七話 ティアとレティシア:後
「ティア! やめろ!」
俺は反射的に、ティアの腕をつかんだ。ティアは流れるような動作で俺の体を受け流す。つんのめった俺は、床を転がり部屋の壁に叩きつけられてしまった。
体制を立て直し、ティアを見ると口を引き結び、今にも泣きそうな表情で俺を見つめていた。
「ナオキさま。そんな目で私を見ないでくださいよ」
その言葉にハッとした。演技などではない。ティアは怒られた子供のように肩を小さくさせ、恨みがましく俺を見ていた。
その表情を見ていると、心には罪悪感が生まれてしまう。
「私だって、ナオキさまが好きです。人格が分かれても、レティシアとは心でつながっています。レティシアの感情や感覚……想う人までも」
レティシアを掴んでいた指が力をなくす。ティアの拘束を逃れても、レティシアはその場に力なくうなだれたままだ。動けないでいるのは、ティアの心が分かっているからだろう。
「だからこそ許せない」
ティアの表情が再び険しくなる。
「あれだけ私のことを拒絶しておいて、自分はナオキさまと蜜月の時を過ごそうとしている。私だって……」
ティアは心が抜け落ちたようなレティシアの両腕をつかむと、部屋の隅へと押しやる。レティシアはされるがまま体を横たえている。
「まあ、いいです。しゃべりすぎました。あなたはそこで見ていてください」
レティシアは全く動けないでいる。ティアが出てきたことにより、力が失われているようにも見える。
「さて、ナオキさま」
俺に体を向けたティアは、再び妖艶な表情を見せる。室内は暑苦しく、これまでの攻防でティアの体にはじっとりと汗が滲んでいた。つつ、と首を通り、鎖骨を流れ胸の間を通る汗は、俺の目をくぎ付けにしてしまう。
「私に新たな力を」
差し伸べられた手は悪魔の誘惑にも似た何かがあった。考えるのをやめてその手を掴んでしまいたい。欲望の赴くまま、体を預けてしまいたい。でも……。
「それはできない」
そう言うのが精いっぱいだった。
俺に向けられていたティアの腕が下ろされた。こぶしを握ると小刻みに震える。
「ナオキさまも、私を拒絶するのですね。私がレティシアじゃないから」
「違うんだ。ティア」
ティアは俺の言葉にも反応せず、ただじっと何かに耐えるようにこぶしを握り締めている。
「俺はレティシアが好きだ。でも、同じように苦しみ、同じ想いを抱いているティアを拒絶するなんてできない」
「勝手ですね」
「ああ。なんとでも言ってくれ。俺は二人がお互いを認識し、一人の人間になってくれればいいと思う」
「この体を前にして、そんなことを言えるなんて……本当にヘタレなんですね」
「う……それを言わないでくれよ……」
ティアの表情に少しだけ笑みが漏れる。その表情はレティシアのものと変わらなかった。
「でも、レティシアはどう思っているのでしょうね? 私だって、この子と一緒になるのは現状では納得できません。それに……私には目的があるのを忘れてはいませんか?」
ティアが音もなく俺に近づいてくる。
「元の世界に帰り、祖国を救うこと。それは変わりません。ナオキさまを拘束して反対に凌辱することだって、私にはできるのですよ?」
ティアが俺の腕をやさしくつかむ。柔らかい手のひらは熱い。くいっと腕を引かれると、俺は簡単にバランスを崩してしまい、ティアの胸の中に体を預けてしまう。
「面倒くさいことなんてすべて忘れさせてあげますよ。その意味……分かりますよね?」
ティアの口が、俺の首筋を滑る。
「ティア!」
鋭い声が静寂を切り裂いた。いつの間にか、レティシアがしっかりとした足取りで立ち上がり、生気を取り戻した目で俺とティアを見据えていた。
「あらぁ? お目覚め?」
ティアが俺の肩越しに、煽るような言葉をレティシアに浴びせる。
レティシアはその挑戦的な視線を意に介さず、俺とティアに歩んでくると、
「ナオキ様、ちょっと邪魔です」
俺の肩をつかむと、後ろにぽいっと投げた。
突然のことで、俺はふらつき床に尻もちをついてしまった。顔を上げると、レティシアはティアの首に抱きついていた。
「な、なにっ。放して!」
予想していなかったのか。ティアも困惑した表情で視線を泳がせていた。それでもレティシアは組み付いた腕を放そうとせず、ティアの体に抱き着いたままだ。
「お願い! ティア! 聞いて」
その言葉で、ティアの視線はレティシアに注がれた。暴れることもせず、ティアは次の言葉を待っている様子だった。
「私は決して、あなたを否定したりなんてしていない!」
レティシアの言葉に、ティアが一層困惑する。しかし、すぐにレティシアを睨みつけた。
「いまさら何を……」
レティシアのひたむきな言葉に、ティアも驚いているようだった。
「確かに……最初は私の中に芽生えた、あ、えっと……エッチな感情に戸惑ったりもしたけど……でも、別にそういうことに、興味がなかったわけじゃないし……」
レティシアは時折、もごもごと言いにくそうに言葉を選びながら語り掛けている。
「ほかの女の子たちのように、男の子と手をつないだり、き、き、キスをしたり、とか! してみたいと思ったりもしたけど、私、国を守る騎士になりたかったから……だから、あなたを無視しちゃったけど……」
ティアの体からこわばりが消えた。顔を真っ赤にして想いを吐き出しているレティシアに目を丸くしている。
「わ、私、好きになった人になら、自分をさらけ出そうと思っているから……恥ずかしいけど……だから、決してあなたを邪魔だなんて思ってないから!」
ティアはその言葉を聞くと、ゆっくりと天井を仰いだ。大きく深呼吸をすると、もう一度レティシアを見た。
「レティシア……あなたは本当にお子様ね。白馬に乗った王子様でも待っているつもり?」
「え……? そんな、私は――」
ティアはそのまま、抱き着いたレティシアの体を離すと、俺のほうへと背中を押した。よろめいたレティシアが俺の胸に飛び込んできた。
「ほら。あなたの白馬の王子様よ。ここで見ててあげるから、私を受け入れるのなら」
ティアはそこで言葉を止めると、びしりと俺たちに指を突きつけた。
「今ここでナオキさまに凌辱されなさい!」
激しく頭を殴られた気分だ。何が起ころうとしているのか、さっぱり理解ができない。
「え、えっと。ティア? 何言ってるの?」
「ナオキさまは腰だけ振っていればいいんです」
ティアがまたもとんでもないことを言い出した。いきなり、凌辱しろと言われても……しかも、誰かが見てる前でなんて。
「れ、レティシア? ど、どうしよう」
震える声で助けを求める。
「ナオキ様。ヘタレのナオキ様。ここが正念場です。ティアを否定などしていないことを証明するためにも」
レティシアの顔は蒸気が噴き出しそうに真っ赤になっている。目が泳ぎまくっていて、瞳孔も開きっぱなしだ。
「私を凌辱しゅ、しゅるので、しゅ……」
レティシアの精神が崩壊したのか、そのまま仰向けで倒れた。ふしゅふしゅ、言いながら目を回している。
「ぷっ……! あはははっ! もう。レティシアったら」
ティアは涙を浮かべながら、お腹を抱え大笑いしている。倒れたレティシアのそばでしゃがむと、おでこを人差し指で弾いた。
「やっぱりお子様ね。まだ、私の出る幕ではなかったのかも」
ティアは幼子を見るような優しい笑みを浮かべると、レティシアの頭をなでた。
「ナオキさま。レティシアをお願いしますね」
ティアは俺に振りかえることなく、レティシアの手を軽く握ったままだ。
「ティア……? どういうことだ?」
「私はやっぱりレティシアの中に戻りますね。この子はやっぱりやさしい子。わかっていたはずなのに。なんでこんなムキになっちゃったのかな」
明るい声色ではあったが、節々には寂しさにも似た感情が読み取れた。
「ティアはどうなるんだ?」
「私は元の居場所に戻るだけですよ。いつの日か、レティシアが一人前の女性になれば、私という一面も顔を出します」
ティアはレティシア胸にそっと、自分の手を置いた。
「ナオキさま。その時はしっかりとお相手してくださいね」
ティアの体が淡く発光し始めた。髪の毛はふわりと浮き上がり、水の中に浮く海藻のように揺らめいている。レティシアの胸に置いた手はひときわ大きく明滅し、そのたびにティアの体が空気に溶け込むように薄くなっていく。
「ティア……俺」
ティアは自分の唇に人差し指を当てると、そのまま言葉を遮るように俺の口を指でふさぐ。しっとりとした指に俺の鼓動が大きく跳ねた。
「ナオキさまの初めてのキスを奪えただけで私は満足です」
ティアの体が大きく発光すると、細かな光る粒子となり、空気中に散らばっていく。それがひと塊になり、レティシアの胸に吸い込まれていく。
「それでは、また逢う日まで」
最後に見せたティアの満面の笑みは、レティシアの笑顔と同じものだった。




