7.拳獣王ライオネス
「絶対、外に出るなよ。絶対にだ!」
カイルの念を押す声に、シルフィアはコクコクと頷いた。しばらく疑い深そうに見ていたが、後ろ髪を引かれるようにカイルは出仕していった。
それをシルフィアは笑顔で送り出した。新妻のように。そりゃもうにこやかに。
カイルの姿が見えなくなると同時に、シルフィアは身支度を整える。メイドたちは何も言わない。
メイドたちがシルフィアのことをどう思っているのか分からないが、カイルの恋人と思っている節がある。なので必要以上に立ち入ってこない。今のシルフィアにはそれがありがたかった。
「ちょっとだけ、出掛けてくる」
「行ってらっしゃいませ」
魔剣エクリプスを背負って、ちょっとだけもないもんだ。と思いつつ、剣闘場に向かう。
良く晴れた日だった。内陸部特有の気持ちのいい風が吹いている。空を燕のつがいが飛び回っている。
ピーピピピッ。
燕のさえずりが聞こえてくる。
今は亡き祖国ベールウェストでは、燕のさえずりは瑞兆だった。
「ははっ、勝ったな」
知らず知らずのうちに、笑い声が漏れた。
『ばかもん、まだ始まってもおらぬわ』
「いいんだよ。こういうのは気分の問題だ」
剣闘場に着いたのは、試合開始の二時間程前だった。午後の部の第一試合。リングでは午前の部の試合が行われていた。
プンと匂ってくるのは、血と汗の匂いとワセリンの妙にいい匂いだ。シルフィアの体の内側から熱い何かが込み上げてくる。
「いいねえ。こういうの嫌いじゃない」
「ようシルフィア!流石に逃げたかと思ったぜ」
ドレイクが話しかけてくる。横には巨漢の獣人族が立っている。シルフィアが怪訝そうに見ると、ドレイクが紹介する。
「こいつが今日、お前と対戦する。拳獣王ライオネスだ」
「ライオネスだ。今日はよろしく頼む」
獅子の顔をしたそいつは、毛むくじゃらの腕を差し出してきた。身長は二メートルくらいか、全身に古い皮鎧を纏い、幅広の大剣を背負っている。その粗野な見た目と違い、金色の両目には理知的な光を宿していた。その腕を握り返す。
「シルフィアだ。お前強いだろ」
「よくそう言われるが、どうだろうな」
ライオネスとシルフィアの身長差は大人と子供だ。ライオネスが圧倒的に有利だ。まともに戦えばシルフィアの負けは確実だろう。だが、ライオネスの次の一言がシルフィアを愕然とさせた。
「魔剣エクリプスの使い手とは戦ったことはないからな」
「……!」
『ほう』
それだけ言うと、ライオネスは控室に引き上げて行った。本当に魔剣エクリプスの使い手を見たかっただけかも知れなかった。剣闘士同士が試合前に言葉を交わすなど異例だ。
「あいつ、エッくんのことを知っていた」
『エッくんと呼ぶな!まあ我ほどの有名人なら、知っている者がいても不思議あるまいよ』
「千年前、世界征服しようとした話か」
『我が魔王であった頃の話だ。もう忘れた』
魔剣エクリプスは過去の栄光を自慢するくせに、詳しい話をしようとはしなかった。聖剣セラフィクスとの関係も分かったのは数日前のことだった。呪いの魔剣エクリプスとは何なのか。その本当の正体は謎のままだった。
「なあ、エッくん、いつか話してくれるか」
『……時がくればな』
「また、思わせぶりなことを言う」
『それより、早く控室に行け。ここは空気が悪い』
「へいへい」
気づけば前の試合が終わっていた。勝者が勝ち名乗りを上げている。敗者は血の海に沈んでいた。鉄臭い風が吹いている。ここでは負けた者には何も残らない。名前も残らなければ、その命すらも残らない場合も多い。シルフィアは剣闘場を後にした。
シルフィアの控室は女ということもあって、個室になっていた。あと三十分もすれば命のやり取りが始まる。時が迫るほどに、戦いへの高揚感が高まる。戦闘狂、その言葉がぴったりだった。「コンコン」扉がノックされる。
「時間だ。シルフィア。控室を出ろ」
ドレイクの声だ。シルフィアは立ち上がる。
「オーケーだ」
『また、ひと荒れ、来そうだな』
魔剣エクリプスの声が薄暗い部屋の中でやけに大きく響いた。
◆
観客席は興奮の坩堝と化していた。弱冠十六歳の少女が五十戦五十勝の猛者、拳獣王ライオネスに挑戦しようというのだ。
シルフィアが勝つと思う人間はいない。ただ、どう殺されるか、それだけを見たいのだ。
嗜虐心をそそられた、野卑な笑いが会場を染める。オッズは成立していない。それどころか、シルフィアが何分持つかの賭けが行われていた。
「五分だ」
「いや十五分だ」
「俺は十五分以内に二百ディナールだ!」
「じゃあ俺は十五分以上に三百ディナールだ!」
「おい、誰かまとめろよ!」
気楽なものである。
そんな会場の雰囲気を気にする風もなく、シルフィアが入場する。
反対側の入り口から、拳獣王ライオネスがゆっくりと姿を現す。
シルフィアの眼差しは、相変わらず夜空の星のようにギラギラと輝いている。
対する拳獣王ライオネスは、あくまで自然体だ。余計な気負いがまったくない。格の違いを見せつけるように、ゆったりとシルフィアに近づいていく。
勝負はすでに始まっているのだ。
『シルフィアよ。我を抜け。相手がまずい』
「細けえことを気にすんな」
シルフィアはそう言うと、魔剣エクリプスを構えた。棍棒として。拳獣王ライオネスが訝しげな表情になった。
「魔剣エクリプスをなぜ抜かん?」
不思議そうに聞いてくる。シルフィアは少しだけ考える。
「う~ん、勝てるから!」
「舐められたものだな」
そう言うなり、拳獣王ライオネスが大剣を構え、突っ込んで来た。その巨躰に似合わぬ凄まじいスピード。そのまま大剣をブンと振り下ろす。
シルフィアはバックステップを踏み、その一撃を難なく躱した――はずだった。
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