脱出
ミアとリアが押し込められている地下牢は、
左右に複数並ぶ牢を見張る通路の突き当たり。
天井が崩れ落ちそうな揺れでも、三方を守られているため、
立っているのが難しい程度で済んでいた。
しかし、左右に見える牢では鉄格子が激しく震え、鎖が鳴り、
石壁がびりびりと軋んで、パラパラと小石や瓦礫が落ちている。
吊された魔法の篝火が激しく揺れ、壁に映る影が跳ね回った。
ミアは踏ん張りきれず膝から崩れ落ち、
膝を抱えていたリアは、既に床に手をついている。
すぐに、二度目の揺れが来た。
――ドゴンッ!
まるで巨大な槌で地面を叩き割っているような振動が、
地下牢全体を揺らし、鉄格子を直接叩いたような音まで襲ってくる。
「ひっ……!」
「な、なに……?」
「落ちる……?」
囚われた女や子どもたちの悲鳴が、通路を満たし、
慌てた男の鎖が跳ねる音、悲鳴のような助けを求めるうめき声まで。
ミアは血で汚れた手を握りしめたまま、
リアも荒い息を整えながら、ふらついて立ち上がる。
「……むぐっ(合図)!」
「……んんっ(合図)!」
猿轡に阻まれた声が、同時に漏れた――その瞬間だった。
首元の感触がふっと消え、
続いて手首の圧が軽くなり、拘束が「ほどける」気配が二人を包む。
ミアは錯覚だと思い、何度も手を開閉し、
リアは周りからの違和感だと思い、理由を探していた。
その途中で、甲高い金属音が耳に刺さり。
――カチン。
手首を繋いでいた重りがするりと抜け落ち、床へと転がる。
――ゴトン。
ミアの浅黒い腕が、リアの真っ白な腕も自由を謳歌する。
続いて魔力封じの刻印が入った首輪が淡く光り、
ぱきん、と割れるように崩れ落ちた。
――だが、その瞬間、二人はそれを噛みしめる余裕すらなかった。
衝撃と砂埃、そして周りの地下牢からの叫びが一度に押し寄せ、
地上から地下牢へと続く階段から怒鳴り声が響く。
「なんだ今の音は!?」
「上で何かあったぞ!」
「おい、見張りの奴らはどうした!」
乱れた足音が階段を駆け上がり、駆け下り、行き来する。
鉄格子の向こう側で、駆け降りてきた男たちが息を切らして叫んだ。
「デカいのが暴れてやがる!」
「壁がぶっ壊された!」
「敵だぁあ!」
「なんだと!?」
「どこから入ってきやがった!」
「わかんねぇ!」
「上はもうめちゃくちゃだ! さっさと来い!」
声が途中で途切れる。鈍い打撃音。誰かが倒れる音。崩れる世界。
続けて、別の男たちの鋭い悲鳴と怒鳴り声。
「敵だ!」
「殺せぇえ!」
「ぎゃあああっ!」
「止めろぉおお!」
金属のぶつかり合う音。何かが爆ぜる揺れ。何かが焦げた匂い。
新鮮な血の気配までが、淀んだ空気に混って波のように押し寄せる。
その中で、ようやくミアは自分の異変に気づいた。
猿轡越しに息を呑む。
腕を持ち上げても、違和感もなく動く。
手首を繋ぐ重みがない。視線を落とせば、床の上に壊れた手枷。
リアも、白い指先で首を確かめる。
魔力を呼べば、それが全身へ滞りなく満ちていく。
「……!」
リアの瞳が大きく見開かれ、
すぐに猿轡を引きちぎるようにずらし、抑えきれない声が迸る。
「……ミアァああ!」
その声を聞いたミアも猿轡を外し、
喉の奥が久しぶりに空気へ触れ、荒い呼吸とともに言葉が噴き出す。
「っは――! やっぱり、来たじゃんか……っ!」
リアの全身から、押さえ込まれていた魔力が一気に溢れ出し、
エメラルドの瞳が、その光を受け止めて煌めいた。
「――精霊たち!」
リアは立ち上がると同時に、鉄格子へ両手を突き出した。
「道を――!」
叫びが終わると同時に、牢の中へ強烈な突風が巻き起こる。
ただの風ではない。刃の形をした“流れ”が幾重にも走り、
格子の前で稲妻のような輪郭を描き。
次の瞬間、鉄の棒と錠前へ、斜めに切り裂く線が何本も走った。
――ギャァンッ!!
ミアは、亀裂が走る前に、全身で飛び込んでいた。
裂け始めた箇所を身体で押し倒し、通路へと躍り出る。
続く風が残った格子を外側へ吹き飛ばし、
砕けた鉄片が石床を叩きながら、激しく散らばった。
物音に気づいた男たちが駆け寄ってくるが、
瓦礫ごと飛び出してきたミアを見て、顔色が変わる。
「な、なん――」
その言葉の先を聞く前に、ミアの足が床を蹴った。
一気に間合いを詰め、上体を沈めて滑り込むように肩から体当たり。
硬い枕を叩いたような鈍い音が響き。
男の身体が鉄柵へ叩きつけられる破裂音、粗末な剣が零れ落ちた。
「――ありがとう!」
血にまみれた手で剣を掴み、
半回転して振り抜くと、左足を軸にして次へ回り込む。
見ていた男が棍棒を振り上げるが、その動きより速く剣が縦に走る。
「ぐぶっ……!」
だが倒れない、鳩尾へ膝を叩き込み、怯んだ所でもう一度。
剣を手放した男が、逃げ出そうとした。
だが、容赦なく背に刃を突き立てる。
恐怖に染まった視線が集まり、ミアは息を一つ吐くと剣を握り直す。
ミアは通路の先――視線は階段へ。未来を勝ち取るため。
牢の中から動きを見ていたリアが、口元にわずかな笑みを浮かべる。
頬には涙の跡が残っているが、
エメラルドの瞳から、さっきまでの絶望は消えていた。
「ミア。通路から階段まで、一気に押さえて。こっちは私がやる」
「任せた!」
ミアは叫び返し、そのまま階段へ駆けていく。
リアは牢の前に立ち、震える囚人たちを見回した。
若い女も、壊れたように寝そべっている女も、
壁へ背中を押しつけて離れている女も、濁った目で見ている。
子どもたちは互いに抱き合い、声も出せないほど震えていた。
リアは一度深く息を吸う。
「大丈夫。……もう、大丈夫です」
誰かに言い聞かせるように、
そして自分にも言い聞かせるように、心の中で何度も繰り返す。
足元にあった残骸を蹴飛ばし、目を見開くと通路へと踏み出す。
左右の牢には、まだ多くの囚人が閉じ込められ、
鉄格子の奥から、恐る恐るこちらを覗く瞳の群れ。
リアは最も近い牢へ駆け寄り、錠前へ手をかざした。
「お願い……」
囁きと同時に、細く鋭い風が錠前の隙間へ入り込み、
内部の機構をなぞるように切り裂き、こじ開ける。
――カチャン。
鍵を差し込んだかのような音とともに、錠が外れ。
リアは鉄格子を押し開ける。
「出てください。ここは危険です。通路の中央へ寄って、身を低く」
中の女が一瞬ためらい、背後から幼い男の子が震える声で尋ねた。
「あ、あの……お姉ちゃん。助けに……来て、くれたの?」
「ええ」
リアははっきり頷く。
「私たちのリーダーが来ました。外へ出る準備をしましょう」
その言葉を口にした瞬間、
リアは自分が優しい笑みを浮かべていることに気づかない。
次の牢。次の牢。
リアは同じ術式を繰り返し、
風が金属の内側を滑るたび、錠前が次々に壊れていく。
出てくる人々の手枷や足枷も、同様にしていった。
「痛くないようにします。じっとしていてください」
声は静かだが揺るがない。未来を信じて揺るがない。
助けられた人たちは、その想いに従った。
地下牢の出口では、ミアの怒号と男たちの悲鳴。
武器のぶつかる音が途切れ途切れに響く。
「そこ通さないっての! 邪魔!」
乾いた打撃音。鉄が床を滑る音。肉を切り裂く匂い。
リアは解放した人々へ意識の半分を割きながらも、作業を止めない。
錠前が一つ、また一つと外れ、
扉が開く音が増えるたび、空気が少しずつ変わっていった。
すすり泣きだけだった空間に、生きる気配が戻り、
怯え切った目の奥に、かすかな光が差し始め。
リアは最後の錠前へ手をかざし、低く言った。
「――もう、ここは“牢”ではありません」
その呟きとともに、風が最後の楔を断ち切った。
脱出




