第26話 職業体験 郷に入っては
左手に持った綿のロール。その先っちょを右手でちょっと摘まんで引き出しながら捩じる。
捩じり方は人差し指を引くと同時に親指を押す感じ。
ただの綿を捩じって糸にすることを撚りをかけるという。
カスターは胡坐を掻いた膝に肘をついて目鼻の先で綿と格闘していた。
日時は集落到着から二日後の朝。初日翌日と観光を重ねたその次の日のことである。
「あ」
カスターは山間部出身だが、カスターの育った地域では布より畜産、棉・麻・絹より革が主な産業だったのでこういうことは初体験だ。
イケる、と思って綿を引いたとたん、糸と綿の境がはらりと切れる。
「あぁぁ……」
これを繰り返してもう三度目だ。
カスターがやりたいのは糸紡ぎ。いまはそのための準備段階。まだ辿りつけそうにない。
エス爺からは「初心者だから長めに撚れ」と言われているがそれ以前の問題だ。
場所は広場の東屋。座敷式。
カスターは後ろにごろーんと倒れ込んだ。
「難しい!!」
東屋に集まる糸紡ぎ集団の年寄りがクスクス笑う。
同じく東屋にいる幼い子供たちもカスターの大声を聞いてぽかんとした顔でカスターを見遣った。
驚くべきことに、歩くのも覚束ないようなこの子たちが器用に糸を紡ぐのだ。年長の子どもや働き盛りの大人たちがいないあいだ、ひとつところに集められている子たちが。
カスターは頭の上で回る輪を見上げてもだもだしたあと、再び身を起こして綿を持ち直した。
「今度こそ!」
「力むな」
「はい!」
エス爺はやれやれと呆れながら首を振る。それでもカスターが切った糸を彼の綿に乗せてくれた。
「続けて出来んなら継ぐしかねぇ」
「繋がってなくていいんすか!?」
「えぇ、えぇ。しかたあるめぇ」
「希望見えてきたぁ!」
「よぉ、太くしたらえぇが」
さっきカスターが見上げた輪の持ち主が言う。
カスターは「うっす」と返事をして、千切れた糸の端と多めの綿を一緒に撚った。
繊維が増えれば切れにくくなる。
なんとか糸巻きにセットして糸車の車輪を回すところまでこぎつけた。
エス爺の見せてくれるお手本通りに綿を引きながら車輪を回す。
はらり、
「おめぇはまったく、もとおらんな!」
「もとお、なんすか?」
「ほれ、続きやれ」
敷物の上に落ちた糸の端を渡される。もとおらんってなんだ。
あとでメモろ
車輪を回す。
綿から引き出されてきた繊維を綿を持った左手で撚る。
半ば上の空だったが気づけばそれなりに調子づいて来た。
「ぼこぼこになったところは、これはもうどうにもならないですか?」
「これはな……」
人に訊く余裕も生まれた。いい調子だ。
糸巻き一本分を終えると今度は……四本足のなにかが出てきた。
「え!?」
「使えるようにせんと意味ねぇぞ」
上に板を置いたら低い台にでもなりそうな四本足のなにかの道具。どう使うのか見当もつかない。
対角の足同士が棒で固定されているのは構造的に安定するようにだろう。
エス爺はカスターの毛糸と糸のあいだのような太さの糸を四本の足にぐるぐると巻きつけはじめる。
「色はなにがえぇ」
「えっ、えーっとぉ。緑で」
「おし、ちょっくら行ってくるわ」
「はいよぉ」
エス爺はカスターの糸を四本足の道具から外すと両手首に引っ掛けて数度捩じった。両端の輪っかのうち片方をもう片方に通して持つ。
それからエス爺は自分が糸を紡いでいた糸巻きを糸車から外して綿と一緒にかごに入れた。
空いた糸車に女の子が座る。手には新品の糸巻きが握られていた。
カスターはその糸巻きを目にしてエス爺の糸巻きに目を戻した。飴色のところどころに傷がある糸巻きだ。
「行くぞ」
「はい。あの、糸巻きって専用なんですか?」
どこに連れて行かれるのかわからないがついて歩きながら訊く。
エス爺は当たり前のように、
「誰の糸かわからんようなるが」
と言った。
***
到着したのは集落右側の大きな建物だ。広場に近いほうの部屋で機織りをしている。
カッタンカッタンと奥から手前へ巨大な櫛が音を立てる。
エス爺は奥から歩いてきたエプロン姿の男に声を掛けた。
「よぉ」
「おう」
汗を拭きふき、男が応える。手が変な色になっているから染める人かな?
「客が拵えたぞ。緑がえぇんと」
「緑ぃ? すぐ出来んが」
「んなら経を緑にしちゃれ」
「こん糸でか。冴えんことなるわ」
二人がカスターの糸をあいだに挟んで話す。
カスターはエス爺の近くに立って聞いていた。
よくわからんが貶されているっぽいことはわかるぞ
エプロンの男が機織り部屋の女に糸を見せてエス爺の要望を伝える。
女は男の指の先のカスターと糸を見比べると得心顔で立ち上がった。
「どうもぉ! 織りをやりたいって? いま支度すっからしばしお待ちをぉ」
「はいー……」
いつの間にそんなことになったんだ、カスターは首を捻りつつ、
親切心だよな……
と有難く思うことにした。
エス爺は用を済ませたと広場へ戻っていった。
「いやぁ、息子が初めて糸ぉ持ってきたときのことを思い出すね。あ、うちはリプシーっていうんだよ」
リプシーがノートくらいの大きさの木板を持って来て緑の糸を立て向きに張っていく。
「息子さんがいらっしゃるんですね。最初はみんなこんなもんですか?」
「一回目を持ってくるのにだいたい半年か一年かかかるんよ。やけぇ、これみたいなんもあるしもっといいのもある」
「それをどうするんです?」
「そりゃぁ柄にもよるが。まあ織って染めて切って縫って、服やら袋やら小物やら作るんだわ」
「へぇ、思い入れ強くなりそうっすね」
「最初は大喜びよ。はいよ」
「あ、ありがとうございます」
「あんたのはこまぁから遊びな」
「う……厳しいっすね。『こまぁ』ってのがよくわからないですけど」
「少ねぇって」
隣の機織り機に座るお姉さんが教えてくれる。
右から左へ、左から右へ、糸が行ったり来たりしている。
カスターは会釈をして渡された小さな織り機を眺めた。
たしかにおもちゃみたいだ。
カスターの糸が針に通されて渡される。
「出来立ての糸をこうして縦の糸に交互に潜らせて、端まで行ったら通した糸を手前に寄せて、次はさっき通さんかったところを掬って通して寄せてっての繰り返しよ」
「はい、やってみます」
「んじゃ、頑張って」
リプシーは自分の機織り機に座る。すぐにカッタンカッタン音を立て始めた。
ピンクと薄黄色と茶色の縦縞模様だ。
色数が多いのに潰れていないのは糸がそれだけ均一で細いからだ。
「リプシーさん」
「んー?」
「いま織ってるのは誰の糸ですか?」
「うちのに決まっとるでしょうが」
「えっ! めっちゃ綺麗っすね!」
「こんくらいはみんなできるわ!」
リプシーはそう言いながら嬉しそうに笑った。
今日中には終わらないだろうということで織り機を借りられることになったカスターは一度宿に戻ることにした。
広場を通るのでエス爺はじめ糸紡ぎで世話になった東屋のみんなに織り機を見せて報告する。
「俺の糸は生成りっすけど、緑の糸もらえました! 完成したらまた持ってきます!」
子どもたちがカスターの二列だけ織った布未満のそれを見る。
「雑巾みたい」
糸がぼこぼこなせいだ。
「こら! あんたもやってみりゃそうなるわ。カスター、わかんなくなったらおいでよ」
「はい!」
子どもの言葉は悲しいが、東屋組に入りたてらしき若めの女性が相殺してくれる。
カスターは織り機を持って宿へ戻った。
玄関扉を開けるとコンラートがいる。お玉を持って。
カスターたちが集落から宿泊を許されたこの、大木を模した塔は一階に炊事場とホールとカスターたちの宿泊する部屋がある。二階と三階には用がないので上がる機会がないが、なんのための建物なのか気になって仕方がない。外装の布が色とりどりなのだから絶対に意味があるはずだ。
コンラートがカスターに気づく。
「おかえりなさい」
「ただいま……、え、自炊?」
「こちらの料理を習っています」
鍋を覗き込むと包み焼きが三つ並んでいる。
「中身はなんですか?」
「木の実とドライフルーツと甘い芋です」
「さつまいも」
「残念。蜜を入れただけです」
それは昼飯じゃなくておやつな気がする。
コンラートの視線がカスターの手の織り機へ向かう。
カスターは胸の前に掲げて見せた。
「これから布になる予定の糸です!」
「糸紡ぎを教えてもらうと言っていましたもんね。味のあるほうがカスターさん作でしょうか?」
「やっぱわかります?」
「みなさんお上手ですから」
「もし俺がこれで服作って着たら笑いものになりそう……」
「丈夫そうでいいじゃないですか。服にするには糸が少ないですし」
「もしもの話です!」
カスターは言い返してから肩の力を抜いた。
今日の予定を思い浮かべる。
「午後から長がボアを案内してくれるんでしたっけ?」
孤立した小さな集落では話が瞬く間に広まる。
カスターがエス爺と知り合った昼下がりの出来事――糸紡ぎを教えてほしいと言ったこと――が初日の夜にはすでに広まっていたし、パルモルがやたらと道具を指しては聞いて回るのも奇怪だと噂になっていた。
昨日からセリアは留守番組ではないほうの子どもたちと行動を共にし始めて、シーラは「目処が立つまでは休暇ということでよろしいですね?」と確認したうえで編み物をしながら井戸端会議に興じていた。
総じてパルモル商会とその護衛はボアの人々に対して友好的だと思われている。
そういうわけでのお誘いである。
カスターは予定を確認しながらあたりを見回した。
糸紡ぎにはヴィータも来ていたが早々に飽きたらしくティダと一緒にコンラートと散歩をしていたはずだ。
さてはて果たしてヴィータは台所作業台横小テーブルの上のクッション入りの籠に収まっていた。
クッションが好きなのか?
メンダーのところでもクッションは自分の場所だという風に収まっていた。
具合の良いのがあったなぁ、などとは思わない。だれが用意した?
コンラートは包み焼きを皿へあげると新しくまた三つフライパンへ並べた。火にかける。
じゅわっ――食欲をそそる音だ。
話が進む。
「私たちだけでは入れないところへ入れてくれるそうでしたね」
「それ聞いてないんですけどー」
「あ」
「ちょっと」
「汁物の味を変えてみたのですが味見しますか?」
あからさまに話題を変えるじゃないか。
表情も声音も変化なしだが間だけおかしい。
「ヴィータが入ってる籠、誰が用意してくれたんですか?」
やり返した。
『《迷いの森》奥の集落ボア 調査レポート(2)
・ボアでは、成長に合わせて社会的居場所が変わるのではないかと思わせる内容の話を聞いた(リプシー談)。
個人的見解は以下の通り
幼少期:年寄り衆の子守を受けつつ彼らから糸紡ぎを教わる。
少年期:幼少期に紡いだ糸が一定量蓄積すると教わる内容は染めや織りへ移行。
青年期:振り分けの基準は不明だが日中の仕事が生じるようになる。
老年期:青年期の仕事を引退し、糸紡ぎと子守へ転じる。
のではないかと。
確実なのは、成長に伴う節目と生業が極めて近接的だということだ。
行事としての節目についてはまだ私の知るところにないので断言はできないが。
たとえば子どもたちの衣服について。
子守を受ける年代、幼少期は、白か生成りを着ている。ところが少年期にあたる子どもたちの衣服には色が入っている。レポート(1)を書いた初日には気づかなかったが、布の質も違うことがある。
これは予想だが、初めに作った自分の布がすなわち少年期の衣服のひとつになるのではないかと思う。
少年期に入るというのが、布を作ったという経験に根差すのであれば、布作りそのものが彼らの節目ということにならないか。
もうひとつ。
私は糸を紡いだあとにどんな色にしたいかと聞かれた。
面倒な色を選んだようで染めから織りへとたらいまわしにされたが、経糸に希望の色を張ってもらうことができた。
なにが言いたいかというと、少年期の子どもたちが着ている質の違う衣服の色は、着用している本人が選んだのだということだ。
色が入っていない服を着ていた幼い子どもが、日々色を纏う大人たちを目にしておいて、いざ自分の衣服に色が入るとなったとき、喜ばないはずがない。』




