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9.赤いペンダント

 影と二人の距離が十メートルまで近づいた。


 あと数歩でシルフィアの間合いだ。あと三歩という時、拳獣王ライオネスが走り出した。一気に影との間合いを詰める。


 「まだ、早いっ!」


 シルフィアが咄嗟に叫ぶ。だが、拳獣王ライオネスのパンチは正確に影の顔面を捉えた。

 ライオネスの拳が影の顔面にえぐり込まれる。しかし、拳はそのまま、影の顔面をすり抜けた。まるで、実体がないかの様だった。


 二撃目、三撃目と立て続けに、パンチを放つがいずれも同じだった。さすがに、拳獣王ライオネスは焦った。


 「面妖な、妖怪変化か!」

 「似たようなもんだ!気をつけろ!」


 シルフィアが警告を発した直後だった。影が腕を振り回した。腕が拳獣王ライオネスに直撃した。ライオネスが吹き飛ばされる。


 「うおおおおおっ」


 ドガッ!!ライオネスが壁に激突する。それを見た魔剣エクリプスが確信する。


 『奴には通常の攻撃は通用せん!』

 「どういう事だよ!」


 シルフィアが確認する。


 『魔剣か聖剣でなければ、傷ひとつ付けられんという事だ!』

 「面白え!」


 言うが早いか、シルフィアは影に打ちかかって行った。ガシンッ!影が腕で防御する。たしかに手応えがある。「やれる!」シルフィアは、ニヤリと笑った。


 ガシーンッ!ガシーンッ!と打ち合う。前回は不意を突かれたが、今回は余裕があった。力負けする気はしない。むしろ、押していた。


 『さっさと抜け!バカ者!我は棍棒ではないッ!!』

 「細けえ事はいいんだよ!一気にケリをつけるぞ!」

 『細かくない!我の尊厳だッ!』


 影は一瞬、丸くなった。そして――跳ねた。剣闘場内を縦横無尽に。まるで黒いボールだ。逃げ遅れた観客にぶち当たる。悲鳴、鮮血が飛ぶ。


 「ますます、化け物だな。この野郎、関係ねえヤツを巻き込むな!」


 シルフィアが叫ぶ。影がこちらを見た気がした。


 「狙いは、あたしだろう!」

 『おそらくな』


 影の動きがさらに加速した。今度は明らかにシルフィアを狙っている。一度空中に大きく飛び上がると、電光石火。シルフィアに肉迫する。


 「おらぁあああっ!!」


 影の黒いボールを横殴りに魔剣エクリプスでぶったたく。重い。恐ろしく重い。このままでは打ち負ける。そう思った時だった。


 「縮地の斬撃!」


 拳獣王ライオネスの魔法の剣が横合いから斬撃を浴びせた。「――――!」声にならない声を上げ、影が苦しむ。後ろに飛び下がって傷口を手で押さえる。影は、いつの間にか人間形態に戻っていた。


 「なるほど、魔法の剣は有効という訳か」


 そう言うと、拳獣王ライオネスは血の固まりを吐き出した。


 「ゲホッ!ゲホッ!」

 「ライオネスッ!無茶するな!」

 「もう遅い、あばら骨が肺に突き刺さっている、致命傷だ。まさかこんな形で旅が終わるとはな」

 「……ライオネス」

 「だが、この化け物も道連れだ」


 拳獣王ライオネスは剣を構える。血の固まりを吐きながら。もう剣闘場には誰も残ってはいない。いつの間にか煙の匂いは収まっていた。火事は防げたようだ。その分、血の匂いが濃厚になっている。カイルに今日のことをどう説明しよう、そんな考えが頭をよぎる。


 その時、拳獣王ライオネスが動いた。致命傷を負っている者の動きではない。影も動く。逃げようとしているようだった。目の前の獣人の気迫に押されて。


 「縮地の斬撃っ!!」


 終わりはあっけなかった。拳獣王ライオネスの放つ剣閃が影の首へ伸びる。影が切っ先を避けたかに見えた。その時、剣先が五十センチ程、ぐんっと伸びた。剣はそのまま影の首を断ち切った。「――――!!」影の声無き声が木霊(こだま)するようだ。


 「やったか!?」


 シルフィアが叫ぶ。影の首が飛び、空中で煙のように消え去っていく。首を失った胴体は立ったままだ。だが、徐々に形が崩れていく。これもまた、煙のように。風に散らされていく。影の体が薄くなっていくのを見届けた拳獣王ライオネスもまた、そのまま、大地にドウッと倒れ込んだ。


 「ライオネス!!」


 シルフィアが駆け寄る。ライオネスは虫の息だ。シルフィアにはどうすることも出来なかった。ただ、手を握ることしか。


 「……魔剣エクリプスの使い手」


 苦しい息の下、ライオネスが声を絞り出す。


 「……私の最後の頼みを聞いてくれるか?」

 「シルフィアだ。言ってみろ」

 「私の胸のペンダントを獣人国ガウルに届けてくれ……」

 「獣人国ガウル!?」


 シルフィアにとって、初めて聞く国の名だった。獣人族の国のことらしい。たしかにライオネスは胸に赤いペンダントをしていた。複雑なカットが施されている、一目で高価なものだと分かる宝石だ。それは赤い光を妖しく放っていた。


 「その魔剣エクリプスで、わが一族の呪いを解いて……くれ……」

 「おい、呪いって何だ!」

 『無駄だ。もう死んでおる』


 魔剣エクリプスが言う通り、拳獣王ライオネスの目からは生の光が失われていた。祖国ベールウェストの事と言い、影の事と言い、それに呪いの事。明らかに世界がおかしくなっている。数か月前のあの日から。


 「何がどうなってるんだ!?」


 シルフィアは虚空を見上げ呟いた。天井からは剣闘場を照らす魔導ランプの妖しげな光しか見えなかった。

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