八章 約束
追ってくる気配がない。ただ、始達が突き破って空いた窓ガラスの風穴越しに、遠方の宙に浮遊する千歳の姿が目に映る。闇夜に、月の如く光を放って浮遊するさまは恐ろしくなるほど美しくもあった。
危険が回避されたのは、「障壁装置」のお蔭にほかならない。
そんな状況下で、短脚テーブルを挟んで話をしているというのも、妙な風情があった。
「――と、いうことです」
「なんてことだ……」
口を切ったヒバリが語ったのは、あまりに突拍子がなく、しかしながら、納得せざるを得ないものであった。
が、始は、とても信ぜられない心境でもいたのだ。
時を戻そう――。
障壁装置を起動させると、始とヒバリは短脚テーブルを挟んで座る。
「千歳さんが、壁から現れることができたのは、よくある演出ですよ」
と、ヒバリが坑道での話の続きを始めた。
「よくある……」
始は思い当たらず、首を傾げた。
「知りませんか。『物体』なら、物質に縛られて行動が制限されてしまいます。が、『物質』でなければ、いかがですか」
「どういう意味だ」
なおも解らない始は、ヒバリの顔を窺うばかりだ。
ヒバリが少し目線を外し、言いにくそうにした。
「本当なら、察してもらいたかったです……」
と、言うと、意を決したように、まっすぐに始を見つめ、
「規制線」
と、口にした。始は、眉間に皺を寄せて無理解。
「崖の前の、あのテープです」
「ああ、警察が張ったやつだったな。それがどうかしたのか」
「あれが重要だったんですよ」
淡淡と話が進んだが、次のヒバリの言葉に、始は衝撃を受けることになった。
「あそこで事故があったので規制線が張られました。事故に遭ったのは、千歳さんです」
「……、は。どういう――」
「彼女は、」
始の言葉を制して、ヒバリが発した。「既にこの世のひとではありません」
「……は。な、なんていった……」
あまりに唐突な真実の暴露に、始は思考停止に見舞われた。
「彼女は、崖の事故で亡くなったんです……。今から一週間前の事です」
「……な、何をいって……、だって千歳ならあそこに、」
始は宙の千歳を指差した。「いるじゃないか、あそこに!」
ヒバリが首を横に振った。ゆっくりと。
「彼女が、ここに入って来れない理由は、解りますか」
「そ、それは……障壁装置があるからだろ」
と、次には魔法の青い粒子を振り撒く障壁装置を指差す。
「誤解がありますね」
と、ヒバリが取りつく島もなく一蹴。
「気づきませんでしたか。展開中の障壁は魔力と魔法のみを防ぐ壁で、肉体は通過できます。魔力の塊のような、霊体の千歳さんでは通過できないのです」
「……馬鹿な」
「亡くなっている証拠ですよ」
「煩いっ!」
「……聞きなさい!」
真実を拒絶しようとした。しかしだ、ヒバリの語気のほうがいくらか強い。
一拍置いて、ヒバリが落ちついた声音で語りかける。
「君はもう逃げないのではなかったのですか。真実を全て受け止める意志を見せたのは嘘でしたか」
静かだが、ズシリとくる問掛けだった。
「……さらにいいます。彼女が亡くなっている証拠として、ボクには『見えない』ということが挙げられます」
「見えない……」
始が短く切り返すと、会話が進行した。
「ええ。君の視線や言葉、千歳さんの魔力から彼女がどこにいて何を話しているのか察しながら、話を合わせて隠していました。が、もう、それは必要ありません」
「……いつからだ」
「最初、彼女に会ったときからです。一巡目の『最期』の日に、千歳さんの家で、彼女の遺影を確認しました。間違いありません」
「あの雨の日だよな……。おばさん達の部屋に」
「ええ。そして、叔母君の言葉をもとにボクが推測した、君が叔母君に殺されたほうがよかったという理由……」
ヒバリが話そうとする都度、邪魔が入って聞けなかった話。「千歳さんがこの世の人ではないことを知った君が、絶望するのを回避するためであり、千歳さんを成仏させるためです」
「じゃあ、オレを殺そうとしたのは、おばさんの優しさだった……」
「恐らくは、と、いうことです」
「なんてことだ……」
そういうやり取りがあって、現在に至る。
ヒバリの言葉に嘘はない。嘘をつく意味がないことは明らかなのだ。
「ボクは、君が知ることで、ショックを受けると解っていました……。だから、話さなかったのかも知れません。ボクらしくもありません」
「……そうだな。お前なら、任務優先で話しててもおかしくないと思う」
「ええ……」
しばし沈黙。
その後、
「ありがとな」
「え……」
始の唐突なお礼に、目を丸くするヒバリ。
「オレさ……、お前に助けられてばかりだ。なのに、ああだこうだって文句いってきた……。感謝してるよ」
素直に、始は頭を下げた。
「今の話だって、本当は、オレに話したほうがいろいろ都合がよかったんだよな」
「そう、ですね」
ヒバリが力なく微笑した。「君に話していたら、もっと早くから彼女のことを詳しく調べることができ、このような事態も回避できたかも知れません。一巡目でも、彼女の母君に殺されることもなかったかも知れません」
「でも、正解だろ、お前の判断は」
ヒバリに初めて会った日に千歳が亡くなっていると聞いても、始はきっと信じなかった。
「信じるよ、今の話。お前には、それだけ助けられた」
「ありがとうございます」
ヒバリが会釈した。「早速ですが、千歳さんを攻略します。障壁装置も、無限稼動するわけではありません」
「攻略っつったって、どうするんだ、……幽霊、なんだろ」
ヒバリを信用はしているが、彼の話を完全に納得はしていない。ただ、ジッとしていることだけは、あってはならないだろう。
「正面から戦うのはゴメンだぞ」
「それはボクも願い下げですよ。千歳さんを攻略するために必要なものがあります」
「ご、護符とか、聖水とかか」
ゲームでもあるまい。始はそんなものしか幽霊に対抗する手段を思いつかない。が、
「まあ、そんなものです」
と、ヒバリがうなづいた。「ここにはありませんから、取りに行かなければなりません」
「どこにあるのか、判ってるのか」
「ええ。確証を得たわけではありませんが、間違いないと思っています」
ヒバリが立ち上がる。
始も、短脚テーブルに手をついて立ち上がった。
「どこに何を取りに行くんだ。当然、オレも行って探してやる!」
「心強い言葉をもらえて、やり甲斐が出るというものです」
組織から送られてきたらしいダンボール箱の中から、ヒバリがゴテゴテとした武器(?)を手当り次第に担いで、一部を始にも手渡す。
「な、なんだ、これは」
一見すると物騒この上ない手榴弾。色がやけにファンシだが。
「〈魔力拡散式煙幕手榴弾〉です」
「は、はい。まりょく、かくさんしき……」
「えんまくしゅりゅうだん、です。簡単にいえば、あらゆる魔法の力や、魔力を察知されなくする煙幕を展開します」
「これを使えば、千歳から居場所を察知されにくいってことか」
「君の場合は魔力がありませんから、その効果は必要ありません。が、魔法を防ぐ効果もあるので、そちらは有効です。おまけに、うまく使って煙幕の中に千歳さんを閉じ込められれば、肉体を持たない魔力体の彼女は身動きが取れなくなります」
……それはすごいな。
右手の手榴弾から、左手の手榴弾に目を移す。
「で、こっちの、いかにも怪しい真黒な手榴弾はなんだ」
「ああ、そちらは障壁を展開するための手榴弾〈障壁構築専用手榴弾〉です」
「ややこしくするな。つまり、今、旅館を守っているのと同じものを作れる手榴弾なんだな」
と、始が訊くと、ヒバリがうなづいた。
「まぁ、そうです。小型なので継続時間は二〇秒前後。効果範囲は半径五メートル弱の球状。魔法を防ぎ、千歳さんの侵入を防ぎます」
「へぇ~」
こんな物を渡すのだ。いざというときは自分で自分の身を守れ、と、いうことだ。
……ヒバリが、オレを守るといったのは事実だし、嘘でもないだろう。
ヒバリは一度、始を守り切れなかった。だから、始自身に保険を持たせたのだろう。
「使わせてもらう」
「ええ。使わなくてもいい状況を可能な限り保つつもりですが……お願いします」
「解った。お前も気をつけろよな」
「お気遣い、ありがとうございます」
二人は「うん」とうなづき合って客室を出た。
ヒバリの装備は機関銃と目されるゴツい銃――撃つと銃口から激しい火花が出るに違いない――で、全長が一三〇センチもある。付属の黒い帯を斜め掛けにしており、細身のヒバリが持つと屈強な兵士が持つより断然重そうだ。ただ、ヒバリはそれを、事もなげに腰に流し、さらには始に渡した手榴弾を無数に潜ませたマントを羽織っている。
「さぁ、行こうか」
「ええ、行きましょう」
行先は、千歳と遭遇した神社、その拝殿だ。
旅館を包む障壁は肉体がある者なら出入りが可能だが、有魔力のヒバリは外に出ると旅館側に戻ることができないらしい。千歳がいる東側を避け、陰となっている業務用通路から裏山に出た。そこは既に障壁の外だ。
神社へは始が先導する。地理を熟知しているから当然の抜擢だが、理由はそれだけではない。ヒバリが後方を警戒しつつも、前方を走る始を観ていられるからだ。
「こういうのを隊列というのでしょうね」
「隊列ね。たった二人で隊も何もないだろうに」
「ボクはいつも単独行動でしたからね。隊列を組んだり、複数人で隊を組んだりした経験がないのですよ」
「そうなのか」
森の斜面の道なき道を駆け上がってそんなことを話す。
ヒバリは時折、人付合いが苦手だと口にしているが、もしかすると組織に所属しているからではないか、と、始は思った。組織に所属する身だから少なからず自由を奪われているのだ。
「なんでお前は組織なんかにいるんだ」
と、始は訊いていた。
「おや。話したはずですよ」
「え、そうだっけ」
「ええ。隠すつもりもないので、忘れたなら何度でも教えてあげますよ」
と、ヒバリが少し呆れ笑いを漏らして応えた。「ボクは両親を亡くしました。引取り手となった両親の旧友が組織の長で、ボクを組織に誘ったのです」
「そういえばそんな話をしたっけ」
「しっかりしてください。その歳で物忘れとはいささか心配ですね」
「悪かったな」
勉強がそこそこしかできないのも恐らく記憶力のせいだとは暴露しないが、始は額に手を当てて自分の脳ミソのなさを怨んだ。
「あ、そろそろ、坑道があるぞ」
神社から千歳に追われた際、逃げ道にした坑道の別の出入口が山の斜面にあるのだ。夜闇の中だが、なんとか迷わず辿りつき、始はホッと胸を撫で下ろした。
「ここだ」
「急ぎましょう」
アンボイナに食われる魚のように斜面の無骨な穴に始は先行して飛び込み、ヒバリも続く。
「うわたっ!」
着地に失敗して、すっ転んだ始の顔の上に、ヒバリが尻餅をつく形で落下した。
「うぎゅぅぅっ!」
「おやっ、すみません」
すぐさま立ち上がってくれるが銃やら手榴弾やらを引っつけたヒバリの重さときたら、ただでさえ「普通の顔」がやや不細工に近づくほどの重さ。顔面に尻餅をつかれて始は卒倒しそうになったのである。
「き、気をつけてくれ、よな……」
ふらふらと、半ば根性で立ち上がる始。
「す、すみません……」
さすがのヒバリも、今回はまじめに頭を下げた。
「そんなに重かったですか……」
「重いよ、バカぁ。顔が歪んだらお前の顔に尻餅つかせろよっ!」
言葉通りの怨み節を吐き捨てて、前進する。今にも千歳がこちらの動きを察知して追ってこないとも言いきれないのだ。
「本当にすみません……」
と、言いつつ、ヒバリがお腹を摘んでいたりしたのを始は見逃してやった。
何度訪れても坑道は入り組んでいるが、始が見知った道を選んで進めばずんずん進める。
「ここを素通りするのはもったいないですね」
「ん、なんでだ。急ぐんだろ」
「ええ。ただ、ここはどうも妙な気配があります」
「妙って、まさか千歳、いや、おばさんか」
「いいえ、どちらでもありません。これは、情報に齟齬があったとしか……」
「情報にソゴ」
「はい」
始は走りながらも後ろのヒバリが壁面を窺っているのを認めた。
「何かあるか。ただの土壁ってか、ただの地中だろ」
「君には感ぜられないのでしょうね」
ヒバリが微笑した。「ここがかつては精霊結晶の採掘場だったことは覚えていますか」
「さっき聞いたばかりだからな」
「ここは廃坑です。ならば結晶が採り尽くされていてしかるべきです。しかし、まだ精霊結晶と思われる反応があるんですよ」
「それがどうした」
始は、溜息を短くついた。
「今はそれどころじゃないだろ」
「ええ、まあ。細かいことが気になるものですからどうしても、ね」
「同意を求めるな。オレにはさっぱり解らない話なんだ」
ヒバリの話はただでさえ解らないことばかりなのに、始に感知できない精霊結晶の話となればなおさら話についていけない。
「今は神社に向かえばいい。そうだろ」
「はい。間違いありません」
と、ヒバリが同意。
千歳が現れる気配はなく、千歳が作り出す魔物もどきが現れるわけでもなく、坑道を抜け出るのに時間は掛からなかった。
神社を見据えて、再来となる獣道を直走る。そろそろ、始は疲労感が溜まって足の動きが重くなってきた。
「休憩、入れていいか」
「あと少しですから我慢してください。それでも健全な男児ですか」
「そこまでいうかよ」
恐らく、ヒバリの言う健全な男児にはプロボクサ並の筋肉がついていることだろう。と、心の中で皮肉り、始は根性だけで足を前へ前へと押し出す。
「その調子ですよ」
ヒバリがクスクスと、「これなら、何事もなく到着しそうです」
「そうだなぁ……はぁ……はぁ……」
息切れしている始と、汗一つかいていないヒバリ。両者は、一般人と組織所属者である違いをハッキリと示していた。
「さあ、あと少し、頑張ってください」
いつしか先導がヒバリになっていて、始は情けなく手を引かれてヨタヨタ歩くペンギンのようなありさまであった。
朱色の鳥居が闇夜に溶け、血色のカーテンの如く二人の頭上を過ぎ行く。
ふと、ヒバリが足を止める。
始はヨタッとよろめくも足を止めた。何を言うでもない。ただ、始の頰を、疲れとは別の汗が幾筋も流れた。
「待ってたよ」
「千歳……」
感づかれていたのか。
「やはり、こうなりますか」
ヒバリがマントの中から黒い手榴弾を一つ、取り出した。
「ボクが本気を出せば、恐らく千歳さんもただでは済まないと思います……」
と、小声で始を窺う。
一歩前に出ようとしたヒバリを押し退けて、始は前へ。
「ヒバリ。ここはオレが」
千歳を見据えつつ、「お前は、千歳を倒す術を――」
「……いいでしょう。ですが、無理は禁物ですよ」
ヒバリが、手榴弾をいくつか始のズボンのポケットに突っ込み、参道を外れて走り出す。闇の山林に消えるヒバリの姿を目ではもう確認できない。
……頼んだぞ、ヒバリ。
もう亡くなっている千歳を救うには、ヒバリが言うアイテムが必要不可欠。始にはそのアイテムを探すノウハウがない。なら、最大級の危険を伴うが、こうして始が残るのが良策。
両者は、しばし見つめ合っていた。
「千歳、……ごめん。今まで、全然気づけなくて」
「気づいたのは、あのヒバリさんでしょう」
「何に気づいたのか、何に気づいて謝ったのか、全部いわなくても解るのは、お前らしいな」
始は微笑した。「本当に、気が回る」
「……お話は、それだけ」
「急くなよ」
始は、手をふるふるさせて慌てた。時間稼ぎしているのがバレては意味がない。「なあ、千歳。なんでお前はいわなかったんだ。なんで、オレにいってくれなかったんだ」
死んでしまったこと。始は、なんの力にもなれないかも知れないが、隠し事はない関係だと始は信じてきたのだ。なぜ、千歳は――。
「……話すことなんてなかったから。必要なかった」
と、千歳。ひどく小さな声だった。
「千歳……、オレは、お前のこと――」
「好きだよ。ハジメ君。だから……」
千歳の姿が一瞬消えた。「お願い」
始の耳許に声があった。次の瞬間には、始の体は、鳥居の支柱に叩きつけられていた。
……なんだ、これ。腹が痛ぇ!
鳥居で強打した背中は勿論だが、それとは別に腹部に激しい痛みがあった。その箇所を手で探ると、服に、痛む箇所とそっくりの穴が空き、赤く爛れた肌が剝き出しになっていた。
……殴られた、のか。
千歳を窺う。
先程まで始が立っていた位置に、掌に紅蓮の炎を纏った千歳がいる。
……無茶苦茶だ。反応なんか、できもしなかった。
「ハジメ君、無理しないで。早く、あちらの世界に行こう、一緒に」
……来るな。まだ、立ち上がれもしない。
始は、ポケットに手を突っ込み、ファンシな桃色手榴弾を取り出した。
……クソっ、こんな変な手榴弾に助けを乞うことになるとは!
安全ピンと思われる金具を引き抜き、千歳にぶん投げた!と、思ったが、手が滑り、手榴弾は始の足許に落ちてボンッと破裂――、瞬時に赤とも青とも白ともつかないカラフルな煙幕が展開した。
「これは……」
千歳の声が動揺をにおわす。
……効いてる。
投げは失敗したが、煙幕は千歳の魔法を防ぎ、かつ彼女の侵入を防ぐという話だったから、始は時間を稼ぐことに成功した。
「逃げるわけにはいかないけど、これならいいや」
始は、痛い身体を摩って立ち上がった。
二〇秒弱か。過ぎてみれば、あっという間だ。煙幕が晴れる。
「ハジメ君。逃げないの」
「逃げてもどうせ追ってきて襲うんだろ。なら、最初から立ち向かってやるよ」
「そう……、そのほうが、わたしも助かるよ」
千歳がくすりと微笑した。「でも、あの人は結局逃げちゃったんだね」
「え」
「ヒバリさんだよ」
「あ、ああ……」
意表を衝かれた心地である。
……千歳はヒバリが逃げたと思ってるのか。じゃあ、自分の弱点を知らないってことか。
千歳は滅びに導かれるであろうアイテムが社にあることを知らないのだろうか。
だとしたら、なぜ、千歳は最初、ここに現れたのか。てっきりアイテムを守るためだと始は解釈していたのだが。
「千歳、なんでここにいたんだ。なんで、オレ達をここで待ち伏せした」
「今日のハジメ君は質問ばっかりだね」
「いいから、応えろ!オレ達の間に隠し事はなしだっていっただろ!」
と、始は言ってから、「あれ、いったっけ」と、心の中で自問したが、ここははったりを通すことに決めた。
千歳の応答は、意外なものだった。
「憶えてくれていたんだね、あのときの約束……」
とびっきり嬉しそうに笑む。
……え、マジか……憶えてないぞっ。でも。
始は迫真の演技をかます。
「当たり前だ。オレは、千歳がいないとダメなんだから」
「……ありがとう、ハジメ君」
千歳がこの上ない笑顔を見せた。「ここは、ハジメ君と二番目に冒険した場所だよ。だからやっぱり忘れられない、……死んじゃっても、ずっと忘れられないの」
「千歳……」
あの崖と同じだろう。始と一緒に遊んだり、過ごしたりした場所の一つが、この神社だったのだ。始だってそのくらいは覚えていたが、二番目に冒険した場所というのは忘れていた。
……もしかして約束もここでしたのか。
詳しい内容は忘れてしまったが、始は記憶の片隅に、ぼんやりとソレが浮上するのを感じていた。
一世一代の大交渉の始まりだ。
「千歳。オレだって、いずれはお前のとこに行くよ。だから、お前が手を汚すな。オレは、そんなお前を許せない」
「ハジメ君……」
瞳が揺れる。
……迷ってくれたか。まだ、良心があるんだな。
いっそ殺意を全開で持っていてくれれば、と、思わないでもない。そのほうが躊躇いなく成仏へ導ける。だが、千歳が良心を残していたことに、始は安堵にも似た感情をいだいた。
「なあ千歳。なんでこんな、ヤバいことを。千歳らしくないじゃないか」
「それは……」
「どうしてだ」
始は畳みかけた。もう、とっくに演技ではなかった。「お前は好き好んでひとを傷つけたりするやつじゃなかっただろ。どうしてだ」
感情のままに問掛けだった。
「……わたしは」
千歳が口を開こうとしたとき、
「それ以上喋ってもらっては困るな、千歳君」
男の声がどこからともなく響く。
千歳が萎縮するように肩を竦めた。
……なんだ。
「姿を隠していては話しづらいか」
バサッと、漆黒の外套を靡かせて舞い降りる男。ちょうど始と千歳の合間に降り立って、始に横顔を覗かせた。
「誰だよ、お前!……いや、待て、お前、どこかで――」
始は、千歳の様子を窺いつつ、男の記憶を引っぱりだす。
「――っそうだ、お前は千歳ん家の前で会った……!」
「凡人にしてはいい記憶力だ。そうだよ?『この家には、誰も住んでいないよ』……そういったんだったか」
「嘘を教えてくれたわけだな。千歳はいた、死んでたけど、確かにいたんだ……」
始は叫んだ。「お前、なんなんだ!何を企んでる!」
「企むとは人聞きが悪い。わたしは教えてやってたんだよ?親切にね」
男が得意げに、演技掛かった声色で応える。
「君の大事な千歳君は死んでいた。両親も不在。だから『この家には、誰も住んでいないよ』といってあげたのに、わざわざ調べるから、知らなくてもいい真実を知ることになった」
飄飄といってくれる。
「どうだね、君は千歳君が死んでいると知って嬉しかったか?知らないほうがいいと思ったんじゃないか?」
「……思ったよ。知りたくもなかった」
始は、そう言った。「だけどな、お前なんかに、オレの気持が分るかよ!いきなり出てきて人の気持を全部解った風にいってんなよ!」
「おやおや、うるさい子どもだ。子どもは素直にいうことを聞いていればいいのに。アイツもそうだ……」
「あいつ……」
男がクックッと苦笑を漏らす。
「いいや、こっちの話だ、気にしないでくれたまえ」
バサッと黒外套をはためかせ、男が始に掌を向けた。
「知ったところで、ここで死ぬんだからな」
青い光が男の手に集う。
……魔法!
始はとっさに手榴弾を取り出し、安全ピンを引き抜き、しかし投げる暇はなく、水の魔法らしき輝きが迫るのを、身構えて受け止めるしかなかった。
水の魔法らしき輝きが手榴弾にぶつかる。反動で始は後ろに弾き飛ばされたが大きな怪我はなかった。手榴弾がギリギリのところで効果を発揮していた。障壁らしき透明の壁が、あるように見える。男の魔法が、一定の位置から一切侵入してこない。
「ふっ……小細工をしてくれる」
「っ……!」
男が、魔法らしき輝きを再び掌に秘める。
……この障壁は二〇秒しか持たない。
気づけば、汗を握っている。
……まだ手榴弾はある。でも、相手は魔術師、いや、魔導師なのか……。
魔法のように見えるが、男がヒバリの籠手に似た材質の鎧を着ている。
……何にしても、手榴弾の数が、オレの命綱の数だな。
否応もなく、覚悟を迫られた。
――八章 終――




