↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/11

第3話 扉の向こうは自己責任

レオルが二杯目を飲み終えるころには、身体の震えはほとんど収まっていた。


 傷が治ったわけではない。

 疲労が消えたわけでもない。

 だが少なくとも、剣を握ったまま倒れ込むような無様は晒さずに済みそうだった。


 向かいの席では、サリサが腕を組んだまま目を閉じている。休んでいるようでいて、呼吸は浅く、いつでも立てるよう意識を張っているのがわかった。

 ミリアは祈祷杖を膝に置いて、小さく祈りの文句を唱えていた。

 トトだけは完全に椅子へ沈み込み、「ここに住みたい……」などと寝言めいたことを呟いている。


「住まわせませんよ」

 少女が即座に返した。

「聞こえてた!?」

「接客業は耳がいいんです」

「接客業ってそういうものかなぁ……」


 勇者はカウンターの中で、空になったカップをゆっくり洗っていた。

 その手つきは妙に丁寧で、戦士というより長年それだけを仕事にしてきた職人のようだ。


 レオルはしばらくその背中を見ていたが、やがて腹を括るように椅子から立ち上がった。


「……行く」

 店の空気が、少しだけ変わる。


 サリサが目を開けた。

 ミリアの祈りが止まる。

 トトだけが「えっ」と情けない声を出した。


「本気か、レオル」

 サリサが問う。

「ああ」

「休んで、少し頭が冷えたからこそ、なおさら無謀だとわかるはずです」

 ミリアの声は控えめだが、はっきり震えていた。


 レオルは奥の扉を見た。


 その先に魔王がいる。

 王都で、何度も聞かされた。

 国を滅ぼしかねない災厄。人類の敵。倒さねばならない存在。


 だが、ここへ来てから見たものは、あまりにも話と噛み合わなかった。


 喫茶店。

 くたびれた勇者。

 エプロン姿の、魔王らしき少女。


 全部がおかしい。

 それでも、おかしいから倒さなくていい理由にはならない。

 少なくとも、自分は勇者だ。ここまで来て、扉の前で引き返したら、きっと一生その背中を引きずる。


「……確かめるだけでもいい」

 レオルは、自分に言い聞かせるように言った。

「確かめる?」

「あの奥に本当に魔王がいるのか。俺たちに倒せる相手なのか。やれるところまでやってみる」


 トトが青ざめる。

「それ、だいたい死ぬ人の言い方だよぉ……」

「黙れ」

「否定してよぉ!」


 カウンターの奥で、勇者が手を止めた。


「決めたか」

「ああ」

「そうか」


 それだけ言って、男は濡れた手を布で拭き、カウンターの外へ回ってくる。

 入口で見せたときほどではないが、空気がまた少し重くなった気がした。


 少女も、無言でカウンターから出てくる。

 ついさっきまで伝票でも持ちそうな顔をしていたくせに、立つ位置が変わっただけで雰囲気が違った。


 レオルは喉の奥がひりつくのを感じた。


「その前に」

 勇者が言う。

「三つ目だ」

「三つ目?」

「この店のルール」


 男は奥の通路、その先にある黒曜石の大扉へ視線を向けた。


「扉の向こうは自己責任」

 短い言葉だった。

 けれど、その一言が店の温度を少し下げたように思えた。


 トトがごくりと唾を飲み込む。

「自己責任って……」

「言葉通りだよ」

 勇者は淡々と続ける。

「ここまでは店だ。休憩もできるし、飯も飲み物も出す。客として来るなら歓迎する。だが、あの扉を開けた瞬間、中立は終わる」

「……」

「その先で何があっても、店は責任を持たない。泣こうが喚こうが助けない。這って戻って来られたならまた客として扱うが、戻れなきゃそれまでだ」


 ミリアの顔がこわばる。


「回復支援も、なし……ですか」

「なしだ」

「勇者なのに?」

「勇者だからだろ」


 男の声は静かだった。


「俺は客にコーヒーを淹れる。挑戦者に剣を貸す気はない。魔王を倒したいなら、自分で決めて、自分で開けて、自分で生き残れ」

「厳しいですね」

 サリサが低く言う。

「優しくしてほしいか?」

「……いいえ」

「ならいい」


 そこで少女が、壁際へ立てかけてあった細い黒板をひょいと持ち上げた。

 いつの間にそんなものがあったのか、レオルにはわからなかった。


 少女は店の入口脇へ歩いていき、入口の木札の隣へそれを立てる。

 白いチョークが、さらさらと音を立てた。


 三 扉の向こうは自己責任


「書くんだな……」

 レオルが呆然と呟く。

「明文化は大事です」

 少女は振り返りもせずに言った。

「後から『聞いてない』って言われると面倒なので」

「面倒って」

「実際、たまにいるんですよ。無茶して負けて、『なんで助けてくれなかったんだ』とか言う人」

「いるのかよ……」

「いました」

 勇者が遠い目をした。

「二度ほど」

「二度も!?」

「なので明文化です」

 少女がきっぱり言い切る。

「店長、同意は?」

「ある」

「では可決です」

「この店、そんな軽さで大事なルール増えるのか……」


 トトはますます不安そうだったが、サリサはむしろわずかに納得した顔になっていた。


「……悪くない」

「サリサ?」

「挑むなら、誰のせいにもできない方がいい」

 女剣士はレオルを見る。

「少なくとも、それで覚悟は定まる」


 レオルは小さく頷いた。

 確かにそうだ。


 ここまで来る途中だって、結局はずっとそうだった。

 誰かが道を示してくれるわけでも、絶対に助けてくれるわけでもない。

 ただ今回は、その責任の境界線が目に見える形で扉になっているだけだ。


「……あのさ」

 トトがおずおずと手を挙げた。

「ちなみに、扉の向こうでやっぱ無理ってなって逃げ帰ってきた場合は?」

「戻ってこれたら客だ」

 勇者が答える。

「店内まで辿り着けたならな」

「その言い方すごく怖いんだけど!?」

「怖い場所だからな」

「最深部だもんなぁ……」


 ミリアがぎゅっと杖を握る。


「つまり、ここが最後の安全圏……」

「安全ではあります」

 少女が訂正する。

「ただし、店内に限り、です」

「限り、ねえ……」


 レオルはふと、目の前の少女を見た。

 さっきまでバイトだ接客中だと言い張っていたくせに、今は妙に静かだ。

 その横顔は、店の灯りの下でもなお、どこか人ならざる冷たさを帯びている。


「……ひとつ聞く」

「何です」

「扉の向こうには誰がいる」


 問いかけた瞬間、店の空気がぴたりと止まった気がした。


 勇者は何も言わない。

 サリサもミリアもトトも、息を詰める。

 少女だけが、しばらくレオルを見返していた。


 やがて彼女は、営業用の声音を完全に捨てて、静かに言った。


「魔王です」

「……」

「人の国が恐れ、勇者が目指し、数えきれない挑戦者が死んだ、その相手がいます」

「お前は」

「私は」


 少女はそこで、ほんの少しだけ口元を歪めた。笑ったようにも見えたが、どこか獣が牙を見せたようでもあった。


「扉のこちら側ではバイトです」

「向こう側では?」

「ご想像にお任せします」


 トトが椅子ごと後ろへ下がった。


「やっぱりそうじゃん!!」

「今さらですか」

「今さらだよ!」


 勇者が、堪えきれないといったふうに肩を揺らす。

 だが次の瞬間、その笑みはすっと消えた。


「さて」

 男はレオルたちを見渡した。

「最後に確認だ。行くのは自由。帰るのも自由。ここでまた一杯飲んでから決めてもいい」

「……」

「だが、扉を開けたら自己責任だ。俺は止めないし、助けない。そいつも加減しない」


 そいつ、と顎で示された少女は、無表情のまま頷く。


「接客はここまでです」

 その一言で、世界が切り替わった気がした。


 つい数分前までカップを運んでいた手が、今はただ静かに脇へ下ろされているだけなのに、そこから先の一歩を拒むような圧がにじむ。

 薄い身体。細い指。華奢な肩。

 なのに、扉の前へ立たれるだけで、それが一国を滅ぼしうる災厄なのだと理解できてしまう。


 レオルは剣の柄を握った。

 今ならまだ引き返せる。

 ここで帰れば、生きて帰れるかもしれない。

 王都で笑われるだろう。腰抜けと呼ばれるだろう。それでも生きてはいる。


 だが。


「……行く」

 口にした瞬間、自分でも不思議なくらい声は震えていなかった。


 サリサが立つ。

「付き合う」

 ミリアも唇を引き結び、続く。

「最後まで支えます」

 トトだけは半泣きだった。

「帰りたいけど置いてかれるのもっとやだぁ……!」


 勇者はそんな四人を見て、ふっと鼻で笑った。


「若いな」

「うるさい」

「褒めてるんだよ」


 そして男は、通路の脇へ身を引いた。


「行け。扉は自分で開けろ」

「……ああ」


 レオルは仲間たちと目を合わせ、小さく頷き合う。

 それから四人で並び、奥の通路へ進んだ。


 一歩。

 また一歩。


 喫茶店の温かな灯りが背中で遠ざかっていく。

 代わりに、黒曜石の扉から滲む冷気が肌を刺した。


 扉の前に立つ。

 近くで見れば、その大きさはさらに異様だった。表面に刻まれた禍々しい紋章が、まるで生きているように脈打って見える。


「レオル」

 サリサが低く呼ぶ。

「開けるぞ」

「ああ」


 四人で扉へ手をかける。

 重い。だが、わずかに押しただけで、意外なほど滑らかに隙間が生まれた。


 その途端。


 ぞ、と全身の毛が逆立つ。


 闇。

 深い闇の向こう、玉座の影。

 空気の密度そのものが変わったような圧力が、隙間から流れ出してくる。


 ミリアが息を呑み、トトが小さく悲鳴を上げた。

 サリサの手に力が入る。

 レオルは歯を食いしばり、そのまま扉を押し広げた。


 大扉が、重く、ゆっくりと開いていく。


 そして。


「――ようこそ、挑戦者」


 さっきまで店内で聞いていたのと同じ声が、今度は広大な玉座の間の闇の中心から響いた。


 レオルは凍りついた。


 玉座へ至る赤い絨毯の先。

 薄闇の玉座の前に立つ影がひとつ。


 黒いエプロンはもう外されている。

 代わりにまとっているのは、闇そのものを織り上げたような黒衣。背後に揺らめく魔力の奔流が、まるで翼のように広がっていた。


 黒髪の少女は、さっきまでと同じ顔で、まるで別の生き物のように微笑む。


「こちら側では、接客はいたしません」


 その瞬間、扉が背後でひとりでに閉まり始めた。


 振り返る。

 閉じていく隙間の向こう、喫茶店の灯りの前に、勇者が腕を組んで立っていた。


「言ったろ」

 男は静かに告げる。

「扉の向こうは自己責任だ」


 ――重い音とともに、扉が完全に閉ざされる。


 喫茶店の灯りは消えた。

 残るのは、魔王の間を満たす圧倒的な魔力と、目の前に立つ本物の魔王だけ。


 レオルは剣を抜いた。

 喉はからからだった。

 それでも、もう後戻りはできない。


 玉座の間の最奥で、魔王は静かに告げる。


「では始めましょう。あなたたちが客ではなく、挑戦者であるというのなら」


 その声と同時に、床一面へ巨大な魔法陣が展開した。


読んでくださりありがとうございます!

少しでも「面白かった」「続きが気になる!」と思っていただけたら、ページ下部の

・【★★★★★】での評価

・ブックマーク登録

で応援していただけると、執筆の大きな励みになります!


次回更新も楽しみにお待ちいただけると嬉しいです。

本作をお楽しみいただけた方は、ぜひ他作品もお楽しみください!


---


前世過労死した社畜オタク、TS美少女神絵師になってVTuberの娘に狂わされる〜本業が行方不明ですが、今度こそ幸せに生きてみせます〜

https://ncode.syosetu.com/n8135mt/


---


後ろで回復だけしていればいいと言われた元受付嬢、孤高の最強剣士を全肯定して伝説になる 〜100万人組んでくれる人がいたって、私はあなたを選びます〜

https://ncode.syosetu.com/n7303mt/


---


リアルオンラインを完全解約したい俺、女神の手違いで永久サ終阻止の英雄に認定される 〜カルマ残高ゼロで成仏したいのに、無欲すぎて勝手に徳が振り込まれるんだが〜

https://ncode.syosetu.com/n8256ms/


---


転生したら全肯定お姉ちゃんでした 〜不遇な妹を甘やかして最果ての村で幸せに暮らします〜

https://ncode.syosetu.com/n8198ms/


---


『くっ、殺せ!』の感情エネルギーでオーク軍を無双させるマッドサイエンティスト〜学会を追放された俺、敵地で捕虜の姫騎士を最高級バッテリーにして快適なスローライフ(※帝都は灰になりました)〜

https://ncode.syosetu.com/n0071ms/


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。