第十三話 支度
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「最早、この場に用は無い。速やかに撤退するぞ」
魔人教団の首魁――、魔人ベネディクト。
彼がトゥーダス・アザリンの腰巾着と揶揄されているとは言え、上位の魔人であることに変わりは無い。
子飼いの人間が殺されたことや、トゥーダスの支配に相応しい世界を作る為の本拠地に、異物が紛れ込んでいることに、そろそろ気付いても良い頃合いだ。
「りょーかいっ……ってどしたの? 零のニーサン?」
零に従って大聖堂からの脱出を開始しようとして、すぐ様足を止めて振り返る。
撤退を命じておきながら、零は腕を組んで難しい顔をして考え込み、足を動かそうともしない。
「どうせ侵入には気付かれている。このまま粛々と撤退するのも面白くない。少しばかりベネディクトの奴を挑発してやるとするか、と思ってな」
「へぇ、良いじゃない。やろうよ!」
「だが、場合によってはベネディクトから執拗な追撃を受ける。危険だぞ?」
「けど、残った魔人は極僅かで、相手は遥かに格上。その上、状況が変わるのを待ってもいられない。被害は出るかも知んないけど、上手くすればベネディクトを倒せるかもってことでしょ? だったらさ、やろうよ! その価値はあるよ!」
「命知らずが」
「違う違う。本当はあたい等はもうとっくに死んでんの。けど、零のニーサンのお蔭で今はヒトらしく生きられるようになった。このままヒトらしく生きていくってのも良いかもなんだけど、ニーサンあってのあたい等なんだよ。この命はニーサンの物なんだから。自分の道具を扱うかは持ち主次第ってことよ。ま、出来れば有意義に使い倒してもらいたいもんだけどね」
「良いだろう。だが、使えぬ道具はいらぬ。有意義に使い倒して欲しければ、決して潰れること無く私についてこい」
「りょーかいっ! それでこそあたい等のご主人様だ!」
やるべき事が決まり、躊躇いも無くなってしまえば動きは早い。
大聖堂の中にいる者達を全員、広域洗脳で支配し、大聖堂の破壊と自決を命じた。
抵抗の静電気にも似た反応は無い。
どうやら、洗脳が通じないのは魔人の子のみで、一般の信者達は代わりの利く道具くらいにしか思われていないようだ。
拍子抜けする零を余所に、操られた信者達は自らの拠点を粛々と破壊し、身体が動かくなる頃合いになると自らの額を刃で穿ち、脳髄を破壊して命を断つ。
零が脱出する頃には魔人教団の本拠地は炎上し、中に動くものはいなくなっていた。
「さて、トゥーダスに献上する世界を作る第一歩を邪魔されたベネディクトはどう動く? これで奴の本気度も見えてくるとは思うが……」
――人を知るには怒らせるのが一番手っ取り早い。
傍迷惑な人生哲学に従い、魔人教団の完全殲滅という暴挙に打って出た零。
帝国建国以降の魔人ならば、この程度、永劫に続く生涯の中に数多く存在する暇潰しの一つ。
感情を露わにするなど見苦しくて仕方がない等と達観する素振りで諦観するのが常であった。
――組織化する魔人など性質が悪い。
これで普段のような、力を見せ付けるだけですぐに鎮静化する程度の追撃なら、これまで通り無駄な手順を踏むことで『何かをやった感』を出して満足するだけの、下層労働者ならではのままごと遊びだ。
しかし、これが本気で追撃してくるようであれば、本当に世界が変わってしまう。
――いや、既に変わりつつある。
変えたのは倉澤蒼一郎の出現。そして、魔人グァルプの叛旗。
全ては偶然にも二人の男が起こした行動が絡み合い偶然が偶然を呼んだ。
魔人達の間でも個々に小さな変化自体はあった。
だが、倉澤蒼一郎、魔人グァルプ、二人の存在が関わることでルカビアンの心に確実な変化が起こっている。
――地殻変動以前から、奴は私とトゥーダスが関わり合うことに難色を示していたと言う。嫌悪する存在から敬愛する主のための計画をご破算にされた気分はどうだ? またいつもの通りだんまりを決め込むか。それとも感情を露わにして私を縊り殺すか?
どちらにせよ、零にとって都合が悪くなることは無い。
魔人の子に語ったことが本気なのか、ただの寝言なのか。真意を知る戦いだ。
たったそれだけの為にm自らを慕い付き従う者達の命さえも危険に晒す。
――成る程。重いな……しかし、この高揚感。これが人の上に立つということか。老害共がその地位を手放したがらんのも頷ける。業の深いことだ。
零が背徳的な使命感に酔っている頃、自体を把握したベネディクトは魔人フィラヴィオに追撃を依頼。
表面上は普段通り、口数が少なく、「グァルプの始末を頼みたい」と用件だけを静かに語り、寡黙な大男という印象の振る舞いをした。
しかし、その内心では手ずから整え、新時代の幕開けとなる組織を壊滅させられたことに、言葉では言い表しようのない激しい怒りに打ち震え、身に纏う魔力が激しい熱となって自らの皮膚を焦がす程であった。
フィラビオにしてみれば、『グァルプの残骸など放っておけば良いものを』という話なのだが、ベネディクトの肉が焼け爛れる臭いに晒され、何とも言えず不承不承頷く。
「オウラノがどうとか、裏切りがどうとか……実の所……本っ気でどうでも良いんだがなぁ……」
一度はギエルと共に、グァルプ狩りと称して帝国の都市の幾つかを攻め落とした。
心底どうでも良かったが、それを口にしたら今度は自分が弾圧される側に立たされかねず、渋々合わせただけのこと。
ルカビアンの社会は世代間の対立が著しい一方で、フィラビオのような「意識高い系の奴等は本当に面倒臭いったらありゃしない」と同世代に顔をしかめる者も決して少ないわけでは無い。
やりがいの欠片も無い単純労働を決められた通りにこなし、必要な栄養が全て摂取できる固形燃料を口の中に詰め込み、若者向けに用意された無償の娯楽で時間を潰して眠るだけを繰り返す日々。
トゥーダスはそれを嫌っていたが、何も考えずに限られた自由の範囲で楽しめることを見つけ出し、それを拠り所にする。
フィラヴィオはそんな生活をそれなりに気に入っていた。
何しろ何も考えずとも生きていられるのだ。こんな楽なことはない。
若年層は貧困層と同義と言われていたが、高齢世代と同じような豪奢な暮らしを望まなければ、美味い飯を食う事も出来るし、旅行にだって行ける。
帝国の世界にしても悪いものでは無い。何と言っても高齢世代がいないお蔭で極めて自由だ。
オウラノをヒトモドキと毛嫌いしている連中も多いが、帝国の進歩と発展を肴に百年ほど呑み続けるのも中々面白い。
あまりにも発展が遅い時には魔人らしく振る舞って、気に入った人間を英雄にしてやるついでに討伐されてやることもある。
二百年から五百年の時間をかけて復活すると見知った風景も随分と様変わりしていたり、英雄になった人間の子孫が繁栄しているのを見て喜んだり、逆に衰退しているのを残念に思ったりするのも、娯楽としては楽しめるものなのだ。
「グァルプのヤローが逃げるとすりゃあ……、ってソウブルーくらいしか逃げ場ねーよなぁ。あー、ヤダヤダ。帝国の中心潰してしまったらレーンベルグくらいしか見所が無くなってしまう! ヘボい要塞一つ建ててやるだけで大喜びするくらい可愛らしい連中だって居たってのになぁ」
ちょっとした知識や技術を披露してやるだけで、こそばゆくなるくらい褒め称えてくれた人間の顔を思い出してフィラヴィオはげんなりとした顔で俯き、肩を落とす。
「ホライムーン地方にトドメ刺してお茶を濁す……ってわけにはいかねーだろーし、かと言ってファルファクスやトレスドアはこれから復興が進んで面白くなりそうな気配がしやがる。ソウブルーの支配者は内政上手って聞くし、上手く復興させてくれることを祈るしかねぇか……」
俯いたままの顔が下がり続け、額が地面に付きそうになった辺りでフィラヴィオの表情が一変し、「いや、待てよ……」と言葉を漏らし、両手を空に向かって振り上げる。
「確か、ゴドラがまだ手付かずのままだ! 犯罪者の流刑地なんて興味ねーし、消えたところで俺の楽しみが減るわけじゃねぇ! グァルプのヤローが兵隊を増やすために出向いたとしても不思議じゃない!」
生き生きした表情で声を張り上げるが、ただの空元気だ。再び浮かない顔をして地面に座り込む。
「ってことにしてゴドラ潰して終わりにしてーけど……、無理があるよなぁ」
零の意図を正しく理解したいなどとは、微塵にも思ってなどいない。
だが、魔人教団を壊滅させることでベネディクトの反応を見て、本気の度合いを見定めようとしている。
そのことは、状況説明を聞き流していても察することが出来た。
グァルプが如何に小賢しい男であるかは、ルカビアン時代から何度も噂を耳にしている。
あの小賢しい男が、バエルと共に帝国各地を攻め落として燻り出そうとしていたことを知らない筈が無い。
最悪の場合、ベネディクトとフィラヴィオが敵に回ることも、当然であるかのように想定している筈だ。
フィラヴィオがここまで読めるということはベネディクトも読んでいるに違いない。
当然ベネディクトもフィラヴィオがここまで想定していることを前提に動く準備を始めている。
「クソ、あのヤロー、トチ狂ってゴドラに逃げてくんねーかな。今だったら全力で支援してやるってのによ。それかいっそのこと逃げずにホライムーンで迎撃するとかしてくれりゃサイコーなんだがな。とにかく、あのヤローがホライムーンから出ねぇ内に捕捉してぶっ殺す。既に脱出してやがったらソウブルー要塞に被害を出さねーようにぶっ殺す。これで行くか!」
フィラヴィオは、ほぼ完全に零の動きを読み切っていた。
だが、ある意味で完全に読み違えていると言っても良い。
「お前は先に戻って戦力を結集させろ。ソウブルー要塞を背に部隊を展開するのだ。雑兵共を盾に見立て、主軍の護衛とせよ」
零は強奪した早馬にイオナを乗せて命じるが、彼女は浮かない顔で瞳を揺らす。
「魔人の追撃があるかも知れないんだろ? アタイが残った方が……」
「お前では壁にもならん。何より、奴等がお前を脅威とは見做さん」
「それは……」
「どちらにせよ、奴等と戦うには軍用魔術の行使が不可欠となる。確実に戦える状況を作らねばならん。それには私がこの地で時間を稼ぎ、お前が部隊を展開するのが最良だ。七日後の夜明けと共に合流する。部隊の配置を誤るな。ソウブルーの戦力を巻き込み、フィラビオ、ベネディクトを始末した後、混乱に乗じてソウブルー要塞を落とす」
それと同時に道すがらで遭遇した魔人教団の狂信者、集落民、亜人、獣人、ホライムーンの難民を洗脳にて吸収。
占拠したホライムーン要塞を前線基地に見立て、フィラヴィオ、ベネディクトに対する肉壁とした。
フィラヴィオの希望的観測通り、零はホライムーンに留まることを選んだ。
イオナには「上位の魔人を同時に二体相手取る可能性が高い。打倒するには軍用魔術の行使が不可欠だ」と念押ししたが、一体ずつ相手にしたとしても敗北は必至だ。
冒険者ギルドと魔術師ギルドに幾人かの姿が残っているのを確認すると、洗脳で管理者を操り、魔人との戦闘に参加するように指示を出した。
幸いにもBランクに相当する冒険者が十人と魔術師が八人、上等な肉壁が残っていた。
どちらにせよ、敗北は確実だが。
「絶無軍ではフィラヴィオとベネディクトには太刀打ち出来ん」
一人ごちるが、その表情や声色に絶望的な物は一切ない。
薄氷を踏むような物であったとしても勝機はあった。
「しかし、要塞近郊で絶無軍と二体の魔人が対峙すれば、倉澤蒼一郎とソウブルー軍は動く。絶対にだ」
零とて倉澤蒼一郎が意識不明の重体で、レーベインベルグが砕けたことを忘れたわけではない。
とは言え、あの男が敗北したままで終わる姿を想像することなど到底出来なかった。
既に立ち上がり、新たな力を手にしていたとしても、当然だと受け入れることすら出来る。
それは宿敵に対するある種の信頼と敬意とも言える。
今となっては蒼一郎を殺したところで、零の損得に関わることは無い。
しかし、打倒せずにはいられない。打倒を望まずにはいられない。
胸の内を暴れる衝動が、本能が、そして理性さえもが打ち倒せと叫ぶのだ。
今この瞬間にも、零の肉体を弾き飛ばして外界へと顕現しようとしている。そんな錯覚さえ覚えた。
「勝機は皆無……。しかし、何故だろうな? 負ける気というものがしない。この戦いは私の死に場所では無いからだ。倉澤蒼一郎よ、貴様を頼りとするのは業腹だが七日間だけ猶予をくれてやる。精々力を取り戻すことだ。さもなくば貴様も全てを失うことになるぞ」
絶体絶命の戦いに赴く零。当然だが、倉澤蒼一郎の耳には届かない。
零がどんなに宿敵と定めていようとも、かつて殺した下位の魔人がしぶとく生き残り、反帝国組織で暗躍している。
以前ほど危険度は高くないが、色々と面倒臭い奴だ。
機会があれば今度こそ復活出来ないように、後腐れ無く徹底的に殺し尽くしてやろう。
その程度にしか思っていない。
数多く存在する敵の一人でしかないのだ。
だから倉澤蒼一郎が、零の信頼や期待に応える謂れなど何一つとしてありはしない。
ありはしないが――。
「ますたー! おはよー!」
この日、その瞬間。オズヴェルドに敗北を喫した倉澤蒼一郎が目を覚まし、再び立ち上がった。
「うん、おはよう。胡桃さん」
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