45 過去 だけど逃げられない
「とにかく、」
彼は言った。
「ザゼルで何かがあることは確かだ。『魔女』が何かは分からないが、俺達にとってもよくない事態に違いない。うちの隊長はそれをひどく心配している。カッセルの耳に入るかも知れないから、声に出しては言わないがな」
「でも……、ゼファも言っていたけど、僕たちにはどうすることもできないじゃないか。結局、肝心な情報は僕たちには下りてはこないし、分かったとしても命令に逆らうわけにはいかない。ザゼル出向命令から逃げでもしたら、万が一何も起こらなかった時に言い訳がたたない」
「こんなくだらない、メンツばかり立てる戦争で死ぬつもりなのか? カッセルの株を上げて? 俺はごめんだね」
「だって……、」
空夜が声を荒だてたところで、秋比古ははっと気付いて彼の身体を引き寄せると、口を抑えた。シャワー室の戸口の前に誰かが立ち止まった音が聞こえたからだ。
空夜は口を塞がれたまま、全部の神経を集めて音を聞き取ろうと、廊下の方を向いて耳をそばだてた。秋比古も息をひそめたまま、扉をみつめている。
カチリ。
小さな音がして誰かが戸を開けた。一歩踏み出す足音がする。
廊下は西向きで薄暗いはずなのに、闇に慣れた二人の目にその明かりはきつかった。細く開いた戸の陰から、誰かが顔をのぞかせた。しかし、陰しか見えない。心臓が音を立てるのが聞こえる。




