旋律③
黒い外套の男は、まるで別世界の住人のように歩き続けていた。
冒険者たちと村全体を幾何学模様の檻で囲み。
それらを背に、戦場を切り捨て、
薄暗く湿った地下牢へと続く階段を降りる。
なぜか身体には、さきほど受けた火傷の痕がくっきりと残っていた。
ローブコートの焦げた穴から覗く皮膚には、
赤黒い線が、なおも生々しく刻まれ、一部は血がにじんでいる。
振り返れば、二人の戦う姿が見えたはずだ。
ミアの金髪が斧の風圧に煽られる様も、
リアの銀髪が魔法の熱で激しく揺れる様も。
――だが、リーダーは一瞥さえしない。
階段を降りるほどに、地下特有の冷気が頬を撫でる。
排泄の匂い、壊れた匂い、恐怖の匂い。死の匂い。
そして、ここでは“日常”なのだろう、
濁った笑い声と、壊れた泣き声が、世界を覆い尽くしていた。
リーダーに見えているのは、リアの癒しでは救えなかった人。
見えないのは、豪奢な服を纏いながら、怯えて進めなかった者たち、
それを守ることが出来なかった悲しい護衛。
護衛が、恐怖に染まった顔で震える剣を向ける。
「お前が……リーダーか?」
怯えた者たちに、何も答えない。
顔を向けずに通り過ぎ、救いを求める者へと歩み寄った。
若い男が、血だまりの中で浅い呼吸を繰り返している。
腹部には深い裂傷。表面だけが繋がり、身体に血を留め、
青銅の胸当ては真っ二つに割れ、シャツも赤黒く染まっていた。
既に顔色は青白く、唇は紫がかって視線さえ定まらない。
リーダーは、その傍らに膝をつき、
床に触れたローブコートが、血と汚泥をさらに吸い込んだ。
男の肩が、かすかに震えた。
「……ゴボッ……ほか……を……」
意識の半分も残っていない身体で、絞り出すように伝える。
リーダーは、答えない。
無骨な指が胸元に触れ、短く息を吸う。
そして低く――暗闇の底へ沈むような声で詠唱した。
「この者に、ひとときの安らぎを。神の癒やしを……
《完全復活》」
白く柔らかな光が、掌から腹部へと染み込んでいく。
裂けた肉が閉じ、内側の断面が縫い合わさるように戻り、
血の流れが完全に止まっていった。
「ガァァ……っ!」
男は顔をしかめ、呼吸が乱れ、身体が痙攣するように跳ねる。
だが数拍の後、荒さは潮のように退き、安定した呼吸へと変わる。
それを見ていた護衛が、驚きながら声を掛ける。
「助かった……助かったんだぞ! これで、帰れる」
その言葉を聞いたのか、男の顔に嬉しそうな笑みが浮かび、
瞼は優しく閉じられていた。
◇
その傍らでは、牢の通路に寄せ集められた人々が、
床に伏したままリーダーを見つめていた。
老人も、子どもも、女もいる。
塞がった片目、古い傷跡、欠損――
そして、言葉にできない種類の、色の変わった傷や泡立つ病まで。
「癒やし」を求める視線だけが、
希望のように見開かれて、リーダーに注がれていく。
一目見るなり、くぐもった声が重なった。
「……助けて」 「痛い……」 「こわい……」 「おねえちゃん……」
リーダーは、淡く光る小さな紋章を空中に刻む。
光は波紋のように広がり、
順番に、確実に傷を塞ぎ、病を、絶望を希望に癒していき。
安堵の笑みがこぼれ、やがて心地よい寝息さえ混じり始め。
だが、希望に入れない人達は、息はしないが綺麗な姿で眠り続け、
それを苦しそうに見ている人達に、リーダーは優しく声をかけた。
◇
通路の奥、影の中からも呻き声が漏れてくる。
潰れかけた牢の隙間。瓦礫の下。
リーダーはそこへ歩み寄り、瓦礫に手をかけた。
身体がボロボロな女が何かを叫び、涙を流してすがりつく。
リーダーは重たい石を、ひとつ、またひとつと退かしていき、
外套の下で太い腕が膨れ、石が床を擦る音が地下に重く響いた。
下敷きになっていたのは、まだ幼い子ども。
右脚は不自然な角度に曲がり、潰れている。
放っておけば、二度とまともに歩けない。
リーダーは、顔を一度だけ見た。
子どもは、恐怖と痛みで涙を溜めながら笑い、
必死に声を殺す眼差しは、そばで泣く女へ向けられている。
リーダーは、左で子どもの頭を軽く押さえ、右で折れた脚に触れる。
短い警告のような視線。
子どもが、こくりと小さく頷く。
女は息子の手を、両手で包むように握り、祈りを捧げる。
次の瞬間、掌から温かな光が流れ込み――傷が閉じ、血が止まり、
骨が一気に引き戻され、肉が盛り上がった。
――コキリ。
鈍く、それでいて逃げ場のない音が、地下に響く。
「ッ……!」
子どもの口から、押し殺した悲鳴のような痛みが漏れ出た。
リーダーは何も言わない、
呼吸が落ち着いたのを確かめると、背を向けて立ち上がる。
その背を見た子どもは、安心するようにと泣いている女を見てから、
震える脚で立ち上がる。
心配するように、涙をこらえる女。
だが、痛みは無いと歯を食いしばる。
「……立て、た…よ…お母さん」
そう呟く子どもと、泣いている母の前に、リーダーはいない。
母と子どもはゆっくり頭を下げ、支え合って階段の方へ向かった。
途中、倒れていた少女を見つけ、
優しい笑みを浮かべては、そっと手を引いていた。
◇
死を悼み、死を受け入れ、生を謳歌し、過去を恨み、未来に……
そんな光景が、地下のあちこちで連鎖していく。
癒された者が次の誰かを支え、守られた者が別の誰かを導く。
その中心にいる男は――
地上で光を浴びることもなく、歓声を受けることもなく、
ただ影の中で、救いの手を差し伸べていた。
まるで、自分の救いを探す……
旋律③




