73 誰かぁっ…!
ここは前線じゃない。安全な場所のはずなのに……。自分たちだって、単なる旅の芸人の格好で身をやつし、味方の軍ですら本当の身分を知らないはずなのに。
「みん……な、……誰かぁぁぁっ!」
森の中で叫んでも、誰も応えない。自分に向けられる銃弾すらない。
振り返って木立の間から闇を透かす。白い息が震えている。
「宝子ぉぉぉっ!」
何もかもが邪魔だった。視界をさえぎる木々、目を痛めつける煙、風の音、熱と夜の闇。全てがなければ、自分が日の光の下にさらされれば誰かを見つけることができるかも知れないのに。
火をつけた人間が自分を狙うかも知れない。あるいは、全員無事にどこかに逃げて、自分だけが置いていかれただけなのかも知れない。いくつかの可能性が浮かぶだけの冷静さが、奇妙にねじれて頭の中で働いている。
「……おに……ちゃぁぁぁん……」
崖とは反対側、さして遠くないところで耳慣れた声が呼ばった。
闇の中、かすかな希望が灯った。声がした方を振り返る。
足音が聞こえて空夜は歩み寄った。
「宝子っ!」
瞬間、木が破裂するような静かな音が響いて、空夜の体は弾けとんだ。宝子のいた方向に伸ばした自分の指先が、綺麗な弧を描いて空をよぎるのを、冴え凍るほどに冷静な自分の瞳が追っていた。
おかしなことに、しばらくの間、まったく痛みを感じなかった。闇の中にせり出していた枝を見分けることができずに、右肩が勢いよくぶつかって、転んでしまったのだと思った。
気付いたのは、宝子の短い叫び声に銃声がかぶった時だった。
まるで宝子が撃たれた痛みを感じるように、その時になって初めて、自分の右肩に痛みが走った。
撃たれたんだと実感するまでにはさらに時間がかかった。




