第十四話 約束
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「みんなー!! ますたーがおきたよー!! みんなー!!」
胡桃さんが可愛らしい声を張り上げながら、騒々しく階段を駆け下りていく。
「あはは、なんか懐かしいな――――、懐かしい?」
自分が休日に寝過ごした時なんかはよくある光景だ。
土日祝日の区別が付かない胡桃さんに無理矢理叩き起こされ、身体を起こすと満足気に尻尾を振って激しい勢いで階段を駆け下り、居間で朝食の支度をする母と祖母に報告に行くなんて日常茶飯事の筈なのに――。
「あ、ああ……そうか。こっちの世界には土日なんて無いもんな。寝坊するなんてことも無かったし、懐かしく感じるのも当たり前か。確か、そろそろ一年くらいか……?」
頭の中を巡る妙な感覚を振り切るように首を振る。全身に痛みが走った。悲鳴をあげなかったのは奇跡だ。
身体を起こすと全身に鋭い痛みが走った。身体の中の至る所に刃物を埋め込まれたような錯覚すら覚える。
そして、関節や筋肉に錆びた金属が埋め込まれているのではと疑いたくなる程、腕が重たい。
侭ならぬ腕に難儀しながら何とか顔に触れてみる。
意識を失う前のことは覚えている。オズヴェルドの右ストレートを眉間に喰らって気絶した。
顔がボコボコに凹んでいたり、目玉の一つくらいは飛び出ているかと思ったが、手で触れた感じでは、大きな傷のような物は無さそうだ。
一応、鏡で確認はしておいた方が良いかもしれないが。
『飽いた』
奴の言葉をふと思い出した。
はっきり言ってしまえば、自分は強さなんて物に誇りも執着も持っていない。
こんな物は、ただの道具だ。この世界において力という道具は、日本よりも便利だ。
それは重々承知している。そういう実感もある。
とは言え、帝国の武を尊び、力を貴ぶという価値観に染まり切ったつもりもない。
だが、何故だろうか。
『飽いた』
奴の言葉が――。
自分の力を否定されたことが、こんなにも腹の立つことだとは予想だにしなかった。
意外な自分の一面の再発見に驚く。驚くには驚くが、それはそうとして――。
『飽いた』
「あの野郎。次こそは絶対にぶっ殺し――」
「旦那様!?」
階下からネフェルトの声と共に、階段を駆け上がる音が響いた。
彼女らしくもない乱暴な足取りだ。
取り乱しようからして余程の心配をかけてしまったようだ。
これ以上、心配をかけるのも面白くない。どうにかベッドから這い出し、姿勢を正す。
「旦那様、お目覚めですか!?」
重たい身体に難儀しながら立ち上がると同時に、逼迫した表情のネフェルトが部屋の中に踏み込んだ。
そして、自分の顔を見るなり、瞳から大粒の涙を滂沱の如く溢れさせながら、自分の胸に飛び込んで来た。
「◎△$♪×¥●&%#?!」
抱き止めようとするが、まともに腕が動かず、一方的に抱き締められる恰好になったが、胸以外華奢な彼女の細腕に抱きしめられることすら、途轍もない激痛を伴う。
自分の口から声にならない声が悲鳴となって響いた。
「も、申し訳――」
ネフェルトが慌てて身体を離して、飛び退こうとする。
心配をかけた上に、これ以上気を遣われるのもごめんだった。
彼女の腰に腕を回して、抱き締める。
涙が勢いよく飛び出しそうな程の激痛に立っていられず、ベッドの上にもつれるように倒れ込む。
「ぐえ」
ネフェルトの体重すら、今の自分にとっては激痛を産む凶器のようなものだった。
オズヴェルドの連撃すら物ともしないダメージが蓄積していく。気絶しなかったのは奇跡みたいなものだ。
「は――――――あ――――――」
痛みに耐えて、如何にか呼吸を整える。
「心配を、おかけしました」
「はい……とても、心配しました」
謝罪への返事は嗚咽混じりの言葉だった。
自分のシャツを握り締める指は、余程の力が込められているのか白く染まって震えている。
「旦那様が傷付き苦しまれているのに、結界に阻まれて近付くことすらできなくて、ただ見ていることしかできませんでした。旦那様の力はよく知っているつもりです。だけど、旦那様が――死んでしまうんじゃないかって……」
「すいません。嫌な物を、見せてしまいましたね」
彼女の髪を撫でながら、ただそう答えることしか出来なかった。
「旦那様……、戦いから離れませんか?」
頷くわけにはいかない。
一々思い出すのも癇に障るが、オズヴェルドは『飽いた』とは言った。
しかし、こうも言った。
『光るもの、目を見張るものが無いとは言わんが急ごしらえの力ではな。持ち得る全ての手札を洗練させた頃合いを見計らって出直すとしよう。今の貴様では遊び相手にしかならんが、万全であればこのオズヴェルドを殺せるかも知れんぞ?』
最強の魔人オズヴェルド。奴は戦いを望み、愉しんでいる。
その欲望を満たす存在として、自分に興味を抱いているようだった。
――そんなに強者がお望みならヴァレイグラルフやトゥーダス・アザリン辺りと殺し合っていれば良いものを。
何はともあれ、奴は再び自分の前に現れる。確実にだ。
それが明日なのか、来月なのか、来年なのか、はたまた十年後、百年後か定かでは無い。
レーベインベルグは砕かれた。奴との再戦に備えて早急に力を取り戻さなくてはならない。
奴を殺さなくては、戦いから遠ざかることは出来ない。
「あと少しだけ、少しだけ、貴女の心を痛める情けない自分を赦してください」
「いえ、そう仰るだろうって、そう思ってました。でも、少しだけなら待ちます。もう少しだけ……」
熱を感じる彼女の身体を抱き締める。
言い逃れをしているような後ろめたさを感じて、何か他にかけられる言葉は無いかと手繰り寄せようとすると、彼女がゆるりと上体を持ち上げ、覗き込むようにして視線を落とす。
止めどなく涙の溢れる瞳と視線がぶつかり合った。
瞳に浮かぶのは悲哀だけでは無く、吸い込まれそうになる程の情動に満ちていた。
「約束、ですよ?」
「ええ、約束です」
彼女の声と瞳に誘われるように腕を持ち上げ、涙を拭い頬を撫でる。
熱の篭もった頬を撫でる指に彼女が両手を絡ませる。
視線はお互いの瞳から僅かたりとも逸れることは無かった。
引き寄せられるようにネフェルトの顔が近づいてくる。
自分が抱き寄せているのか、それとも彼女自身が身体を沈み込ませているのか、感覚の狂った身体では分からなかった。
彼女の腰に腕を回し、背筋を撫で上げるとネフェルトの頬に朱が差し、瞳を閉じた。
そのまま抱き寄せ――
「ますたー、おはよー!」
胡桃さん再び。
満面の笑みを浮かべ、凄まじい勢いで足音を立てて部屋の中に飛び込んで来る。
ネフェルトが弾かれたように自分の身体から素早く飛び退き、入れ替わるようにして胡桃さんが飛んで来た。
今の自分の身体は全身に刃物と錆びた金属が埋め込まれているようなものだ。
普段なら胡桃さん渾身の体当たりも大歓迎だが――、
単刀直入に言おう。クソ怖い。
動きの鈍い両手で飛び込んで来る胡桃さんを受け止める。
「よしよし、胡桃さん、おは――――――」
無理でした。
全身に強烈な激痛が走った。この痛みに比べたらオズヴェルドのパンチなどカスみたいなものだ。
口から漏れ出しそうになる悲鳴を無理矢理噛み殺し――。
「◎△$♪×¥●&%#?!」
殺せませんでした。
ついでに、あまりの痛みに涙が出そうになった。
「だ、旦那様!?」
「こーら、ダメでしょー。胡桃さん。蒼一郎さんはまだ身体が痛いんだから」
「あー……」
「あー……」
続いて現れたリディリアさんに、両脇を抱えられた胡桃さんが名残惜しそうな顔をして自分に手を伸ばす。
しかし、手が届かず、不思議そうに首を傾げている。
少し間抜けだが、何と無く可愛らしくて顔がほころんでしまう。
そんな自分を見て、胡桃さんも尻尾を振った。
「蒼一郎さんも、あー……じゃなくって言うべきことは、しっかり言わないと。本当に親バカなんですから」
まだ莫迦親と呼ばれていないから大丈夫。
「それはそうとして、ウチの子可愛いと思いません?」
「ダメだ。この人……」
しっかりした人がいるからダメでいられるとも言う。
「よっこらせ」と掛け声と共に立ち上がると、矢張り激痛に襲われる。
痛い痛いと喚いても心配させるばかりだし、心配されたところで治るものでは無い。
何とかやせ我慢して立ち上がる。
「ところでカトリエルは?」
何はともあれ痛み止めの一つでも処方してもらわなくては話にならない。
「リリネットさんと鍛冶エリアに。六日前に蒼一郎さんが倒れてから今日まで、新しい刀剣型魔術兵装の開発協力に出られているんですよ。お蔭で、工房は私が一人で切り盛りしなきゃなんて無茶振りされてますけど。それからエーヴィアは素材集めに動き回ってます」
「ままさんは、けんかしちゃダメっていってくるって!」
以前、ヴィヴィアナとした約束が漸く履行されることになった、ということだろうか。
主導するのがあの女では無く、魔人ハーティア――、義母上というのは如何なものかと思うが。
だが、しかし――。
戦闘狂の気があるオズヴェルドと、ヴァレイグラルフが止まるとは到底思えない。
それに、ルカビアンの十九魔人から離脱したグァルプもだ。
とは言え、トゥーダス・アザリンとその一派だけでも百年、二百年くらい動きが止まればかなり楽になる。
「そっかそっか。胡桃さん、教えてくれてありがとうねー」
お礼を言いながら、胡桃さんの三角に尖った耳を丸めるようにして頭を撫でると、くすぐったそうにぷるぷると顔を振る。
「あ、衛兵団長様はハルモンド卿が看病してます。それに衛兵団長様専用の刻印装甲を用意すると」
ハルモンド卿――、魔人ティアメスは刻印装甲の生みの親と聞いている。
魔人ヴァレイグラルフがアーベルトさんに興味を持っていると知った以上、恋人のティアメスにしてみれば気が気でない話だろうし、ある意味当然の処置と言っても良い。
彼のことはティアメスに任せてしまっても問題は無いだろう。
「アーベルトさんが刻印装甲を持つなら――」
オズヴェルドの相手も彼に任せてしまおうか、なんて冗談めかそうとして止めた。
自分が戦うことに若干の拒否感を抱いているネフェルトの前で言うことではない。
「魔人ヴァレイグラルフは彼に任せて、自分は魔人オズヴェルドの討伐に専念させてもらうことにしましょうか。少し留守にします」
「その身体で外に出るんですか!?」
「その身体って……言われましても」
視線を下に降ろす。見た目だけなら別に異常はない。
ただ関節が錆び付き、全身に刃物を埋め込まれていると錯覚する程、動く度に激しい痛みが響くだけだ。
「蒼一郎さんが意識を失っている間、筋肉が衰えないように雷撃術式を継続的に流し込んでいたらしいんですけど……、なんか目を覚ました日の内から動き回りそうだから、全身筋肉痛で動けないようにしておいた、って」
恐らく帝国に存在しないと思われるEMSを、雷撃術式で実現するのは、カトリエルならではと言ったところだろうか。
だが、何処と無く身に覚えのある、この全身を苛む激痛は――。
「筋肉通、です、か」
全く、病は気からとはよく言ったものだ。
未知の痛みでは無く、既知の痛みだと分かれば、急に身体を苛む痛みがやわらいできた。
と言うか、何が全身に刃物を埋め込まれたような感覚だ。我ながら気の小さいことだ。
「筋肉痛だと分かったので平気になりました」
「カトリエル師の言った通りですね。蒼一郎さんは仕事中毒だから起き抜けに色々とやりたがるだろうから全身筋肉痛にして動けなくするくらいが丁度良いって」
分かっていてこの仕打ちか……!
「私達としては安静にしていて欲しいんですけど、動き回れそうなら鍛冶エリアの方に行くようにと、カトリエル師からの伝言です。新しい魔術兵装の調整に蒼一郎さんの魔力が必要らしいので」
「分かりました」
何処へ行くにせよ、カトリエルに顔を見せに行くつもりだったが、目的が明確なのは迷いが無くなって良い。
「それじゃあ、散歩がてら行こうか、胡桃さん」
「うん!」
胡桃さんと手を繋ぎ、肩を並べて外へ出ようとすると――、
「蒼一郎さん、次は負けないでくださいね。でないと、みんなが落ち込みますから」
背中にリディリアさんの声が投げかけられた。
「ええ、約束します」
死ぬのが嫌だから、傷付くのが嫌だから、だから外敵を始末してきた。
気付けば、大切な人が、傷付いて欲しくない人が随分と増えてしまった。
人間関係は鏡合わせとはよく言ったもので、大切な人だと思えば、その人からも大切だと思われる。
自分が傷付けば、大切だと思ってくれている人たちも傷付いてしまう。当たり前のことだ。
だから、これ以上の敗北は許されない。
「破れない約束が増えていくなぁ……」
「だいじょうぶ、ますたーは負けないよ」
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