説明するために、
昔から似たような設定を使っていた。
理々杏はそれを信じている。
だから警備員の適当な発言も、自然と仲間認定されてしまった。
警備員はそんな事情を知らない。ただ適当に言っただけ。
だが理々杏は安心していた。自分以外にも同じ力を持つ人がいる。
それだけで心強かった。
「しぃぃぃっ!」
「すみません!」
(ここまで本気なのか……将来は美人になりそうなのになぁ)
警備員は少しだけ遠い目をした。
「今回は知らなかったから許す」
指を一本立てる。
「だが今後は外で気軽に声を掛けるな。俺も仕事中だからな」
「うそ……!」
「外では他人だ」
「はっ!はい!」
「この話が終わったら、俺たちは赤の他人だ」
「すみません!先輩!」
(クロ!先輩だって!先輩ぃぃぃ!)
(良かったねぇ、リリィ)
警備員は、もう否定する気力がなかった。
「じゃあ本題だ」
新聞を指差す。
「そこに書いてある番号へ連絡するんだ」
「番号……?〇一二〇――」
「しぃぃぃっ!」
警備員は慌てて、理々杏の口を押さえた。
「シークレットだって言っただろ!」
「こ、こくこく!」
「連絡して担当者と話せ。後は向こうが説明してくれる」
「すみません、先輩!」
(また失敗したよぉ、クロぉぉぉ)
(アハハハハ。大丈夫、大丈夫)
「じゃあな」
警備員は背を向けて歩き出した。
「続きは連絡係に聞いてくれ」
そう言って建物へ戻っていく。
(フリーダイヤルか……最近の子供向け設定も凝ってるなぁ)
そんなことを考えながら。
「先輩!」
理々杏が呼び止める。
「この数字でいいんですか!?」
警備員は振り返らなかった。
(いい子に育つんだぞ……)
部屋に戻りガラス越しに理々杏を見ながら、男は苦笑する。
(みんな一度くらいはヒーローに憧れるんだからな)
「はぁぁ……」
理々杏は紙面を見つめた。
「連絡って……どうやってするんだろう……」
(クロぉぉぉ。これ何の番号だと思う?)
(さぁねぇ。それよりお腹空いたよ)
(私もぉぉぉ……)
理々杏のお腹が鳴る。
「ぐぅぅぅぅ……」
(お腹空いたぁぁぁ……)
(管理人さんに頼めば?)
(無理ぃぃぃ……)
ここから帰れば夜になる。足も痛い。空腹も限界だった。
(じゃあ、いつもの方法しかないね)
(えぇぇぇぇ……)
理々杏はビルを見上げる。そして思い出していた。
最近覚えた、とても便利な移動手段を……
――無料タクシー。
本人だけがそう呼んでいる方法を使っていた。




